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番の巫女短編シリーズ

番の巫女~突然伴侶と言われても困るんですが/ムカつくのでとりあえず殴りますね~

ふと手が動いたと思ったら2万文字くらいのお話が生まれてました。

毎度の拳で語る系女子のお話です。

一応、身分差恋愛譚になりますかね。








 赤い絨毯が敷かれ、綺麗に清掃された廊下――春の陽射しが差し込む中を、一人の少女と大人の女性が歩いている。


 紫紺の髪の女性が少女に語りかける。


「リオ・マーベリックさん、こんな時期に編入生だなんて珍しいですね。今は三月、進級後の新学期からでも良かったのではありませんか?」


 赤い髪の少女――リオがはにかんで応える。


「私はこの国に来て間がありません。叔父が”この国の事を知りたければ、この学院に通うのが手っ取り早い”と言うものですから。フェレブラ先生は、それがどういう意味か分かりますか?」


 女性――フェレブラがそれに微笑んで応える。


「そうですね……この学院は我が国の王族が通う学院。確かに、このウェラウルム王国を知るには、一番の近道でしょう。あなたの叔父であるエウルトル卿が言う事は間違っていません。ですが、きっと驚かれると思いますよ?」


 リオはその赤い円らな瞳を瞬かせ、きょとんとした顔で尋ねる。


「驚くとは、どういう意味でしょうか?」


 フェレブラが優しい笑みで言葉を紡ぐ。


「この学院には三人の王族が所属してらっしゃいます。その三人の王位継承順は全員が一位です。これだけで、他の国と異なるのが分かるでしょう?」


 王位継承順は通常、高い者から優先的に王位が継承される権利を持つ。

 それが全員一位では、誰が次の王位を継ぐのか、事務的に決めることが出来ない。


 再びリオが、赤い瞳を瞬かせ、小首を傾げる。


「それはいったい、どういう事なのですか? それでは国王陛下に何かが起こった時に困るのではないですか?」


 フェレブラは楽しそうに微笑みながら応える。


「その為の”成竜の儀”です。リオさんは平民だと聞いています。きっと成竜の儀のことも知らないでしょう?」


 リオの叔母が隣国の伯爵に見初められ、嫁いだ先がエウルトル伯爵家だった。

 平民のリオは、隣国の事など噂でわずかに聞いたことがあるだけだったが、その中に成竜の儀などという言葉は含まれていなかった。


 リオは素直に首を横に振る。


「私はこの国の事を何も知りません。聞く機会もありませんでしたから」


「そんなリオさんが、どうしてこの国に来たのかしら?」


 リオは苦笑を浮かべながら応える。


「父と母が先月、事故で亡くなりました。他に親族も居なかったので、叔母や叔父が居るこの国にやってきました」


 フェレブラは沈痛な面持ちで応える。


「ごめんなさい……辛いことを言わせてしまいましたね。一か月では、まだ気持ちの整理も付いていないでしょう――ですが、それならばエウルトル伯爵家に引き取られたのではないのですか?」


 リオは再び首を横に振った。


「十五歳まで平民として育った私が、伯爵家に入ってもまともに生活できるとは思えませんでした。叔母と叔父からは支援を受けていますが、私は平民としてこの街に移り住んできたのです。幸い、この学院は学生寮もあるとの事なので、今日からそちらにお世話になります。学院卒業後も、平民として街で一人で暮らしていく事になるでしょう」


「そうだったのですね……ですが、そうなるとエウルトル卿が何故この学院に通わせるのか、私には理解できません。この学院に通える平民は極一握りのエリート。卒業生は全員が王室に仕える事になります。市井で暮らす将来を持つ生徒はいません」


 リオは三度、赤い瞳を瞬かせた。


 リオが生まれ育った国も、この国も十八歳で成人を迎える。

 十五歳から十八歳の間の高等教育を施す教育機関の一つが、このフォースト王立学院だった。

 リオは”市井の学校ならどこでも良い”と伝えたのだが、叔父が手配したのがこの学院だったのだ。

 この学院は十二歳から十五歳までの中等教育課程もある。その末期に編入してきたのがリオだった。


「……そうなのですか? 叔父からは”通えばすぐに理解できる”とだけ言われています。詳しい事は、いくら聞いても教えてくれないんです」


 フェレブラはしばらくリオを見つめ思案していた。

 そのリオの瞳に、フェレブラが何かを見出したようだった。そこには、ある資格を持つ者に共通の特徴があったのだ。


「……リオさん、あなたも竜神教を信仰していますか?」


 創竜神という竜の姿をした神を崇める、大陸でも多数派を誇る宗教――それが竜神教だ。


 リオは笑顔で頷いた。


「はい、小さい頃から神殿に礼拝に通っています。この学院にも礼拝堂があると聞いていますので、後程礼拝に行こうと思っています」


 フェレブラは納得した様に頷いた。


「そう……そういうことなのですね。それならば貴方はきっと、成竜の儀とは無縁で居られないでしょう」


 リオは小首を傾げて尋ねる。


「それは、どういう意味なのでしょう?」


 フェレブラは楽しそうに微笑みを浮かべる。


「きっとすぐに理解できます――さぁ、ここが教室ですよ」


 二人は教室の前に辿り着いていた。

 その向こうからは何やら騒々しい物音が聞こえてきている。


 フェレブラが扉を開けると、その向こうでは激しい魔力の激突が巻き起こっていた。





****


「エルミナ! てめぇ朝からなにしやがる!」


 緑の髪の青年が教室の片隅で叫んでいた。


 それと対峙するように立つ、長い金の髪の青年が静かに応える。


「弱い者から蹴落とす。当たり前の戦略でしょう? 竜の巫女を持たないお前から潰すのは、当然だと思いませんか?」


 青年――エルミナは傍らに立つ栗色の髪の女性の肩を抱きながら、冷たい微笑みを浮かべている。

 強い魔力がエルミナを中心に渦巻き、教室中を吹き荒れていた。

 生徒たちは被害を恐れ、教室の隅に避難している。


 緑の髪の青年が苛立たし気に叫ぶ。


「俺はまだ高等教育にもなってねぇんだぞ?! 中等教室に殴りこむのは反則だろうがっ!」


「ですが、成竜の儀は十五歳から解禁です。ミルス、お前は既に十五の誕生日を迎えました。お前を襲ってもルール違反にはなりません」


 緑の髪の青年――ミルスは、悔しそうに歯噛みしている。




 対峙する二人の様子を、教室の入り口から呆然と眺めていたリオが、視線を二人から外さずに傍らに居るフェレブラに尋ねる。


「……フェレブラ先生、これはいったい、なんなんですか? 喧嘩にしては派手過ぎませんか?」


 隣に居るフェレブラは楽しそうに笑っている。


「ふふふ……これが成竜の儀よ。編入早々見られるだなんて、リオさんは運が良いわね」


 意味も分からず呆気に取られて眺めているリオの目の前で、エルミナが魔力を練り始めた。


「――さぁ、お前には早々に消えてもらうとしよう」


 エルミナが練り始めた魔力がさらに濃度を増し、教室に更なる暴風が吹き荒れた。

 鋭い殺気がエルミナからミルスに向けられている。

 ミルスは奇襲で足に傷を受けたまま、教室の隅で動けないようだった。

 このまま次の攻撃が放たれれば、避けることはできないだろう。


 ――この人、本当に殺す気だ!


 直感がそう告げると同時に、リオの足が駆け出していた。


「死になさい!」


 エルミナは叫び声と共に魔力の槍をミルスに叩きつけ、鋭い槍がミルスの目前に迫る――間一髪、リオがミルスの腕を引き上げ、教室の隅から脱出させた。

 魔力の槍は教室の隅に突き刺さり、壁を崩壊させ大きく爆散していた。

 リオが助け出さねば、ミルスは命を落としていたと確信させる破壊力だ。


 リオはその様子を横目で確認し、ミルスを床に降ろしてエルミナに叫んだ。


「誰だか知らないけど! 朝から生徒同士で殺し合いなんて何考えているの?! この学院の警備はどうなってるのよ?!」


 確実に命を取ったと思った一撃を邪魔されたエルミナが、眉をひそめてリオに応える。


「――成竜の儀の邪魔をしないでもらいたいですね。力の弱い弟をどうしようが、兄の勝手です」


 リオが驚愕しながら否定する。


「お兄さんが弟を殺そうとしていたの?! 信じられない! 兄弟は仲良くするものよ?!」


 忌々しそうに片眉を上げたエルミナが、リオをねめつけた。


「成竜の儀は第三者を殺しても咎めはありません。貴方も死になさい――」


「え……?」


 エルミナが再び魔力を練り、大きく鋭い槍を繰り出してくるが、リオは不意をつかれて反応が遅れた――まさか自分に殺意が向けられるとは思っていなかったのだ。


 自分の頭部を狙う魔力の槍が眼前まで迫った瞬間、足元から飛び出したミルスに押し倒される形でリオは間一髪、攻撃を避けていた。


「――馬鹿野郎! 成竜の儀に飛び込むなんて、お前こそ何考えてやがる!」


「成竜の儀とか知らないわよ! でも目の前で殺される人間を放置なんてできる訳ないでしょう!」


 押し倒された格好でリオは反論した。


 エルミナが立て続けに魔力の槍を練り、二人に解き放つ。


「ミルス共々、死になさい!」


 最初の奇襲で足に傷を負い咄嗟に動けないミルスと、押し倒された格好で動けないリオに向かって魔力の槍が迫っていく。

 ミルスはそれでも必死でリオを庇おうと、胸に抱きこんで身を挺している。


 ――あ、これは無理かな。


 死を覚悟したリオは目を瞑り、せめて苦痛なく死ねるよう神に祈った。


 ――創竜神様、私に安らかな加護をお与え下さい。


 その瞬間、リオの周囲を白く半透明な半球の壁が覆い、エルミナが放った魔力の槍を完全に遮断していた。


 驚愕で顔を歪めるエルミナが叫ぶ。


「その力、竜の巫女だと?! ミルス貴様、いつのまにつがいの巫女を得ていた?!」


 ミルスも自分とリオの周囲を包む白い壁に驚き、周囲を見渡してから祈りを捧げ続けるリオに視線を落とした。


「……これをやったのは、お前なのか?」


「――?」


 いつまでたっても痛みが襲ってくる様子がない事に疑問を抱き、リオがそっと目を開いた。


 その瞳は、金色に輝いていた。





****


 リオは自分とミルスの周囲を包む白い壁を見て、驚いて声を上げた。


「え? これ、魔力の防御障壁? ――なによ、こんなのを張れるなら最初から言ってよ! 怖い思いをして無理に助けなくて良かったんじゃない!」


 ミルスは首を横に振った。


「いや、これは俺じゃない。お前が張ったんだ。自覚がないのか?」


 ミルスの言葉に、リオは金色の瞳のまま、きょとんとして小首を傾げた。


「私は防御結界の魔導術式なんて使ってないわ。ただ死ぬ前に、神様に御祈りを捧げただけよ?」


「……お前、自分の目が今どうなってるのか、自覚はあるか?」


「目がどうしたっていうのよ。意味の分からない事を言ってないで、とりあえず早くどいてくれない? いつまで女子に覆い被さる気?」


 ミルスが身体をどけ、リオを助け起こす。

 二人が上体を起こしても、白い壁が消える気配はない。

 立ち上がる高さもないため、二人はそのまま防御障壁内で座り込んでエルミナを見ていた。


 エルミナは顔をしかめたまま、瞳を金色に輝かせたままのリオを凝視し叫んだ。


「それがお前のつがいの巫女ですか! ……今日の所は準備が足りません。いいでしょう、決着は次の機会にします」


 エルミナは身を翻し、栗色の髪の女性と共に教室を去っていった。




 リオはようやく身の危険が去ったことを認識し、大きく溜息をついた。


「――はぁ。なんか知らないけど、助かったみたいね」


「……不本意だが、お前のおかげだ。それより、この魔力障壁を解除してくれ。このままじゃ立てない」


 リオが金色の目を瞬かせ、小首を傾げた。


「解除? そんなことを私に言われても、どうしたらいいのか分からないわよ」


 試しにリオが白い壁に触ってみても、がっしりとした感触に手が弾き返されるだけだった。


 ミルスが呆れた顔でリオに尋ねる。


「まさかお前、力の制御ができてないのか?」


「知らないわよそんなこと! ――ああもう! 成竜の儀だとかつがいの巫女だとか力の制御だとか、分からないことだらけじゃない! 何が”ここに通えばすぐに理解できる”よ! 叔父様の嘘つき!」


 癇癪を起こしたリオの叫びと共に、白い壁が弾けるように砕けて消えていった。

 金色の瞳を瞬かせてその様子を眺めていたリオの瞳が、次第に元の赤い瞳に戻っていく。


「……なんだったのかしら」


 ミルスが溜息をついて立ち上がった。


「さぁな……そら、立てるか?」


 ミルスが差し出した手を、リオはおずおずと取って顔を見上げた。


「貴方、足を怪我してるけど大丈夫なの?」


「お前を支えるくらいは問題がない。そらよ――」


 ミルスに引き上げられるように立ち上がったリオの視界が、ぐらりと揺れて暗転した。


 ――あれ? 世界が回る?


 そのまま気を失ったリオを、ミルスが必死に抱き留めていた。

 二人分の体重が負傷した足にかかり、痛みでミルスの顔が歪んだ。


「痛っ、さすがに女子でも全体重はきついか。しかし、誰なんだこいつは」


 気絶したリオの顔を、ミルスは見つめて呟いていた。





****


 中等教室棟から去るエルミナの背に、一人の青年が声をかける。


「エルミナ、お前が何故こんな所に居るのか、その説明をしてもらおうか」


 エルミナが胡乱な目で青年を振り返り、言葉を返す。


「そういうヤンク兄上こそ、何故このような場所に? まさか、私を止めに来たのですか? だとしたら随分と遅いご到着だ――ですがご安心ください。ミルスなら、残念ながら邪魔が入って始末できませんでしたよ」


 青年――ヤンクが厳しい目つきでエルミナを見据える。


「成竜の儀は慣例で中等部に手は出さない事になっている。知らぬお前ではあるまい」


 エルミナが肩をすくめて薄く笑った。


「慣例は慣例、正式なルールではありません。破ったところで罰則もありませんよ」


「……邪魔が入ったと言ったな。どういう意味だ?」


 エルミナがニヤリと笑いながら応える。


「ミルス本人から聞いたらどうですか? 私には、貴方に教える義理はない。それでは――」


 エルミナはそういうと、ヤンクを無視するかのようにその場を去っていった。


 ヤンクはエルミナの後姿を見送った後、自分もまたその場を後にした。





****


 リオが目を覚ますと、そこはベッドの上だった。

 周囲を見渡すとベッドの周囲には、夕日に染まったカーテンが引かれている。そこは学院の養護室の様だった。


 リオはゆっくりと上体を起こし、重い頭を抑える。

 記憶を手繰り、気を失う直前の出来事を思い出していた。


「……なんだったのかしら。成竜の儀って、兄弟で殺し合いをするものなの?」


「目が覚めたのか?」


 カーテンの向こうからミルスの声が聞こえ、すぐに目の前に姿を現した。


「急激に強い力を使った事による、軽い魔力酔いだそうだ。お前、巫女の力を使ったのは初めてか?」


 リオは赤い瞳を瞬かせ、小首を傾げてミルスに尋ねる。


「ねぇそれよりも、貴方は誰なの? 足の傷は大丈夫だったの?」


 ミルスは苦笑を浮かべて応える。


「自分の事より他人の心配か――俺はミルス・ウェラウルム。この国の第三王子だ。お前は編入生なんだってな。リオといったか。今朝はお前のおかげで助かった。礼を言う。足は応急処置をした。痛みはあるが、もう問題はない」


 リオが再び赤い瞳を瞬かせた。


「……王子様?」


 ミルスはバツが悪そうに目をそらして頷いた。


「そうだ。一応、王族で末弟をやってる。よく”王族らしくない”とは言われる。驚かれるのも慣れている」


 リオがミルスの足の傷に目をやると、血が滲んだ包帯が巻かれていた。


「ねぇ、ここは養護室なのでしょう? 治癒の魔導術式を使える養護教員は居ないの?」


 ミルスは溜息をついて口を開く。


「やっぱり、成竜の儀のことを何も知らないんだな。成竜の儀で負った傷を巫女以外が癒すのはルール違反だ。養護教員ができるのは、魔導を使わない応急処置ぐらいだ――それとも、お前が癒してくれるのか?」


 リオは小首を傾げて尋ねる。


「私が癒すって、どういう事かしら。私はまだ、治癒の魔導術式を習ってないわよ? それにさっきから口にしてる巫女って、どういう意味なの?」


 ミルスはベッド脇の椅子に腰を下ろして説明を始める。


「お前みたいに、強い創竜神の加護を祈れる女を”竜の巫女”と呼ぶんだ。成竜の儀に参加する王族の男子は、竜の巫女とつがいになって戦い抜く。最も強く創竜神の加護を受けた王子が、次の竜将、つまり王になる。それが成竜の儀だ」


 リオが三度、赤い瞳を瞬かせた。


「今、つがいと言わなかった? それって王子様のお嫁さんを決めるって事?」


 ミルスが黙って頷いた。


 リオは呆気に取られ、ミルスを見つめた。


「この国って随分変わってるのね……その竜の巫女って、とっても大変そう。あなたが素敵なお嫁さんと出会える様に祈っておくわね」


 ミルスが白い目でリオを見つめた。


「何を他人事みたいに言ってやがる。お前が俺のつがいの巫女なんだよ」


「は?! そんな事を承知した覚えもないし、申し込まれた覚えすらないんだけど?!」


 未だ事態を理解していないリオに、大きな溜息をついたミルスが説明する。


「――あのな? 竜将候補である王子に力を貸せるのは、つがいになった巫女だけなんだ。お前は俺に力を貸してエルミナの攻撃を防いだ。お前と俺の意志に関わらず、あの時点で創竜神が俺たちをつがいとして認めた事になるんだよ」


「神様が勝手につがいを決めちゃうの?!」


 ミルスが不本意そうに頷く。


「俺たちの意志は全く関係なく、王子に相応しい巫女を創竜神が選ぶんだよ。俺は巫女探しの儀をやってこなかった。だから巫女が居なかったんだ――朝まではな」


 リオが恐る恐るミルスに尋ねる。


「……その巫女って、途中で辞める事は――」


「できない。神の決定に逆らえるわけがないだろう? 成竜の儀が強制参加なのと一緒で、巫女にも拒否権はない」


 リオがまた赤い瞳を瞬かせた。


「成竜の儀が強制参加? その言い方……もしかしてミルス、参加したくないの?」


 ミルスが再び苦笑を浮かべて応える。


「やっぱり、自分の事より他人の事が気になるのか――そうだよ。俺は参加する気がなかった。兄弟で殺し合うなんて、俺だって嫌だよ。巫女が居ない状態で、適当に大怪我を負って脱落するつもりだった」


「大怪我?! そこまでしないと負けたことにならないの?!」


「正確には、魂が持っている竜将の証を奪われたら負けだ。相手を殺すか、魂から直接奪い取るかすればいい。奪われる方は大怪我は免れない。俺は高等部に上がったらすぐにヤンク兄上に負けるつもりでいたからな。エルミナ兄上はそれを防ぎたかったんだろう。竜将の証を奪う程、力が強くなるからな」


 夕日に染まる養護室で、リオはミルスから言われていたことを整理していた。


 成竜の儀が実質の王位争奪戦で、兄弟で殺し合いをする凄惨な戦いである事。

 ミルスは第三王子で、成竜の儀の参加者で在る事。

 リオはそれに巻き込まれ、ミルスのつがいとされた事。

 竜将候補の傷を癒せるのは、つがいの巫女だけである事。


「……まだ理解が追い付かないけど、私にならミルスの足の怪我を癒せるということよね? やり方は知ってる?」


 ミルスは肩をすくめて応える。


「俺も知らん。朝、お前が防御障壁を張った時は何をしたのか覚えてるか? 同じようにやってみろ」


 ――朝は確か、創竜神様に祈りを捧げたのよね。つまり、ミルスの傷が癒えるように祈りを捧げればいいのかしら。


 リオは手を組み、目を瞑って創竜神に祈りを捧げ始める。


 ――創竜神様、どうかミルスの足から痛みを取り除く加護をお与え下さい。


 祈りと共にミルスの足が光り出し、瞬く間に消えていった。

 リオがそっと目を開けてミルスに尋ねる。


「……どう? 怪我は治った?」


 ミルスが半笑いで足から包帯を取って見せる――そこには傷一つない足があった。

 そしてミルスは、手近な所にあった手鏡を取り上げ、リオに手渡した。


「ほら、自分の瞳をよく見てみろ」


 リオが手鏡を受け取り覗き込んでみると、そこには金色の瞳を持つ自分自身の顔が映っていた。


「……なにこれ。なんで瞳の色が変わってるのかしら」


「竜の巫女が力を使うと、瞳が竜の瞳――つまり金色になるんだ。それが竜の巫女の証でもある。巫女が力を使える対象は、自分自身かつがいの竜将候補だけだ。つまり今、お前は俺とつがいであることを確認した。その意味は分かってるか?」


 リオが固唾を飲み込んで応える。


「……私、ミルスのお嫁さんになるの?」


「正確には、もう”なってる”んだ。創竜神がつがいと認めた時点で、お前は俺の妻、つまり第三王子妃だ。お前も不本意だろうが、俺も不本意だ。だがこれは法律でも定められている。諦めろ」


 夕方の養護室に、リオの絶叫が木霊した。





****


「なぁ、そろそろ泣き止んでもよくないか? さすがに、そこまで嫌がられると俺も傷つくんだが」


 現実が認められずに泣き続けるリオに、ミルスが声をかけた。


 リオが涙を零しながら顔を上げて抗議する。


「いきなり両親が居なくなったと思ったら、次は突然伴侶が決まるとか、私の人生どうなってるのかしら?! 思わず信仰心を投げ捨てそうになったわ?! 神の与える試練だとしても厳しすぎない?!」


 ミルスが憐憫の籠った眼差しでリオを見つめ、その肩に手を置いた。


「あー、お前の事情はフェレブラから聞いている。気の毒だとは思うが、今日はもう遅い。そろそろ王宮に帰ろう」


 リオは止まらぬ涙を拭いながら尋ねる。


「王宮? ミルスは帰ればいいんじゃない? 私は今日から学生寮で生活する事になってるのよ。そっちに帰るわ」


「……あのな? お前は俺の妻、第三王子妃だ。当然、帰るところも俺と同じ王宮だ。既に荷物は昼間のうちに全部王宮に運び込んである」


 突然告げられた事実に涙が止まったリオが、呆気に取られながら尋ねる。


「私も王宮に帰るの? まさか、ミルスと同じ部屋とか言わないわよね?」


「その”まさか”だ。手を出そうとは思わないから安心しろ。俺だって手を出す相手くらいは選びたい」


 その言葉にリオの目が吊り上がる。


「……それって、私に女の魅力がないと言いたいのかしら?」


 ミルスがニヤリと笑って返す。


「まさか、あると言いたいのか? その前だか後ろだかわからない胸で」


「乙女が気にしてる所をピンポイントで攻めないでもらえるかな?! デリカシーって言葉知ってる?!」


「そんな言葉、俺は知らんな。縁のない言葉だ――さぁ、これ以上は本当に陽が落ちる。質問があれば馬車の中で聞いてやる。立てるか?」


 リオは渋々ベッドから床に降り、立ち上がった。

 先程の癒し程度なら、魔力酔いを起こして気絶する様子はないようだ。


「大丈夫そうだな。それじゃあ付いて来い」





 リオはミルスに先導され、王宮行きの馬車の前に辿り着く。

 先に乗り込んだミルスが、笑顔でリオに手を差し伸べる。


「ほら、つかまれ」


 リオはむくれた顔で、渋々ミルスの手を取って馬車に乗り込んだ。

 周囲を騎兵に囲まれた馬車が、王宮に向けて走り出していく。

 窓の外を、夕暮れに染まる街の景色が流れて行った。


 その景色を眺めながら、リオはぽつりと呟く。


「第三王子妃だなんて、私どうなっちゃうのかしら」


 伯爵家に引き取られる事すら辞退したというのに、今度は強制的に王族に嫁がされてしまったのだ。

 リオの心が不安で押し潰されそうだった。


 ミルスが優しくリオに声をかける。


「成人するまでは学生の生活が続く。卒業すると王子妃としての教育が待っているが、お前が望むなら前倒しで王子妃の教育を受ける事もできる」


 リオの視線が、微笑みながらリオを見つめているミルスの顔を捕らえる。


 ――これが私の夫か。


 実感など湧く訳もなく、唯々困惑が胸中を渦巻いていた。


「一つ聞きたいんだけど、その成竜の儀でミルスが勝ちあがったら私はどうなるの? まさか王妃になるの?」


「勝ちあがれば俺は王になるんだ。その妃が王妃になるのは当然だろう?」


 王妃。王を支えながら、共に国家を運営していく者だ。

 勝ち進めば、という仮定の上の事とはいえ、リオは余りの責任の重さに、眩暈を通り越して吐き気すら覚えていた。


「……私に務まるとは思えないわね」


「安心しろ。俺も自分に王が務まるなどとは思っていない。さっきも言った通り、高等部に入ったらすぐにでもヤンク兄上に負けておくさ。ヤンク兄上なら王の器だ」


 リオは複雑な気持ちに苛まれていた。

 王妃に成りたい訳ではないが、ミルスの態度が気に食わないのだ。

 最初から勝負を捨てるような男を、リオは認めるつもりはなかった。


「……ねぇミルス。戦う前から負けようとするのは、男として不甲斐ないと思ったりしない? 私は自分の夫がこんな不甲斐ない男だなんて御免よ」


 ミルスが微笑みを消してリオに尋ねる。


「じゃあお前は、兄弟で殺し合う戦いに喜んで参加する男の方がいいと言うのか?」


 リオは首を横に振った。


「私の夫なら、正々堂々戦って、相手に負けを認めさせるぐらい出来て欲しいの。相手に大怪我を負わせずに勝つ方法だって、あるかもしれないじゃない。負けるとしても、きちんと勝負をして実力で負けて欲しいわ」


 ミルスは目を伏せ、自嘲気味に笑みを浮かべる。。


「まるで、ヤンク兄上のような事を言うんだな。兄上も”正々堂々、俺と戦いたい”と常々言ってくる。だが俺は、兄弟でこんな争いをしたくないんだ」


 リオには、やはりミルスの腑抜けた態度が不満だった。

 何故このような男を伴侶として選んだのか、創竜神に問い質したいくらいだった。


「ねぇミルス。私にはあなたが私の伴侶として相応しいとは思えないわ。創竜神様はどうして私を貴方のつがいとして選んだのかしら」


「俺にそんな事を言われたって困る。文句は直接、創竜神に言ってくれ。どっちにしろ、高等部に進級するまでの我慢だ。それで俺の成竜の儀は終わる。その後はお互い愛人でも作って、適度に距離を取って生きて行けばいいさ」


 ミルスは視線を窓の外に向け、それっきり黙り込んでしまった。

 それを見ながら、リオは朝の記憶を思い浮かべていた。

 あの時のミルスは、こんな腑抜けた男には見えなかった。足に怪我を負い、満足に動けない状態でも、必死に自分の命を救おうとしてくれていた。

 どちらが本当のミルスなのだろうかと、判断に苦しんでいた


「ミルス。最後の質問なんだけれど、成竜の儀の開始に合図とかはあるの? どうやったら開始と見做されるのかしら」


「なんでそんな事を知りたがるんだ? 竜将候補に対して、他の竜将候補が攻撃を仕掛けた時点で開始だな。番の巫女に対する攻撃も開始と見做される」


「……じゃあ、巫女から竜将候補や巫女に攻撃を仕掛けた場合はどうなるのかしら」


「ルール上はそれでも開始だ――お前まさか、自分から攻撃を仕掛けようとか思ってないだろうな? 巫女の力は竜将と力を合わせることで強く発揮される。お前一人で巫女を連れた竜将候補に喧嘩を売っても、あっさり殺されるだけだぞ」


「用心の為に聞いておいただけよ。相手の巫女から攻撃されないとは限らないじゃない?」


 リオは窓の外で沈みゆく夕日を眺めて応えた。

 ミルスは困惑した顔でリオの横顔を眺めていたが、やがて反対側の窓の景色を眺めるように顔を背けた。


 気まずい沈黙が車内の空気を支配したまま、馬車は王宮へと向かっていった。





****


 王宮に到着したリオは、ミルスに案内されるままに共に廊下を歩いていた。

 王宮の兵士や使用人たちが、自分に対して恭しく頭を下げ、礼を取る――平民のリオには居心地の悪い空間だ。


 そのままミルスから大きな部屋の中に招かれ、リオは辺りを見回した。

 リオが見たこともないような見事な調度品が並ぶ中、部屋の片隅にリオの私物が固めておいてあった。

 その場所にリオは慌てて駆け寄り、荷物の中から銀色のペンダントを探り出し、安心したようにその場に腰を下ろしていた。


「よかった~。これが捨てられていたらどうしようかと思ってたの」


 座り込むリオの背後から、ミルスが歩いてきて語りかける。


「お前の事情は聴いていたからな。何が大切な物かもわからんから、とにかく全ての物を余さずここに運び込ませた。それはそんなに大切な品か?」


 リオはペンダントを胸に抱え込みながら応える。


「お母さんの形見よ。お父さんから送られた思い出の品だと言って、お母さんは常に身に着けていたわ。今では唯一、私の手元に残った二人の生きた証よ」


「そうか……この部屋の化粧台はお前の為の物だ。そこの宝石箱を使うといい」


 リオは振り向かずに頷いた後、化粧台に近寄り、大切に宝石箱にペンダントをしまい込んだ。

 宝石箱の蓋を閉じた後、リオはミルスに振り返り尋ねた。


「私は今夜、これからどうなるの?」


「まずは着替えだな――おい、手伝ってやれ」


 ミルスが背後に控える使用人に声をかけると、侍女たちがリオに近寄ってきて別室に案内していった。

 ミルスも別の部屋に向かうと同時に、侍女たちがその後に付いて行った。

 その背後から「一人で着替えられますから!」と叫ぶリオの声が聞こえ、ミルスは微笑まし気に笑みを浮かべていた。



 別室から出て来たリオは煌びやかな白い正装に身を包んでいた。

 先に着替え終わったミルスも、煌びやかな青い正装に身を包んでいる。


「なんでこんな服を着せられるのよ……。窮屈だし歩き辛いし、これから何が起こるの?」


 疲れ切った様子のリオにミルスが微笑んだ。


「案外、それなりに見えるもんだな――これからお前を父上たちに紹介しなければならん。国王の前に出るんだ、それなりの服装は求められる」


「国王陛下?! 私、礼儀作法なんて全く知らないわよ?!」


 ミルスが苦笑してそれに応える。


「お前の事情は陛下にも伝わっているはずだ。今夜はお前の無作法を咎める者など居ない。安心しろ」


 リオが不安げな面持ちで尋ねる。


「今夜は……ってことは、明日からは無作法を怒られるってこと?」


「おそらく明日から礼儀作法の教師が付く。学院から戻ってきて講義を受ける事になるだろうな。しばらくは大丈夫だろうが、大目に見てもらえる期間はそれほど長くはない」


「うぇ~……」


 憂鬱な顔でリオは項垂れた。

 平民として生まれ育ったリオに取っては、窮屈極まりない生活の始まりだ。

 望んで王族になった訳でもないのに、学校の勉強以外で覚えなければならない事が増えた。

 その上礼儀作法なのだから、日々の振る舞いすべてに気を配らなければならなくなる。


「そんなに心配すんな。王宮で振る舞いに気を付けていればいいだけだ。学院やこの部屋に入ってる間は、咎める者などいない――さぁ、行こう。父上たちがお待ちだ」


 ミルスに同伴され、リオは歩き出した。

 淑女の衣装で同伴される――生まれて初めての経験ばかりのリオに取って、歩き辛い事この上なかった。


 ミルスはそんなリオに苦笑を浮かべる。


「悪いな、俺も淑女を同伴するのには慣れてないんだ。もっと巧く導いてやれると良かったんだが」


「仕方ないわ。後はもう、なるようになるしかないもの」


 互いに不慣れな二人は、講堂を目指して歩を進めていった。





****


 夜会の講堂まで辿り着いたリオは目を丸くしていた。

 煌びやかな正装に身を包んだ貴族たちが、所狭しと待ち構えていた。

 彼らの視線が自分に集中していると分かり、嫌な汗が背中を流れて行くのを感じていた。


「ねぇミルス、どうして私はこんなに見られてるのかしら」


「お前を披露する夜会、つまりお前が今夜の主役なんだ。注目を浴びるのは当然だ。これでも、参加者数は少ない方だぞ――父上にお前を紹介したらすぐに部屋に戻る。それまで我慢していろ」


 履き慣れない靴でよたよたと歩くリオを、必死に同伴するミルス――その姿を見て陰で笑う者の気配を、リオは敏感に感じ取っていた。


「なんか、気分が悪いわね」


「諦めろ。例外も居るが、大抵の貴族はああいう生き物だ。そう思っておけ」



 講堂中央まで辿り着いたリオとミルスに、一組の男女が近づいていった。


「ミルス、それがお前のつがいの巫女か」


 背後からかけられた声にリオとミルスが振り返る。


 そこには琥珀色の髪を撫で付けた、碧い瞳の男が立っていた。

 厳つい容貌と立派な体躯、王者の風格を漂わせ、傍には黒髪の女性を従えている。


 その男性にミルスと似た空気を感じ取ったリオは、瞳を瞬かせてミルスに尋ねた。


「これがミルスのお父さん? ――にしては若いわね」


 ミルスが苦笑しながらリオに応える。


「紹介しよう。ヤンク兄上だ。こう見えて、俺たちの二歳年上だ」


 リオは唖然とした。目の前の男が、本当は十七歳の青年と知らされて、信じられなかったのだ。

 どう見ても二十をかなり過ぎているように見える。


「嘘……これで十七歳? 何かの間違いじゃなくて?」


 リオの目の前の男――ヤンクも、苦笑を浮かべてリオに応える。


「これでも一応、気にしてるんだ。老け顔の事は余り言わないでくれると助かる」


 リオもその言葉で我に返り、慌てて頭を下げた。


「ご、ごめんなさい! 信じられなくて、つい――でも、それなら本当に十七歳なのね。王様と言われても納得してしまいそうな風格を感じるわ」


 ミルスが自慢げにリオに応える。


「そうだろう? 次代の王はヤンク兄上しか考えられない。兄上になら全てを託せる。俺はそう思ってる」


 ヤンクは寂しそうな瞳でミルスを見つめた。


「ミルス、お前はまだそんな事を言っているのか。王者の器なら、お前だって私に負けないものを持っている。私はお前と本気で勝負がしたいのだ」


「そうよ! 戦う前から怖気づいて勝負を放棄するだなんて、王どころか男の資格もないわ! しかもこれ程の人に勝負を望まれていて、それでもわざと負けようだなんて恥ずかしいとは思わないの?!」


 ヤンクの言葉に乗っかるようにリオがミルスを責め立てた。


 ミルスはバツが悪そうに顔を背けて応える。


「……俺は、敬愛するヤンク兄上と殺し合いなどしたくない」


 リオは呆れ返り、黙って溜息をついた。


「すまないが、ミルスのつがいの巫女よ。名前を教えてもらえないか」


 ヤンクから問われ、リオは顔を向けて笑顔でヤンクに名乗りを上げる。


「私はリオ。リオ・マーベリックよ。よろしくねヤンク王子」


 ヤンクはリオの笑顔を見つめた後、微笑んで応える。


「……リオ。お前なら、ミルスを立ち直らせる事ができるかもしれないな」


「立ち直る? 昔は違ったの?」


 リオはきょとんとして尋ねた。


 ヤンクは頷いて応える。


「二年前までは、ミルスはよく私に挑みかかってきていた。”兄上を超えるのは俺だ”と、口癖のように言っていたくらいだ」


 リオには全く想像できなかった。

 二年前と言えば、ミルスは十三歳のはずだ。そんな幼い時から、おそらく今と大差なかっただろうヤンク王子に挑みかかる――勝ち目などある訳がない。

 それなのに勝負をふっかけるような気概など、今のミルスには欠片も見当たらないからだ。


「どうしてそんな元気な子が、今みたいな腑抜けになってしまったのかしら」


「二年前、エルミナが成竜の儀に参加してからミルスは変わってしまった。エルミナは姑息な手段でも躊躇わず使ってきた。そんなエルミナの姿を見て、成竜の儀に嫌気がさしたのだろう。ミルスはエルミナも敬愛していたからな」


 ミルスが苛立ちながら声を上げる。


「ヤンク兄上! 余計なことは言わなくていい! ――俺はあなたに負ける。それで俺の成竜の儀は終わり、それでいいんだ」


 気まずい沈黙が辺りを支配した中、老年の男性の声が静寂を破る。


「ミルスは相変わらずか」


 リオが声に振り返ると、ヤンクとよく似た老年の男性がそこに立っていた。

 だが王者の風格はヤンクを遥かに上回る。年老いても屈強な体躯は衰えを知らず、若いヤンクですら霞みそうな程だった。

 リオは直感で、これが国王だと理解した。


 周囲の人間が国王に向き直り礼を取る中、リオは唯一人頭を上げ、真っ直ぐ国王を見つめていた。


「あなたが国王陛下ですか?」


 国王が鷹揚に頷いた。


「ああそうだ。私が当代の竜将、つまり国王のワイトス・ウェラウルムだ。君がミルスのつがいの巫女、リオだね。新しい義娘という訳だ」


 リオは肩をすくめて応える。


「私はリオ・マーベリックよ、国王陛下。ミルスのような腑抜けた男のお嫁さんになんて、なるつもりはないわ。例え神様の言いつけだとしても、私はそこを譲るつもりはないの」


 呆気に取られる周囲を余所に、国王は大笑いをしてみせた。


「はははは! 元気なお嬢さんだ! ――君を見ていると、二年前のミルスを思い出すよ。どうか君が、ミルスを導いてやってくれ」


 それだけ言うと国王は身を翻し、その場を離れていった。


 ――私がミルスを導く? どういう意味かしら。


 リオから離れた場所で王妃や重臣たちと懇談を始めた国王を眺めていると、背後からエルミナの声が響いてきた。


「せっかく得たつがいの巫女から早速の絶縁状か? 好い様だなミルス」


 リオが慌てて振り返り、警戒姿勢を取ると、傍にミルスが寄ってきて耳打ちをする。


「国王の居る場で成竜の儀は行われない。それが慣例だ。襲われることはない」


 それを聞いてリオは警戒姿勢を解き、エルミナに向き直った。


「……朝はご挨拶をどうも。おかげで死にかけたわ」


 エルミナは口角を上げて笑みを浮かべる。


「成竜の儀に割り込んでくる方が悪い。殺されても文句は言えない。それがこの国のルールだ」


「ミルスは襲われていた時、”反則だ”って叫んでたわ。ルールを犯したのではないの?」


「中等部に所属する王族を襲わないのはただの慣例。ルール違反ではない。それを反則だ、とのたまうなど、弱者の言いがかりでしかない」


 リオの厳しい視線と、エルミナの見下す視線が交差する。


「……慣例を破るのは、ルール違反にはならないのね?」


「その通りだ。ルール違反なら、創竜神から直ちに神罰が下される。今こうして私がここに立っているのが、問題ないことの証だ」


 リオは目を瞑り、一度深呼吸をした。

 目を開けると履き慣れない靴を脱ぎ捨て、再び目を瞑って祈りを捧げ始める。


 怪訝な顔をするエルミナやヤンク、ミルスが見守る中、リオは創竜神に祈っていた。


 ――創竜神様、この目の前のいけ好かない男の顔をぶん殴るだけの力をお与え下さい。


 リオの全身が眩く輝き、瞼を開けたリオの金色の瞳がエルミナを見据えた。


「まさか――」


 エルミナが全てを言い終わる前に、一瞬で間を詰めたリオの拳がエルミナの顔面に炸裂していた。





****


 リオに殴られたエルミナの身体は高く舞い上がり、講堂の壁に叩きつけられていた。壁はひび割れ、エルミナの身体が半ばまで埋まっている。そのままエルミナは床まで落下していき、くずおれた。


 リオはそれを見据えながら呟く。


「……神罰は無いわね。確かに、慣例を破るのは問題ないみたい」


 呆気に取られていた周囲の中で、いち早くミルスが我に返り、リオに駆け寄った。


「リオ! お前何してるんだ!」


 リオは振り返り、きょとんとして応える。


「何って、見たらわかるでしょう? 成竜の儀を始めたのよ。でもエルミナ王子はもう気絶してしまったみたい。この場合はどうなるの?」


 ヤンクが笑いながらそれに応える。


「ははは! 相手を殺すか、竜将の証を魂から奪うまで決着は付かん。途中で両者が戦意を失った場合のみ、その戦いはそこで終了だ――リオは、エルミナの命を奪うまでやるのか?」


 リオは首を横に振った。


「私、借りっぱなしは性に合わないの。今ので朝の借りは返したわ。命まで取るつもりもない――つまり、これで終了ね」


 ヤンクはニヤニヤと笑みを浮かべながらリオに応える。


「そう判断するのは早計と言うものだ」


 ヤンクの言葉と同時にミルスが反応し、リオを抱えて横に大きく跳んだ。

 先ほどまでリオの居た地点の絨毯が大きく切り裂かれ、床が抉れていた――まるで竜の爪で切り裂かれたかのようだ。


「――いい気になるなよ小娘、不意打ちとはやってくれるじゃないか」


 急いで体勢を整えたリオが、近づいてくるエルミナに向き合って応える。


「朝から弟に不意打ちを仕掛けるお兄さんのセリフとは思えないわね。それに私は、目の前で準備をしてから殴りかかった。あれを不意打ちと言われるのは心外ね」


「ほざけ!」


 リオとエルミナが間合いを詰め、再びリオの拳がエルミナの顔面を捕らえる――その直前に橙色の魔力障壁がリオの拳を防いでいた。

 驚いているリオの腹部に、蹴り上げたエルミナの足が突き刺さるのを間一髪で横に跳んでかわす。

 体勢を立て直したリオの目の前には、エルミナと共に立つ栗色の髪の少女が居た。その少女の瞳もまた、金色に輝いている。


「――そう、二対一って訳ね。上等じゃない」


 遠くからヤンクが声を上げる。


「そのまま続ける気か?」


 リオは視線をエルミナからそらさずに叫ぶ。


「当然でしょう?! 勝負から逃げるつもりはないわ! それだけよ!」


 叫びと同時に、リオは再びエルミナに向かって駆け出していた――





****


 二対一で苦戦するリオを、ミルスは呆然と眺めていた。

 リオの攻撃は全てエルミナのつがいの巫女、ファラに防がれていた。

 エルミナが繰り出す攻撃を必死に避け続けながら、それでも諦めずリオは攻撃を繰り返している。

 エルミナが放ついくつかの攻撃がリオの肌をかすめ、傷を作っていた。それでも果敢に攻める姿勢を崩さなかった。


「なぜ、あいつがあそこまでして成竜の儀を戦おうとするんだ……」


 ミルスにはリオの気持ちが理解できなかった。

 今朝巻き込まれたばかりの、事情を全く知らない平民だったはずだ。

 動きを見ると、女だてらに喧嘩慣れはしているようだったが、竜の巫女として目覚めたばかりで、その力を十分に発揮できているとは思えなかった。

 いくら体術に劣るエルミナが相手と言えど、勝ち目など全く見えない状況だ。


 戸惑うミルスに、横で同じようにリオの戦いを眺めていたヤンクが応える。


「二年前のお前も、あんな感じだった。勝ち目のない戦いでも楽しそうに挑んできていた。お前はあの時、自分が何を考えていたか――忘れてしまったのか?」


 ヤンクに言われ、ミルスはかつての自分を思い起こそうとしていた。

 二年前――成竜の儀に嫌気がさす前の自分。

 目の前のヤンクという強大な相手に心を躍らせ、戦う事それ自体を楽しんでいた時期の自分だ。

 負ける事など考えず、全力を出し切る事だけを考えていた。


 しかし、兄弟相手にも卑劣な手を躊躇しないエルミナの姿に幼い憧憬を破壊され、成竜の儀を疎むようになっていった。

 あの儀式さえなければ、エルミナは未だ敬愛する兄で在ったはずなのだ。

 エルミナは体格に劣る少年だった。魔導は得意としていたが、ヤンクを相手に成竜の儀を戦い抜くには身体が不足していた。それでも王家に生まれた者の務めとして、勝ち残る道を模索していた。

 体格の不足を補おうと必死になり、いつしか姑息な手段に手を染めるようになった。それが当然となっていった。変わってしまったエルミナを、ミルスは軽蔑した。

 元は心優しい兄だった。そんなエルミナを変えてしまった成竜の儀に嫌気がさしたのだ。


 ヤンクが戦況を眺めながらミルスに告げる。


「そろそろリオが力尽きる。あのまま放置していて、本当に構わないのか? エルミナは構わずリオの命を奪うだろう」


 言われてミルスも戦況を改めて見据えた。

 リオの纏う竜の加護が、次第に弱まってきている――元から一人で竜将候補と番の巫女を相手に戦うなど、無茶なのだ。魔力が足りる訳がない。


 ミルスの胸の奥に、燃え滾る何かが灯り始めていた。





****


 リオは攻防を繰り広げながら神に祈り続けた。


 ――もっと、もっと強い力を! 強い加護をお与え下さい!


 その祈りに応えるように、リオの拳がついに橙色の魔力障壁を打ち砕き、エルミナの顔面へと届いた。

 だが勢いの殆どを殺された拳は、大した損傷を与えることなくエルミナを吹き飛ばしただけだった。


「――ちっ、まだこんな力を残していたのか。おいファラ、何をやっている! しっかり俺の為に祈れ!」


 ファラと呼ばれた栗色の髪の女性は、静かに祈り続けている。だが、その額には玉のような汗が浮かんでいた――彼女の限界も近いのだ。


 リオはとうとう力が限界を迎えつつあり、瞳も金色から赤に戻りかけていた。

 息も切れ、これ以上は戦いを続けても一方的に嬲られるだけだろうと分かっていた。

 それでもリオの瞳の闘志は衰えることを知らない。

 ただ直向きにエルミナを見据え、拳を構えている。


 エルミナは自分の優位を確信し、笑みすら湛えていた。


「勝ち目が無くなっても、そうまでしてミルスに尽くしたいのか? 健気だな」


「尽くす? 私があの不甲斐ない男に? エルミナ王子、冗談は顔と性格だけにして欲しいわね。私は私の為に戦っているの。他人の為なんかじゃないわ」


 片眉を上げてリオを見据えるエルミナが、怪訝な顔でリオに尋ねる。


「傷だらけになり、煌びやかな衣装をズタボロに変えてまで、それは求めるものなのか? お前たち女にとって、そのような衣装は憧れの一つだと聞いたことがあるが」


 リオは不敵に笑って返す。


「お生憎様。私みたいな庶民に取って、こんな服は上等すぎて着心地の悪い拘束具同然よ。第一、私の趣味じゃないわね。何の未練もないわ」


 じりじりと二人の間合いが詰まっていき、先にエルミナが床を駆けて間合いを詰め、拳を繰り出した。

 反応が遅れたリオが咄嗟に防ごうとするが、加護が切れかかっているリオの動きが鈍い――リオの顔面に、エルミナの拳が迫った。


 リオが思わず目を閉じた瞬間、エルミナの拳を横合いから掴み取り、受け止める手があった。


 エルミナの驚愕の声が響く。


「ミルス?! 貴様、今更何のつもりだ!」


「仮にも女の顔面を殴るなんてのは、いくらエルミナでも見逃せない。それに、俺もあんたに借りがあるのを思い出した。朝の足の傷の分を返していない。俺も借りっぱなしは性分じゃない」


 言うが早いか、ミルスは空いている手でエルミナの顔面を殴り抜いていた。

 リオはミルスの気配で目を開け、目の前の光景を眺めていた。ミルスの姿は雄々しく、ミルスが朝見せた姿そのものだった。

 吹き飛ばされ床を転がるエルミナを無視して、ミルスがリオを見る――その瞳には、金色の輝きが戻りつつあった。


「大丈夫か?」


「え? ――うん。なんかよく分かんないけど、ミルスが来てくれた途端に力が湧いてきたみたい。もう少しなら戦えそう」


 ミルスが微笑んでリオの肩を叩き、再びエルミナを見据えたままリオに語りかける。


「それじゃあ二人で、エルミナを徹底的にぶん殴ってみるか!」


「あの曲がった根性を叩き直さないとね」


 エルミナが床から起き上がり、自分のつがいであるファラを見る――彼女も力尽きてうずくまり、もう魔力障壁を張る余力は残っていないようだった。


「チッ! 肝心な時に魔力切れか、あの役立たずが!」


「――余所見している余裕なんてあるのか?」


 眼前に迫っていたミルスがエルミナの腹を蹴り上げた。

 間髪入れずにリオがエルミナの頭部を、床に殴りつける。

 痛みでのたうち回るエルミナの腹に、ミルスが上から拳を全力で突き入れた。


 エルミナは口から血を吐き、それで力尽きるように動かなくなった。


 エルミナの胸から白い光の玉が現れ、ミルスの胸に吸い込まれていった。


 リオがきょとんとしてミルスに尋ねる。


「今のは何? まさか、竜将の証?」


「……多分な。死んでは居ないはずだが、証を失ったのであればかなりの重症だろう。早く癒してやりたいが、ファラも限界を迎えて気絶している。今日は二人とも安静にさせるしかないな」


 リオはふぅ、と溜息をつき、それと同時に瞳が赤色に戻っていった。

 そのまま力尽きるように倒れ込み、それきり意識を失っていった。





****


 リオが目覚めると、そこは第三王子の私室だった――第三王子妃であるリオの私室でもある。


 服は寝間着に着替えさせられており、一人でベッドに寝ていた。

 朧気な記憶を辿り、自分が再び力を使い過ぎて倒れたのだと悟った。


「起きたか」


 横から声をかけられ、顔を向ける――そこには寝間着を着て椅子に座るミルスの姿があった。


「エルミナ王子はどうなったの? ファラさんは?」


 ミルスが今日何度目かの苦笑を浮かべて応える。


「その”自分の事より他人を先に心配する癖”は少し改めろ。お前の方が状態が悪いんだ――敗北した竜将候補は他者から治療を受けられるんだとさ。王宮魔導士たちが治療して、今は自分の部屋で寝ているはずだ」


「そう――無事で良かった」


 心の底から安堵したように、リオは微笑んだ。

 ミルスは納得がいかないように尋ねた。


「なぜあれほど無茶をしてまで、エルミナ兄上に殴りかかっていったんだ?」


「何度も言わせないで。私は朝の借りを返したかっただけ。ただそれだけよ。他に理由はないわ」


 その回答に納得していない様子のミルスは、再び質問を口にする。


「その為だけに、命を削るまで戦えるものなのか? お前は力を使い過ぎて寿命を縮めたはずだ。それはお前にも自覚があるんだろう?」


 リオは静かに微笑んだまま応える。


「そうね、確かに魂を削られるくらい苦しい思いをした。けどそれがどうしたっていうの? 借りは必ず返すわ。その為に必要なら、多少の寿命くらい安いものね――そんな事より、腑抜けだった貴方が勇ましくお兄さんに殴りかかっていけた事の方が私には驚きよ? 腑抜けは返上したの?」


 ミルスは自嘲の笑みを浮かべて応える。


「腑抜けか。確かに俺は腑抜けていた。吹っ切れた今は、それが恥ずかしいほどよく分かる。なぜ俺はあれほど怖気づいていたんだろうな」


 リオはきょとんとして瞳を瞬かせ、ミルスに尋ねる。


「吹っ切れたの? あれほど頑なに戦いたがらなかった貴方が、急にどうしたっていうの?」


 ミルスが爽やかな微笑みを浮かべて笑っていた。その目はリオの瞳を捕えている。


「エルミナ兄上が、力尽きかけたお前の顔面を狙った瞬間、思わず身体が動いていた。後はもう、身体が動くに任せていただけだ。気が付いたら、吹っ切れた自分が居た。どうしてなのかは、俺にも分からん」


「ふーん……じゃあ、ヤンク王子と戦う決意もできたの? あの人はエルミナ王子とは比べ物にならない強敵よ?」


「ま、なんとかなるだろ? ヤンク兄上はエルミナ兄上と違って、急に襲い掛かってくることはない。お前の体調が戻ったら、二人で戦いを挑めばいい。それで勝つ。シンプルだろ?」


「……勝つ気でいるんだ?」


 ミルスが呆れたように応える。


「戦う前から負けるつもりで挑む奴が居るかよ? やるからには勝つつもりでやる。当然だろ?」


「その言葉、数時間前の誰かさんに聞かせたいわー。懇々切々と聞かせたいわー」


「……だから、それは反省したから、ほじくり返すのはやめてくれ。いたたまれなくなる」


 二人が声を上げて笑った後、ミルスが立ち上がった。


「顔色も良さそうだ。今日はもう大丈夫だな――お前はこのベッドを使え。俺は別の部屋のベッドを使う」


 そう言い残し、ミルスはその場を後にした。


 呆気に取られたリオが小さく呟く。


「形の上では夫婦なんだから、同じ部屋のベッドでもいいでしょうに……そんなに私が嫌なのかしら――あら? 私はなぜ、それを残念に思ってるのかしら? 不思議ね」





 部屋の外では、ミルスを追いかける侍従が似たようなことを尋ねた。


「なぜご夫婦なのに、別の部屋を用意しろ等と仰るのですか?」


 ミルスが赤い顔で歩きながら応える。


「同じ部屋で寝て居たら、俺の理性が耐えられん。俺はまだ、リオから夫として認められた訳ではないのだ」




 これはまだ、若き二人が互いを夫婦として認め合えなかった時期のお話。

 いつしか二人は互いを認めあえるようになっていくのだが、それを語るのはまたの機会にしよう。







後日譚 短編『番の巫女2~突然伴侶と言われても困るんですが/やっぱりムカつくのでもう一度殴りますね~』

https://ncode.syosetu.com/n1153ii/

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