アニメや漫画を見なくなった。でも、大切なことはアニメや漫画から教わった。
今年のある日、仕事で大きなミスをして、顧客から叱咤された。
泣きそうになりながら謝るしかないなんて、20年ぶりくらい。
若い頃、仕事を始めたばかりの不安と、無知を素直に認められない甘えたプライドみたいなものが邪魔をして、現実に耐えきれずにバイトを辞めてしまった時以来だった。
20年前、そんな自分が現実逃避に求めたのが、アニメや漫画。
浴びるように現実逃避を求め、寝不足の悪循環に陥りながらも何とか新しい仕事に就いて修羅場を脱した、ちょっと恥ずかしい思い出。
今年のある日も落ち込んで、ぼんやりつけたテレビに映ったのは、偶然にもとある再放送アニメ。
アニメを殆ど見なくなってから20年近く経っていたけど、別にアニメを卒業したとかいう訳じゃない。
いつか必要になった時に見る、娯楽はそれでいいと思う。
そのアニメには原作の漫画があり、自分もタイトルは知っている近年の有名作品。
予想外に画面に引き込まれ、ウィキペディアで原作含めて作品をくまなく検索。
次回も絶対見ようと決めていた。その日までは……。
それから一週間が過ぎ、例の顧客からは許しを得て、初心に帰って信用構築をイチからスタートさせていた。
ミスと叱咤を経験したことで腹の探り合いがなくなり、反省と細心の注意を肝に命じつつ、その顧客とはより深いコミュニケーションが実現したと思う。
そして結局、楽しみにしていたはずのアニメの放送時間を忘れていた。
仕事上、例の顧客とは週に2回会わなければならない憂鬱な時間も、克服すればプラスの印象しか残らない。
世間の大人達がやがてアニメや漫画と疎遠になっていくのは、決して見栄や羞恥心ではないと実感する。
一週間で窮地を乗り越えたという幸運は、間違いなくあるだろう。
ただ、それを実現出来たことに、自分の力が一切関わっていなかったとは思わない。
自分の力とは、つまり反省とその教訓をいち早く活かそうとした決断力や実行力、集中力だろう。
しかしながらそういう力は、若い頃に見ていたアニメや漫画から学んだものなのだ。
ありがとう。
創作家の端くれとして、自分もそんな物語を書きたい。
アニメも漫画も見なくなった自分の書く物語は、ひょっとしたら20年前から進化していない古臭い物語かも知れない。
それはライトノベルという分野では殊更、多くの人の心を掴む物語にはなり得ないかも知れない。
でも、今回の経験で分かった。
いつどこで、誰がどんな物語に励まされているのかは、誰にも答えが出せないということを。