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天下無敵の片思い  作者: 天下無敵の片思い
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「片思い」ファンタジー

   第三十一章 再会と、別れ


 暗がりの中で、膝を抱えて座っていた。

 (もう、何も見たくない。聞きたくない。知りたく、ない)

 誰もいない場所で、一人で座りこんでいたかった。それなのに。

 (戻って来てくれ。私は、ここにいる)

 なのに、誰かが遠くから、呼びかけてくるのだ。

 (ここにいるんだ。戻って来てくれ、ここに。私の、もとに!)

 (だって、わたしは。情けなくて、自分勝手で、弱くて)

 欠点だらけだと、自分のことを感じていた。

 (迷惑ばっかりかけて…つらいよ)

 (君が、必要なんだ)

 呼びかけを、どうしても心から締め出せなかった。

 (愚かで、考えなしで、不器用な。欠点だらけの私は、君と一緒にいたいんだ)

 (わたしと、一緒に…いたい、の?)

 その必死な呼びかけに、応えたい。そう、思ってしまった。誰にも迷惑はかけずにいられるけど、一人でいるのはやっぱり嫌だったから。

 (戻って来てくれ)

 (…うん)

 だから、差し伸べられた手を、取った。


 「…わたし」

 ふっと目を覚まして、アスセーナはベッドで眠っていた自分に気づいた。隣でブレットも熟睡している。カイネブルクの街への戻り道で、村人の家に泊めてもらったのをようやく思い出した。

 「夢だったんだ。でも」

 さっきのは、この前―ヘカーテに見せられた幻影、その中で恋い慕うアレクサンデル殿下のまぼろしと対面し、自分の勝手な思いこみに気づいて心を閉ざしてしまったあの時のことを、夢で思い出していたのだ。

 (わたし、戻って来たよ)

 どんなに辛くても、現実に。

 (戻って、来たよ…)


 そのうちにブレットも起き出し、質素だがやはり心のこもった朝飯を頂いた二人は村人に見送られて歩き出した。集落を抜け、街道と言っていい広い道に出た。

 「この道をずーっと行けば、カイネブルクの街の正門前に着くはずだよ」

 「そうよね、わたしは西の緑山地から続く街道を歩いて正門から入ったんだ」

 各地へ(南方は黒い森が近いので人通りは少ないが)続く道が正門前で合流するのだ。

 「あと少し。明日には、きっと」

 そう思って進んでいくと、その先から聞き慣れない物音が聞こえてきた。

 「うわ、馬に乗ってる人たち。騎士だ、みんな!いっぱい!」

 物音は、馬蹄の響きや複数の鎧が擦れ合う音だったのだ。

 「何か、何十人かでひとまとまりになって、それがいくつも集まってるみたいね。旗印もいくつもあるし」

 何か国かの騎士部隊が、集合しているようだった。

 「あ、これって。…やっぱり!」

 アスセーナには心当たりがあった。集団の先頭に立つ騎馬姿を見て確証に変わる。

 「カレルさん!」

 思わず、声が弾んだ。

 「アスセーナさん!よく、無事で…!」

 駆け寄って来る少女の姿に、カレルは喜ぶと同時に仰天していた。…半年前には緊急事態で人手が足りず「黒い森を抜けてほしい」などと頼んでしまったが、正直たった一人で無事に黒い森を踏破して賢者の館を訪ね、戻って来られるとは信じていなかった。それがこうして無事な姿でここにいる。驚きつつ、下馬して騎士の礼を取った。

 「私の方は」

 聞きたいことは多かったが、カレルはまず自分側の状況から説明した。

 「前に話した通り、各国に救援を求めて回っていた。パウル殿下が婿入りなされた所をはじめできる限りの助力を約束してくれる国も多かったが、中にはかつての戦乱期の恨みを引きずって『占領して分け取りに』と言い出す将軍などもいてなかなか足取りが揃わなかったんだ。しまいには各国の教会が調整してくれて、やっとそれぞれの国から騎士部隊の一部を借り受けることができた。こんなに時間がかかってしまったが」

 半年の期限に、ぎりぎり間に合うかどうかになってしまったと語った。

 「だが、肝心の魔術師に対する策はさっぱりだった。各国の宮廷魔術師と言っても大した実力はなく、人々を閉じこめる”氷”の術を使われたと聞いただけで尻込みする者ばかりで。よほどの秘術、それも邪法の類で太刀打ちできないと言われてしまった。…アスセーナさん、賢者さまは何と」

 カレルとしては、心苦しくてもここはアスセーナに頼るしかないのだった。

 「それなんですけど、賢者さまは」

 アスセーナは老賢者の話をざっと伝えた。魔術師の名はゲンドリルと言うらしいこと、対抗できる唯一の手段である「魔力返し」愛称マナを肩から取ってカレルに見せる。

 「こ、この小さなふわもこが!?」 

 彼も心底驚いたが、こと魔術となると見かけで判断できないのは知っていた。

 「この子をカイネブルクの街に連れて行って、魔力返しの能力を使ってもらって。その間、魔術師ゲンドリルの注意を引きつけて、できれば倒して。そうすれば万事解決するんです」

 それができるのは「思いの結晶」を持つ自分のみ。

 「わかりますが」

 騎士カレルとしては。

 「そのペンダントを、私に貸していただくことはできないでしょうか。あなたにこれ以上無茶をさせる訳には行きません」

 いくら腕が立つとはいえ、十七歳の女の子に危険な使命を任せるのは騎士道としては許されなかった。

 「ありがとうございます。でも」

 まっすぐにカレルを見上げて、アスセーナは笑いかけた。

 「ここまで来たら、最後までやり遂げたいんです。うまく言えませんが、わたしのすべきこと、やりたいことだと思うんです」

 「―そう、ですか」

 純粋で、一途な思いを抱き、しかもそれだけではない。

 (この女性は、苛酷な旅を経て成長されたんだ)

 まっすぐで、かつしなやかな強さを手にした少女をカレルは賛嘆の思いで見つめた。

 「わかりました。魔術師ゲンドリルを足止めする使命は、あなたにお任せします」

 心からの敬意をこめて、一礼した。

 「しかし、我々に何か手助けはできないでしょうか」

 「あ、それです!カレルさんたちにはやって貰いたいことが」

 アスセーナは叫んでいた。


 二人が顔を輝かせて語り合っているのを。道の脇の木立ちに隠れて、見つめている者がいた。

 見つからないように身を潜めて、哀しげに。

 「なーにこそこそ見てんのさ、兄ちゃん」

 「!」

 目敏くそれを見つけたブレットに声をかけられ、鎧武者は文字通り飛び上がった。

 「何?もしかして、あの美男子(イケメン)の騎士と姉ちゃんがいい感じなんで、やきもきしてるとか」

 「…っ」

 「とんでもない」と言いたげに、手を振っているが。

 「あやしいなー、兄ちゃん。ヘタレだなほんとに」

 ブレットは全く信じていなかった。

 「堂々としてればいいんだよ。ずーっと姉ちゃんを助けて、守って一緒に旅して来たんじゃないか。誰に対しても『自分が彼女を大切に守って来たんです。大好きなんです結婚します』って主張していいんだよ」

 充分その資格も権利もある、と二人を見て来たブレットは言い切れた。

 「…」

 しかし、鎧武者は哀しげに兜を振った。

 「もー、しょうがないな兄ちゃんは」

 そう言いつつも、子どもは彼のそうした態度に言い知れぬ不安を感じていた。

 (何か、覚悟を決めた、みたいな)

 辛くてたまらないけど、何かをする覚悟を決めた―そんな印象を、物言わぬ鎧から受けていた。


 「悪魔の、陰謀!?しかも王族のどなたかを利用した!」

 「黄金の魂」云々の話を聞き、王家に仕える身であるカレルは真っ青になったが。

 「わたしたちも、最悪の事態にならないように力を尽くしますし、その方もおそらく必死で抵抗されていると思うんです」

 未だ何も起こっていないのはそのためだ、とアスセーナは考えていた。

 「でも、その方が絶望されてしまったら」

 「地獄との境界が破られる。悪魔が好き勝手に地上に出て来るようになる。悪魔の軍勢が、何の障害もなく地上に湧き出してくる、と」

 カイネブルク王国ばかりか、大陸諸国、さらに世界全体にも及びかねない危機だった。

 「だから、もしもの時のために騎士の皆さんにはカイネブルクの街を囲んでいて欲しいんです。湧き出してくる悪魔を、食い止められるように」

 「わかりました」

 いや、二人ともそうなったら終わりだとはわかっていた。しかし、街のまわりの住民を逃がす時間稼ぎぐらいは出来るだろうと覚悟を決める。

 「正直、魔術師に対しては騎士の皆さんでは相手にならないと思うんです」 

 アスセーナも今までの札の弟子たちとの戦いで身に染みていた。下手をすれば、呪文一つで操られて敵に回りかねない。しかもこれから対決するのは彼らの師匠なのだ。どれほどの実力があるか見当もつかなかった。

 「お互いのために、その方が」

 「わかりました」

 そうした判断力を身につけた、これも彼女の成長の一つだった。

 「では、私は騎士部隊の配置にかかります。どうか、ご無事で」

 「はい。がんばります。殿下の、ために」

 「そうでしたね。殿下の、ために。お互いがんばりましょう」

 そう言い交わしてカレルは再び馬上の人となり、各国の騎士たちのもとに戻って行った。

 (大丈夫だろうか)

 不安は消えないが、これは信じていないと言うより心から案じているからである。

 (しかしアレク殿下が、あの小さなふわもこの力で助け出され、そのことを知ったら。どんな顔をされるだろうか)

 そんなことをふっと思い、青年は思わず笑みを浮かべていた。


 カレルの姿が騎士たちのいる起伏の向こうに消え、見送っていたアスセーナは振り向いた。

 「お待たせブレット。あ、鎧武者さんも来てたんだ」

 街道に出て来た二人に笑いかけた。

 「あれ?そう言えばわたし、カレルさんに会ったら、あなたのことでお礼を言おうと思ってたのに。同行するように言ってくれてありがとうって。久しぶりで舞い上がってて、忘れてたみた…い…」

 笑顔のまま、細い身体がぐらりと揺れた。

 「姉ちゃん!」

 「―っ!」

 倒れこんでいく少女にブレットが悲鳴を上げる中、疾風と化した鎧武者が駆けつけ何とか抱き留めた。腕の中で、彼女は真っ赤な顔で荒い息をついている。

 「熱があるよ!」

 額に手をやったブレットがびっくりした。

 「多分旅の疲れがたまってるところに、知ってる顔に会って。どーっと出て来ちゃったんだ。休めば、きっと良くなるよ」

 ブレットとしては、昨日泊めてもらった村に戻って二、三日休養させたいところだった。

 「…だめよ…」

 真っ赤な頬のままアスセーナは呟く。

 「まだ、日が高いもの。…夕方までは、進まないと」

 「無茶言うなよ!少しぐらい休んだって」

 「いつ、何があるか、わからないし…あと、少しなんだもの!」

 「姉ちゃん…!」

 「…」

 泣き出しそうなブレットだったが、鎧武者はアスセーナを抱えたまま立ち上がり、右手を上げた。鎧馬が現れ、一同の前に止まる。鎧武者は少女を持ち上げ、鞍に座らせた。

 「兄ちゃん!?」

 彼なら休ませることに賛成するだろう、そう思っていた子どもは驚くが。鎧武者はブレットも抱き上げ、鞍の後ろ、少女を支えられる位置にすとんと置いた。

 「で、でも兄ちゃん、姉ちゃんは熱出して」

 ブレットはそれでも必死に抗議する、が。

 「…」

 鎧武者は右手で前方、カイネブルクの街がある方向を指し示した。 

 ―()()()()()()()

 「兄ちゃ…っ!」

 他の誰かが同じことを主張したら、ブレットは怒り狂いののしっていただろう。しかし、彼はこの物言わぬ全身鎧が、どれほどアスセーナと言う少女を大事に、大切に…愛おしく思っているかを知っていた。

 その彼が、「行こう」と示している。彼女の思いを尊重しようと。

 「でも、でも」

 アスセーナが高熱に浮かされ、大声を出さないと聞き取れないと見て取ったブレットは鎧武者の方に屈んで囁いた。

 「兄ちゃんは、カイネブルクに、戻ったら」

 何か、彼にとって辛い結果が待っているのではないか、そっちを気にしてブレットは言うが。

 ―それでもだ。

 「わかったよ。行こう」

 もう、子どもには止める言葉が思いつかなかった。鎧馬の手綱を取って、鎧武者はゆっくりと歩き出した。


 アスセーナは赤い顔をして目を閉じ、鞍の上でうつらうつらしていた。

 「兄ちゃん」

 よほどの大声でないと聞こえないな、と感じたブレットは鎧武者に声をかけた。

 「あの嫌な吸血鬼の奴は、姉ちゃんに『永遠の幸福』を与えられる、なんてほざいてたけど」

 それは彼女の気持ちを、心を完全に無視しての「幸福」だった。

 「ほんとの『好き』は、違うよね」

 その人のことを本当に愛しているなら、勝手に「幸福」を押しつけたりしない。

 「殿下の心を、勝手にねじ曲げようとしていた」と泣いたアスセーナの思い。

 「彼女に余計な負担をかけたくない」と、告白を必死にこらえていた鎧武者の思い。

 「そう言うのが、ほんとの『好き』なんだよ」

 相手の気持ちを尊重し、自分の勝手にしてはいけないと思う心。

 「そういう『好き』を持ってる姉ちゃんと兄ちゃんが、大好きだよ」

 彼の悲壮な覚悟を薄々感じて、それだけは伝えたかった。

 ―私は、「永遠に幸せにする」とは、言えない。

 空いた左腕で、鎧武者はぽつんとそう示した。

 「姉ちゃんは、幸せにしてほしいとは思ってないよ。自分でがんばろうとしてるじゃん、いつも」

 幸せは誰かに貰う、与えられるものではなく、大事な人と一緒にいることだ。そう、伝えたかった。


 「姉ちゃん、ほんとに日が暮れるよ」

 ブレットが背中をつついた。…そう、一行は今小高い丘の上に立ち、西の緑山地に夕日が沈んでいくのが見えていたのだ。

 「もういいよね?しっかり休もう」

 「うん」

 鎧武者に抱き下ろされ、寝袋にくるまったアスセーナは目を閉じた。ブレットも寄り添い、鎧武者も二人を包みこむように側で横になっていた。

 ―風除けぐらいにはなるだろう。

 大きな身体を恥ずかしそうに丸めて、そう示した。

 「うん。ありがとう、嬉しいよ」

 おぼつかない口調でアスセーナは微笑み、またうとうとしはじめた。

 「ねー兄ちゃん」

 彼女に聞こえてないな、とまたブレットは鎧武者に囁く。

 「こうやってると、家族みたいだねおいらたち」

 「!」

 鎧武者は動揺し、じたばたしたかったが少女が起きてしまいそうでこらえ、大分わたわたしてからようやく落ち着いてこう示した。

 ―そ、そう、だな。そうかもしれない。

 「そうだよ、きっと。覚えて…ないけど…」

 親の顔も覚えていず、こんな包みこまれるような優しさは知らなかったが、子どもは幸せそうに眠りについた。

 「…」

 鎧武者は二人の髪を撫で、寄り添っていた。


 東の空が白みがかる頃、ブレットは目を覚ました。

 「うん、熱は下がってる。一晩しっかり眠れたからだよ、きっと」

 前に彼女がルイーゼにしたように、額に手を当てて確認した。

 「あ、ほんとだ。身体が軽い」

 アスセーナも目を覚まし、寝袋から出て大きく伸びをした。

 「昨日は暗くて良く見えなかったけどさ。ねえ見て、カイネブルクの街が見えるよ」

 「…うん」

 街道が丘を越えて続き、その先にきらきら光るものに覆われた大きな街が見えた。

 「村のおっちゃんたちが言ってた通りだね」

 「そうね。”氷”が、街まで覆っちゃったんだ。でも」

 長い旅を乗り越えて。ついに。

 「戻って来たんだ。あと少しで、いよいよ」

 喜びと、同時に不安を感じつつアスセーナは呟いた。その様子を、ブレットと鎧武者は優しく見守っていた。


 「…」

 朝飯の後、鎧武者は立ち上がったアスセーナを見つめた。上から下まで…何かを確認するように。

 「どうしたの?」

 ―一人で立てるね?

 今まで何度もそうしてきたように、手振りで彼は尋ねた。

 「うん。昨日は駄目だったけど、もう平気だよ」

 アスセーナが笑いかけると、鎧武者は重々しくうなずいた。そしてまた、手で示した。

 ―ここから先は、私は一緒には行けない。

 「えーっ!そうなの!?」

 ブレットは素っ頓狂な声を上げたが、アスセーナは。

 「うん、そうなんだね。…ありがとう」

 笑顔で、そう答えていた。

 ―済まない。

 ブレットに対し、鎧武者は律儀に詫びている。

 ―本当に、済まない。

 「いいのよ」

 ぶーたれているブレットを制して、アスセーナは彼に笑いかけていた。

 「今までしてくれたことで、充分だもの」

 本当に良くしてくれて、こちらが申し訳なくなるほどなのだから。

 「何か、大事な理由があるんだよね?一緒に行けない」

 どんな理由なのか、教えてほしいとは思う。しかし、彼が教えたくないのなら尊重したいとも思った。これまでしてくれたことを思えば、大したことではないと。

 「わたしは、がんばるから。大丈夫」

 一人で立って、がんばれる。その思いをこめて、笑いかけた。

 ―それでいいんだ。

 彼はうなずいた。

 ―君は。

 さらに続けた。

 ―君は、私がいなくても、大丈夫だ。

 「え…?」

 訳がわからないアスセーナの頬に、右の手甲を伸ばし、触れた。

 ―生きて行ってくれ。元気に、幸せに…私が、いなくても。

 「何で」

 頬に触れる手が、かすかに震えているのを感じて―彼女はその手を両手で包み、叫んでいた。

 「何で、これで最後みたいなこと、するの…!」

 永遠の別れを告げられている、そんな気がしたのだ。

 「…っ」

 鎧武者は、耐えかねたように少女を引き寄せ、抱きしめ…そのまま、光と化して散った。

 「…何で」

 そう呟く少女のまわりを、光の粒子は名残を惜しむかのように漂い、消えて行った。

 「姉、ちゃん」

 呆然とするアスセーナに、ブレットが声をかける。

 「わかってる。行こう、ブレット」

 アスセーナは、カイネブルクの街に続く道に、最後の道のりに踏み出した。


 「―兄ちゃんは」

 ついに我慢できなくなったブレットが、歩みを進めるアスセーナに言った。

 「兄ちゃんは、ずっとほんとの気持ちを、姉ちゃんに、隠して」

 「…うん」

 「『余計な負担を、かけたくない』って、必死で」

 「うん」

 (そんな…!)

 丘を下り、カイネブルクの街への。今までの旅を思えばわずかな行程だったが。

 (ずっと、仲間で、友達で。それだけだと、思っていたけど)

 同じ目的のために協力していて。その中で、仲良くなったと。

 (でも、鎧武者さんの、わたしへの気持ちは…それだけじゃ、ないの?)

 いや、鈍すぎだろうと言われるかもしれない。しかし、自分の恋心でいっぱいいっぱいだった彼女には本当に気づく余裕がなかったのだ。

 自分には応えられない気持ち、返せない気持ちだと思う、その一方でこうも思った。

 (だとしたら、わたしは。あの人になんて、ひどいことを!)

 慰めようとしているのに「わたしが、いてほしいのは…あなた、じゃなくて」などと言ってしまった。言わない方が不誠実だと感じたからなのだが、どれほど彼が傷ついただろうと思うと、心がずきずきと痛んだ。

 (『一人で立てるね?』って、確かめていたのは、いなくなるから?自分がいなくなっても、わたしが大丈夫か、確かめて。安心して、いなくなるため?)

 いなくなるから、気持ちを告げずにいたのか。

 何となくだが、カイネブルクの街に戻って、人々を助けて。その後、アレクサンデル殿下のことはともかくとして、「みんなで、幸せになる」その中には、鎧武者も含まれているものだと思っていた。しかし、そうではないかもしれないと知った、今は。

 (鎧武者さん。わたしは、『一人で立てるね?』って聞かれて、うなずけるのが嬉しかったよ。守られるだけじゃなく、対等な存在として認められてる気がして)

 この時代、女の子が「対等な存在」と認められることのどれだけ少ないことか。

 (わたしは、一人で立てるよ。あなたにも、他の誰にもすがりつかないで、生きていけるよ。…でもわたしは、あなたに、一緒にいてほしいよ)

 すがりつく対象としてではなく、ともに生きて、喜びも悲しみも分かち合う存在として。

 (一緒に、いてほしいよ)

 ”氷”に覆われたカイネブルクの街に向かって歩みながら、そう考えていた。


 彼女と一緒に歩むブレットは、心の中でこう繰り返していた。

 (兄ちゃん、無茶するなよ。どこで何するか、わかんないけどさ)

 鎧武者が「一緒には行けない」と告げたと言うことは、彼はどこかで「何か」をする、おそらくアスセーナを助けるための行動に出るのだろうと子どもは彼なりに考えを巡らせていた。その「何か」は、二度と会えなくなるほどに危険な行為なのだろうとも。

 (やだよ。生きて、戻ってよ。で、ずーっと、姉ちゃんと、おいらとも、一緒に。姉ちゃんだって、そう思ってるから)

 心からそう願う、一方で。

 (魔術師の奴は、なーんにもしてこないなあ)

 それも気になっていた。

 真昼間に正面から街に進んでいくのだから、何か妨害してくるんじゃないかと考えていたのだ。真昼間にしたのは、魔術師相手に夜こっそりは意味がないどころかこっちに不利と結論づけただけで、何か仕掛けてくるのは覚悟の上だったのだが、結局何もなし。

 (考えてみれば、死霊術のねーちゃんが倒れてから何もしてこなかったし)

 おかしい、とは思うが。それらが何を意味するのか、今までに得た情報からではわかりようがなかった。だから、ただ進んだ。

 そうして、二人はついにカイネブルクの街の正門前に、立った。


   第三十二章 二つの、奇跡


 カイネブルクの街の正門前、ではあるのだが。地面までぎっちりと”氷”が覆いつくし、行く手を塞いでいた。

 「マナちゃん、出番よ。わかるよね?」

 「チイ」

 どこまで理解しているのかは不明だが、名前を呼ばれた小さなふわもこは乗っていた少女の肩からぴょんと跳ねて手のひらの上に移った。くりくりした目で顔を見上げる。

 「じっとしててね」

 ふわふわの毛皮をさぐって、かつて賢者レオナルドゥスがはめた首輪をぱちんと外した。

 「チイ」

 マナは、特に何か変わったようには見えなかったが。小さな鼻をひくつかせ”氷”の壁を見上げた。

 「まず、わたしたちがここに入れるようにしてほしいの。お願い」

 小さなふわもこはまた一声鳴き、半透明の壁に取りつく。と、本物の氷が熱で溶けるように周囲が溶け、穴が開いた。何とか人が通れる大きさにまで開いた。

 「ありがと、マナちゃん」

 「チイ」

 ふわもこはそのまま脇目も振らず”氷”の壁をよじ登って行った。じきに、視界から外れてしまった。

 「てっぺんまで登って行って、そこで『魔力返し』の能力を使うって賢者のじーちゃんが言ってた」

 「うん」

 これからアスセーナがすべきことは、身を守れないマナを魔術師ゲンドリルが攻撃しないように、注意を引いて足止めをすることだった。

 「ほんとの正門は、半年前にわたしが開けたんだったわ」

 夕刻だったので門番が内側から閂を下ろしていたのを、出られるように外したのだった。

 「元弟子のあの人の話だと、魔術師ゲンドリルはこの中にいるはず。多分だけど、王宮だと思うわ」

 「じゃ、行こう姉ちゃん」

 「―ブレット。あなたは、無理しなくていいのよ?」

 足手まといとかではなく、子どもの身を心配しての言葉だったが。

 「ううん」

 ブレットは首を振った。

 「もう、このまま置いて行かれるのも、やだもん」

 「そうだね」

 アスセーナは微笑んだ。

 「行くよ、ブレット」

 「うん!」

 二人は門扉の隙間を潜り、街の中に足を踏み入れた。


 まだ午前中だが、”氷”に覆われた街の中は薄暗く、静まり返っていた。

 「ね、姉ちゃん、あれ」

 アスセーナは半年前に目にしたが、ブレットははじめて見る光景だった。街路に立ついくつもの”氷”の柱、その中には人が閉じこめられ驚愕と恐怖の表情を浮かべたまま凍りついている―だが、以前と違っている点があった。

 「胸の上に…これ、『思いの結晶』!?」

 ”氷”の中の一人一人、その胸のあたりに真紅の宝石のような結晶が()()()()()

 「け、賢者のじーちゃんの話では」

 ブレットが怯えつつ解説した。

 「『思いの結晶』には、創ろうとした人の『色』がつくんだってさ」

 「その人の『色』?」

 「姉ちゃんのペンダントの色は、姉ちゃんの母ちゃんの『色』なんだって。じーちゃんは疲れるからあんま創んないけど、創ると深い青になるって言ってた。…で、魔術師ゲンドリルって奴の『色』が」

 「この、真紅、なの」

 アスセーナはぶるっと震えた。

 「ほんとに、紅玉(ルビーン)みたいな綺麗な真紅だけど、これが」

 人々の抱く「思い」が抽出され、結晶と化したものと思うと怖気が走った。

 「うん。…でもこの色どっかで見たな」

 もちろん怖くてアスセーナにしがみついていたが、ブレットはその一方で首をひねっていた。

 (つい最近、どっかで見たような)

 プルートスが紅玉を投げて火球を爆発させていたが、それよりもっと前にこの真紅を見た気がする。―が、はっきり思い出すには至らなかった。

 「王宮(シュロス)は、こっちよね」

 「うん」

 アスセーナはあの晩、アレクサンデル殿下を案じて王宮に向かったのだが途中で魔術師に阻まれ断念していた。ブレットはこの街で育ったが、行動範囲は基本下町に限られていたので王宮にはあまり近づいたことはない。好奇心で王宮や聖堂教会(ミュンスター)の掲示板を見に行った程度だった。馴染みはないが、とにかく街の中心を目指して進んだ。市街地の中心をなす市場広場(マルクトプラッツ)、その周囲を聖堂教会など重要施設が囲み最も見事な建造物が王宮であった。

 「あの時、ヘカーテが見せたまぼろしの、通りだわ」

 やっと王宮の正面玄関に着き、アスセーナはそう呟いた。

 「本当に扉は半開きなのね」

 ヘカーテは「晩餐会の客を迎えていたから」と言っていたが、あのまぼろしと同じく豪壮な扉は半ば開かれていた。恐る恐る潜る。この先は、アスセーナはもちろんブレットも(現実には)全く入ったことのない世界だった。

 「あのねーちゃんの見せたまぼろし、信じる気ないんだけどなー」

 しかし他にしるべがなく、見せられた廊下を辿るしかなかった。質実剛健を優先しているが充分豪華な建物の中を進み、一際壮大な広間に入った。ここが玉座の間だろう、そう感じた。

 おそらくこの国の中で、最も巨大な屋内空間だろう。匹敵するのは聖堂教会の礼拝の場ぐらいか。奥が一段高く造られており、上の玉座には壮年の男性が着き、その隣には若い男性が立っているが二人とも礼装を身につけたまま”氷”に取りこまれ、凍りついていた。その壇に続く赤絨毯が敷かれ、途中に―同じく礼装に身を包んだ若い男性が、壇上へと足を踏み出した姿勢のまま”氷”に閉じこめられていた。

 「あ、ああ」

 他にも、廷臣らしき人々を閉じこめた柱は林立していたが。アスセーナの目にはただ一人しか映っていなかった。

 「殿、下」

 ヘカーテに見せられたまぼろしと、ほぼ同じ、だが。

 「『思いの結晶』が、どうして…こんなに、大きく!」

 アレクサンデル・フォン・カイネブルク。彼の胸の上に形成された真紅の「思いの結晶」は、他の人のそれよりもはるかに大きかった。”氷”の柱を突き破らんばかりに成長し、輝いている。

 かつ、その顔に浮かぶ表情は。他の、一瞬の驚愕、恐怖がそのまま凍りついたそれではなく、もっと深い苦悩、悲嘆、悔悟―そういった感情に彩られていた。

 「何で、どうして!殿下だけ、こんなに、苦しそうに!」

 「―それは」

 力強い声が響いた。

 「その方だけは『思い』が半年前の時点で停止せず、現在までの分も結晶化し続けているからだ」

 暗がりの中から、杖を手に歩み出て来たのは。

 「魔術師、ゲンドリル」

 「その名乗りは、賢者レオナルドゥスにでも聞いたか。お節介なことだ」

 せせら笑っていた。

 「で、でも、この方は」

 見たところ、意識があるようには見えない。なのに「思い」はあるのか。

 「それに、苦しみしか、感じていないみたいで!」

 「そうだな。殿下はずっと、苦しみ続けていた」

 一度言葉を切り、魔術師はとどめの一撃を与える。

 「娘、お主のことでな」

 「わた…しの?」

 少女の身体が、ぐらりと揺れた。

 「そうだ。苦悩し、嘆き、絶望へと追いこまれていった。―お主のせいで、な」

 「んな訳ないだろ!」

 ローブ姿を見た時点で、ブレットはなるべく逃げやすい場所に退散していたのだが。我慢できずにつっこんだ。

 「何で姉ちゃんなんだよ!ウソに決まってる、そんなこと!」

 「噓は、言っていないぞ?」

 魔術師の余裕の笑みは、変わらなかった。

 「どうして、何故!?カイネブルクの街を、殿下を、狙ったの!」

 「さて、何故であろうな?」

 笑みは止まらない。

 「二十年ほど前の戦乱期に。ある国の街に、一人の魔術師がひっそりと暮らしていた」

 「それって、あなたの、こと?」

 「さあ、どうだろうな」

 くつくつと笑う。

 「戦乱の中で、ある国の―カイネブルク王国の軍だったかも知れんが、軍勢が街に攻めこんだ。戦闘、流血、しまいには火が放たれ。その中で魔術師は、何よりも大切な、二度と取り戻せない『存在』を、失った」

 「存在」が、人なのか、何らかの物なのかもわからないが。

 「一命をとりとめた魔術師は、喪失の痛みに耐えようとした。しかし、かけがえのない『存在』を失った痛みは簡単に消えるものではない。痛みは大きくなる一方であった。二十年の時を経ても、なお。ある研究のために、街一つを標的とするとなった時―カイネブルクの名が浮かんだ、かもしれぬな?」

 大切に思う心こそが、憎しみに変わるのだと笑った。

 「それ、が」

 アスセーナは泣きそうになった。

 「あなたがこの街を、アレクサンデル殿下を苦しめた理由なの?」

 「さあ、どうであろうな」

 その言葉の、表情の奥にある真意を、少女は読み解けなかった。 

 「ただ、人とはそういうものなのだ。他者にはどうでもいい物事でも、ある者にとっては命も心も踏みにじる行為になり得る。充分憎む理由になる。悪魔の介入で憎悪が生まれるのではない。人と人との相克、相容れない望み、積み重なる感情の果てに真の憎悪が、闇が生まれるのだ」

 反論の言葉を持たない二人に、続けた。

 「あの賢者に会ったのならば”氷”の術が魔術の動力源である『思いの結晶』を大量に得るためのものとは聞いているな。更なる秘術―この青年を絶望させてどうなるかは、わかっておるのか?」

 「お、『黄金の魂』を持つ方を絶望させて悪魔に得させると、地上と地獄の境界が、破られて」

 「悪魔がこの地上に自由に出て来られるようになる、とな。しかしそれは、教会側の見解だ」

 「「…?」」

 「教会は悪魔が存在し、人を誘惑すると考えているからな。しかし地獄にいる『悪魔(トイフェル)』とは独立した生物ではなく、人に由来する闇、悪意が積もり積もってわだかまった()()に過ぎない。意思を、悪意を持っているように見えるがあくまでも人の悪意が投影されているだけなのだからな」

 「わかんない。わかんないよ、あなたの言ってること」

 「全ては人が生み出したもの、だと言うことだ。『黄金の魂』を絶望させ、闇に沈めればその、人が垂れ流した悪意を地上に噴き出させ、のうのうと生きている人々に思い知らせることができる。何気ない行為が他者を傷つけ、憎ませるとわからせることがな」

 歪んだかたちではあったが。魔術師ゲンドリル、彼もまた自らの目指すもののために力を尽くしていた。

 「あなたの思いは、簡単に否定していいものじゃないけど!」

 アスセーナは小剣の柄を握りしめた。

 「でも!わたしにはわたしの、願いがあるの!やりたいことがある!アレクサンデル殿下を助け出す、そのこと!」

 それもまた、否定されていいものではない願い、目指すものだった。

 「あなたの思い通りにさせたら、殿下は助け出せない!わたしは、わたしの思いを、貫きたいの!」

 そのためなら、立ちはだかるものは倒す。その思いをこめて、魔術師ゲンドリルを見た。

 「相容れぬなら、戦うしかない、か。良かろう」

 魔術師の顔に笑みが浮かんだ。

 「絶対、あなたを止めてみせる!」

 「ほう?」

 薄い、笑み。

 「あの『魔力(マナ)返し』を守り切れればいい、と考えてここまで来たようだが。儂が、何故お主らがここに入りこむのを止めなかったと思っておる?」

 「え…?」

 「まさか、手をこまねいているうちにむざむざと入れてしまったとでも?」

 「!」

 いくらでも妨害のしようはあっただろうに、何もなかった。

 「全て、目論見通りよ」

 (た、確かに)

 びくびくしながらブレットは思わずうなずいていた。

 (弟子たちが負けた後、ぜーんぜん手出しして来ないし!)

 おかしいおかしいと思いながら、ここまで来てしまったが。

 (全部、こいつの思い通りってこと!?)

 「そうでも!」

 少女は剣を構えた。

 「必ず、あなたの目論見を乗り越えてみせる!」

 「そうか。まあ、お主には攻撃魔術は効かぬしの。対して儂は武器を持たぬ身。誰か、武器を扱える者に守って欲しいところだな」

 含みのある台詞を吐きながら魔術師は杖を掲げ、一言呪文を唱えた。

 「…ああっ!」

 一本の”氷”の柱が、木っ端微塵に砕けた。

 その中に捕らわれていた人物が、赤絨毯を踏んでゆらりと立った。

 「あ、ああ」

 アレクサンデル・フォン・カイネブルク、その人が。

 「おっと。参内用の礼装で、帯剣しておられませぬな」

 さも驚いたように魔術師が言い、呪文を詠唱する。と、青年の胸の「思いの結晶」の形が変わった。真紅の騎士長剣(ブロードソード)となり、その柄が青年の手に収まった。

 「さあ、殿下」

 その呼びかけに応じて、閉じられていた双眸がゆっくりと開いた。

 「…!」

 その前にいるアスセーナは、言葉を失った。

 その瞳には、()()()()()()

 かつて、漆黒の宝石のようにその瞳を輝かせていた意思の光は、消えていた。

 かと言って憎悪や軽蔑、悪意に濁っているのでもない。闇ですらない。ただ何もない、虚無を宿した二つの黒い穴でしかなかった。

 「いや、だ」

 嫌われる、迷惑がられる。そこまでは覚悟していた。

 でも、でもこんな、何もないまなざしを向けられるのは、耐えられなかった。

 (何も、ない)

 悲しい、直観だった。

 (この方の中には、何もない。心も、魂も、何も…!)

 好意を抱かれないのは仕方がない。…でもそれは、彼が解放され、幸せに生きてくれればのことで。こんな抜け殻のような彼に、アレクサンデルに会いたかったのではなかった。

 涙が溢れ、頬にこぼれた。

 「いやだよ…殿下、嫌だ」

 その言葉に、彼は一切反応しない。代わりに魔術師の声が響いた。

 「よろしいですかな、殿下。その娘を、斬って下され」

 アレクサンデルが、動いた。真紅の剣を持ち上げ、構える―アスセーナに向かって。達人の、一部の隙もない構えだった。

 「いやだ…!」

 今まで夢見て来た全てが、少女の中でがらがらと崩れて行った。

 「さあ、その娘を(ほふ)って下され。その剣で、心臓を貫くのです。それで全てが完成する―生け贄は、その娘です」


 (えええええ!?)

 一応声には出さないで、ブレットは叫んでいた。

 (生け贄って、姉ちゃんのことだったのー!?)

 どこがどうしてそうなるのか、理解しようがなかったけど。でも、それならこの玉座の間まで誘いこまれた理由にはなる。…だとすると。

 「姉ちゃん!」

 もう、こっちに攻撃が来てもいいやと声に出して叫んでいた。

 「姉ちゃん!斬られちゃ駄目だ!」

 それだけは確かだった。

 (この『殿下って人』がどう思ってるかはわかんないけど!でも、もし自分を助けるために必死になってる女の子を、いくら操られてたって自分で斬っちゃったら、そりゃ!絶望する、よね!)

 そういうことかもしれないと思った。つまり。

 (姉ちゃんが斬られて死んじゃったら、全て―終わる!)

 だから斬られちゃ駄目なのだが。

 しかし、当のアスセーナは。

 「いやだよ…」

 そう繰り返し、ふるふると首を振るばかりで。…何もできていなかった。

 (そりゃ、わかるけどさ、つらいの!)

 助けたい本人に剣を向けられてはと思うが、でも。

 「逃げて!せめて自分の身は守ってよ!」

 ブレットがそう言っても、動くことさえできなかった。

 「姉ちゃん…!」

 達人の「殺し」の気配が、広間に満ちて行く。敵意や憎悪ではなく、あくまで「殺し」の気配がアレクサンデルの身体から放たれていた。

 「いやだ…!」

 そこに、何かが飛びこんで来た。巨大な翼が、一同の視界を塞いだ。

 「グラツィエ!?」

 大鷲は青年と少女の間に割りこみ、羽ばたきで剣の動きを妨害した。―その脚に下がっていた近衛のメダルが、輝き。…光の粒子と化して、散った。

 「「え…!?」」

 光は一度散り、また集い。渦巻いて、定まった形を取った。

 真紅のマントの上に大剣を装着した、巨大な全身鎧の姿となって赤絨毯を踏みしめた。

 「近衛のメダルが…鎧の兄ちゃんに!?」

 「今までも、そうだったの…?」

 「……」

 鎧武者はアスセーナを背にかばい、大剣を抜き放った。両手で構え、剣尖を目の前のアレクサンデルに、さらにその背後に立つ魔術師ゲンドリルに向けた。

 「―それが」

 魔術師は一瞬動揺したようだった。しかしすぐそれを抑え、余裕ある口調で問いかけた。

 「どういうことか、わかっておられますかな?」

 「…」

 剣は小揺るぎもしなかった。

 「では、ご自由になされませ。―『殿下』」

 「…」

 その言葉とともに、アレクサンデルの身体から再び「殺し」の気配が放たれた。

 「―っ」

 鎧武者の中にも、凄まじい闘気が膨れ上がっていた。

 「「―」」

 気合いの声も、何もなく。

 二人は同時に踏みこみ。神速の剣戟が、開始された。


 この、玉座の間で。

 おそらくかつてなく、これからも二度とないであろう、伝説となり得る剣の応酬だった。

 真紅の長剣と、巨大な剣が目まぐるしく交錯し、打ち合う。アスセーナの目でも動きがぎりぎり追えるか、という速さで剣が振るわれていた。

 ほんの僅かでも手元が狂えば、どちらか―あるいは双方が、両断される。真の達人同士の、超高速戦闘だった。

 「やめて!」

 アスセーナは泣き叫んだ。

 「やめて、やめて!斬り合わないで、ああ、お願い…!」

 彼女にとってどちらも、本当に大切な存在だった。どちらもかけがえのない、絶対に失いたくない二人。その二人が、斬り合いを演じている。

 「やめて…!」

 (兄ちゃん!)

 もっと後ろのブレットも、もちろん心配だった。しかし、アスセーナよりは(心配が半分なので)少しは落ち着いてその戦いを見ていられた。―で、気づいた。

 (…似てる…?)

 鎧武者とアレクサンデル、体格も剣のリーチも全く違うが。二人の動きが奇妙に似ている、子どもはそう感じた。いや剣技に関しては素人以前だが、それでも。

 (それに、お互い。相手の次の動きが見えてて、斬られる前にぎりぎりでガードできてるって言うか、何か。手抜いてるんじゃないけど)

 なぜなのか、とかは全くわからなかったが。

 「姉ちゃん!」

 叫んでいた。

 「兄ちゃんたち、もうしばらくは大丈夫だよ!斬られたりしないって!」

 「え…?」

 今にもどちらかが真っ二つにされそうに見えるけど、実はそうでもないと伝えた。

 「だから!姉ちゃん、頼むよ!」

 「で、でも、でも」

 そう言われても、アスセーナは不安と恐怖で動けずにいた。―しかし、超高速の剣戟の中で鎧武者が一瞬だけ兜を動かし、少女の方に振り向いた。

 ―しっかりするんだ!

 「…!」

 声なき叫びが、思いが届いた。

 ―君には今、できること、すべきことがあるはずだ!

 「わたし…の、できること」

 そう。

 鎧武者は別に、アレクサンデルを殺したくて剣を交えている訳ではない。ただ、彼の剣をアスセーナに届かせない、そのために全力で戦わなければならないだけ。

 彼がそうして自分を守り、ブレットが怖いのをこらえてアドバイスをくれる、それは。

 「わたしが、道を切り開くため!」

 取り落としかけていた小剣を握りしめ、駆け出した。戦い続ける二人の脇を駆け抜け、魔術師に迫る。

 「ペンダントの守りがあるわたしが、何とか!」

 半年前は、防御の障壁の前に手も足も出なかったが。―旅の中で、プルートスやヘカーテが同じ魔術を使おうとするのを目の当たりにして、悟った。

 (やっぱり魔術師は、直接斬りかかられるのは苦手なんだ。どうしても一手遅れる―タイミングを外せば、剣は届く!)

 実戦で培われた、感覚だった。ゲンドリルが障壁を張る、その寸前で。

 ―最後に決めるのは、私じゃない。君だ!

 その声なき言葉に後押しされ、小剣が(はし)る。狩人として、武人として命を断ち切る急所は知り抜いていた。

 「わたしは、思いを押し通す!」

 「…っ!」

 ローブの上から、心臓に届く箇所に、切っ先を突き立てた。

 しかし。手ごたえは、なかった。

 「悪いな」

 剣を突き立てられた魔術師が、凄絶に笑んだ。

 「儂の命は、()()()()()()()

 小剣が、ローブの奥に吸いこまれていった。老いた手が、少女に伸びる。

 「~~っ!」

 飛び退いたが、一瞬遅かった。革ひもが引きちぎられ、「思いの結晶」のペンダントが奪い取られていた。

 (母さん…!)

 「生け贄として泳がされていたとも知らず、ようも戻って来たものだ」

 魔術師ゲンドリルは嘲笑いながら左手で革ひもを掴み、右手で杖を掲げた。

 「剣でなくても、この場でお主の命を絶てば全ては決する」

 杖の先に光が灯り、膨れ上がり―ばちばちと放電した。プルートスの爆破魔術などとは威力が全く違う、凄まじい魔力が集積していく。

 「骨も残さず、燃え尽きよ!」

 眩い雷撃が、放たれた。

 「…くっ!」

 アスセーナは思わず、目をつぶる―が。

 「あ…ああっ!」

 少女の口から、叫びが漏れた。

 「…!」

 鎧武者が、アレクサンデルとの剣戟を放り出して疾風と化し、アスセーナのもとに駆けつけて覆いかぶさり雷光の直撃からその身でかばったのだ。

 「―」

 背のマントが、ぼろぼろに千切れ飛んだ。

 「あくまで!あくまで、逆らわれますか!」

 氷の嵐が、炎をまとった風が、次々に全身鎧に叩きつけられた。

 さらに、アレクサンデルもまたうつろな目をしたまま駆け寄り真紅の長剣で容赦なく斬りつけた。少女をかばう鎧武者に、もはや避ける術はなかった。…彼の身体である全身鎧が斬り裂かれ、ずたずたに刻まれていく衝撃が伝わり、アスセーナは震えた。

 「…」

 それでも、鎧武者はアスセーナを抱きしめ、守り続けた。

 「やめて!やめて…死んじゃう!あなたが、死んじゃう…!」

 彼女が泣き叫んでも、彼は動かない。

 「どうして!」

 (―君の)

 思いが、伝わって来た。

 (―君の心を、一途な願いを。踏みにじったのは、私だから。何もできない私には、このぐらいしか、君のために、できることが、ない)

 深く、激しい―自責の念。それが鎧を通して、心に沁みこんで来た。

 「何…どういう、こと!?」

 今まで、彼にしてもらったこと、注いでもらった優しい思いはいくらでも思い出せるが、彼がかけた迷惑など何も、何も思い出せない。ましてや、「踏みにじった」など。

 「あなたが、自分を責める必要なんて、何もないのに!」

 アスセーナが泣いて泣いて、そう言っているのに。

 (済まない。済まない。済ま…ない)

 鋼鉄の巨体で包みこみながら、そう繰り返す。大切に思っているから、より強く自分を責めている、それが痛いほど伝わって来た。

 「わたし、だって」

 ぼろぼろ泣きながら、彼女は巨体にすがりついて叫んだ。

 「あなたのこと、大切だから!傷ついてるの、辛いのに!」

 「やれやれ。人とは、愚かなものですなあ」

 次の魔術を叩きつける準備をしながら、魔術師が嘲笑した。

 「お互いを思い合うから。大切に思い合うからこそ、苦しむ。大切などと思わず、自分のことのみを考えて生きればよろしいものを!」

 鎧の背で、火球が炸裂した。少女を抱きかかえたまま、鎧武者は吹き飛び床に叩きつけられた。転がったまま、動けない。

 「そろそろ。とどめを、刺しましょうかね、『殿下』」

 アレクサンデルが、何の感情も見せず紅く輝く剣を振りかざす。―鎧の継ぎ目に、深々と突き立てた。

 「―!」

 無音の絶叫が、空間を震わせた。

 「いやあ…!」

 しかし。

 「何と!?」

 手甲が伸び、自らに突き立てられた刀身をがっちりと掴んだ。アレクサンデルが剣を引き戻そうとするが、鎧武者の渾身の力が勝った。

 「…っ!」

 真紅の長剣を、彼は―奪い取り、自分の身体から引き抜いた。刀身を握りしめたまま、アスセーナに差し出す。

 「わたし…に、これを使え、と?」

 うなずく。

 「―わかった」

 剣の柄を、手にした。慣れない長さ、重さだが必死に持ち上げ、構えを取った。

 「…」

 鎧武者は、力尽きたように倒れ伏した。


 「やっぱり賢者のじーちゃんが言った通り、あいつの命はどっかに隠されちゃってるんだー!」

 小剣がローブの奥に吸いこまれるのを見た時、ブレットは玉座の間を飛び出していた。廊下を走りながら泣きわめいた。

 「どこに隠してあるんだよ!見つけないと、姉ちゃんも兄ちゃんも、みんな死んじゃうよー!やだよー!」

 大切な二人を助けるためには、魔術師が命を隠した場所を見つけ出して壊さないといけない。それも、今すぐ。

 「どこなんだよじーちゃん!」

 賢者の館で、レオナルドゥスとそのことについても話はしたのだ。しかし、そもそもゲンドリルが命を自らの身体から引き離したのかどうかが不明なので全てが仮定のあやふや話に過ぎなかったのだが。

 (『おとぎ話とかだとさ、遠くの山の上の池に水鳥が泳いでて、その身体の中に隠されてて』)

 で、隠した人食い巨人とかがおだてられてうっかり場所を口走り、王子なり騎士なりが探しに行ったりするのだが。

 「そんなの探してる暇ないよー!」

 そもそも口走ってすらいない。

 「どこにー!?」

 (『ただのう』)

 老賢者の言葉が胸によみがえった。

 (『そんな、もし場所が見つけられたら何もできずにむざむざと壊されてしまうような隠し方を奴がするのかとも思う。何と言っても大陸最高の魔術師、相当頭は切れるだろうからの』)

 どう考えるかは推測できないが、と言っていた。

 (『もし儂ならと考えると、何らかの防御手段を講じておきたいものだな。例えば『思いの結晶』を装備しておいて、攻撃されても防御魔法を発動させて身を守れるようにしておくとか。ならば、その『思いの結晶』が目印になるがなあ』)

 しかし、そうするかどうかも確言は出来んがの、と苦笑していた。いかに賢者と称賛される者でも、自分と同レベル、もしくはそれ以上に賢い者の思考を推測するのは難しいのだと。

 「もしそうだったとしてもさ!そんなのどうやって探すんだよ!世界のどこにあるのかもわかんないのに…ん?」

 ブレットの頭を、何かがかすめた。

 (『思いの結晶』がついてる何か。あいつの『色』は、ああで…!)

 その何かが、形を取りはじめていた。

 もちろん大外れかもしれない。

 しかし、今までにあったこと。

 優しい「姉ちゃん」に出会い、「兄ちゃん」に守られ。いろんな人に会って、様々な困難を乗り越えてきた中で、見たもの、聞いたもの、疑問だったこと。

 そうした中から、子どもは「何か」にたどり着こうとしていた。

 「もしかしたら!」

 もう泣きわめかずに、走り出した。


 「面倒なことだ」

 まだ立ち向かう気か、とため息をついて魔術師ゲンドリルは剣を構えるアスセーナに吹雪をぶつける魔術を放った。

 しかし、真紅の長剣に切り裂かれるように吹雪は両側に流れて行った。

 「そうか、この剣も『思いの結晶』だから!」

 ペンダントほどではないが、魔術除けの効果はあるのだ。

 「だから、何だと?」

 自らの命がここにない、従って倒しようがないと知る魔術師は絶対的優位を確信していた。

 「儂を殺すことなど、誰にも出来ぬのだからな」

 「そうかもしれない!でも、あきらめたくない!託してくれた、鎧武者さんのために!」

 アスセーナは叫んだ。勝ちたい、生き延びたい、抜け殻のようなアレクサンデル殿下を元に戻したい。…何よりも、自分を守って倒れた鎧武者を死なせたくなかった。

 「だから!」

 再びゲンドリルに斬りかかった。武器は奪われたが、それでも立ちはだかろうとするアレクサンデルの手をかいくぐり、必死でローブの肩口あたりに斬りつけた。

 「効かぬと…っ!?」

 冷笑しようとしたゲンドリルの顔が歪んだ。濃い茶のローブに―じわじわと、黒い染みが広がっている。血が、にじんでいた。

 「馬鹿な…そんなことが!儂の命はここになく、隠し場所に」

 「『隠し場所』って、()()のこと?」

 幼い声が響いた。

 「な…!」

 ブレットが、玉座の間に戻って来ていた。その手に抱えられていたのは、漆黒の羽根に包まれた、夜鴉。

 「王宮の屋根に止まってたのを、パチンコで撃ち落としたんだ」

 鴉の身体は硬直し、明らかに命は抜けていた―のに、その目は紅玉(ルビーン)のように輝いたままだった。…本当の目ではなく、「思いの結晶」だったから。

 「ほんとの鴉なら、絶対気配に気づいて逃げるはずなのに、こいつはおいらに気づかなかった。あんた、その殿下って人を操るのに気を取られてたよね」

 「何故、わかった」

 偶然や幸運であるはずがなかった。魔術師がここぞと決めた、命の隠し場所を推理し、見つけ出した。―こんな、子どもが。

 「まさか飛び回って毒吐いてるこいつに隠してたなんて、思わないよね。おいらだって今の今まで考えもしなかったよ。…でも、あんたは一つだけ、間違えたんだ」

 たった一度だけ、と語った。

 「あの爆発大好きおっちゃんが、金剛石(ディアマント)を投げて来た時だよ」

 「何…だと…?」

 「あのおっちゃんも『威力が予想外だった』って言ってたけど、あんたにも予想外だったんだろ?だから、(こいつ)を近づけ過ぎて、爆発に巻きこまれた」

 翼が傷つき、ふらふらとしか飛び上がれずにいるのをブレットは目撃していた。

 「で、あのおっちゃんがもう一つ金剛石を取り出して。これも予想してなかったあんたは、次に巻きこまれたらほんとにやばいって思った。飛んで逃げるのも怪我してて間に合いそうになかったし。…だから、とっさに爆発そのものを止めちゃった」

 それが、たった一度の間違いだったと幼い顔で説明した。

 「あれがなきゃ、絶対気がつかなかったよ」

 「こ、この、この」

 魔術師ゲンドリルにとってこの子どもは、夜鴉の口を借りて鎧武者をいたぶるための材料に過ぎなかった。攻撃魔術の対象にも値しない、取るに足りぬ存在。

 それが、よりによって自分が考え抜いた命の隠し場所を見抜いた。思考の上を行った。―あまつさえ、「間違った」などとほざく。

 「この」

 闇雲な怒りに駆られて、杖の先に火球が膨れ上がった。

 「ゴミが!」

 憎悪のままに、ブレットに向かって業火の魔術を放とうとした。

 「―っ!」

 左腕を支えにして上半身を起こした鎧武者が、大剣を投擲。放たれる寸前の火球に突き刺さった。

 冷静に組み上げた魔術ならば、剣が突き立てられたぐらいでは失敗しなかったかもしれない。しかし、完全に冷静さを失っていた魔術師が生み出した火球はそれだけで暴発していた。

 「ぎゃあっ!」

 至近距離から炎と剣の欠片が降り注ぎ、魔術師ゲンドリルは思わずよろけた。その隙をつき、床すれすれを滑空して来たグラツィエが左手から「思いの結晶」のペンダントを引っさらって行った。

 「―今!」

 アスセーナが踏みこむ。

 「わたしの大切なみんなを!誰も、死なせない!」

 真紅の長剣が、今度こそ魔術師ゲンドリルの身体を貫き、戻っていた命を絶ち切っていた。ローブに包まれた身体が、倒れ伏した。同時に、アレクサンデルの身体もまた、糸の切れた人形のように倒れ動かなくなった。


 静寂が、玉座の間に満ちた。

 「終わった、の?これで」

 「…」

 剣を投擲した後また倒れていた鎧武者が、起き上がった。左足を引きずりながら、立ち尽くすアスセーナのもとに歩み寄って来た。その肩に、グラツィエが舞い降りた。

 「…」

 彼は大鷲の脚に引っかかっている革ひもを外し、少女にペンダントを差し出した。

 「あ、ありが、とう」

 首にかけ直して。改めて、思いをこめて鎧武者を見上げた。

 「来てくれたんだね。ありがとう、助かったよ。来てくれるんじゃないかって、どっかで思ってた」

 それ以上は、胸が詰まって言えなかったけど。思いは溢れていた。

 (やっと、わかったんだ。わたしは、あなたと、一緒にいたいんだって)

 ここまで来て、ようやく気づいた自分の思いだった。うまく言葉にできなかったが、きっと彼にも伝わっている、そう思えた。

 どちらからともなくもう一歩近づき、抱きしめ合おうとしたその時。

 ”おのれ…”

 呪詛にまみれた思念が、響いた。

 倒れたローブ姿の上に、魔術師ゲンドリルの幻影が浮かび上がり、幻の杖を掲げていた。

 ”貴様の願いを叶えるために、契約を交わし”

 憎悪の視線が、まっすぐに―鎧武者を、捉えていた。

 ”魂を身体から引き離し、物品(アイテム)に宿してやり”

 杖の先がぴたりと、凍りつく全身鎧に突きつけられた。

 ”好き勝手に振る舞わせてやったものを!恩を仇で返しおって!絶望させることは叶わなかったが、契約はいまだ有効!”

 宣言が、なされた。鎧武者が、稲妻に打たれたかのように震える。

 ”只では死なん!貴様の魂も、連れて行く…!”

 「…っ!」

 鎧武者の身体が、()()()

 輪郭がぼやけ、薄れ。向こうの光景が、見えた。

 光の粒子と化して散るのとは違う。その存在自体が、この地上から消え、奪い去られようとしている。それが、感じられた。

 「鎧武者さん!」

 悲鳴を上げるアスセーナに、彼は薄れながら右の手甲を差し伸べた。

 「な…」

 はじめて、アスセーナは。

 「かない…」

 彼が、言葉を発するのを、聞いた。

 「で…くれ」

 泣かないでくれ。

 この期に及んでも、彼は彼自身のことではなく、自分―アスセーナを、案じて。

 「いやあ!」

 泣き叫ぶ少女の胸元で、「思いの結晶」が、砕け散っていた。

 「ここにいて!わたしの、側にいてよ!どこにも、どこにも、行かないで…!」


 (それが、あんたの。いえ、あなたの願いごとね?)

 (母さん…?)

 別れた時には幼かったが、今は成長した娘に問いかけた。

 (後悔、しない?)

 (…多分、いっぱいすると思う)

 娘はしゅんとして答える。

 (でも、こう願わなかったら。わたしは、もっともっと後悔すると思うの。だから、お願い!)

 (いいのよ)

 母の声が、遠ざかって行った。

 (選んだのね、あなたは。…幸せにね)


 ―母との「会話」は、実際には刹那のことだったらしい。

 「ここにいて!一緒にいてよ!お願い!」

 自分は叫び続けていて。砕け散った「思いの結晶」の欠片が、広がって全身鎧を包みこんでいた。

 ”馬鹿な!契約の効力が、断ち切られる…!”

 「お願いだよ…!」

 アスセーナの願う力が、闇との契約の効力を上回っていた。

 ”馬鹿…な…”

 魔術師ゲンドリルの幻影が、薄れ、消えて行った。身体も崩れ、塵と化していった。

 それにつれて、ぶれていた鎧武者の身体が実体を取り戻していった。輪郭がはっきりと定まり、硬さを回復させ、元の姿に戻った。

 「…」

 彼は、差し伸べたまま消えそうだった手甲を改めて伸ばし、アスセーナの頬にそっと触れた。

 「…うん」

 涙ぐんで手甲を両手で包みこむ少女。

 と、その手甲が、全身鎧が散った。

 「あなた!?」

 「兄ちゃん!」

 アスセーナも、後ろのブレットも悲鳴を上げたが。先程の「ぶれ」ではなく、今まで何度も見たように光の粒子と化したのだった。

 粒子は渦巻き、定まった形を取る。近衛の、メダルに。

 「身体から引き離した魂を、物品に…移し」

 魂の宿ったメダルは、何の支えもなく空中に浮かんでいた。

 メダルが、空中を移動する。―魂のない、抜け殻の身体のもとに。

 「そ…んな…!」

 最後の奇跡が、はじまろうとしていた。


 倒れていた身体から、浅黒い、力強い手がすっと伸びてメダルを掴んだ。自らの胸に押し当てる。同時にゲンドリルに突き立てた真紅の長剣がほどけ、同じ身体に吸いこまれていった。

 「あ、ああ」

 青年が、身体を起こし―動けずにいる二人の方に顔を向けた。

 うつろだった、何もなかった瞳に、ゆっくりと意思の光が戻って行く。

 今、その双眸は輝きを取り戻していた。強く直な意志と、今見つめている二人への、溢れる思いとで。彼はよろけつつも立ち上がり、歩みながら言葉を発した。

 「ア…スセ…ーナ」

 ―知らないはずの、名だった。彼がずっと”氷”の中にいたなら、知らないはずの名前。

 「ずっと…きみを…みていた」

 ぎこちない口調だったが、仕方ない。彼が、自らの口で話すのは実に半年ぶりなのだから。

 「ずっと、君の、側にいた」

 近衛のメダルに、魂を宿して。

 「何も、伝えられなくて…済まなかった」

 必死でそう言いながら、アレクサンデル・フォン・カイネブルクは少女のもとに歩み寄り、本来の腕で抱きしめた。

 「君が、好きだ。愛している。君の気持ちも、わかっている…つもりだ。苦しめて、泣かせてしまって、済まなかった」

 ずっと伝えることのできなかった思いを伝えようと、訥々と語っていた。

 「あ、あな…た」

 あまりのことに頭真っ白で動くこともできなかったアスセーナは、叫んでいた。

 「()()()だったの!?ずっと、わたしたちの側にいて、守って、助けてくれていたのは!」

 ずっと、無言のまま…優しさと、思いやりと、愛情を注いでいてくれたのは。

 「私、だ」

 アレクサンデルは、やっと本当の思いを伝えられる喜びに、酔っていた。

 「私、だったんだ」

 ついに、見つめ合うべき瞳で見つめ合い、重ね合わせるべき唇を重ねることができた。


 「う、うう、うう」

 唇を離すと、少女の目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。

 「す、済まない。口づけしていいか、聞いていなかった」

 彼女の意思を無視して先走ってしまった、そう気づいた彼はあわてて謝った。

 「ち、違うの!怒ってるんじゃなくて!」

 ただ、あまりにも突然で、意外で、どうしていいかわからないだけ。

 「でも、でもどうして、何も教えてくれなかったの!?知っていれば、知っていればわたしだって!」

 「…それが、交わした契約の条件だったからだ。旅立ったアスセーナ、君を守りたいと言う願いを叶えるための」

 肩を落としてアレクサンデルは答えた。その落とした肩にグラツィエが舞い降り、身体を擦りつけて慰めようとしている。

 「魔術師の奴が言ってた、契約、の」

 「そうだ、ブレット。…”氷”に捕らわれ、何もできない私に奴は契約を申し出た。身体から魂を引き離し、このメダルに宿していざと言う時には戦いに適した姿を取ることを可能にする、君を守れるようにできると提案したんだ。もちろん、願いが叶えば―つまり君たちを守り切ってここに戻れば魂は奪われる条件で」

 「何で、そんな…契約を!あなたは!」

 「何もできずにいるのが、辛かったからだ」

 王族として、王室近衛隊の隊長としてカイネブルクの街を守る立場にありながら、むざむざと捕らわれてしまった自責の念があったと語った。

 (『貴方の、仮の身体での行動に一切の制限はしませんよ。何をされても構いません。ただ、一つだけ条件があります、殿下』)

 (『何だ。その、条件とは』)

 (『なに、些細なことです。…姿を変えた貴方が、貴方である―アレクサンデル・フォン・カイネブルクその人であることを、あの娘御に知られないこと。名乗るのはもちろん、気取られるのも駄目です。彼女が気づいた時点で契約終了と見なし、貴方の魂は奪わせていただきます。これがたった一つつけさせてもらう不利な条件ですがね。如何いたします?』)

 「その時には、何故奴がこんな条件をつけるのか、わかっていなかった。…でも、君とともに旅をして、すぐに気づいた。自分がどんなに愚かだったかを」

 異形の全身鎧となった自分、真相を口走るのを恐れて一言も喋らない自分に「その鎧の中には、優しさが詰まっているんだね」と笑いかける少女。しかも、彼女は自分の真の姿である「アレクサンデル」を一途に恋い慕い、助け出そうと凛々しく、健気に、ひたすらがんばっている。

 「奴は読んでいたんだ。私が君を好きになることを。どうしようもない恋心が私を葛藤させ、苦悩させ、じわじわと絶望に追いこんでいくことを」

 「か、かっとう」

 「…姉ちゃん」

 いやアスセーナ以上に信じがたい気分だったが、ブレットは思わずこの青年に口添えしていた。

 「そりゃ、つらいって、あれは…いろいろ」

 「…あ」

 「いろいろ」思い出して、アスセーナの頬にかーっと血が昇った。

 よりによって「アレクサンデル殿下」の姿を使って自分、アスセーナを崖に誘いこもうとしたのを間一髪引き止めたら泣かれ。 

 性懲りもなく「殿下」の姿に化けて自分を手にかけようとした魔術師をぶった斬ったら怒ってつかみかかられ。

 自分が毒に侵され死にかけていたのを必死で解毒、感極まって抱きしめていたら意識を取り戻したところで「何で殿下じゃないの」と突き飛ばされた、鎧武者…()が。

 (本当は、私…なんだ)

 ずっと、ほろ苦くそう思っていたとしたら。

 (君の恋い慕う『アレクサンデル殿下』は、本当は()なんだよ)

 …それは葛藤の一つもするだろう。

 「わ、わたし、わたし」

 泣き、わめき、愚痴を言い。素のままの自分をさらしまくっていたと気づいていたたまれなくなり、アスセーナは腕の中でじたばた暴れた。

 「わたし、あなたに…何てことを!あ、穴があったら入りたいーっ!」

 逃げ出そうと本気で暴れたが、アレクサンデルはしっかり捕まえて離さなかった。

 「君は悪くない。反省する必要なんてないんだ。責められるべきなのは私の方なんだから」

 「でも、でも!」

 「だから、暴れないでくれ。君は力があるし、私は今、生身なんだ。結構、痛い」

 「ご、ごめんなさい!」

 「痛いんなら離せばいーじゃん」

 「『姉ちゃんは、ほんとに好きな人に会ったら近くに寄れないよ』って言ったのは君だろ、ブレット。だから、逃げられる前に捕まえたんだ」

 ちゃんと覚えていたよ?と、アレクサンデルは子どもに笑いかけた。

 「た、確かに言ったよ、おいら。…鎧の兄ちゃんに」

 やはり、この美しい青年は―と、ブレットは段々納得していった。

 「奴は、その鴉の口を借りて、じわじわと私を絶望へと追いこんでいった。私は君を苦しめ、泣かせることしかできないと」

 全身鎧の姿で「殿下に会いたい」と泣く少女を抱きしめても、どうにもならない。真実を告げれば、それで終わり。真実を隠して「好きだ」と打ち明けても、どうにもならない。この旅が終われば、鎧武者としての自分も消えるしかないのだから。

 「奴の吐く毒が、じわじわと私を蝕んでいった。…一時は、奴の言う通りだと思ってしまっていたよ。君の健気な、一途な願いを―私が、最初から踏みにじっていたと気づいた時には、特に」

 「踏みにじった…?」

 「あ!」

 ブレットが先に気づいた。

 (『殿下が、元気に、幸せに…生きていてくれれば、それでいいんだから!』)

 「その願いすら、私は叶えることができないのだから」

 「そんな風に言わないで!」

 「しかし、事実だったから」

 必死で旅をして、戻った先に待っているのは。―魂を奪われた、アレクサンデルの遺体。

 (―私には!こんな健気な願いすら!叶えることが、できないのか…!)

 それが、あの時の。無音の絶叫の、意味だった。

 「でも、他ならぬ君たちが、私を絶望から救い出してくれた」

 悲嘆と自責の念で絶望しかけ、自暴自棄になりかけた彼を、引き戻してくれた。

 そして、グレゴリウス師が魔術師の真の目論見について教えてくれた、時に。

 「泣きじゃくる君を抱き留めていた時に決めたんだ。…絶望など、するものかと」

 あの時、背に回された手は―ぐっと、握られていた。

 「たとえ私の魂は奪われようとも、君たちが生きていくこの世界に危機をもたらすきっかけにはなるまいと誓った。運命から逃げず、立ち向かおうと。カイネブルクの街に入る君たちと一緒に行けなかったのは、奴の言葉を完全には信用できず、鎧武者としての身体を操られるのを危惧したからだ。無防備な君たちにいきなり斬りかかるのだけは避けたかった。…しかし、さすがにグラツィエとともにここに飛びこんだ時には、なかったはずの肝が冷えたよ。まさか、抜け殻の私の身体を使って君を屠ろうとしていたとは」

 「生け贄、ってあいつ言ってたよね」

 魔術師が弟子たちにアスセーナを狙わせたのは、旅を阻止したかったのではなく。―苦難をともに乗り越える中で、彼女と鎧武者(の姿となっているアレクサンデル)との絆を強め、彼にとって彼女をかけがえのない存在とするため。恋心を煽れるだけ煽っておき、最後にその愛する人を屠る。どんなに決意が固くとも、絶望せずにはいられなかっただろう。それが、「生け贄」と表現していた罠だった。

 「だから、戦ったの?自分自身と!」

 「何せ自分だ、腕はわかっている。全力で立ち向かわなかったら一瞬で斬られる。まあ、斬っても斬られても死ぬのは()なんだが」

 恐怖に涙ぐむアスセーナの髪を撫でて、苦笑した。

 「何も伝えられなくて、済まなかった。でも、君たちは最後まで屈さずにがんばり抜いてくれた。ブレット、奴を倒せたのは君のおかげだ。そして、アスセーナ。最後の最後に君が私を地上に繋ぎ止めてくれた。ありがとう。こんな、考えなしの、人を苦しめることしかできない私のために」

 「…そんなこと、ないよ!」

 アスセーナは泣いて反論した。

 「あなたが、鎧武者さんの姿で守ってくれてなかったら!絶対戻って来られなかったもの!」

 「し、しかし」

 「自分を責める必要ないよ」

 ブレットもうなずいた。

 「さっき、あいつさ。剣を向けられて、隠してたけどすごく焦ってた。すごく意外だったんだよ。うまく言えないけど、契約するのだって、きっと必要だったんだ。みんなでがんばって、何とかなったんだよ。自分を責める必要ないよ兄ちゃん。…あ、『殿下』、なのか」

 「いいんだよ、ブレット」

 笑って、彼は子どもを手招きした。

 「もう、『鎧の』ではないけれど。前の通り『兄ちゃん』と呼んでくれ。ブレット…私の、小さな親友。末っ子の私にできた、大事な、大事な弟」

 「兄…ちゃ…ん」

 幼い顔が、くしゃくしゃになった。抱き合ったままの二人に駆け寄り、飛びついた。

 「兄ちゃん!姉ちゃん…っ!」

 そこに、明るい光が差しこんで来た。

 「街を覆っていた”氷”が、消えたのか…?」

 「チイ!」

 真っ白なふわもこが、まっしぐらに駆け寄って来た。三人の身体を駆け上がり、チイチイ鳴いて何かを訴えている。「がんばったよ、ほめて」とでも言うように。

 そして―ふわもこが駆け上がった時、びくっと身体を強張らせる約一名。

 「…兄ちゃん」

 ブレットがあきれた声を出した。

 「あんなにがんばったのに、まだふわもこが怖いの?」

 「あ、いや、その」

 アレクサンデルは必死になってマナに指を近づけ、ご機嫌を取ろうと努力していた。

 「君のおかげで克服できたと思ったんだが。不意を衝かれると、まだ、ちょっと」

 困惑している、その姿が。アスセーナの中で、二重写しに見えた。

 (…あなたは。…ずっと、ずっと、側に)

 一緒に旅して、たくさんの思いを、愛を注いでくれた全身鎧の姿が、青年に重なって見えていた。

 (そして…わたし、も!)

 彼女の中で、ずっと抑えこんでいた思いが溢れていた。

 (ずっと、()()()を!)

 「…あ、あの」

 「何だい?」

 声をかけると、アレクサンデルは少女に振り向く。その唇に、アスセーナは伸び上がって口づけた。

 「あ、え、その」

 何が何だかわからない青年に、彼女は囁いた。

 「大好き。ずっと、大好き」

 以前も、今も、これからも、ずっと。

 「…うん」

 微笑んで、彼はもう一度口づけた。

 「わかっていると思うが…私も、だ」

 「マナ、じゃましちゃ駄目だって」

 チイチイ鳴いて二人の間に割りこもうとするマナを引きはがして、ブレットはやっと思いを通わせることのできた、まことの恋人たちを見上げていた。

 と―周囲の”氷”の柱が、次々と砕け散って行った。また、人々の胸の上の「思いの結晶」がほどけ、身体の中に戻って行った。みんな、夢から覚めたかのように首を振り、呆然としていた。

 「―これは」

 玉座から腰を浮かせた、国王ゲオルクⅢ世が壇上から声を発した。

 「何が起こった?どうなっている…?アレクよ、その二人は」

 彼らの認識では、魔術師が出現したと思えば消えており、少女と子どもがいきなり現れた―となっていた。

 「ご説明、いたしましょう」

 アレクサンデルは朗々と声を張った。

 「何が起きたのか、ご説明しましょう」


 …その後も「色々」あったのだが、まあ一週間後に話を進めて。

 「アレク隊長。別に貴方が、アスセーナ殿のお父上を迎えに行く必要はないと思いますがね?」

 早朝、一行を見送るカレルが笑みを含んだ口調で言った。

 「いや、これはまあ、ほとぼりを冷ますためでもあるんだ」

 部下でもあり友人でもある彼の言葉に、アレクサンデルも笑顔で答えた。

 「私が王族の籍を離れると申し出て、父上も兄上も了承してはくれたんだが。やはり色々言って来る者も多くてな。しばらくカイネブルクの街を離れていた方がいいんだ。その間にエルナン殿に会いに行ってご報告と、結婚式への列席をお願いしようと」

 「まあ、アスセーナ殿の方も『色々』ありましたしね。結婚を誓い合われた後も」

 「え、えと」

 アレクサンデルに寄り添うアスセーナが赤面した。

 「おねーさんたちがみんなして挑戦状、招待状の振りしてたけど挑戦状叩きつけて来たもんねー」

 さらに横にいるブレットが補足した。

 「姉ちゃん立ち向かって、見事に乗り越えてみせたけどさっ」

 「う、うん。みんなにわかってもらって、祝福は無理でも納得はしてほしくて」

 なかなかに大変だったのであった。

 「まだ、もやもやは皆の心にあるからな。感情が落ち着くまでは、私たちがここを離れていた方がいいんだ」

 「わかりました。―ご無事でお戻りを、隊長」

 「いや、王室近衛隊も辞めるつもりなんだがな」

 「何でも公爵位を新設されて、緑山地を領地とされるそうですな。『グリューネベルク公』と呼ばれるようになると」

 「兄上がどうしてもと聞かなくてな。でも、名ばかりにする予定だ。国の収入が減ってしまう」

 これも、なかなかに大変な問題だった。しかし、乗り越えられる問題だ。

 「では、行って来る。行こう、アスセーナ、ブレット」

 「ええ」

 「うん!」

 三人は、緑山地への街道に踏み出した。

 「十日もあれば往復できるかな。秋の長雨が近いから、早く戻らないと」

 「そうね。ああ、でも嬉しい。アレク…殿下。あなたと、こうして言葉を交わせるのが」

 アスセーナは愛する人の肩に頭を寄せた。

 「でも、何か変な感じで。…あこがれの人をあきらめて、いつも側にいる優しい人を選んだみたいなのに、わたし」

 その「あこがれの人」と「いつも側にいる人」が同一人物だったと言う謎の状況だった。

 「私は、嬉しいよ」

 恋人の髪を撫でて、アレクサンデルは幸せを嚙みしめていた。

 「姿かたちより、私の心根を見て選んでくれたと言うことだから。おかげで私は真の願い、『生きたい』という願いを叶えることができた。愛する人のために命を使い尽くすのではなく、ともに生きることができるようになったんだ。アスセーナ、君と、ともに」

 「…うん」

 これからも「いろいろ」あるだろうが、きっと乗り越えられる。今までのことからそう確信できる三人は、歩みを進めて行った。


                                           END

































































































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