「片思い」ファンタジー
第一章 はじめての、すべて
「―はっ!」
ポニーテールの金髪が揺れ、アスセーナは小剣を手に後ろへ跳んだ。
一瞬後に、彼女のいたその場所を巨大な腕がぶうんと通り抜けて行った。身の丈ゆうに二メートルはあろうかという熊に、十七歳の少女が一人で立ち向かっていたのだ。
「一対一じゃ、きついけど。いきなり出くわしちゃったしなあ」
そう呟きつつ小剣を構える。弓矢も背負っているが、何せ森の中で距離一メートルぐらいで鉢合わせしてしまったので、準備する余裕がなかった。とっさに抜いた小剣で立ち向かうしかない。少女は鳶色の目を細めた。
「何とか、しないと」
彼女の剣は刃渡りが三十センチほど。短剣と表現するべきサイズであった。いかに手に馴染んでいると言っても、自分の腕力だけでは分厚い毛皮を貫いてダメージは与えられない、と素早く頭の中で計算した。
「だと、したら!」
決断して―少女は、地面を蹴って右へ跳躍した。大木が、ある。
「でぇい!」
気合を入れて。大木の幹を蹴りつけ、文字通り駆け上がった。
「はっ!」
さらに幹を蹴って、上へ。巨体の頭上を舞い、小剣の切っ先を下にして―自由落下の勢いを利用して、熊の脳天に深々と突き立てた。
「ウガ…っ」
熊は、とても信じられないといった表情を一瞬見せて一声唸り、地響きを立てて倒れた。
「ふう。一人じゃ、運べないなあ」
汗を拭って呟くと背後から拍手が聞こえ、少女は飛び上がった。
「父さん!?」
「いや参った。まさか、たった一人で倒すとは」
この山の主だったんだがな、と父親は苦笑した。
「見てたんなら、助太刀してよ」
「いやあ、下手に声をかけると向こうに不意を打たれそうでな」
気が抜けても困るし、と父であり狩りや剣技の師匠でもある彼は近づいて来て熊を覗きこんだ。
「解体して運ばんとな。毛皮と、あと胆嚢が異国では薬だと聞いたが」
そう呟いてから、ひょいと娘を見やって彼は問いかけた。
「どうだアスセーナ。近いうちに一度、山を降りてみないか?」
「え!?い、いいの?」
少女はぱっと顔を輝かせ、でも何で今、と言う顔になる。
「まあ、お前が一人前になったら、とは考えていたんだ。今の腕前を見たら、そろそろかなと。もう『大人』だしな」
この地では、十七歳で成人と見なされるのが普通であった。
「やった!ありがとう父さん、嬉しい」
躍り上がって喜ぶ娘に、父は優しい目を向けた。
「ただ、俺はついて行かんぞ。それでいいなら」
「大丈夫!じゃ、解体用の斧取って来るから」
じっとしていられないらしい。軽い足取りで自宅の小屋に走っていく娘を見やって、父は一人ごちた。
「なあヤスミナ、うちの娘は大きくなったぞ。財産も何も残してはやれないから、せめて狩人として、武人としては一人前に育てようとは思って鍛えてきたが…もう、大丈夫だ。どこででも生きていけるぞ、うちの娘は」
…まあ、一人で熊を倒せるまでに強くなるとは思っていなかったがなー、と思う父であった。
父娘が住むこの国、カイネブルク王国は大陸に割拠する小国の一つである。国土面積自体はそれなりなのだが、その大部分が山林で農作物を産するのが首都であるカイネブルク近郊のみであるために人口が少なく、国力は近隣諸国と拮抗していた。二十数年前には些細なきっかけで諸国が戦乱に突入してしまい、しばらく揉めていたが講和が結ばれて二十年、平和を保つ努力が続けられ、王族同士の婚姻などで友好関係が造られていた。
ちなみにカイネブルクの主産業は山地の鉱山からの金属類(ただし鉱山自体の管理は小人族がしている)、野の獣の毛皮などであり、つまり父娘も少しは貢献している(あの熊の毛皮も、数日前に仲買人が買って行った)。
アスセーナが山を降り、最初に向かったのも当然ながら国名と同じ名前の首都カイネブルクであった。この地の都市なので、城壁に囲まれて門では衛兵が出入りする人をチェックしている。と言っても平和が続いているので簡単なもので、名乗って出身地を明確にすれば問題なく通れた。
「えーと、アスセーナ・ヒメネスです。緑山地から来ました」
そう告げると衛兵は笑って通してくれた。ただ、「女の子が一人で良く来られたね」とは言っていたが。小剣は腰に吊っていたが、実用品とは思わなかったようだ。
「わあ…っ、人いっぱい」
生まれてこのかた山を離れたことがない。せいぜいふもとの村で買い出しをする程度だった。会うのは狩人仲間や仲買人、時折訪ねてくる父親の友人ぐらいで、アスセーナにとっては見るもの全てが珍しかった。おのぼりさん丸出しで街路を歩いて行くと。
「どけー!どけ、どけ、どきやがれー!」
そう叫びながら、こっち―城壁への門に続く方向に向かって、ものすごい勢いで走ってくる人がいる。
…けっこうがっちりして腕力もありそうだが、農夫とか鍛冶屋とかの労働をしている人には見えない。血相変えて走ってくるその右手には大ぶりの鉈、もう一方の手には何やらきらきらしたものを引っ掴んでいた。
「どけえええ!」
もう城壁近くでそんなに人もいないのに、その大男はどけどけと繰り返しながら走って来る。アスセーナの脇を駆け抜けようとしたところに。
「えい」
彼女は何となく、ひょいと革靴を履いた足を出していた。
「ぎゃあっ!」
大男はその足に見事に引っかかり、派手につんのめって通りの石畳に顔面を打ちつけた。
「この女!何しやがる!」
彼は当然がばっと起き上がって文句を言うが。
「あ、つい、何となく」
正直、何か…「このまま行かせていいのかな」と感じてしまったのだ。
「それに、おじさん?その、手に持ってるきらきらしたのって、おじさんの物なの?何か全然似合ってないけど」
見るからに黄金や宝石を多用した高価そうなアクセサリーで、ひげ面のむくつけき男性には全くそぐっていなかった。
「ぐ、ぐ…」
…世間知らずのおのぼりさんなので、ここで「実は妻への贈り物なんだ」とか何とか言ってごまかしていたら、あっさりほだされていたのだが。
「るせえ!」
そんなことわかるはずもなく。図星を突かれ、頭に血が昇った大男はアスセーナに掴みかかった。半ばは脅しだったのだろうが鉈を振り上げる。普通の女の子だったら怯えて動けなくなるかもしれなかったが。
しかし。
「何するの!?」
そう言いつつやはりひょいと、少女はその鉈の動きを見切って動き、あっさりかわした。
「こいつ!」
完全に逆上して男は二撃、三撃と鉈を振り下ろすが、アスセーナは最小限の動きでそれをかわして見せた。
「遅いよー、おじさん」
幼い頃から野生動物たちと文字通り真剣勝負をしてきた彼女には、男性の動きが止まって―までは見えないが、とにかく遅く見えていた。
「こ、この!一撃ぐらい当たらんか、こいつ!」
大男もさっさと見切りをつければいいのに、すっかり当初の目的を忘れてアスセーナを追いかけ回していた。
―と、そこへ。鋭い叫びを上げて、頭上から何かが男に襲い掛かってきた。
「ぎゃあ!痛い、痛てー!」
広げた翼が人の身長ぐらいある、大鷲だった。大男の頭を嘴で突っつき、振り払おうとする腕に爪を立てる。予想外の角度からの攻撃に、男は為す術もなく頭を抱えた。
そこへ、かっかっというリズミカルな蹄の音が近づいてきた。
「―通りの商店主が、『強盗に宝飾品を奪われた』と泣いていたが、お前のことか?」
顔を上げた二人に、略式の騎士鎧に身を包んだ人物が馬上から呼びかけてきた。身軽に鞍から降りてこちらに近づく。兜の面頬を下ろしているので表情は見えないが、落ちつきはらった口調で続けた。
「盗んだものを返せば見逃す、とは言えんがな。私もこの街の治安を預かる身だ、おとなしくすれば怪我はさせないとだけ言っておこう」
「この…!」
防具はつけているが、まだ武器を手にしていない騎士の姿に、今のうちならと考えたのか大男は鉈を手に突進する。
―一瞬。
おそらくこの男自身にも、何がどうなったのか全くわからなかっただろう。
(この人、強い…!)
しかしアスセーナには、騎士が見せた一瞬の動き―瞬時に騎士長剣を抜き放ち、鉈の刀身を払って返す剣の平で手の甲を打って鉈を手から取り落とさせ、最後に剣の切っ先をぴたりと男の喉元に突きつけた、一連の動作が「見えて」いた。
「な、何て…何て剣さばき!?」
一人で熊を倒したぐらいでいい気になっていられない、と肝に銘じる少女だった。
「う、ぐ…!」
武器もなく、急所に剣を擬されて脂汗を流す大男だったが。
「くそ!」
まだ騎士よりはくみし易しと見たか、くるっと向きを変えてアスセーナの方に突っこんできた。―が。
「はっ!」
今の騎士の剣技を見せられて、少女の闘志にも火がついていた。
軽いステップで突進をかわし、跳躍して。大男の脳天に、鞘ごと外した小剣の柄頭を全体重をかけて叩きつけた。
「ぐっ…!」
一声呻いて彼は白目をむく。
「…見事!」
騎士が思わず一言称賛した。
「―隊長!どうされました?強盗犯は」
そこに、やはり騎馬姿の数人が駆けつけてきた。
「この女性が捕らえてくれた。縛っておいて連行せよ。あとで私が尋問する」
命令し慣れている口調で指示する。
(やっぱり、名のある武人なんだ)
あの騎士も、他の騎馬姿の人たちもこの都市の(王国のも同じだが)紋章をつけているし、王国関係の武人なのだろうとアスセーナは思った。
その騎士の肩に、先程の大鷲が舞い降りた。
「よくあの男を見つけてくれた。ありがとうグラツィエ」
彼が大鷲の頭をかいてやると、鷲は頭を兜に擦りつけて甘えていた。
「―いや、驚いた。大した腕前だね、君は」
グラツィエを肩に止めたまま、騎士はアスセーナの方を向いてそう声をかけた。
「あ、いえ、その」
照れまくる少女に、騎士は兜を脱いで額の汗を拭い、微笑みかけた。略式とは言え鎧をつけてのあの動きでは、さすがに汗もかいたのだろう。
「…!」
現れたその容貌に、アスセーナは息を吞んだ。
(何て…何て、きれいな人!)
年齢は二十歳ぐらいか。漆黒の巻き毛が頭を覆い、浅黒い肌は異国風の印象を与えていた。顔立ちは完璧と言っていいほどに整っていて冷たくすら感じさせるが、笑うと途端にその美貌が少年ぽく、親しみやすくなる。今まさに成長の極みに達しようとする、若々しい美しさと言うべきか。
黒曜石のような双眸に見つめられて、頬にかーっと血が昇った。
「本当に見事なものだったよ。うちの近衛隊にスカウトしたいぐらいだ」
少女の反応に気づいているのかいないのか、さらに言葉を続けた。
「え…でも、女性は入れないんじゃ」
心臓がばくばく言っているのを押さえて何とか答えた。
「王族や貴族の女性方を護衛するには、男性だけだとどうしても不備があってね。同性ならば何かと都合がいいとは考えていたんだ。君ほどの腕があれば、大歓迎だよ」
そう言いつつ彼は近づき、何かをアスセーナに手渡した。ぼうっと顔に見とれていたが反射的に受け取り、見つめる。
「これ…は?」
金属製の、手の中に入るぐらいの大きさのメダルだった。
「近衛隊の身分証と言ったところだな。…気が向いたら王宮近くの近衛隊詰所に来てくれ。それを見せれば、通すように伝えておく」
そう言い置いて、青年は馬上に戻った。
「―と、いかん」
何かに気づいたように呟き、手綱を手にした。
「では、また会おう!」
アスセーナにそう声をかけ、駆け去って行った。
「近衛隊の、隊長さん…なんだ」
ぽーっと見送りながら、それは「名のある武人」と言っていいなあ、と思っていると。
「「「…下!殿下!お待ちになって~!」」」
そんな声と共に、何やら大勢の少女たちがどどどどどとこっちに走って来た。
「ああっ!今の今までこちらにいらしたのに!」
「また逃げられた~!」
「まだそんなに遠くには行かれてないはず!」
きょろきょろしながら言い交している。―何と言うか、敬語は使っているが獲物を追い詰める狩人同士の会話であった。
「―あの」
アスセーナは手近な少女に声をかけた。
「今、こちらにおられた方は、いったい」
たぶん、彼女たちが追いかけているのも同一人物だろうと感じた。
「きれいな方のことよね?」
その女の子はにこっと笑って答えてくれた。
「あの方は、アレクサンデル・フォン・カイネブルク殿下。この国の第三王子にして王室近衛隊の隊長よ」
「お、王族の方!?」
武人としての地位はあるだろうと思っていたが、王族とは考えていなかった。
「あたしたちはね、殿下の親衛隊を自称してるんだけど。殿下はあたしたちの気配を感じると逃げ出されてしまって。街中を巡回なさっている時に、何とかお話の一つもできないものかとみんなで網を張っているんだけどね」
それは逆効果ではなかろうか、と考えてしまうのはファン心理がわかってないからか。
「めげずに追っかけるわよ!」
「じゃ、!あなた、うちの親衛隊に入る気があるなら歓迎するわよ!」
再びどどどどど~と駆け去って行った。
「…アレクサンデル、殿下」
アスセーナはぽつんと呟いた。
「近衛隊の隊長ってだけでも、偉い方だけど。王族、なんて」
王太子などではないようだが。それでも遥か上の身分の人である。
「…っ」
無意識に先程のメダルをぎゅっと握りしめていたことに気づき、少女はあらためてそのメダルをつくづくと見た。
鈍色の全身鎧に身を包んだ騎馬武者が、剣を掲げている図柄が刻まれていた。
「雲の上の…人だよ、わかってるよねわたし」
一人、呟く。
(『それを見せれば、通すように伝えておくよ』)
そう言った時の彼の微笑みを思い出し、また胸がぎゅっとなった。
「このメダルを持って行けば、また…会える」
もう一度、会いたい。その思いが、湧き上がった。
「で、でも」
もしその詰所に行って、うまく行けば近衛隊に入れて―で、どうなると言うのか。どう考えても平隊員にしかなれないだろうし、隊長である彼と親しくなれるとは思えない。いや、なまじすぐ近くにいる分辛くなるかも知れなかった。そう考えてしまうと、「来るように言われたから」と浮かれて近衛隊詰所に行くのはためらわれた。
「何日かこの街に泊って、ゆっくり考えよう」
父は「いつでも帰ってきていいが、どこかに落ちつくならそれでもいい」と言ってくれた(遠距離通信の手段がほぼないので、便りがしばらくなくてもおかしいとは思われない。親は送り出す以上ある程度の覚悟はしている)。
そう考え、メダルを懐にしまいこんでからとりあえずの宿を探した。
「女の子の一人旅かい?いくら何でも物騒だろうに」
見つけた宿の主人夫婦は、そう言って迎えてくれた。…やっぱり腰の小剣は飾りとしか見ていない。
二階の客室に(女性は個室が使える。多少割高だが)荷物を置いて、一階で忙しく夕飯の支度をする夫婦といろいろ話をした。
「あの、王室近衛隊って」
「ああ、王家や貴族を守るのが本来の仕事だけどね。小さい国で人手が足りないんで、ここでは近衛隊が街の治安も守っているんだ」
「だから街中を巡回しているのをよく見るねえ」
さすが客商売、話好きの二人は聞かれた以上のことを話してくれた。
「隊長の方は、第三王子でもあられると聞きましたが」
「アレクサンデル殿下ね。若いのに大層な剣の達人で、しかも王妃さまにそっくりの美男子でねえ」
「そ、そう言えば、父さんが」
現国王がまだ王太子だった頃、遥か南方の地から交易に来ていた大商人の美貌で知られた息女と恋に落ち、他国の姫を迎えろとの圧力をはねのけてその女性を王妃として迎えたので、彼女にあこがれていた国中の男たちが泣いたと言う話を聞いたような。
(じゃあ、あの異国風の肌の感じは王妃さま譲りなんだ)
「見たのかい、殿下を?もう街中の女の子が夢中でね。あたしだってあと三十年若かったらねえ」
「よせやい。三十年前だって、あの殿下と釣り合うタマじゃなかったぞ、お前は」
「そのあたしと結婚したのは誰だったんだい」
賑やかに口げんかをする二人を微笑ましく見つつ、湯気の立つ鍋からシチューが皿によそわれるのを待っていた。
が、不意に―全てが、凍りついた。
時間は少しさかのぼる。夕刻、アレクサンデル隊長は近衛隊詰所に戻った。馬を馬丁に預け、隊員たちに声をかけてから隊長の居室へ。
「隊長、陛下と王太子殿下が、今宵の晩餐を共にせよとの仰せです」
「そうか」
副隊長に言上され、彼はちょっと複雑な表情になった。
(この方も立場が微妙だからなあ)
第三王子で、第一王子がすでに立太子式も済ませているのだから王位争いの心配はないはずなのだが、剣の腕も容姿も人並み外れたレベルになってしまった彼の国民人気は極めて高く、本人にそのつもりがなくても王太子との関係は微妙なものになってしまうのである(第二王子はすでに隣国に婿入りしている)。
「…いい機会だ。父上とマックス兄上に言上しようと思う」
「あの話をですか」
「そうだ」
思い切って王族の籍を離れ、ただの家臣として仕えたいと言う申し出を、するつもりだった。
「その方が、何かとわずらわしくないからな」
「…認められますでしょうか」
王太子が、自分が強いたと思われるのを怖れて反対しそうであった(ちなみに、立場的には微妙だが兄弟仲は別に悪いわけではない)。
「まあ、申し出てみよう。もしかしたら揉めて国を離れることになるかもしれないが、その時は剣一本で世を渡るさ」
甘ちゃんのボンボンの発言のようだが、実際剣一本で世渡りができる実力があることは彼を知る誰もが認めていた。
「では、お支度を」
「ああ。…あと、近衛のメダルを持った少女が来たら通して、待ってもらうように門番に伝えてくれ」
「ほう」
目を丸くする副隊長に、先程の強盗の話をした。
「…成程。剣の腕が立つ娘だと」
「名前も聞いていないが、もう一度…会いたいんだ。帰ろうとしても、何とか私が戻るまで引き止めていてくれないか」
そう言って、身支度のために別室に向かうアレクサンデルを見送った副隊長は呟いた。
「珍しい。殿下が若い娘に興味を持たれるとは」
幼い頃から非常に愛らしかった彼を母親であるサミーラ王妃や女官たちがちやほやしまくるのを見た国王が、「このままでは軟弱な駄目王子になる」と物心もつかない頃から友人の剣士に預け、剣にかけては十九歳にして達人と呼ばれるまでになったが…女性の扱いについては全く熟達せずに宮廷に戻ったもので、貴族令嬢や街の女の子たちからの熱烈なアプローチから(文字通りの意味で)逃げ回っていたアレクサンデル殿下が。
「武芸の腕に気を惹かれるあたりが殿下らしいが、よい傾向なのだろうな」
その少女が訪ねてきたら、その辺を言い含めるかなどと、考えていた。
かくして、王宮の玉座の間に、礼服に身を包んだアレクサンデルは参内した。詰所は本当に王宮の隣なので距離は無きに等しいのだが、やはりここに入ると格式やら作法やらがあってなかなかに面倒だったりするので、彼は近衛隊隊長になってからはあまり参内していなかった。王族なので王宮内に寝所やその他彼専用の区画がちゃんと設けられているのだが、何だかんだと理由をつけて日頃は近衛隊詰所に泊まりこんでいる。
「おお、アレクか。よく来たな」
「さあ、ここへ」
声をかける父と兄(母は晩餐の準備中)に一礼して、彼は壇上の玉座に近づいて行った。
そこに―不意に、大気の中から滲み出るように現れた者がいた。
「何だ、お前は!?」
小国であっても、玉座の周囲は厳重に警備がなされている。胡乱な者が入りこめるはずもなかった。
だが、今この場に現れたのは濃い茶のローブで全身をすっぽりと覆った、男性とも女性ともつかない人物だった。杖を手に、ゆらりと立っている。
「何者だ?その姿からすると、魔術師か…如何なる者であっても、許可なくここに立ち入られては困るぞ」
しばらく呆然としていて、やっと我に返った国王が誰何するが。その、おそらく魔術師であろう人物はそちらを見もせずに、杖を赤絨毯の床に突いて一言、何か唱えた。
「「「…っ」」」
その瞬間―
国王も、王太子も、アレクサンデルも。
その周りの家臣たちも―全ての命あるものが、凍りついたように動きを止めた。
第二章 辛い、旅立ち
「!?」
近衛隊詰所の屋根に止まっていた大鷲が、異変に気づいて翼を広げ―すでに夕闇が迫っていて鳥目にはきつかったが、それでも全速力で上空に舞い上がった。
その下で、何かの「波動」が王宮から街へと広がっていった。
宿で、夕飯を待つアスセーナのまわりで。
「え…!?」
突然。
シチューをよそっていた女将さんも。
エールを運んでいた親父さんも。
夕飯を待っていた泊まり客も、吞みに来ていた街の人々も。
みんな、凍りついたように、動きを止めていた。
「ど…どうなってるの?」
その中で、自分―アスセーナだけが、動いて声を発していた。
「おじさん!おばさん!」
触れても、揺すっても。固くこわばり、何の反応もない。
「い、いやだ…っ」
恐怖に駆られ、少女は一人宿から飛び出した。
しかし。
「…!」
まだ夕暮れ、通りには人の姿もまだある、のに。
その全ての人が、やはり凍りついたように、動きを止めていた。
その、人々の足元から、何かがはい上がって来る。
「あ…ああっ!」
彼女が立ちすくんで見つめる前で。
人々が一人、また一人と地下から湧き上がった、透き通った結晶体―氷にも水晶にも見えた、そんな結晶の中に取りこまれていくのだ。氷の幕が全身を覆い、膨れ上がって、人一人を閉じこめた”氷”の柱となる。
捕らわれた人の顔には、激しい驚きと恐怖の表情が刻みこまれていた。
「い、いやだ、いやだ、嫌だ…!」
今まで、どんな獣と闘っても感じたことのない恐怖が彼女を襲う。
そして、立ちすくむ彼女の足元からも”氷”が湧き上がってきた。
「いやあ!」
悲鳴を上げる!と、突然胸元で光がはじけた。
「…!」
日光にも似た山吹色の光が、自分を包みこもうとした”氷”をはじき、砕いた。
「…この、ペンダントが光った、よね」
幼い頃、今は亡き母に貰った…そんなおぼろげな記憶がある、黄色い宝石がはめこまれたペンダントが輝き”氷”をはじいたのだ。理屈は全くわからないが、身につけていたおかげで助かったらしい。
「あ、ああ」
自分は無事だった―が、まわりの人々はことごとく”氷”の柱に閉じこめられていた。
一人ぼっち。
今、アスセーナはこの街で、一人ぼっちだった。
山の中で一人野営した時の孤独などとは比べものにならないほどの不安と孤独が、胸を締めつけた。
「だ、誰か」
誰か、他に人は、動ける人はと、少女は歩き出した。
「みんな…この街の人は、みんなこうなの?…殿下は?アレクサンデル殿下は…?」
他の人はいいのか、と言われそうだが。今アスセーナが一番気になるのは間違いなく一度しか会っていないその人物だった。―足は、ひとりでに王宮があるはずの方向に向かっていた。
しかし、王宮や市場広場、聖堂教会のあるあたりに近づけば近づくほど。
「やっぱり…っ」
繫華街にも近づく訳で。人通りも多かった。
その「人」が、全て”氷”に捕らわれている。それを見つつ進めば、恐怖も募って来た。
(怖いよう)
しんしんと迫ってくる孤独に耐えつつ歩いて行くと。…その先から、自分のものではない足音と―何か、杖を突いているような規則正しい物音が聞こえてきた。
「!」
自分の立てる音以外は無音の世界にいた少女に、一瞬安堵の思いが湧き上がったが。―足音は近づき、ついにその主が姿を現した。
「ほう、動ける者がいるとは」
どこか愉快そうに呟きつつ、近づいてくる人物は。
「あなたは、一体?ローブ姿…魔術師?」
濃い茶のローブをまとった人物が、杖を突いてこちらに歩いて来た。
魔術を使える者で、この状況の中でこうして動き回れる人物―と、なると。
「まさ、か」
声が震えた。
「あなた…が、こんなことを?みんなを、”氷”に、閉じこめたの…?」
短絡的かもしれないが、そう考えても仕方のない状況だろう。
「―そうだと言ったら、どうするかな?娘よ」
年齢を重ねて、より一層の力を感じさせる声音が響いた。
「―っ!」
抜く手も見せず、少女の小剣が鞘走った。
バネのように身体をしなわせて跳躍し、落下の勢いも利用した一撃をそのローブ姿に叩きこもうとする。
「…殿下と街の人たちを…元に戻して!」
ギィン!
しかし魔術師は一切の動揺を見せずに杖を掲げる。不可視の障壁が展開し、必殺の一撃をあっさりはじいた。
「くっ…!」
「『元に戻して』と頼んでいるようなことを言いながら、確実に殺そうとしたな、娘」
命を絶てば術が解けると思うたか、と嘲笑する魔術師にアスセーナは唇を嚙んだ。
「しかし、何故お主だけが我が”氷”に捕らえられぬのか」
フードの奥からまじまじと見ているらしい。息を吞む気配がした。
「お主!それは」
胸元のペンダントに、その視線は注がれていた。
「『思いの結晶』か―それを、持っていたか」
「…『思いの結晶』?」
「どうしてそれを、魔術に縁のない者が持っている」
そう聞かれても答える気にはならないが。魔術師は、追及する気はないようだった。
「まあよい。儂も、お主も、お互いに攻撃は通用しないらしいの」
「…くっ」
そうではないと言える情報を、彼女は持っていない。
「さてどうする?言っておくが、お主がずっとここにいて泣こうが喚こうが、この街にかかった”氷”の術は解けんぞ」
嘲笑いつつ続けた。
「その『思いの結晶』を身につけている限り、お主だけには儂の力は届かんが。他の者を救うことは絶対にできん。ここに留まる限りはな」
「ここを出て行け、ってこと?」
「そうだ。この街を救う方法があるとしても、少なくともこの街にはない。それは言っておこう」
「信じろと?」
「どうかな」
くつくつ笑っている。…体よく追い出す気なのかもしれないが。
「もう一つ言っておく。―半年だ。半年は、このままだ。半年の間に、救う方法を見い出して帰って来られれば、救えるかも知れんぞ」
「半年の…間に」
「信じるかどうかは、お主が考えよ」
「くっ」
掌の上で踊らされているのだろうが。
「わかったわ。戻って来て…必ず殿下を、街の人たちを助け出す!」
そう言い切り、アスセーナは魔術師に背を向けて歩き出した。
(殿下…殿下、必ず…!)
あても何もないが。それでも、ほんの少しでも可能性があるとしたら。
怖くてしょうがなかったが、アスセーナは宿に戻り、びくびくしながら主人夫婦たちの間を通り抜けて客室に行き、荷物を手にした。
もちろん、宿の中の人々もみんな、”氷”に閉じこめられている。
「ごめん、みんな。絶対、助けるから」
宿を出て、戸口にぺこんと頭を下げて街の外に向かった。
途中の人々も、城壁の門番二人もみんな”氷”の中にいた。
(たぶん…殿下、も)
確かめたい、その思いはあったが。「真実」を知るのは、あまりに怖かった。
街を出た。どこへ行けばいいのかも、わからずに。
しばらく歩いて、ゆるやかな起伏の底にあるカイネブルクの街を見下ろせる、低い丘の上に出た。
振り向いて、最後の一瞥を―と思った時、アスセーナははっとして懐を探った。
「メダルが…近衛のメダルが、ない!ここに入れといたのにっ」
懐も、その他入っていそうな場所は全部、荷物の底まで探ったがやっぱりない。
「そんな~っ!殿下に、アレクサンデル殿下にいただいた大事な大事なメダルなのに!落としちゃったの、わたし!?」
自分と彼とをつなぐ、たった一つの物品だったのに。
どこかで落としたのだろうか。落としたとしたら、恐怖に駆られて宿を飛び出した時か、それとも魔術師に斬りかかった時か。どっちにしても街の中だ。
「ああ、リボンか何かでどっかに結んでおくんだった!」
紐を通せるようになっていたのに、と思うが今更どうしようもなかった。
戻って捜したい、とは思ったが。
「駄目だよ。そんなの、わたしのわがままだよ」
ただ、あこがれの人にもらった物が惜しいだけで。誰のためにもならない行為だった。
あきらめて、少女は歩き出したが。胸の中に、隙間風が吹いているような寂しさを味わっていた。
静まり返った街を、歩き回った後に。
「この”氷”の魔術には」
かつん、かつんと杖の音を響かせながら、魔術師は王宮に戻って来ていた。
「人を”氷”の中に封じ、魔術の動力源となる『思いの結晶』を抽出する効果があるのですが」
独り言のように語りながら、玉座の間を歩んだ。
「もう一つ、効果がありましてな。本当にごく稀に存在する、我ら魔術に関わる者にとって得難い資質を持つ魂の持ち主をあぶり出すのです。そうした魂を我々は『黄金の魂』と呼び慣わします。―この街一つを”氷”に封じても、ただ一人しかおりませんでしたな」
”氷”の柱の一つに近づき、見上げた。
「”氷”に捕らわれながらも、自らの意識を保てる者―この街で、それが貴方とは」
凄絶な笑みで、その名を呼んだ。
「アレクサンデル・フォン・カイネブルク殿下」
”貴様…!”
他の”氷”の中の人々が、皆凍りついた表情なのに。
アレクサンデルの双眸だけが、生きていた。
はっきりとした意志を―激しい怒りの念をたぎらせて、魔術師を睨みつけていた。
”父上を、兄上を!皆を、元に戻せ!”
「この状況で、命令ですかな?これだから、王族と言う輩は」
”何故、こんなことを!この街に恨みでもあるのか!?”
「さあ、どうですかな」
くつくつと笑った。
”おのれ…おのれ、許さぬ!貴様、許さぬ…!”
思いはたぎっているのに。―指一本、動かせなかった。
(ふむ)
愉快そうにその姿を見ながら、魔術師は考えを巡らせた。
(これは、使える。使えるが、そうそう屈しはしない、か)
思い通りに仕立て上げるには、まだ一押しが必要か…と結論し、さも今思いついたかのように話題を変えた。
「そう言えば、この街の中で只一人、我が”氷”の術が通じぬ娘御がおりましたなあ。この術を解く手段を探すとか言って、旅立ちましたが。何やら『殿下』『殿下』と繰り返しておりましたが、貴方のことですかな?―これを、落として行きましたが」
そう言って、差し出したのは。―近衛の、メダルだった。
”…!”
”氷”の中の双眸が、大きく見開かれた。
「心当たりが、あるようですな?『殿下を…いえ、街の人たちを助けたい』と、申しておりましたぞ」
”では…あの、少女は”
瞳から、熱い涙があふれた。
”まだ、この街に来て間もない様子だったのに!街の人々と、ただ一度会っただけの私のために、旅立ったと…言うのか!?たった一人で!”
涙が、わずかに”氷”を溶かした。
”それなのに!私は、こんな所で!何もできずに、いると言うのか!”
彼を包む”氷”に一筋、ぴしりとひびが入った。
(―これは)
予想以上の反応に、内心驚きつつも。
「何もできずにこうしているのが、悔しゅうございますかな、殿下?」
そんな素振りは一切見せず、そう問いかけた。
”私は…このまま何もできずに、いたくない…!”
(これは、うまく誘導すれば、使えるぞ)
ほくそ笑みつつ、魔術師はこう切り出した。
「あの娘御を、助けたいと思っておられますかな、貴方は」
”何だと?”
瞳が、驚きで揺れている。
”なれるものなら、彼女の力になりたい―が、何故そんなことを聞く。彼女がこの術を解くことができたなら、貴様の目論見が失敗するだろうに”
「いや何、貴方があまりにお辛そうでしたので、そう言ったまでですがな」
”くっ…”
何か、思惑がある。そう考えざるを得ないが、真相を突き止めることは少なくとも今の彼には不可能だった。
”何を考えているか知らんが、貴様の思い通りになど、させるものか!”
そう決意し、叫ぶが。今の彼は全くの無力、他者の手の中でもがくことすらできない存在だった。
そんな青年を「利用」すべく、魔術師は企みを組み立てる。
「アレクサンデル殿下。…ここは一つ、契約を結びませぬか」
余裕の笑みを浮かべつつ、魔術師はそう口にした。
”契約、だと!?”
「そうですとも。貴方の願いを叶えるための、契約です」
”魔との契約…と言う、ことか”
「否定はしませんな」
”…っ”
”氷”の中の双眸に、ありありと逡巡の色が見える。
魔との契約―それは、この地の人々にとって絶対の禁忌だった。
「願いを、叶えて差し上げますよ?」
”その代償は、私の…魂か”
「そうなりますなあ」
魔なる存在―地獄にいると聞く悪魔や、すでにそうした悪魔と契約した魔術師と契約を結び、切なる願いを叶える代償として自らの魂を捧げる。…忌まれつつも、そうする者は確かにいる。いるが。
”私に、そうしろと言うのか!?”
迷っている。それを見て取り、魔術師はさらに言葉を重ねた。
「契約を交わさなければ、ずっと、この”氷”の中にいることになりますな。何も、できずに」
”それは…!”
「さあ。どう、なさいますかな?決めるのは、貴方です」
(『この術を解く手段は、少なくともこの街の中にはないぞ』)
そう言われ、街は出たが。どこへ行けばいいのか、何をすればいいのかさっぱりわからなかった。
ただ、自分が育った山の中には、「解く方法」はない気がして。
故郷に向かう道筋ではない方角の、街道をアスセーナは、とぼとぼと歩いていた。
「…おなかすいた…」
次の日の、夕暮れあたりにやっとそう思う。夕飯予定のシチューは当然食べられなかったし、呆然としたまま夜を徹して歩いて、また一日―食事を忘れるほどに、彼女の受けたショックは大きかった。
「野営の支度、しないと」
のろのろと準備にかかった。慣れているので、考えなくても身体は勝手に動いてくれた。
街道から少し引っこんだ空き地を均して、石で簡単なかまどを拵えた。火を熾していると、頭上から何かの気配が。
「!」
反射的に見上げると、巨大な鷲が舞い降りて来ていた。空き地のまわりの樹木、その下枝に止まる。―普通、こんなサイズの鳥はここまで下の枝に降りることはまずないのに。それに…見覚えが、あった。
「あなた…もしかして、グラツィエ?殿下が、アレクサンデル殿下が肩に止めていた、あの!?」
いや、アスセーナだって個々の鳥の見分けがつくとはとても言えないが。しかし、どう見ても同じ鷲のように見えて仕方がなかった。
今、大鷲は少女の方に頭を下げ「かいて」とでも言うように甘えた声を出している。
「こ、こうしてほしいの?」
頭をかきかきすると、グラツィエ(推定)は喜んで頭をこすりつけてきた。
「やっぱり、グラツィエなんだ。…殿下は?アレクサンデル殿下は…?」
そう尋ねても答えられる訳がないし。―考えてみれば。
「そう…よね。殿下がお世話できないから、ここに、いるのよね。あなた」
だとしたらやはり、彼は。そう考えて、ますます辛くなった。―と、枝を掴んでいる鷲の脚に、何かがくくりつけられているのが目に止まった。
「あれ!?これって、近衛のメダル?わたしがもらったのと、同じ」
「同じ」メダルだった。大きさもデザインも全く同じ―いや、当然だが。
「まさか…わたしが落としたの、じゃないよね?」
そんな馬鹿な、とは思うが。…見れば見るほど、自分が受け取ったのと「同じ」メダル、同一の物に見えてしょうがなかった。
「殿下に…殿下に、いただいた、わたしの…」
思わず手を伸ばしかけて。アスセーナはその手を引っこめ、首を振った。
「…ううん。これは、あなたが持ってて」
同一のメダルかどうかはともかく。…自分がこれを手にしてしまうと、何かひどく甘えてしまいそうで。何かと言うと握りしめて、誰かにすがりつくことばかり願ってしまいそうで、怖かったのだ。
「何か食べよう、グラツィエ。保存食しかないけど。干し肉でもいい?」
狩りでもしていて新鮮な肉があれば良かったが、そんな余裕はなかった。
そんな時に。
街道をこちらに向かっているらしい蹄の音が、近づいてきた。
「誰だろう…?」
人に会いたくはあったが、怖さもあってアスセーナが迷っていると。焚き火の光を見たのか旅人の方から馬を降りて空き地に近づいてきた。
「誰か、いるのか?」
現れたのは旅装に身を包んだ、金髪碧眼の若い男性だった。武装は最低限だが、無駄のない動きや鍛えられた身体つきから見るになかなかの武人のようだ。丈夫そうなマントの胸元につけられた紋章は、あの近衛隊の面々がつけていたものと同じだった。
今彼は、驚いた様子で枝に止まる大鷲を見つめている。
「グラツィエではないか!アレク隊長の…何故ここに?隊長はどうされたんだ!?」
「あ、あの」
アスセーナはびっくりして声を発した。
「殿下の…アレクサンデル殿下の、お知り合いですか?」
「いや、それはこっちが聞きたいんだが」
青年は人なつこい笑顔を浮かべた。―端正な顔立ちで、正直その前に絶世の美男子を見ていなかったら一目で恋していたかもしれない。
「まあまずは、お互いに名乗り合おうか」
「は、はい」
「私は、カレル・マイヤーと言う。王室近衛隊の隊員だ。隊長の命を受けて、隣国に婿入りなされたパウル殿下に会いに行っていたのさ」
仲のいい兄弟の間のお使いだな、と笑った。
「わたしは、その」
アスセーナも名乗った。で、今までのことをできる限り詳しく説明した。…と言っても、魔術師の思惑などわかりようがなかったし、世間知らずの少女の説明ではどうしてもわかりにくいのは否めない。
「…そんなことが、私の留守の間に」
しかし、カレルはそのもどかしい説明にじっと耳を傾け、うなずいてくれた。
「あの、疑ったり、しないんですか?」
絶対疑われたり、信じてもらえないと思っていたのに。
「まあ、全部噓ということも考えたがね」
カレルは真面目な顔でうなずいたが、すぐ破顔した。
「信じられると、感じたんだ。…一つは、ここにグラツィエがいることだね」
「え?」
「君は知らないようだが、グラツィエは滅多なことでは隊長の側を離れたりしないんだ。―それに、ほら」
彼が大鷲に指を近づけると。
「ええっ!?」
グラツィエは途端に羽毛を逆立て、指に嚙みつこうとした。
「隊長以外の者には、普通こうなんだ。雛の時から手ずから餌を与えていた隊長以外になついていない。近衛隊の私にすらだ。…だから、そのグラツィエが頭に触れさせている君は、アレク隊長にとって何らかの『特別』なのだろうと」
「え、そ、そんな」
照れまくる。
「それに、君の言ったことを聞いても信じていいと思う。もし私を騙そうとするなら、隊長が君に『近衛隊に来るように言った』などと言う訳がないんだ。アレク隊長のことをちゃんと知っていれば、ね」
「…は?」
訳がわからない。
「あの方は、実は…女性全般がどうにも苦手でね。なるべく近づくまいと日々努力されているんだ。それを知っていれば、もっと他に噓のつきようがあるのに、君はそう言わなかった」
だから信用できる、と笑いかけた。
「ありがとう、ございます」
一人でも話を聞いて信じてくれる人がいるのは、本当に心強かった。
「でも、どうすれば殿下を…街の人たちを助けられるのか、本当にわからなくて」
「そうだな。私も、どうすればいいのかさっぱりだ。魔術方面は知識もないし」
カレルは表情を引き締めた。
「私は今から引き返して、隣国のパウル殿下や、その他近隣諸国を訪ねて援助を要請するつもりだ。その中に、魔術の心得があって対処できる人がいればいいんだが」
「そう、ですか」
「で。頼めるなら、君にも行ってほしい所があるんだけどね」
「え?どこです、それは」
「この国の中ではあるんだが。南の、黒い森…わかるかな」
「はい。行ったことはないですけど」
この国の、南の大部分を占める大森林だった。太古から斧の入ったこともない大樹がうっそうと立ち並び、奥に入りこむ者も住んでいる者もほとんどいないと言う。特に、他では見ない魔獣の類が棲むと言われており、軽々しく立ち入れる場所ではなかった。
「その向こう側の、さらに荒野を越えて着くはずの雷神山脈、その一峰である火槍山近くに、この国最高の賢者と言われる方が住んでいるはずなんだ。知識も並外れているし、もちろん魔術のことにも詳しいと聞く。きっと助けて下さるはずだ。…ただ、『黒い森を抜けて行け』などとは、普通女の子に言えることじゃないんだが」
(だが、この少女ならば)
説明の中に、強盗犯を捕らえた話もあったが。それだけではなく、アスセーナの身のこなしなどからカレルは彼女の腕を見抜いていた。任せられると、感じていた。
「やらせてください」
アスセーナもきっぱりと答えた。
「本当は、私がそっちに行くべきなのだろうが」
「いえ、他の国にわたしが行っても、救援を頼んだりできないから」
お互いに、できることをすべきなのだ。
「済まない。『半年』と、その魔術師は言っていたそうだね。のんびりとはしていられない。手分けしないといけないんだ」
「わかります」
「頼まれてくれるかい。隊長の…アレク殿下の、ために」
少女の恋心に頼るなど、騎士としては控えるべきなのだろうが。
「任せてください。…殿下の、ために」
二人、うなずき合った。
「とりあえず、私も野営に混ぜてくれ。明日の朝、出発する」
「…え、えーと」
いくら腕が立っても、十七歳の女の子である。
「大丈夫、心配しなくていいから」
カレルは笑いかけた。
「もし君に変なことをして、後で隊長にばれたら…真っ二つだからね」
剣の腕ではとても敵わないからなあ、と笑った。
「そ、そんなことは、ないと」
そこまで思われているとは到底思えない。
「万が一ってことでね」
余計な心配はなし、と言いたいらしかった。
「あの…こんなこと聞くのは、いけないかもしれませんけど」
食事の用意をしつつ、アスセーナはもじもじしながらカレルに問いかけた。
「殿下には、もう、決まった方がおられるのでしょうか。他の国の姫君と婚約なさっているとか、ひそかに思われている方がいる、とか」
それが、ものすごく気になっていたのだ。
「いや?私の知る限り、いないな」
カレルは優しい目で少女を見た。
「さっきも少し話したが、あの方はね。外見からは想像もできないだろうけど、女性に対してやたらと奥手で、不器用な方なんだ」
「ぶ、ぶきよう」
確かに想像できない。…さぞかし女性たちにちやほやされているのだろうと思っていた。
「幼い頃から女性に囲まれて育っていれば、自然に扱いにも長じたのだろうけどね」
「違うんですか?」
「聞いた話では、物心つかない頃から陛下の友人で、『剣聖』と称されるほどの達人であるギュンター・シュマイエル殿に預けられたと」
「軟弱な駄目王子になる」と危惧されたことまではカレルは知らない。
「それで、あれほどの剣の腕前に」
それは納得できた。
「剣にかけては国内最強クラスになられて帰って来られたのだが、十年以上ずっと師匠と二人で過ごされたらしく、女性とどう接していいか四年も経ってもまだつかめていないんだ」
確かに…親衛隊の気配を察知して、逃げていたような。
「そういう隊長が、君に近衛のメダルを渡したというのは、余程のことなんだよ」
「そう、ですか」
証拠のメダルを失くしたのに、信じてくれる―その心が、嬉しかった。
(あの隊長。アレク殿下が、女性に興味を示されたとは)
簡単な食事を済ませ、マントにくるまって眠ろうとしながら、カレルは口に出さずにそう一人ごちていた。
つい先日の晩、詰所で宿直をしていたらいきなり駆けこんできた彼を、思い出す。王宮から走って来たらしく、ぜいぜい言いながら大甕から葡萄酒を少し混ぜた冷水を掬って飲み干していた彼を。
(『どうなさいましたか?また、女の子に追っかけられましたか』)
(『…』)
やっと息を整えてうなずいた。
(『なぜ、女性は皆、私がちょっとでも笑いかけただけで食い気味に迫って来るんだ』)
(『…それは、殿下』)
この美貌で笑いかけられたら大抵の女の子は食いついて来るのだが、その辺が彼にはつかめていない。
(『殿下…一応聞いておきますが。女性に興味がなかったりするのでは、ないのですよね?』)
(『それは違う』)
彼は真剣かつ全力で否定した。
(『興味はあるんだ。できれば話したいし、親しくもなりたい。しかし皆、あまりに過剰に反応するので、つい』)
引いてしまうのだった。
(『距離感がつかめてないんですよね、貴方は。…普通に接していればいいんですよ。お茶に誘うとか、花束を贈るとか』)
(『し、しかし全員にはできないし』)
まだ「一番」を見つけていない者の反応であった。
(『街の親衛隊はまだいいんだ。皆横並びで、一人一人では話しかけて来ないし』)
うっかり抜け駆けすると袋叩きになるのである。
(『だが、貴族の御令嬢方はそうではなくて。…今晩の舞踏会で、父上がぜひにと勧めるのでアッシェンバッハ伯爵の御令嬢と一曲踊って、もう遅いからと王宮の寝所に行ったら…か、彼女が、ベッドに』)
(『それで逃げて来られたんですか』)
(『それだけではないんだ。横たわる彼女の横で、何か小さいものが、もごっと…!』)
(『ああ、上流女性のたしなみですよ。とても可愛がっておられて、常に側に置いているとか』)
ぶるっと震える美青年を見やって。
(あー、伯爵親子もまずったな。よりにもよって、殿下の…女性をすら越える、一番の苦手を)
内心で苦笑した。―本人はひた隠しにしているが、アレク隊長の「弱点」は近衛隊の者なら知っていた。外部に漏らす者はいないが。
(そんな隊長、アレク殿下が、ついに)
上官でしかも王族だが、世話の焼ける弟でも見るような感じで(ちなみに、カレルは一つ年上)、眠りに落ちながらカレルは純粋に喜んでいた。
翌朝。
「では、これで。がんばろう、殿下のために」
恋心を利用させてもらう、カレルはそう決意していた。彼も王国に忠誠を誓った騎士であり、近衛隊の一員である。国と人々を救うためなら、泥をかぶる覚悟はあった。
「はい。…殿下の、ために」
アスセーナはそれに否やはない。むしろ、あこがれの人のために何かできることを素直に喜んでいた。
二人、それぞれの方向に歩き出した。
「…あ、グラツィエも。来てくれるんだ」
アスセーナの行く方角に大鷲も飛んでいるのを見て、彼女は微笑む。
「行こう、一緒に」
南へ、黒い森へ歩き出した。
第三章 意外な、出会い
昼間だと言うのに、カイネブルクの街の上空には”氷”の魔術が行使されてからずっと晴れない雲が立ちこめ、静まり返った都市を薄暗く閉ざしていた。
その中心、王宮の一室にかの魔術師は居を定めていた。
「揃ったな、札の弟子たちよ」
『はい、我が師』
魔術師の前に、四つのローブ姿の人物が身をかがめて敬意を示している。
「集まってもらったのは他でもない。かねてからのお主らの望み、我が後継者となり奥義を受け継ぐ者を決めようと思うのじゃが」
「「おお…っ」」
ローブの裾が期待に揺れた。
「課題は簡単だ。―この娘」
遠見の水晶を呼び出し、金髪の少女―アスセーナの姿を映し出した。
「この娘を殺すか捕えるか、手段は問わぬがこの都市に戻って来るのを阻止した者に、我が後継者の地位を約束しよう」
「この娘を、ですか」
四人は水晶に見入った。…一人が声を上げる。
「ふむ、なかなかに可愛らしい仔猫ちゃんではありませんか。殺すよりはお付き合いしたいものですなあ」
「お前はいつもそうだな、『杯の』」
他の一人がからかうように言った。
「ぼくは君のように、何でも金銭的価値で考えないんでね、『金貨の』」
「何でも色恋で考えるなどできるか!」
「もう良い、二人とも」
いつものことらしい口喧嘩を師である魔術師は止めた。
「課題は以上だ。協力する気はないだろうから、どう当たるかは皆で決めよ。誰が達成しようが恨むな。では、行け」
『はっ』
答えと共に、四つの姿は消え失せた。
「まあ、彼らのことだからくじ引きでもして一人ずつ当たるようになるだろうな、おそらく」
四人が張り合っているのはわかっていた。協力して当たれと言っても必ず何処かで足の引っ張り合いをするからのう、とどこか満足げに呟いていた。
アスセーナはそんな会話があったとは知る由もなく、歩みを進めていた。
しばらくは、街道が続いていたのだが。
しだいに、「道」とも呼べないような獣道めいた道に、なっていった。まあ、黒い森に向かう者などほとんどいないのだから当然ではあるが。
平地と呼べる地域がほとんどない国である。一日歩けば、もううっそうと茂る森林が遠くに見えて来ていた。あと一日歩けば入れそうだ。
「ちょっと早いけど、そろそろ」
呟いて、少女は野営の準備に入った。のんびりしてはいられないが、そろそろ食料の調達をしないといけない。
まず野原を歩き回って、ここだと思う場所に簡単な罠を仕掛けた。慣れた手つきでかまどなどを拵え、また回ってみると罠の一つに野兎がかかっていた。そこは狩りで生計を立てている者の技術である。
「あ、グラツィエ。あなたも一人で狩りをして来たんだね」
舞い降りてきた大鷲を見て、アスセーナは微笑んで声をかけた。鷲は嬉しそうに一声鳴いて答えた。
ほっとして夕飯を一人で摂り、早々に寝ついた。ちなみに彼女の持つ荷物袋は寝袋も兼ねている優れものである。さすがに疲れていて、すぐに熟睡していた。
その、深い眠りの中から。
「!?」
「何か」が、少女を強引に引っ張り出した。
「何!?」
ぱっと目を開くと同時に枕元の小剣を抜き放つ、と。
「わあっ!?」
幼い悲鳴が上がった。
「え…?」
アスセーナは呆然と、今自分が剣の切っ先を突きつけている相手を見つめた。
自分の目が信じられない。
その「相手」は、ほんの十歳ぐらいの―男の子どもだった。
「ごめん!ごめんよおっ!」
哀れ子どもは、飛び退くことすらできずに鋭い剣先を目の前にして冷や汗を流しながら固まっていた。
「一人っきりで、よーく眠ってるから、大丈夫だと思ったんだよう!ごめんって!」
「…つまり、何か盗もうとか、思ってたってこと?」
「ごめん。腹が減って、どうしようもなくて」
すくみ上がっている子どもを見れば、怒る気も失せる。少女は剣をしまって、月明かりの下で笑いかけた。
「とりあえず、わたしの夕飯の残りでも食べる?その間に、なんでこんな所にいるのかとか、話を聞こうか」
「うんっ」
「話」うんぬんより「飯」に反応したらしい。子どもは元気に返事をした。
がつがつ食べながら質問にも素直に答えた。
「どこから来たのかって?うん、カイネブルクの街だけどさ。一週間ぐらい前かな、飛び出して来たんだ」
「お家の人は?心配してないの?」
「してないよ。おいら、親とかいないもん。気がついたら通りで物乞いとかしてたし、もう少し大きくなってからは元締めにスリの手伝いとかやらされてた」
いわゆるストリートキッズの類か。そう思ってよくよく見れば、服はぼろぼろで「普通」の家の子でないことは見当がついた。
「でもさー、こき使われる割にちょっとしか食べさせてくれないから、腹が立っておん出て来たんだ。…でも、よく考えたらどっちに行ったら他の街があるのかもわかんないし、気がついたら道がわかんなくなってたし、食べるもの見つかんないし」
街育ちで、野外でのサバイバルスキルなどは身についていなかった。
「迷ってふらふらしてたら、姉ちゃんが―幸せそうな顔して、寝てた」
「で、カモだと思った、と」
見てくれで嘗められるのは、アスセーナには一生ついて回りそうだった。
「ごめん、姉ちゃん。まさか気配で気づかれるなんて、思ってなかった」
「いいけど。…大変だったんだね、ほんとに」
親がちゃんといて、保護されて育った少女は同情せずにはいられなかった。無意識に手が伸びて、子どもの頭を撫でていた。彼は嫌がらずに髪をかき回されている。
「ああ、もう夜が明けちゃう。わたしは行かないといけない所があるし。あなたは戻った方がいいと思う。方角は教えるから、他の街に行って、何とか暮らしていって。今、カイネブルクの街は大変なことになってるから避けてね」
そう言って彼女は旅立つ支度に入った。―子どもはそれをじっと見ていたが、少女が歩き出すと、後ろから声をかけた。
「…姉ちゃん」
「え、何?」
振り向くと、子どもは泣きそうな、思いつめた顔で、こちらを見ていた。
「連れてって」
「…え?」
「一緒に、行きたい」
子どもにとって、美味しいご飯を分けてくれて、「大変だったね」と言って頭を撫でてくれる存在は、はじめてだった。
「で、でも。これからわたし、黒い森に行くんだよ。あの森」
行く手に見える恐ろしいほどにうっそうとした森を、示した。
「それだけじゃなくて、何があるか本当にわからない旅なの」
「それでも、行きたい」
彼は頑固に言い張った。
「怖い思いなんて、スリとかして追っかけられた時にもいっぱいしてたもん」
「う、うう」
そんなものじゃない、命の保証もできない、そう言いたかったが。
「役に立つからさ。ねっ?」
子どもの、すがるようなまなざしに。その言葉が、喉につかえてしまった。
「…いいよ。行こう、一緒に」
ついに折れて、アスセーナは子どもに手を差し伸べた。
「うん!」
ぱっと顔を輝かせて、子どもはその手に飛びついた。
「えーと、あなたの名前は?わたしは、アスセーナ」
「…ブレット」
「じゃ、ブレット。よろしくね?」
二人になって、歩き出した。頭上を、大鷲が舞っていた。
(二人で歩けば、楽しいな。話せるし)
つくづくそう思う。このブレットと言う子ども、社会の底辺で育って来ただけあってやたらと世間のことに詳しかった。山育ちで世の中のことに疎いアスセーナには彼の話がいちいち新鮮で面白かった。…ただ、カイネブルク育ちではあっても社会の上の方、彼女が一番聞きたいアレクサンデル殿下のことについてはほとんど知識はなかったのだが。何せ、「近衛隊が来る」と聞いただけで逃げ出していたので。向こうはスリなどを捕える立場だったのだから当然だった。街の中で一番出会いたくない人物だったろう。
一方ブレットも、こんなに親身になって話を聞いてくれる人がいるというのははじめてに近く、あーだこーだと喋るのが楽しくて仕方なかった。つい身振り手振りも交えて喋りまくっていた。
―楽しかったから、つい警戒が緩んでしまっていたかもしれない。二人がはっとして、まわりを見回した時にはもう囲まれていた。
「山妖精…?」
小柄な、人型の異種族だった、が。
「普通、鉱山に住んでるって聞いたけど」
「小人族どもに追い出されたのじゃ!」
おぼつかないアクセントで(人間の言葉は苦手らしい)、説明してくれた。
「あー、鉱山にコボルトがいると銀鉱石が『山妖精の銀』って安物に変わっちゃうとか、言うものね」
「路頭に迷っていたら、黄色い髪の娘っ子を捕まえてくれば、小人族のいない鉱山を教えてくれる、と!」
三十人ほどが、手に手につるはしやハンマーを持ってじりじりと近づいて来た。
「おいらも同じようなことしようとしてたけどさー」
自分にされると腹が立つもんだなー、とブレットは思う。
「下がってて!」
アスセーナは子どもを後ろにかばって小剣を抜いた。
「悪いと思うがぁ、生きるためじゃあ」
数を頼んで押し包んできた。
「くっ!」
剣を振るい、近づけまいとしたがいかんせん人数が違う。
回りこんでくる奴までいたが。
「えい!」
ブレットが懐から取り出したのは、Y字型の木材に紐をつけた、いわゆるパチンコだった。少女の死角から迫って来たコボルトに小石を浴びせて撃退する。
「ありがと。やるじゃない、ブレット」
「へへーん♪」
子どもは嬉しそうに笑った。底辺の生活の中で、身につけた技だ。
「でも、おいらの力じゃ目つぶしぐらいしかできなくて」
「それでもいいから続けて!」
しかし、生活がかかっているせいかコボルトたちもしつこかった。だんだん包囲の輪が狭まって行く。このままではじり貧だった。
「どうしよう…?」
思わず気弱になって呟いた時。
突然、何者かが大剣を振るって混戦の中に割って入って来た。
「な、何!?」
鈍色の全身鎧に身を包んだ、大柄な戦士だった。騎士がつけるような重厚な鎧だが、馬に乗っていないので「騎士」とは形容しづらい。紋章入りの盾も持っていないし。
刃渡り二メートルはありそうな大剣を軽々と振り回し、コボルトたちを吹き飛ばしていた。剣が巻き起こす風のあまりの激しさに、軽いコボルトなど斬られる前に本気で飛ばされている。
「何て、何て剛剣!?」
自分の剣が素早さと身軽さを活かした「速」の剣だとしたら、この戦士の剣はまさに「剛」の剣だった。おまけにとてつもない重装備で身を鎧っているので、非力なコボルトの攻撃など蚊に刺されたほどにも感じていないようだ。
「すご…!」
二人がびっくりしているうちに、コボルトたちは戦意を喪失していた。
「ぐ…ここは退こう!このままでは新天地を見つける前に全滅じゃ!」
ほうほうの体で逃げて行った。鎧の戦士は大剣を背中の鞘に納める(長過ぎて腰につける訳には行かないのだ)。
「あ、あなたは、一体」
聞きたいことは山ほどあった。ブレットは迷ってここにいたのだが、普通黒い森の近くに人はあまりいない。そこにこんな重装備の戦士がいて、加勢してくれて。
「…」
しかし、戦士はアスセーナがいろいろ尋ねても、彼女を見下ろしたまま一言も喋らなかった。そう言えば、戦っている間も、気合の声も何も一切発していない。
「喋れない…の?」
「―」
巨大な兜が、うなずいた。
「そうなんだ。えーと、その…鎧武者さん」
何となく、アスセーナは彼(推定)のことをそう呼んでいた。
「よくわからないけど、ありがとうございます。加勢してくれて」
ぺこりと頭を下げる少女を見下ろして。…鎧武者は、背に手をやって真紅のマントの上に装着してあった大剣を、鞘ごと取り外した。
「な、何」
戸惑うアスセーナの前に彼はひざまずき、大剣の柄頭を彼女に向けて差し出した。
「え、えと。わたしのために、この剣を使ってくれるってこと?」
うなずく(彼女が柄を取って彼の肩を軽く叩けば、騎士の忠誠の誓いをしたことになるのだが山育ちの彼女にその知識はない)。
「あ、もしかして。カレルさんに頼まれて、わたしを助けてくれる、とか」
思いついて、そう聞いていた。そう考えれば説明がつくと思う。
「…っ」
鎧武者はしばらく考えているようだったが、やがてうなずいた。
「そうなんだ。また、助けてくれる?黒い森は、もっと危険らしいし」
うんうんとうなずいている。
「なあ姉ちゃん、ほんとにこいつ信用していいの?一言もしゃべんないなんておかしいよ」
ブレットが少女の袖を引いた。
「でも、助けてくれたし。油断させてどうこうしたいなら、もうしてるよ」
「うん、まあそうだけど。あからさまに怪しいじゃん、この鎧ダルマ」
「…」
今度は何かがっくりしている。…怪しまれている方より、「鎧ダルマ」の一言がショックだったようだ。
「ごめんなさい、わざわざ助けてくれたのにこんなこと言って」
彼は、「気にするな」と言うように手を振り、背を向けた。ゆっくりと歩み去って行く。―と。
「え!?」
ふっと、その巨体が揺らぎ。光の粒子と化して、風に舞い―消えて行った。
「やっぱ怪しいよ、どう見てもー」
「うん、まあ、そうだけど」
あいまいに答えて、アスセーナは鎧武者が消えた方向を見つめた。
(また、何かあったら…助けて、くれる)
なぜか、そんな気がしていた。
「さ、ブレット。もう少し進んだら、野営の支度しようね。明日は、いよいよ黒い森に入るよ」
どこからかグラツィエが戻って来て、一声高く鳴いた。
第四章 森の中の、戦い
「いよいよ、だね」
二人の前に黒々とそびえ立つ―黒い森。
「う、うん」
ここを通らなくてはならない。もし遠回りすればとてつもなく時間がかかる、それはわかっているのだが何せこの森について聞く話はどれも恐ろしいもので、不安は二人の胸にわだかまっていた。夜寝ない子を脅かすための話で、恐ろしさが倍ぐらいに大きくなっているとしても「半分」と見てもまだ怖い。…でも。
「行こう、ブレット」
「うん、姉ちゃん」
無意識に手をつないで、二人は昼なお暗い森に入って行った。
まあ、大半の光が遮られて届かない森の中と言っても真っ暗ではないし、長い時を経た森林と言うものは木々の間はけっこう開けていて歩きやすいものである。一歩踏み込めば魔物や怪物がうじゃうじゃ、と言う訳でもなかった(そのレベルの噂もあったが)。少しほっとして、でも油断はしないで進んでいった。
そんな中で、二人は身の上話やら育って来た中で見て来たこととか、いろいろ喋って情報交換をしていた。
「姉ちゃん、あんま人を信じちゃ駄目だって」
話してみて、ブレットはアスセーナがあまりにも世間知らずで人を信用しがちなことに呆れていた。
「だって、疑うの、得意じゃないし」
彼女は今まで、「悪意」を持って接してくる人に出会ったことが、正直あの強盗犯や魔術師に出会うまで、全くなかった。今も、あの二人以外は信用できると考えていた。
「うー」
一方、ブレットは九歳(多分)にして世間の荒波に揉まれまくっていた。簡単に人を信じちゃいけない、はストリートキッズの鉄則である。
「あの鎧ダルマだって、あっさり信じちゃ駄目だよ」
「でも、助けてくれたから。カレルさんに頼まれたんだろうし」
「証拠ないじゃん」
「頼まれたの?」と聞かれてうなずいただけである。
(おいらだけは、一応疑っておかないと)
自分より、この世間知らずの「姉」のために。
「まあ、姉ちゃんがあいつのことを信用するのは、止めないけどさ」
…正直、路銀を盗もうとしたブレット自身を、あっさり信じてついて来させているのだから、彼としても強いことは言えない訳で。
(だからこそ、おいらが気をつけてないと)
スリの手伝いをしていた子どもも、一言もしゃべらない鎧武者も。すぐに信用してしまうこの少女が大切だからこそ、そう思った。腕力では守れないのだから、世間ずれしたこの考え方でガードしようと。
「大丈夫だよ、きっと」
一方アスセーナは、この森に潜んでいるだろう危険は警戒していたが、ブレットの心配は共有していなかった。
「がんばれば、何とかなるよ」
そんなことを話しながら、暗い森を抜けて行った。
―危険は、日が傾き。森が真の闇に包まれていく刻限に、訪れた。
森の奥から、二人に迫って来る―いくつもの、気配。
「ブレット、たいまつをしっかり持っててね」
アスセーナは小剣を抜いた。しだいに濃くなって行く闇の中に、ぎらぎらと輝く獣の目が見える。ブレットが必死に掲げるたいまつの揺れる光で確認した、その姿は。
「―狼!それも、すっごく大きい!」
彼女の故郷にも狼はいたが、ここまで大型でも凶暴そうでもなかった。
「ブレット、気をつけて!離れないでね!」
声をかけ、大木を背にできる位置を取ろうとした。しかし、体勢を整える前に獣が飛びかかって来た。
「わあっ!」
やはり、一番弱そうな対象に襲いかかる。―子どもは必死で少女の背後に逃げこもうとしていたが、あわてすぎて足がもつれた。大きく開いた口と、白い牙が迫って来る。ブレットは悲鳴を上げた。
「わーっ!」
ガキンッ!
…子どもと狼の間に、巨大な全身鎧が割りこんでいた。金属製の肩甲に嚙みついてしまい、牙を何本か折った獣の悲鳴が響いた。
「鎧武者さん!来て、くれたんだ」
「―」
彼は大剣を抜き放ち、大きく振り回して狼たちを近づけないようにしながらこちらにうなずきかけた。
「後ろに回れってことね」
ガードするから下がってくれ、ということだと判断したアスセーナは移動し、腰を抜かしたブレットの前に仁王立ちする鎧武者のマントの後ろに入った。
(何て、何て速い切り返しなの…?)
背後から観察して、あらためて少女は彼の技量に舌を巻く。
普通、刃渡りが通常より長い剣というものは重さだけでなく長さによる遠心力のせいで取り回しが非常に困難になるものだ。一撃を放った後、次の攻撃に入るのに時間がかかってしまうのが長大な武器の欠点だった。
しかし、鎧武者は大振りに剣を振っても、瞬時に切り返して大剣を懐に引き戻していた。すぐに次の攻撃に入れる―とてつもない膂力だけでなく、鍛錬の果てにしか得られない技量なくしては不可能だった。
(一体、どれほどの、修練を)
狼たちも驚いたらしく、一旦退いて遠巻きに様子を見ていた。
しかし、狼は十数頭もいて。さらに、各自ばらばらに動きもしなかった。しばらく三人の様子を観察し、動きを読んでから息を合わせて再び飛びかかって来る。
「!」
大剣が一閃し、一度は全ての牙をしのいだ。
(でも!ずっと、こんな統制された動きをされては。何度も来られたら、いずれはさすがにこの剣さばきでも、一度ぐらいは何頭か取り逃がすかも。もし、ブレットがその一撃を食らったら!)
恐ろしいことになる―アスセーナは唇を嚙んだ。
(こんな一糸乱れぬ攻撃をされたら。一糸乱れぬ…あっ!)
はっとして少女は叫んでいた。
「お願い!少しの間でいいから、持ちこたえて!」
返事がないのはわかっていた。理解していると信じて、アスセーナは「その一瞬」を見極めるべく目を凝らす。
聞こえているのかいないのか、鎧武者は大剣を振っては瞬時に引き戻し、狼たちを攻撃すると言うより背後の二人に近づけさせない戦法を取っていた。
「グルル…!」
ついに、獣たちが飛びかかって来た。それも、一頭一頭が微妙にタイミングをずらして。いかにリーチの長い大剣でも、一頭はかわして背後の二人を襲えるであろう。まさに必殺の連携攻撃だった。
しかし、「この一瞬」を、アスセーナは待っていたのだ。
「―今!」
少女は鎧の陰から飛び出し、波状攻撃をかけてくる中の一頭に小剣の刺突を繰り出した。
「ギャン!」
狙い過たず、その一頭の片目に小剣が突き立った。狼は苦痛の声を上げながら前脚を振り回すが、アスセーナはすでに全身鎧の背後に戻っていた。
「「ガ…!」」
その一頭が傷ついただけなのに、明らかに群れの動きがおかしくなっていた。攻撃を中断し、傷ついた仲間に寄り添って心配げに鳴いていた。
「ガウッ!」
左目から血を流しつつ吼え声を上げて、その狼が向きを変えると。群れは一斉に走り出し、瞬く間に木々の合間に消えて行った。
「ね、姉ちゃん」
「やっぱり、あの一頭がリーダーだったんだ」
アルファメスという奴である。
「よくわかったねえ姉ちゃん。すごいや」
「あの一頭の動きや声で、みんなが動いていたのがわかって」
その一頭を傷つけただけで、群れそのものを撃退できると見抜いたのだ。大きさは違っても、同じ狼たちと狩人としてやり合ってきたからできることである。
「鎧武者さん」
アスセーナは残された小剣を拾い上げながら呼びかけた。
「やっぱり、来てくれたんだ。ブレットをかばってくれて、ありがとう」
彼は「気にするな」とでも言うように手を振っていた。
「ほら、ブレットもちゃんとお礼を言って」
「うん。ありがと、鎧…ねえ、鎧の兄ちゃんって呼んでいい?」
呼び方を変更したのは、彼なりに親しみを表したらしい。鎧武者はしばらく考え、無骨な手甲を伸ばして子どもの頭をぽんぽんと叩いた。
「まー、そんながっちがちの格好じゃ男か女かもわかんないけどさ。もしかしてこっそり女の人だったりするんじゃないのー?」
「…」
それはぶんぶんと首を振っている。
「そっか。じゃあ鎧の兄ちゃん、よろしくね」
異形の姿にびくびくしていたブレットだったが、どうやら実害はないと納得してあっさり警戒を解いた。
「ねえねえ、そのごっつい鎧の下ってどうなってるの」
子どもというのは極端から極端に走るもので、用心しなくていいとなったら一気になついた。まとわりつくブレットのもじゃもじゃの頭を、ごつい手甲がくしゃっとかき回す。
「それにしても…何て剣さばき」
感心しきりのアスセーナは質問してみた。
「ね、あなた。カレルさんに頼まれて来たってことは、やっぱりあなたもアレクサンデル殿下とも知り合いってことよね?その剣の腕だし…殿下と剣を交えたことってあるの?鍛錬で」
「…っ」
鎧武者は、さっきよりさらに長いこと考えこんでいたが、やっとうなずいた。
「そうなんだ。やっぱりね。あんな剣の技、よっぽど強い人と実戦形式で打ち合わないと絶対身につかないよ」
わたしも父さんとさんざん、などと思い出しているアスセーナの前で、鎧武者は何かわたわたしていたがやっと落ち着き、一礼して木々の間に消えて行った。
狼たちを撃退し、野営して。また、黒い森を進んでいった。
道らしい道などないが、本業が狩人のアスセーナは木の生え方やわずかに差しこむ日の光などから方角は割り出せる。南へ、目的地の火槍山の方向に進んでいる自信はあった。
「グラツィエは、ついて来てる、よね」
さすがにここまで木々の間隔が狭いと、大鷲は舞い降りて来られない。たまにあの特徴的な鳴き声が聞こえ、存在がわかるだけだった。
「ずーっと森なのかなあ」
街育ちのブレットには、正直ずっと暗い森の中と言うのは不安でしかない。
「うん、でも話に聞いているよりこの森って広がってる訳じゃない気がするよ。あと何日か歩けば抜けられるんじゃないかな」
少女は木々の間を吹き抜けていく風の匂いに注意を注ぎながらそう口にしていた。
二日ほど経った、昼でもほの暗い森の中で。
「姉、ちゃん」
「わかってる」
十数個の―今度は、人の気配がひたひたと近づいて来ていた。住む人もほとんどいない。どころか、魔獣がいると言う噂で木こりも入らない森に、これだけの気配。
歓迎しに来てくれた訳ではなさそうだと、二人で身構えた。警戒していると、ついに気配の主たちが現れた。
「「う」」
見るからに「まっとうでない」荒んだ雰囲気の男たちだった。服装もまちまちだが、誰も彼も物騒な得物を手にしている。無法者、社会を追い出されて荒野で生きざるを得ない者たちだろう。ただ都市や村を離れて暮らすならいいが、手っ取り早く稼ぐために旅人を襲う者も多いと聞いていた。
「ふん、手配書通りだな、金髪の娘だ」
湾曲した刀を手にした大男が、広げた羊皮紙とアスセーナを見比べながらそう言った。
「余計なのもいるようだがな」
男たちの視線に、ブレットはびくっとして少女の後ろに隠れた。
(やっぱ、おいらはおまけか、いつだって)
無法者たちが聞いていた情報にはブレットの存在はなかったようだった。
「まあいい。お嬢ちゃん、おとなしく…俺たちに、ついて来てくれないか?おとなしくしてくれたら、痛い思いはしなくて済むんだが」
猫撫で声がめちゃくちゃ気持ち悪かった。
「だめ。わたしたちは、行くところがあるの」
一方アスセーナはこういう場合の、言いくるめるとかのスキルを習得していなかった。ストレートに思いを口にしてしまう。
「何だ、下手に出てればつけ上がりやがって」
案の定、と言うべきか彼らの態度は一変した。
「おいお前ら、わかってるな。小娘一人に破格の賞金だ。逃がすなよ」
「へーい」
リーダーらしき大男が指示し、無法者たちはそれぞれの得物を手に二人を取り囲んだ。
(一人一人の腕は大したことない、けど)
アスセーナは一目で彼らの実力を見て取った。
(数で押されると、不利ね)
「傷はつけるなよ!価値が下がるからなあ」
その「小娘」に腕を見切られているとは思っていない男たちはわっと襲いかかって来る。―しかし連携が取れているとはとても言えない動きだった。
「はっ!」
少女は、小剣でその攻撃を次々と打ち払っていく。
「何だこいつ!ちょろくねーぞ!」
「あの剣、飾りじゃねーのか!?」
やっぱり、見てくれで嘗められまくっていた。
「ちょろくなくてもやれ!大金がかかっているんだぞ!」
「「へーい!」」
今度は押し包もうとしてきた。
「くうっ!」
そこに、また。金属鎧をがちゃがちゃ言わせながら、巨体が割りこんできた。
「来てくれたんだ!鎧武者さん」
「―」
無言でアスセーナの隣に立ち、大剣を振るった。
(何か、安心…できる)
肩を並べて戦う仲間がいる、心強さ。
「姉ちゃーん!」
後ろで上がった悲鳴が、そんな思いを吹き飛ばした。
「ブレット!?」
戦いに巻きこまれないように、彼はかなり後ろに下がっていたのだが。男たちの一人が大きく回りこんで、子どもをひっ捕らえたのだ。
「待ってて!すぐ助けるから!」
駆けつけようとするアスセーナを。
「―」
巨大な手甲が制した。
「何するの!?」
抗議しかけた少女だったが。その前に鎧武者は大剣を振りかぶっていた。
「!」
力をこめて、投げつける。
「ひいっ!」
剣はブレットを抱えようとしている男の服をかすめ(子どもがいる側とは反対側)、地面に突き刺さった。男は腰を抜かしてブレットを放す。
「今!」
そこでアスセーナが飛び出し、子どもを確保した。
(あそこで飛び出していたら、ブレットを人質に取られていたかも)
そのために自分を止めたのか、と納得した。
「…」
「結果的にアスセーナたちから離れることになった鎧武者は、どすどす走って合流しようとしていた。が、いかんせん重量があり過ぎてその足取りは極めて遅かった。
「何だこの!邪魔しやがって!」
哀れ、無法者たちの方が遥かに速く動いて、回りこまれた。―そして鎧武者は今大剣を手にしておらず、かつもともと盾は持っていない。
「この…!」
「―」
振り下ろされた湾曲刀を、鎧武者は自分の左腕の装甲で受けた。火花が散る。
「があっ!」
刀を振るう大男は、この無法者たちのリーダー格であり一番の使い手らしかった。粗削りながら剣筋は鋭い。刀は軋みながら装甲を滑り、鎧の継ぎ目―肘の部分に達した。男はそのまま刀をねじ込み、突き立てた。
「邪魔を、しやがって!」
「「あ、ああ…!」」
湾曲刀が、儲け話を阻まれた怒りに駆られた信じ難い力で、鎧に覆われた左腕を、斬り落とした。
がしゃり、と音を立てて。肘から下の鎧が、地面に落ちる。
「―!」
鎧武者は左腕を右手で押さえ―無音の絶叫を上げた。大気の振動として、伝わって来るのだ。
「ね、姉ちゃん…あの、中」
「う、うん」
斬り落とされて断面をさらす、鎧の中には―何もなかった。
生身の腕は、そこにはない。落ちた腕甲の中も、空っぽだった。
―二人とも、「そう」ではないかとは、感じていた。
あの全身鎧は、ただ人の姿を隠しているものでは、ないと。
「やっぱり…鎧の兄ちゃん、『人』じゃ、ないんだね」
「うん」
しかし。
しばらく左腕を押さえていた鎧武者だったが、またどすどす走り出してやっと大剣が刺さった場所にたどり着き、引き抜いて右腕一本で振るって無法者たちと切り結んだ。
二合、三合と剣戟が続く。
「―わたしも!」
アスセーナは飛び出した。鎧武者のサポートに入る。
「姉ちゃん!」
「『人』でなくても、関係ないよ!」
右腕で剣を扱う鎧武者の左に立ち、小剣を振るった。くっついて来たブレットをかばいつつ、叫んだ。
「もう、わたしたち仲間だもの!」
仲間。
その言葉に、鎧はぴくりと反応したが、より一層力をこめて大剣を振るいはじめた。
信頼している。
かつ、信頼されている。
(わたしたち、力を合わせれば、強い!)
二人、全く異なるタイプの剣の使い手であり、お互いの長所を生かし、短所をかばい合って戦うことができていた。かつ今は、ブレットもしっかり守れていた。
「ぐ…!」
無法者たちは歯嚙みした。
「ちょろい儲け話だと思ったが!」
小娘一人、と聞いていたらその小娘がかなりの使い手で、さらに妙な加勢まで。ブレットの存在すら知らないのに、鎧武者のことなど聞いているはずもなかった。
「退くぞ!」
ついにリーダー格が声を上げた。
「で、でもよー」
「いいから退け!」
このままでは儲ける前に全滅だ、と判断したらしい。一喝されて、無法者たちはさっさと逃げ出した。さすがに逃げ足は速い。
無法者たちが逃げ去り、三人だけが残された。
「…」
鎧武者は大剣を背の鞘に戻し、二人を見やった。
「ありがとう。また来てくれて」
「…」
彼は、今さらながら斬り落とされた腕、その暗い空洞を見せる断面を後ろに回して、見せないように努めているらしかった。彼なりに気にしているらしい。さっきアスセーナが彼の左側に立ち、剣を振るっていたのだから丸わかりで無駄な努力でしかないのだが。
「大丈夫」
怖がったり、しないから…という思いをこめて、少女は笑いかけた。
「その、鎧の中には」
「…っ」
「…優しさが、詰まってるんだね」
そうでしょう?と見上げるとアスセーナに。
「…」
右の手甲が伸びて、彼女の金髪に触れ、撫でた。
「もう、仲間だね」
いつもはどこにいるかわからないが、いざと言う時には駆けつけてくれて一緒に戦う、仲間。
「怪我までしてくれて、守ってくれて」
本当にありがたいと思った。
「い、痛いん、だよね?」
生身ではない。血も流れていないが、それでも心配せずにはいられなかった。
そんな少女に鎧武者はうなずきかけ、地面から左腕の鎧を拾い上げた。左の肘の先、元の場所にくっつけて見せて、またうなずく。
「えーと…ちゃんとくっつくから大丈夫、ってこと?」
うんうん。
「良かったあ」
「生身じゃなくて便利だったねっ」
そう言う二人に大きくうなずいて。鎧武者は、その身を散らした。
光の粒子が、風で流れていく。
「また、ね」
そう呟いて。
「さ、行こうブレット。疲れがひどくなかったらもう少し、暗くなるまでに進もうね」
「うん」
また、森の中を進んで。
ただでも薄暗い森の中が、本当に暗くなってきた頃、二人は野営の準備をした。
火を焚いて簡単な食事を済ませ、うっかり火が木に燃え移ったりしないようにかまどの管理はしっかりしてから、早々に眠りについた。
かすかな炎の光が、ぼんやりと全てを浮かび上がらせる中。
「…」
ふっ、と―巨大な全身鎧の姿が、木々の間に現れた。二人に、近づく。
少女は、深く眠っていた。しかし、狩人として少しでも「危険」を感じ取ったらどんなに熟睡していても跳ね起きることができる、そう確信しているから眠れるのだった。
しかし、今鎧武者が近づいても、彼女は目覚めない。…この武者が、彼女にとって「危険」な存在ではないと、そう感じているからこその無防備な眠りだった。
「…」
ごつい手甲が伸ばされ、眠る少女の髪をそっと撫でた。乱れた前髪を、撫でつけて整えた。
「…うん…」
アスセーナが身じろぎし、鎧姿はびくっとして少し離れた。しかし、たんに寝返りを打っただけで目覚める気配はない。
「……」
また近づき、おずおずと髪を撫でた。
『ふむ。まあ、それだけは今の貴方にも可能ですからなあ』
「!」
鎧武者ははじかれたように振り向いた。
―傍らの木に、一羽の鳥が止まっていた。漆黒の羽根、大きめで鋭い嘴。種別としては鴉であろう。しかし、そのサイズは通常の鴉のそれをはるかに越え、双眸は紅玉のように輝き。世の常の存在ではないことを、如実に物語っていた。
『今の貴方には』
嘴が動き、人語を発した。からかうように続けた。
『見つめ合うべき瞳も、重ね合わせるべき唇も。何も、ありませんからなあ』
「…っ」
全身鎧が、震えている。
『もちろん』
尋常の鴉ならば、当然闇を見通せもしないしそもそも夜間に活動などしない。だがこの鴉―夜鴉とでも呼ぶべきだろうか、この鴉は余裕たっぷりに続けた。
『それ以上のことも、出来かねますからなあ?』
「―っ!」
大気を切り裂く音がして。夜鴉は、さっと舞い上がった。
今の今まで夜鴉が止まっていた場所に、大剣が突き立って震えている。
鎧武者が、抜く手も見せずに大剣を振るい、投擲したのだ。
『おお、怖や』
間一髪逃れた夜鴉だったが、それでも余裕の口調で喋った。
『まあ、それでもいいと決断されたのは、貴方ですからな?お忘れ無きよう』
「…っ」
無言で睨みつける鎧武者を残して、夜鴉は飛び去って行った。
第五章 大切な、友達
「えー?じゃあ姉ちゃん、その『殿下』、カイネブルクの近衛隊隊長やってた人と会ったのって一度だけなの!?」
道すがら話す中で、ついにその事実を知ったブレットが大声を上げた。
「う、うん」
ちょっと恥ずかし気にアスセーナが答える。何言われるかわからなくて、今の今までアレクサンデル殿下とどういう関わりなのかは口を濁していたのだ。
で、実際そう知ったブレットは容赦なくつっこみを入れてきた。
「一度だけ会って、その、グラツィエが足に下げてるメダルをもらったって…だけ!?それだけなのー?」
「う、うん。わたしのもらった近衛隊のメダルが、グラツィエのメダルと同じなのかも、わからないんだけどね」
そう信じたいだけで。
「なーんだよ。おいらてっきり、すごーく仲良しさんなのかと思ってた」
まあ、あの照れ照れ具合からして、正式につき合っているとかではないだろうな、とは思っていたが。
「殿下は、わたしのことなんて、覚えているかどうかもわからないんだ。名前だって、知らないはずだもん」
ただ、武人としての腕を認めて、微笑みかけてくれて、近衛隊に誘ってくれただけ。
「それだけかよー」
「だから言いたくなかったのよ~っ」
この子どもの性格上、遠慮なくつっこんでくるのは目に見えていた。
「一度会っただけで、姉ちゃんが一方的にあこがれてるだけの人のために」
予想通り、ブレットはそこを正確に衝いて来た。
「こんなしんどい旅をしてるの?がんばって、その『殿下』を助け出しても、その人が姉ちゃんに感謝してくれるかもわかんないのに」
「うん…でも、わたしがそうしたいから」
ただ、それだけ。
「どんな人なのかもわかってないじゃん。いい人なのかだって」
「で、でも。わたしを見て、笑いかけてくれたし」
「誰にだってにこにこするんだよ、ああいう身分の人って」
「う、うん。そう、かも」
確かに、「王族と言うものは、不公平にならないように誰にでも愛想良くするものだ」と聞いた気はするが。
「でも、きっと優しくて、いい人だよ」
自分に見せた微笑みはともかくとして。
「でなきゃ、グラツィエだって殿下がいないからって、わたしについて来たりしないよ。殿下がほんとに可愛がっていて、グラツィエも殿下のことが大好きだから、助けようとしているわたしと一緒に来てくれるんだよ」
「うん、まあ、鳥って忘れっぽいって言うもんなー」
なのに、一度だけ会ったアスセーナの元に飛んできて、ずっと同行しているのは―そういうことなのかもしれない。
「それにカレルさんも、すごく殿下のことを案じていたし、鎧武者さんだって」
人柄がいいから、みんな助け出そうと必死になっているんだと思う。
「でも、『いい人』でも、姉ちゃんに感謝してくれるかどうかはわかんないよね」
「それでも…いいの、わたしは」
ただ、助け出せれば。
「あー、でもおとぎ話とかじゃ、王子とか騎士とかががんばって捕まってるお姫さまを助け出したり、眠らされてるのを起こしてあげたりするとさ、そのお姫さまは会ったばっかりなのにいきなりその人を好きになって結婚とかするよな。なら、大丈夫か」
助け出したら、好きになってくれるかも、しれないと。
「そんなの、おとぎ話の中だけだよ」
アスセーナはひっそりと微笑んだ。
「殿下はそんなこと、ないと思う。でも、そうだとしても、殿下や街の人たちが”氷”の中に閉じこめられたままなのは、嫌なの」
だから、自分が力を尽くして、助けられるならそうしたい。
「お人好しだなあ姉ちゃんは。わかってたけどー」
ブレットは呆れるが、アスセーナとしては、やはり。
(殿下が…喜んでくれたら。感謝してくれたら、いいな)
あの、一瞬で心を奪われた、優しい笑みを見せてくれたら。
恥ずかしすぎてとても口には出せないけど。そう思わずには、いられなかった。
そんな話をしながら、森を抜けて行き。
「森が、ここで途切れてるんだ」
開けた空間が、二人の前に広がっていた。
「森の真ん中に、湖があるんだ。そのまわりだけ木が生えてない」
少し向こうに水面が見え、さらにその向こうに森が広がっていた。
「何か、話に聞いたほどには広くなかったね姉ちゃん」
まだ、地図に「この先未踏の地」とでかでかと書かれていても問題なく通用する時代であった。人の住む地のすぐ近くでも、わかっていない場所の方が多い。
「あ、グラツィエ。やっと降りて来られたね、あなたも」
大鷲が、二人の頭上に姿を見せていた。
「何か、久しぶりだねっ」
ブレットが見上げてそう言うと、グラツィエは嬉しそうに一声鳴いた。
「もう少し進んで、野営しようね。久しぶりに開けたところで眠れるわ」
ちなみに、焚き木などは森を歩いている途中で落ちている枝を拾って調達している。木に燃え移る心配がないので火はいつもより大きく焚かれ、夕飯を済ませたブレットは丸くなって寝息を立てていた。
森の端の木に、大鷲が止まっていた。
「ごめんね、こんな所に降りて来させて」
本来こんな下の枝に、大型の猛禽類は止まらないものである。
翼の下に首を突っこみかけていたグラツィエは、特に不満は感じていないようだった。アスセーナが自分に声をかけたのを察して、火の側に寄って来た。少女に向けて首を突き出し、甘えた声を出している。
「ねえ、グラツィエ。あなたも、殿下に会いたい、よね」
その頭を撫でてやりつつアスセーナは呟いた。
「会いたいよね。会いたい…っ」
ブレットには言えない思いを、打ち明けた。
「会いたい。会いたいよおっ」
たった一度会っただけなのに、なぜここまで会いたくなるのか、わからないけど。でも今は、故郷の父より、幼い頃に死別した母より、彼に会いたかった。
自分を見つめて、笑いかけてくれた―そのことが、忘れられなくて。
「もう一度、会いたい…!」
グラツィエは低く鳴いて、翼を広げて彼女を包みこむように寄り添っていた。
「…殿下。アレクサンデル、殿下!」
泣きじゃくる少女と、側にいる大鷲。
その鷲の脚に、メダルが下がって、揺れていた。
次の日からは、湖と森の間、帯のように続く地帯を進んだ。幸い南へ、目指す方向に今の所続いていた。
グラツィエも、ついて飛んで来ていた。視認できるから安心しているのか、かなり遠くを飛んでいるのが見えていた。
「狼とかは、森を離れないと思うから。少しは危険が減るのかな」
「でも、今までに山妖精とか、無法者も襲ってきたよね。何か、『手配書』が出回ってるみたいなこと言ってたし」
「あー、『黄色い髪の娘っ子』とか言ってたっけ」
何者かが、賞金を懸けてアスセーナを狙っていると言うことだ。
「だから、また誰かが襲撃してくる、かも」
―その予想は、残念なことに当たっていた。
日が落ちた頃、どしんとどしんと足音を響かせながら、二人に近づいて来たのは。
「トロル!?それも、岩巨人なトロル!」
人型の異種族の一員ではあるのだが、「トロル」と呼ばれる者たちの中には大きさも性質も本当にさまざまな者がいて混乱をきたしていた。人より大きいものも小さいものもいる始末である。―その中でも、今二人のまわりを囲もうとしているのは岩のような固い肌と三メートルほどの身の丈を持つ、「岩巨人」なタイプだった。―一説には日の光を浴びると文字通り岩となってしまうともいうが、観察して確かめるのも命がけなのであくまで噂に留まっていた。もちろん人をはるかに超える怪力を誇る種族で、今ここにいる彼らも巨大な棍棒を振り回していた。
「ブレット!狙いはわたしだから、一人で避難してて!」
アスセーナは小剣を抜いた。
「でも、姉ちゃん!」
「わたしだけなら何とか!」
そう言って岩巨人たちの攻撃を次々とかわし、あるいは小剣で受け流していった。―何せ腕力に差があり過ぎて、まともに打ち合ったら負けるに決まっているのだ。
「姉ちゃん…っ」
もっと腕力のないブレットは退避し、森に走りこんで木の陰に隠れていた。
「ほんとだ。あいつら、おいらのことは追って来ないや」
やっぱり全然気にもされていないらしかった。
「…あれ?でも、こいつら何でこんな、日の光が当たりそうなとこで襲って来るんだろ」
向こうの山の端に陽は沈みかけているが、まだ光は残っているし。もし本当に岩になってしまうなら、森の中にいる時に来るのでは。
「日に当たると岩になるってのが、ウソだとしてもさ」
考えていたら、彼らの得物に目が留まった。力任せにぶんぶん振り回している―棍棒。
「あ、そうか!」
ブレットははっと気づき、声を張り上げた。
「姉ちゃん!森に走って!木立ちの中に!」
「え!?」
「いいから!」
「う、うん」
アスセーナは身を翻し、さっと木立ちに身を隠した。―と。
「やっぱりだ!」
岩巨人たちは追っかけて来て、少女を叩き潰そうとする、が。
「棍棒が!振り回しづらいの?」
そう、木の幹や枝が邪魔して棍棒が振るいにくいのだ。重い武器を力任せに振り回す戦法に森―それもど真ん中ではなく、縁の枝々が生い茂っている付近は極めて不向きだった。剣ならまっすぐ突き出して刺すこともできるが、棍棒では威力が全然出ない。
対してアスセーナは小剣なので充分振り回せるし、刺突も繰り出せる。ブレットもパチンコで援護した。
そこに、どすどすと鎧武者も駆けつけてきた。
「兄ちゃん!挟み撃ちだ!」
「―」
子どもの言いたいことをすぐに理解し、彼は岩巨人たちの背後に回りこんで退路を断った。
「振り回せないんじゃ、重さが力にならんもんねー」
大振りに振り回せてこその棍棒だった。鎧武者の大剣に、さらに動きが封じられる。
「よし、いける!このまま!」
「ググ!」
岩巨人たちは、何もできずに唸り声を上げていた。
「鎧武者さん!」
戦いの中で、アスセーナは叫んでいた。
「もういいよ!逃がそう、ねっ」
「姉ちゃん!」
鎧武者の代わりにブレットが抗議の声を上げた。
「また襲ってきたらどーすんのさ」
「だって、食糧にもしない生き物の命、取るなんて」
狩人としてのルール、と言うべきか。
「そりゃおいらだって、こんながっちがちの奴ら食べたくないけどさー」
それにしたって、と思うのだが。
「―」
鎧武者はしばらく考え、大剣を鞘に戻した。脇に退かれ、岩巨人たちはほうほうの体で逃げて行った。
「…あの」
「…」
人間の「目」に当たるものは見て取れないが、鎧武者は二人をじっと見つめて一礼し、いつも通り去ろうとした。
「―待って」
何か、たまらなくなってアスセーナは手を伸ばして彼の腕を掴んだ。
「あの、さ。ちょっと、話そうか」
いつもピンチの時にしか現れず、危険がなくなればすぐ消えてしまうこの鎧武者と、一度ゆっくり話したかったのだ。…と言ってもこっちが一方的に話すだけだろうが。
「…」
無視して去って行くか、とも思ったが。彼はおとなしくそのまま立っていた。
「あ、あの…っ」
話したいとは思っていたが、何から話せばいいのか。
「いつも…いつも助けてくれて、ありがとう。何もお返しできないけど、本当に感謝してるから」
「…」
無骨な手甲が伸びて、よしよしと頭を撫でられた。
「わたし、父さん以外の男の人って、あんまり親しい人いなくて。こんなに仲良くなったのって、ふもとの村の女の子たち以外では、はじめてかもしれなくて」
ブレットは「弟」みたいなものだし。
「だから…ね。その、えと、えーと」
感謝と親しみの思いをどう表現していいかわからないアスセーナに、鎧武者は、彼らしく言葉を使わずに自分の思いを表現した。
―すなわち、彼女を引き寄せてぎゅっと抱きしめ、頭をくしゃりとかき回した。
「…ん」
大切に思われている、それを感じてアスセーナは微笑んだ。
「また、会おうね」
「―」
うなずいて、鎧武者は光と化して消えて行った。
「またね。わたしの、大切な、友達」
(…これって)
一方、それを見ていたブレットは。
(姉ちゃんは、『友達』と思ってるかもしれないけど、鎧の兄ちゃんは)
子どもの目からしても、さっきの仕草からは…ただの「友達」とは、思っていない気がした。
(だとしたら、兄ちゃん、つらいな)
九歳とは言え、社会の底辺で育って。惚れたはれたの行き違い、揉めごとはよく目にしていた。
(姉ちゃん、絶対鎧の兄ちゃんにはそういう気持ちにならないもん、今は)
あれほど「殿下」「殿下」と言っている、今は。
(つらいよね、きっと)
とは言え、今のアスセーナに何を言っても気持ちは変わらないのもわかるので。ブレットは、とりあえずは彼女には何も言わないことに、決めた。
「さあ、日も落ちたし。野営の支度しよ、ブレット」
「うん!」
第六章 幸せの、かたち
「まあ、おいらの知り合いのおねーさんたちにもさ、『殿下』『殿下』って言ってた人いるけどさー」
二人で歩いていると、どうしても話題がアスセーナの「好きな人」のことになってしまうので、ブレットはあきれ顔だ。
「見つかったら取り締まられるってのに『それでも一目お顔を』なーんて言ってた」
犯罪すれすれの仕事をしていても会いたくなるほどの、美男子だったと聞いていた。
「で、姉ちゃんもその『殿下』って人に一目ぼれ、と。面食いだな、姉ちゃん」
「う、うう」
確かに、一度しか会っていないのだから「顔だけかよ」とつっこまれても仕方ない、のだが。
「でも、でも、それだけじゃない気が、して」
お互いに、視線が合った時。何か、響き合うものがあった気が、するのだ。
「気のせいだよ、姉ちゃん」
ブレットはあっさり言うが。
「何か、わたしだけじゃなくて。殿下の方もわたしに何かを、その」
確かめようがないのだが、そんな気がして仕方ないのだった。
まあ、こんな吞気な話ができているのも森と湖の間に開けた地帯を歩けているからなのだが。そうしていると。
「あれ!?小屋がある、こんなとこに」
「うん、あるね」
湖の際に、一軒だけ小屋がぽつんと建っていた。ごく普通の、田舎にはよくある造りは荒いがきちんと手入れされた小屋、なのだが。
「でも、ここって」
「…うん」
「黒い森」の、ど真ん中なのである。いかに森の中に湖があってそこは開けていると言っても、人など住んでいないはずの森の中だ。
「でも、魔獣だらけだってのも大げさだったし。人が住んでいてもおかしくないよ」
アスセーナはいい方に考え、近づいて行った。
「パンとか分けてくれるかも。獣の肉だけじゃつらいし」
「ちょっと待ってよ姉ちゃん。怪しくない?」
一方ブレットは世間ずれし過ぎているが。
「大丈夫だよ、きっと」
少女は簡素な扉を叩いた。
「すみませーん、誰かいますか?できればパンとか、分けていただけないかと」
「…はい、いますけど」
ややあって扉を開いたのは。
「「わあ…っ」」
思わず声が漏れてしまうほどの、「きれいな人」だった。
波打つ金髪が結ったり結んだりせずに背中に流れ、膝下まで届いていた。細面の繊細な顔立ち、身につけている服は田舎の女性のものだが都会でもそうそう見られないほどの美人だった。
「あの…パ、パンは切らしてしまっていて。魚ならあるんですけど」
女性はちょっと申し訳なさそうにそう言った。
「お魚ですか?わあ、それもいいですねえ」
このあたりでは、あまり「魚」を食べることはない。海は遠いし、肉食文化が普通だ。
「で、良かったら…一晩、泊まっていきませんか?お話したいですし」
さらに、おずおずとそう続けた。
「え、いいんですか!?」
それは断られるだろうと思っていたら、向こうから言われてしまった。もちろん願ってもない、いい話である。
「で、できればお願いしますっ」
「じゃあ、中へどうぞ。あ、私はローレと言います」
「アスセーナです。こっちはブレット」
あわてて名乗り、アスセーナはローレについて小屋に入って行った。…続いて入ろうとするブレットは。
「…?」
小屋の横、地面とくっついている所にふと目を止めて「あれ?」と首をひねった。
「何か、何か、変だなあ。何だろ」
違和感を覚えるのだが、何なのかわからなかった。
「どうしたの?」
小屋の中から呼ぶ声が聞こえた。ブレットは考えを中断して、あわてて後を追った。
「きれいな髪ねえ。うらやましいな」
アスセーナはローレの髪にしきりに感心していた。
「姉ちゃんの髪だってきれいじゃん」
「でも、動くこと考えるとこんなに伸ばせなくて。結ばないといけないし」
髪を結ばずにさらりと流せるのがうらやましいらしかった。
「じゃ、魚を料理しますね。待っててください」
「あ、いえ!お手伝いしますっ。料理の仕方覚えたいし」
そう言って二人で台所、と言っても仕切りなどない小屋の料理用スペースできゃっきゃ言いながら支度をはじめた。ほぼ同じ年頃の女性とガールズトークできることが、お互いに嬉しくて仕方ないようだ。
「わあ、鱗ってそうやって取るんですね」
「ええ、はがしてからお料理しませんと食べる時大変で」
(…?)
それを、一つしかないテーブルについて見ていたブレットだったが。―また、奇妙な点に気づいた。
(ローレさんの服の裾…色違うよね。濡れてる?)
さっきまで洗濯でもしてたのか、とも思ったが。ずーっと見ていても、全然乾いていく様子がない。
(何か、ここ。おかしいよ、何か)
妙なことばかりで、どうにも気にかかって仕方なかった。ブレットは小さな頭をひねって、考えをまとめはじめた。
「そうよね、たまにはちゃんと櫛を入れないと」
ローレの髪にいたく触発されて、アスセーナはポニーテールをほどいて金髪を入念にブラッシングしていた。
…ちなみに彼女が気にしている「自分の容姿」だが、充分に可愛らしいのである。ただ他の女の子たちより際立っているとは言えず、また野外での活動が多いのでどうしても肌が日に焼け(この地の基準では、の話だが)、戦えば傷も残り。あこがれる「深窓の令嬢」などには絶対なれないだけのことで。…化粧もまだしたことないし。
今は夕飯の少し前の時間帯で、魚料理は鍋の中である。
「―姉ちゃん」
「何?ブレット」
子どもがやたら真剣な顔で寄って来たので、驚いた。
「やっぱり、この小屋、おかしいよ。小屋自体も、ローレさんも」
「そんなこと」
否定しようとしたが、彼は言い募った。
「見て。この、小屋の壁のところ」
外へ引っ張って行き、壁と地面の接合部を見せた。
「ここが、何なの」
「わかんない?…壁が、生きてる草を押し潰してるんだよ」
「…あ!」
確かに。木の壁が、まだ青々としている草を、潰していた。草は潰されながらもまだ懸命に緑の葉を日光の方に伸ばしている。
「どういうこと?」
「つまり、この小屋は、ほんの一日か二日前に、いきなりここに建ったんだ」
幼い顔に緊張の色を見せて、ブレットは何とか状況を説明しようとしていた。
「それに、ローレさん。気がついた?あの人の服の裾、ずーっと濡れてるんだ。乾く気配、ゼロ」
「え、え」
「おとぎ話で聞いたことあるよ。―あの人、水妖精だと思う」
水の中に住むという妖精の一種だ。女性はニクセ、男性はニクスと呼ばれていた。
「そう、なんだ」
「で、小屋がいきなりここに建って、あの人は正体隠してて」
まだ呑みこめていない「姉」のために、危険を知らせようとした。
「つまり、おいらたちを―姉ちゃんを油断させて誘いこむために、わざわざ小屋を造ったってこと。罠だよ、どう見たって」
「つ、つまり、ローレさんが」
「そういうことっ」
だから逃げよう、出て行こうと言いたいのだが。
「でも、でもどう見ても、悪い人には見えないし」
アスセーナには彼女は、滅多に同じ年頃の女性と話せないので自分たちが来てすごく喜んでいると、見えていた。演技とは、とても思えない。
「何か、理由があるんだよ。ほんとのことを言えない」
疑いたく、なかった。
「もう!やっぱお人よしだな、姉ちゃんは!」
ブレットは大いに呆れたが、こうなったらこの少女はてこでも動かないのも今までの旅で何となくわかっていた。
「おいらちょっとここを出るけど。一応、気はつけてて」
警告はしたよ、と言って小屋を出て行った。
「姉ちゃん、ああ言ってるけど、でも」
ブレットは一人、小屋の外でうろうろしていた。
「やっぱり、姉ちゃんだまされてるんだよ、ローレさんに」
だましてどうしようと言うのかまではわからなかったが、でも。
「何とかして姉ちゃんを説得して、逃がさないと。でも、どうすれば」
本人が信じ切っている、信じたいのだから困る。力ずくで連れ出すのは九歳児には無理だし。
「鎧の兄ちゃんなら。で、でも」
いつもはどこにいるのかもわからない。多分だけど、アスセーナか自分が本当に危険な時しか現れなそうだ。
「それじゃ遅いんだよ兄ちゃん…うう」
一人つっこみして頭を抱えた。彼に期待するより、動かぬ証拠をアスセーナに見せつけた方が話が早そうだった。
「でもなー、『証拠』って言っても。あれ?」
考えこみながら(ぶつぶつ言いながら)うろうろしていたら、木立ちの中に迷いこんでいた。いくら湖で途切れていると言っても黒い森の中だ。
「わ、やばい」
噂よりは安全だったけど、それでもどこに魔獣がいるかわからない、とあわてて出ようとすると。上から何やらきーきー言うわめき声が聞こえてきた。
「…?」
どうやら木のてっぺんあたりに、何かが吊り下がっていて声はそこから聞こえているらしい。こんな場合なのに、ブレットは正体を確かめてみたくてたまらなくなった。
「よっと」
木に飛びつき、するすると登って行った。ここしばらくの野外生活で身についたスキルだった。
「な、何だ、これ」
登って行って確認して、ますます訳がわからなくなった。
籠のようなものに入って吊り下げられていたのは、人間の子ども―のようなかたちをしていた。しかし、身体中もじゃもじゃの毛で覆われているのが違っていた。ぐったりした様子で、それでも必死で泣きわめいている。
「もしかして、ずーっと南の森に住んでるって言う『さる』っての、かな」
当然おとぎ話レベルの「聞いた話」でしかなかった。さらに好奇心に駆られ、子どもは籠を外して持って木から降りた。
「どっかで高く売れるかもっ」
思考がそっちに行ってしまうのが、都会で犯罪すれすれの生活をしていた者の性と言うか。とりあえず籠からその「謎の生き物」を出して、ぐんなりしているのを抱えたまま森を抜けて連れがいるはずの小屋に戻ろうとした(罠うんぬんの話は、帰ってから考えることにした)。
湖のほとりに建つ小屋が近づく、と。
「わあっ!」
いきなり、腕の中でぐったりしていた「謎の生き物」が、暴れ出した。腕の中から抜け出し、二メートルほどを一気にジャンプしてこともあろうに湖に飛びこんだ。
「わーっ!何すんだ、死んじゃうだろ!」
大あわてで水面を覗きこむが、浮いて来ない。それどころか、泡一つ立たなかった。
「どどどどういうこと!?おいらいじめてないし!」
いじめたのなら嫌がって飛びこむこともあるだろうが。―自分で望んで飛びこんだとしか思えない、とパニクったところで。
「な、何なの一体!」
聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。
「姉ちゃん!」
謎の生き物のことは頭からすっ飛んで、ブレットは声の方向に走り出した。
話は少しさかのぼる。「そろそろ出来上がりますよ」と声をかけられて、ローレと二人で皿などをテーブルに並べはじめたアスセーナだが。
(ほんとに、裾が…濡れてる)
あんなことをブレットに言われたせいか、そのことが否応なしに目についた。
(それに、ローレさんの動き、何か)
料理や台所仕事自体は慣れているのに、この小屋に妙に慣れていないと言うか。家具の配置に馴染んでいなくて、動きがぎこちない感じだった。
(でも、やっぱり)
人をだまして喜ぶタイプには、どうしても見えなかった。
「あの、何か」
表情に疑問符が浮かんでいたらしく、ローレがいぶかしげに声をかけた。
「あの、その」
あなたを疑っています、とは言えずわたわたするアスセーナの様子に、ローレも一瞬何か言いたげな顔をしたが。…何かとても済まなそうに、目を伏せた。
「ローレ…さん」
―その時、小屋の外からどしんどしんという音…足音?が聞こえてきた。何者かが小屋に近づき、取り囲もうとしているらしかった。
「何なの一体!?ローレさん!隠れてて!」
扉を細く開けてまわりを窺った(ガラス窓なんてあるはずもない)。
「ま、また、トロル!」
この間の岩巨人なトロルよりは小柄なタイプだった。しかし人間よりは大柄で、多分人間より怪力だろう。油断していい相手ではなかった。
「オマエ!ウラギッタナ!」
小屋を取り囲んで、そうわめき立てていた。
「ヒトジチガイナクナッタゾ!ニガシタナ!」
「そ、そんなこと…してません!」
悲痛な叫びが漏れた―ローレの口から。
「ローレさん!?」
「寝静まった所を、って言われて、それで!」
「サキニウラギッタノハソッチダロウ!マトメテタタキツブス!」
話なんぞ聞いちゃいなかった。―アスセーナは剣を抜き、小屋を飛び出した。木の壁を背に、トロルたちを迎え撃とうとした。
「ブレットはいないしね!逃げてくれればいいけど」
ローレがだますつもりだったのはわかったけど、誰かを人質に取られていたのもわかった。
「やっぱり、理由があったんだよ!ローレさんも、守るから!」
「姉ちゃん!」
ブレットは逃げようとかは考えず、アスセーナの元へ走っていた。何とか手助けできないかと考えつつ。そこへ、
「鎧の兄ちゃん!」
鎧武者もまたどこからともなく現れ、子どもと一緒に走っていた。―しかし、彼はコース取りを完全に誤っていた。
「兄ちゃん!そこ、やばいって!」
「…っ!」
ブレットの警告も間に合わず、脚甲がずぶずぶと泥の中に沈みはじめた。
「ここ、湖の際で!ぬかるんでるとこが多いんだよー」
「…っ…!」
抜け出そうともがくが、哀れもがけばもがくほど脚が沈んでいく。胴体近くまで吞まれそうになっていた。ちょっとやそっとでは抜け出せそうにない。
「ごめん、おいら先に行くよ!兄ちゃん何とか抜けて来て!」
自分じゃ手助けにならない、そう考えたブレットは駆け出して行った。
アスセーナは小剣一本でトロルたちの攻撃をさばき、受け流していた。壁を背にしているので、今のところ背後から襲われる危険はない。
「…ごめんなさい…!」
小屋の中から、ローレの泣き声が聞こえた。
「大丈夫だから、ローレさん」
アスセーナはつとめて声を張った。
「いざとなったら、湖に逃げこんで。―水妖精なんでしょう?水の中の方が、得意なんだよね」
「そこまで、気づいてて…!」
ローレはさらに泣きじゃくっていた。
「誰か、捕まってたんだよね?何か逃げられたみたいだし、大丈夫」
「エエイ!」
トロルたちは、やっと埒が明かないことに気づいたらしかった。
「コノカベガジャマダ!コヤゴトコワセ!」
力任せに小屋を破壊しはじめた。
「気づかれた!って言うか今まで気づかないって相当頭悪いけど」
まあ、トロルの類が力自慢で頭が悪い、とはよく聞くが。とにかく、壊す方に力を注いだ結果すぐに木の小屋はぶっ壊れた。壁が全部倒れてしまった。
「ごめんなさい!」
さすがに危険を感じ、ローレはすぐそばの湖に飛びこんでいった。
「これで、ローレさんは無事ね」
しかし、アスセーナ自身は。もはや遮蔽物もなく、トロルに取り囲まれ。
「じり貧、かも」
ブレットは走って、その場にたどり着いていたが。
「うわー、おいらじゃ役に立たないよー」
とりあえず隠れて様子を見ることにした。
「兄ちゃん、早く来て」
鎧武者の方がよほど役に立ちそうだった。
「…っ!~っ!」
もちろん鎧武者は、ぬかるみから抜け出そうと必死でもがいていた。しかし超重量の全身鎧はそうそう泥から抜け出せるものではなく、彼は大切な二人がいる方向を見やってがっくりと肩甲を落とした。
と。
「!?」
泥の中に何かを感じ、彼ははっとした…らしかった。―何者かが泥の中から、鎧の脚を押し上げようとしているのだ。
「~っ!~~っ!」
何だかよくわからないが支えを得て、鎧武者は怪力にものを言わせてさらにもがき、ようやく全身を泥沼から抜き出した。
「…」
一瞬振り向き、泥の中の「何者か」に一礼してから。鎧武者は出せる限りの速度で、しかしぬかるみに注意を払いながら、駆け出して行った。
数合、打ち合ったが。
「やっぱり、力不足…っ!」
鍛えてはいても、少女の腕力ではトロル相手にあまりにも非力だった。巨大な剣を振り回す可愛い女の子、というのはやはりおとぎ話の世界であった。
「くうっ!」
棍棒の一撃をさばき切れず膝をつきそうになる。その時、巨体が彼女とトロルの間に割りこんだ。
「鎧武者さん!」
「っ!」
剣を抜く余裕がなかったらしい。自らの身体を盾に、棍棒の一撃を受けてアスセーナを守っていた。
「だ、大丈夫!?」
「―」
ようやく大剣を抜き放ち、背後の少女に「大丈夫だ」と言うようにうなずきかけてから戦闘態勢を取った。
「わたしも!」
アスセーナもまた、彼と背中を合わせて戦う態勢を取った。
「コイツラ!」
トロルたちは数を頼んで襲って来るが。
(何かすごく、安心、できる)
お互いの命を預けられる、そういう友情を得た気がした。
(父さんが、昔そういう友達を二人得た、って言ってたけど)
自分も、そういう存在に出会えた―そう、感じていた。
とにかく二人で剣を振るい、トロルたちを寄せつけないでいると。
「グ…ボスハ、ナンテイッテタ?」
「タシカ、『ネコミヲオソエナカッタラ、、ヒケ』ダッタカ?」
「『ダメナラオレガデル』カ?」
勝てそうにない、と感じたのか何やら相談をはじめた。密談しているつもりらしいが、丸聞こえである。
「ヒクカ?」
「イイダシタノハ、オマエダカラナ!ボス二オコラレルノハオマエダ!」
「ワカッテル!オレダ!」
結局引き上げて行った。
「鎧武者さん。ありがとう、また…ひゃっ!?」
礼を言おうとした途端、アスセーナは鎧武者に抱き上げられていた。大丈夫か?と言いたげに、身体のあちこちに触れて怪我がないか確認していた。
―遅れてしまって、済まない。
駆けつけるのが遅く、危険にさらしてしまった―と、謝っているらしかった。
「大丈夫、大丈夫だから」
心配してくれるのは嬉しい、けど。
「わたしだって、戦えるんだから。あなたの助けは嬉しいけど、でも」
いくら感謝してもし足りない、けれど。
「一から十まであなたに守ってもらう必要は、ないの」
あらゆる危険から守る必要はない、そういう女の子ではないと伝えたかった。
「わたしだって、ちゃんとがんばりたい。あなたのことだって、守りたい。助け合おうよ、できることをして。だから、あなたも自分の身は守ってね」
無理をして彼が傷ついたら、その方が辛かった。
「わたしも、がんばるから。ね?」
笑いかける彼女に、鎧武者はまた抱きしめるように手を伸ばしたが。思い直したように膝をつき、一礼した。
―君は、一人前の武人だ。私とともに戦う、仲間だ。
「…うん」
信頼されている、そう感じてアスセーナは微笑んだ。
「姉ちゃん!よかった、何とかなって。おいら何もできなかったけどー」
ブレットが駆け寄って来た。
「いいのよ、そんなこと」
また、何かで助けてもらえそうな気がしていた。
「あの…済みませんでした」
湖面から、金髪の頭がひょっこり現れた。
「ローレさん!よかった、無事で」
「いえ、助けてくれて本当にありがとうございます。…ブレットくん」
「へ?」
「人質に取られていたうちの子を、助けてくれてありがとう。本当に」
「え…ええーっ!あ、あの、へんてこりんな毛むくじゃらの、あれのことー!?」
ひどい表現だが、子どもの感想なのでお許しを。
「そ、そうなの。水から離れると力を失くしてしまうので、何もできずに泣いていたら助け出してくれたと、言っていて」
あれを「助けた」と言っていいのかははなはだ疑問だが、いい方に解釈してくれたらしかった。
「『うちの子』って…えーっ!ローレさんって、子どもさんいるのー!?」
「は、はい」
細面の頬が染まった。
「じゃ、じゃあ、旦那さまは」
「夫は―そちらの、鎧の方をぬかるみから脱出させたと、申しております」
「…!」
鎧武者ははっとした様子で、大きくうなずいた。陰でアシストしてくれていたのだ。
「うわー…でも、それはそうよね」
十七歳で成人だが、その前に結婚して子どもの二、三人もいる女性はいくらでもいる世の中であった。まあ、水妖精の常識は人間とは違うかもしれないが。
「何か、すごく…先に行かれてる感じだけどー」
一緒に走っていると思っていた人が、実は一周先行して走っていた感じ。
「わたしなんて、まだ好きな人に『好き』とも言えてないのに~っ」
「まわりに、大切に思ってくれている人が、いるじゃないですか」
ローレは微笑んだ。
「え!?いえそんな、そういうんじゃなくて!わたしが、好きなのは…っ!」
はるか彼方にいるはずの「あこがれの人」を、思っているのだから。
「私も、夢のような出会いにあこがれた時期はありました」
水妖精でも、女の子の夢はそう変わらないらしい。
「でも、いつしか―すぐそばにいてくれる人の、優しさに気づいて。そういう人と『幸せ』を育んでいくのも、いいのかなと」
愛し合える相手に出会えた。それが見て取れる、満ち足りた微笑みだった。
「う、う」
その笑みを見て、アスセーナのただでも赤くなっていた頬はますます赤くなった。
「…お幸せに!わたし…わたし、やっぱり、今は!」
そう言ってぱっと走り出してしまった。
「いろいろありがとね!ローレさん、疑ってごめん!さよならあ!」
ブレットは足りていない言葉のフォローをしてから、後を追った。鎧武者はやはりローレに一礼して、夕景に消えて行った。
(すぐそばにいる、よく知っている人…っ)
でも。
「わたしは、やっぱり!アレクサンデル殿下が、好きで!」
遠くにいるはずの面影を、心に抱いて。
アスセーナはずんずんと歩き続けた。