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凛月  作者: Nemuri
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譲一郎

「ただいまー…、あれ?」

古くて小さいアパート。2階の1番右端の部屋の前で、前髪を整えてグロスを塗った。意を決して鍵を開け、部屋の奥に話しかけた。部屋の電気はついておらず、いつもの場所の椅子に座っているはずの譲がいなかった。

とりあえず部屋に入り、スマホで位置情報を確認する。車で30分ほどの距離にいるようだ。

「今日は休みなんじゃ…。」

腕時計で時間を確認すると今は12時をまわったところ。またか…と思ったが、仕方ないので服を脱いでシャワーに入ることにした。

付き合って3年半ほどたつ譲一郎じょういちろうと会うのは2か月半ぶり。遠距離…とまではいかないがそこそこ遠いところに住んでいるのと、私の外出が1,2か月に1度しか許されないという事情から簡単には会えない。それに加え今回は譲の出張があり、いつもよりも間が開いてしまった。多忙な譲だが、今回は久しぶりに会うからと休みを取っていてくれたはずだった。

「なんだか、いつもこうなるな。」

熱いシャワーを浴びて、譲のためといつもより念入りに身体を洗う自分が少し馬鹿らしくなった。


シャワーから出ると、譲からメッセージが来ていた。

『急な仕事が入った。何時に帰れるかは未定。』

いつも通り事務的な連絡だ。了解、とだけ返信をしてワンルームのわりに大きいベッドに横になる。

譲は忙しい社会人で、しかもある業界で有名なすごい人。私はただの大学生。このアパートだって仕事のために借りている一室なだけで別荘までも持っている譲。大学にすらうまく通えなくて、人並みにですらできない私。釣り合わないのはわかっている。求めちゃいけないのもわかっている。

「ただ待ってるだけじゃだめだな、病む。」

一回寝てしまうと起き上がりたくなくなるようなもふもふのベッドから気合で起きる。冷蔵庫を覗くとほとんど何も入っていなかった。

「夜ご飯でも作るか。」

独り言が多い自覚があるが、口に出すと若干やる気が出る。

「着替える!エコバック持つ!カギ閉める!傘はめんどくさいからいいや!」

私はさっさと準備を済ませると今にも涙をこぼしそうな重い曇天の中スーパーへ向かった。






一番近いスーパーは徒歩10分ほどの距離だ。あまり買いすぎると持って帰るのが大変だと思いながらも少しでも褒められたくて、いいものが作りたくてかごに物が増えていく。譲は自炊をほとんどしないので生野菜やお肉、お魚は使い切れる量を。コーヒー用の牛乳がなくなりかけていたな。最近譲はどういうスパイスが好きなんだろう。などと考えながら買い物をするのは楽しい。つい長居をしていると、譲からメッセージが来た。

『今日は和食がいい。牛乳と卵買っといて。たまにはいい奥さんしてね。』

せっかく楽しく買い物をしてたのになんだかもやもやした気持ちになる。スーパーにいることを知っているなら私の位置を見ているはず。滞在時間を見れば買い物は終盤だとわかるはずなのに今更和食のリクエスト。いい奥さんとは。それになんだ、たまにはって。

先ほどの仕事が入ったという連絡もそうだが、なんだか蔑ろにされているような気持ちが沸き上がってきてしまう。ふと横を見るとお気に入りのチューハイが目に入った。

「腹が立つから、飲みながら作ろう。」

お酒をかごに入れ、作ろうと思っていたボルシチの材料をすべて売り場に戻した。1からレシピを考え直したためスーパーをもう1周する羽目になった。


会計を済ませて外に出ると、雨がぽつぽつと降り始めていた。ちゃんと傘を持ってくればよかったと思った。買い物もしすぎた。荷物が重い。

『あと1時間くらいで帰れるかもしれない。』

また譲からメッセージが届いていた。やっと会えると嬉しくなった私は真冬の雨の中、手袋をするのも忘れて重い荷物をもって走って帰った。


「…全然、帰ってこない。」

時刻は夜7時半。最後のメッセージが来てから6時間が経とうとしている。夜ご飯はとっくり作り終え、買ってきた350mlのチューハイもとうに飲み切ってしまった。そこまでお酒が強くなく、久しぶりに飲んだ私は働かなくなった頭にブレーキを掛けられない。独り言が止まらない。

「もともと今日は休みだったじゃん…。2週間前から行く約束してたのに。100歩譲って仕事入っちゃったのはしょうがないとして、ごめんの一言もないの?挙句の果てにはたまにはいい奥さんしてねって。馬鹿にされてる?」

いざ不満を口に出してしまうと負の思考が止まらない。こういったことは今回が初めてではないだけに、3年間ためてきた不満が爆発してしまった。それでもこの不満を今はどうすることもできない。私はもやもやしながら譲の帰りを待っていた。






時刻は夜9時を回り、夜も更けてきたころ。譲がようやく帰ってきた。

「おかえり。」

声をかけたが譲はこちらを見ることもなくシャワーを浴びに行ってしまった。私は譲が帰ってきたという事実だけでうれしくなってしまい、たいして気にしなかった。

「酒、飲んだの。」

シャワーから出て私に服を持ってこさせたときに初めて、譲は私の目を見た。

「飲んだ。少し。」

私が答えると譲は私の腕をつねった。急な痛みにびっくりして何も言えずにいると、譲は不機嫌そうに口を開いた。

「なんで?何勝手なことしてるの?」

まずい、譲の地雷を踏んでしまった。そう思った瞬間頭が真っ白になる。

「俺、酔ってる奴見るの嫌い。不愉快。」

譲はキッチンの収納に行き、ウイスキーとグラスを取り出した。いつもの場所に座ると、ストレートで飲み始める。

「こっち来なよ。一緒に飲もう。」

譲が氷のように冷たい声で私を呼ぶ。怖くて近づきたくないが、身体が勝手に譲の隣に正座する。酔いは、とっくにさめた。涙が勝手にあふれ、息が苦しくなってくる。

グラスにウイスキーを注ぎ、私の前に置くと、譲が数分の沈黙を破って口を開いた。

「なんで、飲んだの?」

譲の澄んだ深緑の瞳が私をとらえて離さない。

「…特に、理由があって飲んだわけじゃない。買い物の途中に、目に入って」

「嘘つくな。あるだろ、理由。」

譲がまた私の腕をつねった。その瞬間胸の奥から熱いものが昇ってきて、頭がいっぱいになった。

「さみしかったの!いると思ってアパート来てみればいないし。全然帰ってこないから!今日約束破ったのそっちじゃん。お酒だって今まで飲むなとか言われたことなかったから今譲が何で怒ってるのかわからない!」

自分でも声が震えているのがわかった。こんなこと、言いたくなかったのに。

「なにその理由。小学生みたいだね。お酒は、前から何の意味もないって伝えてたはずだけど。」

譲は冷ややかな目でこちらを見た。みるみる自分の顔が赤くなっていくのを感じる。確かに幼い自覚はあった。だからこれまでずっと我慢していた。お酒はなんの意味もない、生産性がないと前に一度聞いたことがあったが、飲んではいけないとは言われたことがない。

そもそも私は理性的に正論を言って感情論を認めない譲が怖くて自分の意見を譲にあまり言ってこなかった。対等に話そうとすることをあきらめていたつけが数か月に1度、訪れる。

「悪かったよ…。小学生みたいで。でもこれが私だ。」

気づけば口が勝手に動いていて涙の勢いも増していく。

「お酒のことも、私の勘違いじゃなければ飲んではダメなんて言われたことないと思うけど。理由は?納得できるように説明してくれない?」

譲は一瞬目を見開いた。しかしすぐにため息をついた。

「確かに、飲むなと言ったことはない。実際凛月が俺の前で飲むなんて想像したこともなかったから。俺の、俺を捨てた親父が酒を飲んで暴力をふるう奴だったから。嫌いだ、酔った人間は。」

譲はクォーターで、両親に捨てられた過去がある。その後ポルトガル人の祖父のもとで暮らしていたが、そこでもネグレクトを受けて餓死寸前のところ保護され、養護施設で育った。譲は過去を話したがらないし、記憶も曖昧なようなのでどこまで本当かはわからない。譲に父の記憶があったことを知ったのも今が初めてだ。

高校生の頃はそんな譲の話を聞き、お前より不幸な奴がこの世にはいっぱいいると言われ続けていた。お前は不幸な自分を大事にしていて甘えているのだと言われ続けてきた。つらいことがあって、彼氏である譲に抱きしめてほしいと願った、そのたびに。


『確かに、自分より不幸な人はこの世にいーっぱいいるね?でもそんなのわかってても、辛いものは辛いよね?言ってやれよ、りっちゃんの自己中彼氏に。自分こそ自分の不幸に囚われてるってー。』


どこからか、声が聞こえた気がした。勘違いだろうか。譲はどこか遠くを見て続ける。

「それに、お前は依存しやすい性格じゃん。酒を覚えたらおわりだよ。」

自分が依存しやすいのは知っていた。中学生の時、薬とリスカにハマり、自殺未遂を3回した。今は譲に依存しているんだろう。

それでも、お酒を飲める20歳になっても尚、自分をコントロールできずにお酒に溺れると思われていることにさみしさを感じる。全く信頼がないのだ、と感じる。そう思っても、それを譲に伝える気にならない。論破されるのが目に見えている。


『この小心者。』


今度ははっきりと、高い声が聞こえた。ズキンと胸にかなりの衝撃が走った。思わず胸を押さえてうずくまると譲に髪を引っ張られた。

「ねぇ、聞いているの?別に俺に依存するんだったらいいんだよ。でもそれ以外はダメだよ。」

譲の目は私を見つめていて、そらすことは許されない。自分に対する呆れとあきらめがどろりと身体に広がっていく。

「おしおきだね。」

残酷なほどきれいな深緑の瞳を細めた譲を見つめた。この人を受け入れられるのが、私だけでありますように。



左頬に感じた衝撃を最後に、私は意識を飛ばした。



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