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ゼリービーンズをつむぐ  作者: Bunjin
第一章 武鎧 摩唯伽
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9

「はぁ?」


 気が抜けたような返事を佐藤さんはした。無理もない。緊急事態に私が行ってもお役に立てない。


「井出さんと行くほうが宜しいのでは?」

「残念だが保全部も今は手一杯でな。だから、武鎧さんと行けと言っている」

「でも、実験センターですよ」

「うまく教育してやってくれ」


 課長と佐藤さんのやり取りを、私は黙って聞いているしか出来ない。佐藤さんが辛そうな目をして私を見ても、何もしてあげられない。私が行っても役に立てないどころか、教育担当の佐藤さんの足を引っ張ってしまいます。


「課長の命令ならば、了解しました。―――行こう」


 佐藤さんが怒っているのが伝わってくる。役に立たない新入社員だから、非力な女性だから、私は消え入りたい気分になりました。


「きららちゃん、すぐに出張の準備をしに帰ろう。泊りになるかもしれないから、取り敢えず着替えを三日分用意してね」


 三泊もするの!


 兎に角、保養所に行った時と同じものを用意することにしました。但し山の中に行くので私服をどうするのか迷う。靴もスニーカーにするべきなのでしょうか。しかし、車で町まで食事に行くのなら、お洒落にしたほうが良いのでしょうか。決められない迷いに困惑してしまいます。


「コーヒーはあるのかな。持って行く?」


 私の必需品です。これを飲まないと私は何も出来なくなる。お気に入りのコーヒー豆と手挽きのミルを棚から出した。朝と夜の三日分の豆を量って袋に詰めます。


「うん。良い香り」


 気持ちを落ち着かせて、再び準備に取り掛かる。研修なのだから内容をまとめられるように筆記用具やノートパソコンも必要になる。充電器と延長コードと、モバイルバッテリーはどうかな。


「保養所で、持っている人もいたわね」


 あれば安心できる。そして、安心といえば薬も必要です。


「スーツって、いるのかな」


 着替えの洗濯は出来るのかしら。コインランドリーとか?

 尽きない疑問が巡っている時、携帯電話が鳴り出しました。


「きららちゃん。もう一時になったけれど用意は出来たかな?」

「ごめんなさい。私服が決まらなくって。それに靴も」


 電話の向こうで途轍もない溜息が聞こえてきました。私は何か悪いことを言ったのかしら。


「きららちゃん、外出はしないから私服はいらないよ。作業服だけで十分なんだ。あと、簡単な部屋着とパジャマでもあればいいよ」

「そうなんですね」


 そんなの聞いてないよ。私は泣きそうになった。分かっていれば、もっと早く準備を終えて出発できていたのに。でも、今更荷物を詰め直すのも時間が掛かります。


 女子寮の玄関前で佐藤さんは待っていてくれました。手を振って近付いて行くと、やっぱり少し待ち疲れた顔をしている。ちょっとお待たせし過ぎたかな。


「すみません、すみません」


 申し訳ないので何度も頭を下げて、佐藤さんのご機嫌をとってみようと思ったけれど、それ程怒ってはいない様子でした。


「女の子って、荷物が多いんだねぇ」


 佐藤さんは優しいけれど、そんなことを言う。キャリーバッグと、大きなタッセルが可愛いレザー製のリュックには財布と手帳に化粧ポーチも詰めていた。


「そうなんですよぉ」


 別にいいじゃないですか。佐藤さんにはご迷惑をお掛けしません。そう思いながら笑顔で答えている。私は悪い女の子なんですよ、佐藤さん。


「社員食堂はもう終わっているから、何処かで食べて行こうか」


 あっ!


 私はすっかり忘れていました。それなのに言われた途端にお腹が減ってきて、危うく大きな音が鳴るところでした。


「きららちゃんは苦手な食べ物ってあるの?」

「私ですか。私は生のお魚が食べられないです。煮たり焼いたりしたものは、まだ大丈夫なんですが、生ものは絶対に駄目です」


 そう断言してしまう程ではないけれど、食べたくないのは確かなの。あの時から生の魚を食べても味がしない。でも、それよりももっと食べられなくなったものがある。それは『味噌カツ』です。おじさんが好きだということは、佐藤さんも同じなのだと思う。だから、『味噌カツ』が食べられないなんて絶対に言えませんでした。


「あぁ、そういう人いるよね。以前、食中毒で苦しんだとかで」


 優しい佐藤さんには、私のことを知って欲しい。それはおじさんに似ているから、そう思ってしまうのかなぁ。


「私は、――― 私は、それで両親を亡くしたんで」


 佐藤さんは黙ってしまう。当然かなぁ。冗談では済まされない言葉なのは分かっています。


「佐藤さん、危ないですよ。ちゃんと前を見て運転してください」


 対向車線に車がはみ出そうとしていた。幸いにも対向車がいなかったので助かりました。


「あっ、あぁ。―――ごめん」

「よそ見しないでくださいね。事故を起こしたら、謝ってもらっても許しませんよ」


 私が悪いのに、つい言ってしまいます。


「いや、御両親を―――」


 分かっています。辛いことを思い出させてごめんと言ってくれているのでしょう。私こそ御免なさい。もうそんな顔をしないでくださいね。


「えっ、嫌ですね。本気にしたんですか。そんなの冗談ですよ」


 呆然とする表情に変わる佐藤さんを見て、本当に申し訳なく思いました。怒られても仕方ない話でした。でも、私は思っていることとは違うことを笑いながら言わなければならないのです。


「お肉食べましょうよ、お肉!」


 そう言ってお道化なければ泣いてしまうから。私の、お父さんとお母さんはもういない。だから、早くお昼ご飯を食べたいと身振りをして、佐藤さんを笑わせようとしたのです。


 ふんふんふんふん・・・


 鼻歌で『秋桜』の歌を口ずさむ時は、私の心が折れてしまった時なのです。でも、そうしているとお母さんが勇気をくれるから嬉しくなれる。

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