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「きららちゃん、マシニングセンタって何?」
職場に戻ると、佐藤さんからの行き成りの質問でした。工作機械のことは保養所での新入社員研修で教えられています。『機械を作る機械』とか『マザーマシン』というのだそうです。つまりはパンを焼く機械はパンしか作れないけれど、機械を作る機械は自分と同じ機械を作れる。だから機械の母と呼ばれるのです。
「鉄を削って、部品を作る機械ですね」
間違いのない答えだと思う。そうでなければ、あの研修は無意味になります。
「うん、正解」
ほらね。簡単な質問に、私は当然だと思いました。それなのに―――
「でも、僕は不合格を出すよ」
何故?
私は不満を顔に出してしまいました。意味が分からない。何故駄目なのでしょうか。佐藤さんは私に意地悪をしているのでしょうか。でも、最初に正解だと言ってくれている。間違いだとは言われていない。僕は不正解を出すと言うからには、佐藤さんが望む答えではないということなのかもしれない。
「成程、要求される解答ではなかったのですね」
もう一度考えてみよう。あの研修で教えられたのは、あくまでも一般的な知識でしかありません。佐藤さんのように実際に機械を使用している人にとっては違うのかもしれない。
じっくりと目の前の工作機械を見た。前カバーが開いていて、主軸頭が覗けた。胸の前で腕を組んで、人差し指を顎に当てながら、私は考えるポーズをとった。
「これまでの研修で習ったことは、この現場では通用しない。きっとそういうことなんだよね」
ドリルが突き出していて、先端から切削油が滴り落ちている。ベッドには切り屑を排出するチップコンベアが動いていた。
ここまでは研修のビデオ映像で見ていたものでしかありません。新たな発見は出来なかった。
「きららちゃんへの課題にするよ。僕の指導でどんな解答に変わっていくのか楽しみだね」
佐藤さんの指導は、研修で習ったのとは違うって、どういうことなの?
「私も楽しみです。何を教えていただけるのか宜しくお願いします」
知らないことを知るのは楽しいと思います。機械の知識がない私を、佐藤さんはどのように変えてくれるのかな。
「例えば工場には圧縮されたエアーがあちこちに配管されている」
佐藤さんはくるくると巻き付いているホースの先に取り付けられたノズルを手にしていた。握ると鋭い音がして圧縮空気が放出されました。
「これは機械にも繋がれているんだ。でも、そのままでは使えない。このエアーは汚れているからね」
佐藤さんに従って機械の裏側に回った。プラスチック製の透明な筒とか文字盤に針が付いたゲージとか、大学の研究室で薬品装置などに付いていたような部品が並んでいました。
そんな部品にはあまり気を留めてこなかった。化学科であるからには、薬品に注視している。機械はスイッチを押せば動いてくれるだけのもので良かったのでした。
「工場内の配管の内部は劣化して錆があるかもしれない。そんなエアーは鉄粉だらけで機械には使えない。だからこのフィルターで綺麗にするんだ」
一つ一つの部品には役割がある。佐藤さんはそれを教えてくれるのだと気付きました。透明な筒状の機器を指先でこんこんと突いている。
「さて、このフィルターは二つもあるよね。一つ目で大まかに鉄粉とかのゴミを取って、機械が削った切り屑を掃除するエア―ブローに使ったりする。二つ目を通すと、エアーは更に綺麗になるので、機械の内部に入って、いろいろな役目に使われる。それはね、家庭の水道水で言うと、手洗用と飲料用みたいなものだよ。川の水は汚れているから少し綺麗にして手を洗えるようにする。もっと綺麗にして飲めるようにする。それと同じなんだ」
何ということでしょう。楽しいと、私は本当に感じてしまった。ポケットから手帳を出して、夢中で佐藤さんの説明をメモしている自分がそこにいました。
「さて、そのエアーだけど、機械で使うには一定の圧力にしなくちゃならない。低過ぎても高過ぎても動作不良を起こすからね。だけど工場から供給されるエアーなんてものは、そこここの工場によって圧力が違うから、そのままでは使えない。だから、これ」
文字盤に針が付いた装置を差している。
「レギュレーター。圧力を下げる機器だよ」
手帳にレギュレーターと書きながら、圧力を下げるということに疑問が湧きました。
「下げる・・・ 工場のエアーが低かったら、増圧するんですか?」
佐藤さんの目元が少し上がった。私の質問が的外れだったのかな。
「増圧機っていうのはあるんだけど、ほとんどの場合、工場のエアーは高圧になっているから減圧が一般的だね」
「ふーん」
ちゃんと質問に答えてくれる。佐藤さんはいい人です。
「ちなみに増圧機っていうのはね」
佐藤さんは紙に図形を書いてくれた。難しい機械の図面だった。空気が流れる方向を説明してくれて、これで圧力が二倍になると言われたけれど、私にはチンプンカンプンでした。
「話を戻そう。機械で使える圧力にしたら、ここでフソクの事態に備える」
「不足?」
何が足りないの? ちょっと待ってください、先生。私は思わずそう言いそうになりました。
「予期しないことだよ。工場からのエアーの圧力が突然低くなってしまった時、そのまま機械が動いていると事故を起こすから緊急停止しなきゃならない。そこでこいつ」
言っていないのに説明してくれる。私って、思っていることがそんなに表情に出ているのかしら。
「圧力スイッチ。圧力を測って、異常があればアラームを出す」
おっと言って、口が尖ってしまった。説明してもらっている部品に感心して、口の形がそんなになっているのです。顔に意識を向けていると、私は随分と表情を変えているのが分かった。
「で、必要な時に応じてバルブを開け閉めするソレノイドがあるんだ」
佐藤さんがそんな私を見ているのが不思議に思える。でも、私が百面相をしているので無理もないのかな。いろいろなことを教えてやれば、面白い顔をする女の子とでも思われているのかな。
しかし、それ以上に機械が面白い。佐藤さんにどう思われても、もっと機械を教えて欲しいと思った。
「至れり尽くせりなんですね。この部分だけでも、こんなに考えられて作られているなら、全部知ることが出来ると楽しいですね」
そう言って私が笑うと、佐藤さんも笑ってくれました。
「佐藤、居るのか!」
課長の焦っている声が聞こえました。私たちは大きな機械の裏側にいるので、他の人たちからは見えない位置にいます。
「すぐに実験センターに行ってくれ。レーザー加工機が停まった」
「えっ」
佐藤さんが驚いた声を上げている。実験センターといえば、とんでもない山奥にある施設と記憶しています。そこに配属されて、転職を考えている同期の新入社員がいるくらいの場所でした。
「緊急事態だから、武鎧さんも連れて行け。宜しく頼む」