7
職場の朝礼は皆が集まっていて、こんなにも従業員がいたのだと驚きました。広い工場の中なのだから、それぞれが持ち場に散らばっていると分からないんだと思った。取り敢えず自己紹介の場を頂いたのは想定通りでした。
「岐阜県出身の武鎧摩唯伽です。武士の鎧で『ぶがい』と言います。機械のことは初めてなので何も分かりませんが、一生懸命に頑張ります。皆さん、宜しくお願いします」
たくさんの視線を感じた。どれも温かい感覚がしたので、周りを見てみると、皆が私の顔を珍しそうに見詰めていました。どうしてそんな目をしているのかは分からないけれど、拒絶はされていないみたいだから安心した。何故って、特におじ様たちがちやほやする言葉を言ってくれるから。そして、その言葉からここに来る女性社員は私が初めてだと知ったのです。
「無責任な奴らだ」
朝礼が終わってから、佐藤さんが突然に小声で言ったことに、私は驚いてしまいまた。そういえば佐藤さん一人だけが不機嫌そうにしていた。もしかすると、私の教育担当になったことに腹を立てているんでしょうか。
「ここは飛行機とかロケットとかを作っているんだけど分かるよね」
やっぱり怒っている。ここがどんな会社なのか理解していないで就職できる筈がない。それなのにそんな質問をするなんて意地悪をしているのでしょうか。それならば控えめな返答をしたほうが賢明な気がします。
「あのー、私は機械のことをあんまり知らなくて、就職活動の時にここに勤めている先輩に聞いたんですけど、よく分からないです」
少し甘えた声で言いながら肩をすぼめてみた。
「まぁいいよ。そのほうが教え甲斐がある」
やったー。佐藤さんは意外と扱い易いのかもしれない。
「学校は?」
「化学を専攻してました」
「いやいや、僕が訊きたいのは――― まぁ、いいや」
分かってます。訊きたいのは出身大学でしょう。でも東京大学ですなんて言ったら、敬遠されそうな気がしました。私はそういうのには敏感なのです。
「小保方さんみたいな割烹着姿で試験管を振ってたんですよぉ」
憧れの小保方さんを演じて、指先で試験管をを掴んで振る真似をしました。その手を佐藤さんはじっと見詰めている。眉間に皺が寄って、心配そうな表情に変わった。
「化学なのに、どうしてこの部署だったんだい?」
「入社試験の成績が駄目だったんでしょうかね」
ぺろりと舌を出して、いけない返答をしたことを後悔しました。それはこの部署を侮辱していることになる。成績の悪い者が来るような部署。どうかそう捉えないでと、私は願いました。
「ところで、学生の時はみんなに何て呼ばれていたんだい」
ほっとした。質問を変えてくれた。ありがとう、佐藤さん。私は心から感謝しました。
「私ですか。単に名字で呼ばれてましたけど」
「摩唯ちゃんとかは?」
お母様は、そう呼んでくれる。でも、お父さんとお母さんは違う呼び方をしてくれていた。
「それは家でだけですね」
「そうかぁー」
佐藤さんは困った顔をしたけれど、直ぐに明るい表情を取り戻しました。
「きららちゃんは?」
えっ!
まさかと思った。佐藤さんは本当におじさんと同一人物なの?
「あー、それなら小学五年生の時から近所のおじさんに」
何だか嬉しくなってきました。ちょっと笑い過ぎかなって思ったけれど、おじさんのことを咄嗟に近所の人と言ったから、余計に可笑しくなった。
「私ってキラキラしてますかね。何だかそんなふうに言われてました」
私のそんな様子を見て、佐藤さんは気を良くしている。顔文字のほくほく顔みたいになっていた。
「じゃあ、そういうことで決まりね、きららちゃん」
私はどういう表情をしているのかな。たぶん佐藤さんと同じだと思う。大好きなおじさんに呼ばれている気分になれて嬉しくて堪らなかった。
暫くすると、皆が私を『きららちゃん』と呼んでくれるようになりました。でも、本当は佐藤さんだけに呼んで欲しい私がいるの。皆が『お嬢様』と呼ぶ中で、おじさんだけが『きららちゃん』と呼んでくれたようにして欲しかったのです。
「それは私の我が儘だよね」
トイレで私は独り言を言っている。鏡に映る自分の顔を見詰めて、少し冷静になったほうが良いと思いました。きららちゃんと呼ばれて、私は平常心を失っているのです。そんなことよりも私にはするべきことがある筈なのに。