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ゼリービーンズをつむぐ  作者: Bunjin
第一章 武鎧 摩唯伽
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「武鎧摩唯伽です」


 お辞儀をして挨拶をしたのに、その人は私をじっと睨んでいる。私は驚いて、課長の背後に自然な振る舞いに見えるようにして隠れました。


 その人は私のことを課長から知らされていなかった様子でした。教育担当者になれと突然言われて、顔色を変えている。それでも有無を言わせずに肩を叩かれて、その人は渋々と命令に従いました。


「えーっと、佐藤です」


 佐藤博基さん。それが、この人の名前。私はこの人の名字を聞いて本当に驚愕しています。しかも、その人とそっくりな顔をしていたからなのです。ただ年齢が全然違うから、辛うじて別人だと思うことが出来ました。


「武鎧摩唯伽です。どうぞ宜しくご指導ください」


 やっぱりね。武鎧という名字は珍しいので、聞いただけでは認識してくれる人はあまりいない。この佐藤さんも戸惑った表情をしていたから、私が知っている佐藤さんとは別人なのでしょう。


「えーっと? ぶが、いまい、か?」

「はい」


 こんな時はいつでも私はこうすることに決めています。失礼だと思われるかもしれないけれど、これが一番手っ取り早くて正確でした。


「ぶぅがぁい、まいか、です」


 胸の名札を指先で持ち上げて、発音を強調して言うのです。


 佐藤さんが納得した表情に変わっている。画数がとても多い私の名前を覚えてくれたみたいでした。ほっとして胸を撫で下ろしました。どうやらこの佐藤さんも、いい人だと直感しました。


 製造部配属の第一日目を終えて、女子寮に帰った。疲れてしまっていて、あまり食欲がわかない。そのせいで食事の準備をするのが億劫になりました。


「先にお風呂にするかぁ」


 変な汗を掻いていた。緊張している時の汗は嫌いです。不快で嫌な臭いがするので、誰にも気付かれないようにするのは大変でした。


 お湯に浸かると、おじさんの顔が思い浮かんだ。いつも私のことを気に掛けてくれている優しい人。名前は佐藤さん。いつもおじさんとしか呼んでいないけれど、私が今日初めて会った人と同じ名字です。


『あいつは僕だけど、僕とは違うんだ』


 いつか似ている人が現れると聞かされた時、小学生の私には意味が分からなかった。だから今日、佐藤さんと会って何かが分かった。―――なんてことは少しもありませんでした。


 おじさんの年齢は、多分五十歳くらいです。はっきりと聞いたことがないので、何とも言えないけれど、容貌に刻まれた雰囲気は確実にそうだと思います。


 五十歳を二十五か二十六歳までに若くすると、おじさんの顔は今日会った佐藤さんと瓜二つになる。いいえ、同一人物と言っても不自然ではなかった。


 けれども、この世の中に同一人物がいる筈がない。ただ似ているだけの人に出会っただけで、おじさんが小さい私をからかって言ったことを、私が勝手に思い込んでしまったに過ぎないのでしょう。


「照手神社へ」


 そこへ行って欲しいとおじさんに頼まれていました。私にとっても、おじさんにとっても、とても大切なことが起きる。人生を変える出来事が待っていると、おじさんは真剣な眼差しで話していました。


「私は、今の人生が大嫌い。人生を変えられるものなら変えてみたいわ」


 本心からそう願う。実の両親に生きていて欲しかった。悲しみと悔しさが私を襲って来る。涙が溢れて流れ落ちる。湯船のお湯と混ざり合って、私の涙は掻き消えていく。けれどもどんなに消えていっても、溢れ出る涙は止まらなかった。


 眠れない夜を明かして、出勤の時がきました。


「頑張ろう!」


 今の私にはそれしかない。早く仕事を覚えて、お父様の役に立つ。それが私の役目なのです。逃れられない束縛と抑止。目には見えない力が私を苦しめ続けていました。

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