16
暫く佐藤さんの作業を見ているだけになった。手際良く部品が分解されていく。ホースを外された時、油が大量に流れ出た。佐藤さんはそれを素早く容器に受け取ってから栓をした。流出を最小限に止めたのは流石だと感嘆しました。
やり方を説明されて、私はケーブルベアのアームを開いていった。光ファイバーケーブルが無傷であるならば、それを修理後に再利用したいらしいのです。レーザー加工の重要部品だし、高価で手に入り難いものだって理由。
「出来たね、きららちゃん」
与えてもらった作業が上手に出来て褒めてもらうと嬉しい。佐藤さんは私をちゃんと見てくれているので安心して作業が出来ました。
「はい、ご指導の通りです。でも、これを見てください」
光ファイバーケーブルが断線している。佐藤さんの期待は外れたのです。
「これは駄目だな。作戦変更するね」
私たちは大きな部品の解体に取り掛かった。レーザー照射ヘッドを分解して、プロテクトカバーなるものを天井クレーンで吊り上げて排除すると、機械内部は表側からでも見えるようになりました。
「きららちゃん、ここのボルトが見える?」
機械の裏側から佐藤さんが狭い隙間に腕を突っ込んでいました。私は機械の表側から佐藤さんが言っている辺りを探した。
「どこですか?」
手を突っ込んで探ってみる。でも、こちら側からは佐藤さんの腕に遮られて見えなかった。もう少し向こう側からなら見えそうな気がします。それは佐藤さんの腕の向こう側。
ガンッ!
何かが当たる音がした。佐藤さんが身を捻った時にヘルメットをどこかにぶつけたみたいでした。
「ちょっと待ってくださいね」
じっとしててくださいよ、佐藤さん。絶対に動かないでくださいよ。私はそう祈りながら、佐藤さんの腕の上に覆い被さって機械の隙間に入った。
出来るだけ体を浮かせて、佐藤さんの腕には乗らないようにしている。でも、お腹は少し触れてしまっているけれど、胸だけは絶対にそんなことは出来ない。だから、懸命に左腕で支えました。
「見えました。あれを外すのですね」
恥ずかしいので早く済まそう。胸は浮かせているけれど紙一重で、作業服は佐藤さんの腕に触れているみたいでした。
「出来ましたよ」
外れたボルトを右手に掴んで、佐藤さんに見せた。そして、急いで隙間から抜け出そうとするけれど、気を付けないと体を浮かせていられなくなってしまいます。佐藤さん、もう外れたのだから早く腕を抜いてくださいよ。それとも私の体が触れてしまうのを待っているのですか。
「はいはい、よく出来ました」
何なの? 佐藤さんが変な言い回しをしている。それって馬鹿にしている褒め方じゃないですか。
「あっ、何だか馬鹿にされてるような気がする。折角一生懸命に頑張って、佐藤さんの望み通りにしてあげてるのに」
少し困らせてあげたくなって、私も変な言い方をした。少しだけです。
「何のこと・・・僕は」
あれ? すぐに気付くなんて思いませんでした。佐藤さんは鈍感だと思っていたのに。
「冗談ですよぉ」
悪いことをしたと思いながら、私は芋虫のような動きをして隙間から這い出した。戸惑った表情のままで佐藤さんはうな垂れている。そんな顔をされると本当に申し訳ない気分でいっぱいになりました。
きゃっ!
流血している。私は佐藤さんの顔に赤い一筋を見ました。
「これは冗談では済まされないですね!」
佐藤さんの右耳から血が出ている。すぐに手当てをしてあげなければならない。とても作業を続けていられる状況ではないでしょう。
「佐藤さん、今すぐにそこから出て来てください」
つい口調が強くなってしまって、私自身も驚いた。でも、ぐずぐずはしていられない。佐藤さんもそれに従ってくれて、機械の中から出ようとしています。私はそれを確認して、救急箱を探しに行った。
「野山係長」
事務室でパソコンに向かっていた野山係長は、私の報告を聞いて慌てた。佐藤さんが怪我をするなんて信じられないと言って蒼ざめた表情に変わっていったです。
救急箱を渡されて、私は野山係長の後を追って佐藤さんの元に戻りました。
「間抜けなことをしやがって!」
えーっ、野山係長。そんなことを言わないで心配してあげてくださいよぉ。ちょっと酷いと思う。
「どこだ?」
「耳です。右耳」
佐藤さんは問われても、ぼーっとしているみたいで私が代わりに答えた。そんなに具合が悪いだなんて、どうすれば良いのでしょう。私と一緒に作業をしていたのだから、労働災害の責任は私にもある。入社して間もない出来事に私は全身が震えました。
「何だ、これっぽっちか。こんなのは絆創膏でも貼ってやれば十分だ」
佐藤さんの怪我を確認した野山係長が意外な言葉を放ったのです。そこにはほっとした安堵の声が混じっている。
「何です?」
佐藤さんが訳が分からないといった様子で、右耳に手を触れている。そして、その自分の手が赤く染まっているのを見ても、何故か無感動に表情を一つも変えなかった。
「消毒します。そこに座ってください」
救急箱から脱脂綿を取り出して消毒液を含ませた。壁際の椅子に座って佐藤さんはぼんやりしている。やっぱり耳を怪我しているのだから、頭を打っているのかもしれない。そんな心配が脳裏に過ってしまう。でも、私はどうして良いのか分からなくなった。野山係長はまったく心配していないようだし、このままでも大丈夫なのかなぁ。
「じっとしていてください。ちょっと沁みるかもしれないですよ」
傷口を消毒されながら、佐藤さんは野山係長に謝っている。どうやら状況がやっと理解できたみたいで、私は我に返ってくれた佐藤さんにほっとしました。
「痛くないですか? 大丈夫ですか? 他に痛いところはないですか?」
ひたすらに心配の言葉を掛けている私を佐藤さんは見詰めている。傷も小さなものだったし、私が大袈裟にし過ぎたみたいです。
「絆創膏って、地域によって呼び方が違うらしいですね」
バンドエイドを箱から出しながら、私は佐藤さんのうんちくを聞きたくなった。地方によってサビオやカットバンとか呼ばれている絆創膏の商品名を私は知っている。それ以上に物知りな佐藤さんは私が知らないいろいろなことを知っている。だから、私はそんな話をして欲しくなった。
「ステープラーはホッチキス、ラップはサランラップと同じだね」
「さすがに佐藤さんは物知りですね。ステープラーなんて知りませんでしたよ。因みに私はクルックルッのクレラップを使ってますよ」
佐藤さんはもう大丈夫みたい。私は安心した。野山係長にも心配をさせてしまって御免なさい。もっと冷静に判断するべきでしたと恥ずかしくなって謝りました。
「作業に戻れますか、佐藤さん。私に指示していただけば、何でもしますから宜しくお願いします」
足手纏いな私に何が出来るのか分からない。でも、佐藤さんには敵わないけれど、少しでもお役に立てたならと思った。
それなのに佐藤さんは不思議な表情になっている。ずっと私を見詰めたままで、その表情は険しいものから移り変わっていました。
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど、僕ってきららちゃんの何?」
それって、どういう意味の質問なのかなぁ? 佐藤さんは私にどう答えてほしいのかなぁ?
「あははは、そんなの決まってるじゃないですか。私の先生ですよ。宜しくご指導をお願い致します」
それ以外にはないのです。私は何でも知っている佐藤さんを尊敬している。だから厳しく教育して欲しい。佐藤さんはきっと私をこの菩提重工の社員として相応しい者にしてくれると信じています。