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ゼリービーンズをつむぐ  作者: Bunjin
第一章 武鎧 摩唯伽
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「実験センターに行く前にコンビニに寄るからね」


 社用車に乗り込むと、佐藤さんが言いました。寄り道ばかりしても大丈夫なのかしらと不安になった。


「ご飯を食べたばかりですよ。おやつでも買うんですか?」

「違うよ。今日は泊りになるかもしれないから、夕食の調達をするんだ。実験センターにはカップ麺くらいしか置いていないからね」

「あのう、実験センターって、何処にあるんですか? 私、何も知らなくて」


 山奥ということしか知らない。会社のウェブサイトの地図で見ていただけでした。


「あれ、きららちゃんの出身地なのに知らなかったの?」


 運転中なのに、佐藤さんは私の顔をちらりと盗み見た。


「岐阜県の山の中にあるんだ。福井と滋賀の県境の山奥だから気軽には食事に出られない。寮では前日までに予約しておけば食事は大丈夫だけれど、今日は無理だからね。コンビニ弁当を買って、寮の部屋の冷蔵庫に入れておこうと思っている」

「うわー、もしかすると私って就職先を甘く考えていたのかも」


 胸の前で腕を組んで考え込んでも、今更ながら仕方がなかった。それよりも車窓の景色は見慣れた自然の元へと近付いている。


「岐阜かぁ」


 実の両親の墓参りに帰ったばかりの場所でした。そして、義理の両親には遂に会わずにいた。会いたくなかったから、そうしてしまったのだけれど、本当にそれで良かったのかと悩んでいる。後悔をしているのかと自分に問うても、その答えはいつまで経っても出ませんでした。


 運転席の佐藤さんは集中しているのか黙ったままです。何を考えているのかは分からない。真剣な眼差しが道路の先のほうに向けられている。私はその横顔をじっと見詰めていました。そのうちに体を深くシートに埋もれるようにして、私はぼんやりとして思考を停止させていくのでした。


「きららちゃんの出身地って、どの辺なの?」


 何かを言われているような気がして、私は意識を集中した。何度も訊かれていたのかと心配して佐藤さんの顔を覗き込んだけれど、ずっと前を向いたままで動かなかった。


「私ですか。家は大垣駅から出ているローカル鉄道の終着駅にあるんですよ」

「何だか魅力的な場所だね」

「ただの田舎ですよ。せっかく山奥から出てきたのに、今はまた山奥に行くんですよねぇ」

「実家が嫌いなの?」

「いいえ、実家は大好きですよ。のどかないい所です。村の付き合いが深くて暖かい絆があって」

「ふぅん」


 たぶん佐藤さんは私が言う実家と家の違いを分かってくれていないでしょう。高橋の実家と武鎧の家は全然違う。私はどうやっても弱いままで、強く生きるって誓ったのに何も出来ていなかった。


 あの頃に戻りたい。お父さんとお母さんが生きていた頃に戻りたい。そんな思いが蘇って、涙が出そうになる。でも、笑わなくてはいけない。笑っていなくては駄目なのです。


「季節季節に行われる伝統行事は、私にとって当たり前のことだと思ってた。お正月には親戚一同が集まって、オコナイさんをお祀りして五穀豊穣をお祈りするの。夏になると、お祭りで大きな花火が上がるから、友達たちと楽しみにしていて、いつかきっと男の子と来たいねって言ったりしてた。中学三年生の時には元服式があって、『あぁ、これからは子供のままでいてはいけない』って思ったわ」


 呟くようなゆっくりとした口調になっている。私は思い出していることを佐藤さんに話していた。


「私は、そんな古いしきたりの中で育ってきたから、今の私があると思うの。私の性格を形作っていると思うの。だから、そういうことを受け継いでいくのが当たり前だと思っているの」


 今は違う境遇にいる。私が愛していたものを総て捨てて、嫌いな自分にならなくてはいけない。でも、その当たり前を完全に捨て去るなんて出来ない。私はそうやって育てられてきた。だから、こんなにも苦しんでいるだわ。


「本当に当たり前だと思っているの?」


 佐藤さんはそう言って、ずばりと私の心の中に入って来ました。何も疑うことなく信じてきたのかと尋ねているのでしょうか。そして、本当に私はそれで出来上がっているのかと問うているのでしょうか。


「自分の本心なんて分かっている人がいるのかしら」


 あぁ、私は何者なんでしょうか。佐藤さんに手を差し伸べて助けて欲しい。そのハンドルを握る手を伸ばして、私の頬を撫でて欲しい。


 でも、それは出来ないことなんですよね。あなたは私のただの教育担当者なんですから。


「ごめん、変なことを訊いた」


 そうです。そう言ってくれるのが、今は一番いい。それが正解です。私はそれで良いと笑って答えてあげる。でも、もう少しだけでいいから時間をください。そうすれば、私は元気になれると思う。


 揖斐川を越えた辺りから見る東の空は遥か彼方まで広がっている。その空の下でローカル線を走る電車はガタゴトと揺れているはずです。途中下車をして帰ろう。お父さんとお母さんが待っている実家に帰ろう。そこは温かい伝統行事の思い出に包まれている。そうしていたい、今だけは。


 揖斐川に沿って車が走る途中、山の前のコンビニに立ち寄りました。広い駐車場に止めて、予定通りの買い出しするのでしょう。


「ここが最後のコンビニだから、買い忘れをしないようにね」


 車から降りて腰を伸ばす佐藤さんは辛そうにしている。変なふうに体を曲げて疲れた筋肉をほぐしている。その動きが何だかゼンマイ仕掛けのロボットのようで可笑しかった。私は笑わないように必死に堪えるのが精一杯でした。


「大丈夫ですか?」


 いつまでも続けられていると、本当に笑いを堪え切れない。心配しているふうを装って声を掛けて、止めてもらうしかなかった。


「何が?」


 とぼけなくても良いのに、そんな姿を見せられては放っておけないでしょう。


「運転を変わりましょうか」

「大丈夫だよ。それにここからは山道だからね」

「あら、ここは私の庭みたいなものですから慣れてますよ」

「うーん。まぁ、いいか。ほぼ国道だし、実験センターに折れる私道まで頼もうか」


 意外なほどあっさりと鍵を渡されました。私のほうはまだ気分が晴れていない。でも、運転をすれば気が紛れるかもしれないと思った。


 コンビニ内を一周して、気になっていたファッション誌の最新号の前に戻った。仕事中だということも忘れて、私はそれを手に取る。表紙には今の私とはあまりにも掛け離れた美人のモデルが笑っている。背が高くて脚も綺麗。付録にはお弁当バッグが付いている。しかし、購買意欲を搔き立てられても、ここは自重するしかない。佐藤さんはと店内を探すと、お弁当の棚の前でうろうろしていました。


「また味噌カツですか。好きなんですね」


 背後から声を掛けると、佐藤さんはかくれんぼの鬼に見付けられたような顔をした。そして、私が持つレジカゴを見て、更に表情を変えました。


「きららちゃんだって、また唐揚げ弁当じゃないか。太るぞ!」

「あっ!」


 信じれない言葉を聞きました。まさか佐藤さんがそんなことを言うなんて信じられなかったわ。


「セクハラだぁ」


 しまったという顔を佐藤さんはしている。がっくりと肩を落として、頭を下げていた。


「だったら責任取って、これを奢ってくださいね」


 これではまるで恐喝です。ちょっと冗談が過ぎたかなと思いながらも、もう後には引けずにレジに向かうことにしました。取り敢えず怒られないように笑って誤魔化しておくしかないわね。


「きららちゃん、ペットボトルのお茶か水をもっと取っておいで。それ一本では足りなくなるよ」


 良かった。佐藤さんの声を聞いて怒ってないんだと一安心しました。


「はーい」


 レジの前で方向転換して奥の飲料棚に行った。カルピスソーダとブラックコーヒーをレジカゴに入れてから、お茶か水と言われたことを思い出した。


 まぁ、いいか。軽い気持ちでレジに戻ると、佐藤さんが支払いをするのを待ってくれている。本当に奢ってくれるとは思っていなかったのに、当然のように私のレジカゴを受け取ってくれました。


 先に外に出て、車の運転をする準備をした。シートの位置合わせには、手間取るのかなと心配したけれど、意外な程に簡単に終わった。


「有り難うございます、佐藤さん。本当に頂いてもいいんですか?」


 昼食に続けて奢ってもらっても良いのかな。


「これでセクハラ発言はなしってことで」

「いいですよ。私の恐喝もなしってことで」

「じゃあ、行こうか。念の為にカーナビをセットしておこう」

「はい」


 カーナビの画面をよく見て道を確認しました。道なりに進めば良いと分かった。そして、道の状況は分からないけれど、国道の標識が表示されているので田舎道のような整備が行き届いていない筈はないと思ったのです。

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