4.深夜の決闘
満月から数日分欠けた月は、ようやく中天に上って荒野を見下ろしていた。
さほど大きくは無いが洋館が鎮座し、その周囲に枯草と枯れ木だけが侍る、生命というものを忘れてしまったかのような場所。
それも仕方がないのだろう。
生きていると言えるのは洋館のバルコニーにて十字架に縛り付けられている千草だけだ。
枯れ木の陰から顔を出した者も、また生きてはいなかった。月明かりにブロンドをなびかせる女吸血鬼。
その顔を認め、バルコニーのロッキングチェアに座っていた男が立ち上がった。
鍛えられた肉体を包むのは、米国陸軍の礼装。
その胸には、彼が捧げてきた忠誠の分だけ勲章が付けられている。
彼の両手は銀色をしていた。
風変わりな手袋、ではない。
自らの肉体すらも国にささげ、機械に改造されたサイボーグの証だ。
短く角刈りにされた髪の割には肌が白い。
赤の瞳も、エルダー・ヴァンパイアにはよく見られる特徴だ。
プルフラスは精悍な顔に、我が意を得たりと笑みを浮かべた。
では、ピョンヤンの戦いを制したのは女吸血鬼だったのか?
我らが赤戸・英武はノースコリアに散り、千草は勝利の美酒となり果ててしまうのか!?
否。
女吸血鬼は確かに顔を出したが、顔だけだった。
その顔の下に、豊満であった体は無い。
うつろな表情をしたその顔を支えるのは、夜空より昏いスーツに身を包んだ男の腕であった。
「来たか、エイブ。道案内は役目を果たしたようだな」
遠来の友を迎えるかのように、プルフラスが声を弾ませる。
「お招き感謝するよ、プルフラス。戦友を迎えるなら、もうちょっと場所を選んだ方がいいと思うがね」
皮肉を言いながら、英武は役目を果たした頭を握りつぶす。
「Covfefe!」
奇妙な断末魔を遺し、女吸血鬼の首は赤い霧に変じた。
それもすぐに風に吹かれてどこかへ消える。
「中々に惨いことをする」
「惨いのはお前の方だろう。彼女、故郷の土も持ってきてないそうじゃないか」
心臓に杭を打たれたわけでは無いので、女吸血鬼も完全に滅んだわけでは無い。
しかし、肉体が完全に破壊されたからには故郷の土の上で時間をかけなければ再生はできない。
霧の姿でフロリダに帰り着くまで、果たして何年かかるか。
もっとも、英武もプルフラスもそんなことに興味は持っていなかった。
「千草は無事か」
「拘束はしたが、それ以上の手は出していない。あらゆる意味で」
十字架に縛り付けられた千草は、英武に向かって何か言おうとしているが、猿轡に阻まれている。
ムームー唸っているようにしか聞こえないが、英武は分かったというように頷いた。
どうせ、「早く助けなさい」とかそういう事を言ってるに違いないので、実際に聞く必要は無い。
「まあ、あんたの好みじゃないもんな」
「お前の好みでもないだろう? 侯爵夫人とは似ても似つかぬ」
唸るのをやめ、複雑な顔をする千草。
英武の好みでないのは嫌だが、侯爵夫人に似ているとも言われたくない。
そんな乙女心のなせる所業である。
もっとも、エルダー・ヴァンパイアたちは見てもいないが。
「プルフラス、何故だ」
言葉少なに問う英武。
その答えとばかりに、プルフラスは一本の指で天を指した。
「アメリカは偉大でなければならない。ジョーカー元大統領にだけそれが出来たのに」
「”元”じゃ何もできない。死人になっちゃあ、なおさらだ」
「そうだな。だから吾輩が継ぐ。新たな偉大なるアメリカを、ここから作り直す」
そう説くプルフラスの胸には勲章が所狭しと並んでいる。
自ら国を裏切りながら、その国への献身の証を捨てられない哀れな矛盾の証。
だが、英武はそれとは違う矛盾をかぎ取っていた。
まだ輪郭がつかめないので問いを続ける。
「アメリカ大陸から遠く離れたノースコリアで?」
「ジョンウンはジョーカー元大統領の友人でね。協力を約束してくれた。こんな風にな」
プルフラスが牙をむき出しにして笑い、指を鳴らす。
その残響が夜空に消えるより早く、異変が起こった。
洋館が震える。
バルコニーの左右に伸びる屋根にいくつもの切れ目が入り、轟音を立てて動き出す。
崩壊? 違う、上へだ!
洋館の両翼と見えていた建造物は、今や塔のように空に伸びていた。
いや、塔ではない。
塔ならば先端が5つに分かれたりはしない。
手だ。
カリカチュアめいた無骨な手が、月を握りつぶすように拳を作る。
「な、なんだこりゃぁ!」
英武が驚きの声をあげる。
これだけ素直に驚かされたのはワラキア戦争の最終盤でドラクラと一騎打ちをして以来だ。
その驚きをさらに倍化させようと、洋館がさらに変形する。
中央に残ったエントランスホール。
その屋根が割れ、中から球体がせり出す。
それはおおむね人の顔のように見えた。
横長の切れ込みが目で、その下の中央にある穴が口。
両横から張り出したアンテナが耳。
切れ込みの奥の輝く点が、巨人の瞳のように英武を見据える。
洋館は今や人型巨大ロボットであった。
その胸に位置するバルコニーで、狂信的愛国者は高らかに笑う。
「驚くことはないだろう、エイブ。お前の国の特産品だ」
「んなわけない、たぶん、違うんじゃないかな、うんまあそういう感じで」
反射的にツッコんだが、色々思い出すほどに勢いが薄れる英武。
そして、一つ違和感に気づいた。
「というか、上半身だけ? 未完成品か?」
「足など不要! イェン=グーはこの状態で、この状態でこそ100%の力が出せる!」
プルフラスの言葉に応えるように、洋館、いやイェン=グーは英武に向かって拳を突き出す。
直径1mを超える拳はまともに避けるには大きすぎる。
だが、英武もまた拳を固めた。
イェン=グーの表面は決して丈夫ではないと見切ったのだ。
内部フレームはもう少し頑丈であろうが、古き吸血鬼の膂力ならば決して対抗できないものではない。
だがその読みは、拳と拳が合わさった瞬間に砕け散る。
英武の拳は、表面の漆喰にすら傷1つつけることなく弾かれる。
英武はとっさに思考を切り替え、自ら後ろに飛んで勢いを殺す。
さもなければ、この一撃で勝負が決していたかもしれない。
「これは……まさか!」
驚愕する英武。拳の感触は、明らかに漆喰のものではなかった。
いや、物理的なものですらない。
精神的な――あるいは世界法則的な。
英武が吸血鬼であること自体がイェン=グーの拳を傷つけることを阻んでいた。
そういう感触を、英武は知っている!
「もし足があれば、自由に大地を歩けたならば、こうは言えなかっただろう。だが、動かぬ以上は、吾輩は胸を張って断言する」
英武が理解したことを理解して、プルフラスは勝ち誇る。
「これなるは対吸血鬼用人型決戦屋敷、イェン=グー! 我がテリトリーであり、お前の侵入を許すつもりは一切ない!」
テリトリー内の誰かの許しを得なければ、他者のテリトリーに踏み込むことはできない。
エルダー・ヴァンパイアの制約を逆手に取った完全防御。
「巨大ロボを、家だと? イカレたホワイトハウスだな」
嫌味のつもりだったが、勝利を確信したプルフラスは鷹揚に切り返す。
「いいアイディアだ。ワシントンに移設した時には、白く塗らせよう」
「青地に白星、赤のストライプか? テロリストが喜んで壊しに来そうだな」
言葉のついでに、白木の杭を投げる。
パピーのヒールに仕込まれていたものを持ってきていたのだ。
しかし、プルフラスからは大きく逸れ、十字架のそばに突き刺さって終わる。
「悪あがきだな、エイブ。投げた杭では滅びの意志が足りないから吸血鬼を殺せない。イェン=グーを破壊しつくすほどの杭の持ち合わせはあるまい?」
「それはそっちも同じだろ。その巨大ロボの拳に白木の杭が仕込んであるようには見えないぜ」
「そこは確かに欠点だな。だが、補う方法はある」
プルフラスは体の前で腕を交差させ、二本のダガーを同時に抜き放った。
刀身下部に平行に伸びた二本の棒と、それを繋ぐような握りを持つ、奇妙な形状。ジャダマハル、あるいはパンチング・ダガーとも呼ばれる武器だ。
拳を突き出す動きが、そのまま刀身での刺突になる。
そして、刀身を形作るのは鋼ではなく、木材。月の光を白く柔らかく照り返す。
「そういや、カタールのプルフラスってあだ名だっけ。ロボから降りて殴り合いをするかい?」
「カタールではない、ジャダマハルだ。そしてっ!」
プルフラスの上着の袖がはじけ飛ぶ。
かわし切れなかった英武の頬を、ジャダマハルの切っ先が軽くえぐる。
紅いマスクの紐に、もっと赤い血の雫がしみ込んだ。
プルフラスの腕が伸びたのだ。
バルコニーに立つプルフラスと、地に転がる英武の距離は、高さも含めて5mを超える。
吸血鬼でもそんなことは出来はしない。
しかし、
「私がサイボーグであることを大統領から聞かなかったか?」
「ずっけぇ!」
腕を打ち出すのではなく伸ばしている以上、ジャダマハルには十分に滅びの意志が乗る。
つまり、心臓に刺されば吸血鬼を滅ぼせる。
このまま英武はアウトレンジから一方的に嬲り殺されるのか?
近づこうとしても、イェン=グーに阻まれる。
建造物を破壊できるような大型兵器を使えば話は別だが、そんな持ち合わせがあるわけない。
絶望的状況!
しかし、英武には先ほど感じた違和感の輪郭が見え始めていた。
「撃たれたジョーカー元大統領の末期の血を飲んだって本当かい?」
さりげなく『元』を強調しながら問う。
「真実だ。残念なことに元大統領を吸血鬼に転化させるには間に合わなかった。しかし、彼の理想は、その血と共に吾輩が受け継いだ」
パピーがそうだったように、熱心なジョーカー派はジョーカー大統領と呼ぶ。
2020年の大統領選挙が不正なもので、正当な大統領はまだジョーカーだと信じているからだ。
それが全くの幻想にすぎなくとも。
「嘘をつくなよ。感染力の弱いニオファイトならともかく、俺やあんたのようなエルダーがそのつもりで血を飲めば、あのタイミングで転化が間に合わないなんてことはない」
プルフラスの顔色がはっきりと変わる。
「黙れ!」
「当てて見せよう、プルフラス。元大統領はあの時あんたにこう言ったんだ」
「黙れ黙れ黙れ黙れ!」
プルフラスの叩きつけた拳が、バルコニーの柵に致命的なヒビを入れる。
ジョーカー派のものとはまたと違う、プルフラスだけの幻想。
それを壊す最後のキーワードが、真紅のマスクを通して放たれる。
「『寄るな、化け物』ってね」
「U FXXKING PIG SUCKER!!!!」
激昂するサイボーグ吸血鬼。
バルコニーの柵が砕け、破片が雪のように舞い散る。
英武は屋敷の扉に向かって距離を詰める。
策と言えるほどのものはないが、それでも前に進まなければ何も出来はしない。
だが、その進路は巨拳で阻まれる。
「Make!」
イェン=グーの右拳が扉を守るように英武の前に落ちる。
「America!」
左拳は英武の後ろ。
「Special!」
プルフラスの礼服の、残った左の袖もはじけ飛ぶ。
「Agaaaaaaaiiiiiiiiiin!!!!」
右腕を伸ばして刺突、左腕を伸ばして刺突。
右刺突、左刺突、右、左、右左右左右左、RLRLRLRLRLR!
イェン=グーの両拳の間に生じた連打による圧倒的槍衾はまさに白木の杭による破壊空間!
逃げることすらかなわない攻撃密度に、英武の鮮血がしぶく。
だが、次の瞬間驚きに目を見開くのはプルフラスの方であった。
自分の眼前、わずか1mほどの空中に真紅のマスクがあったのだ。
いったい何が起こったのか。
読者の中にエルダー・ヴァンパイア級の動体視力の持ち主がおられればご覧になれただろう。
プルフラスのジャダマハルが英武の脇をえぐった瞬間、英武はプルフラスの腕にしがみついたのだ。
伸ばした腕は次の刺突のために引き戻さなければならない。
伸びきったゴムが縮むように戻る力をそのまま利用し、英武は宙を舞った!
その右手には、いつの間にか白木の杭が握られている。
しかし、それをプルフラスに突き立てることができるだろうか?
イェン=グーのテリトリーによる防御はいまだ健在なのだ。
そら、バルコニーの柵があったところで、杭の先端が曲がり始めている!
勢いをつけて空を飛んだとて、吸血鬼の在り方を変えられるわけでは無い。
その時かすかに、だが間違いなく声がした。
「早く助けに来てよ、英武!」
曲がりかけていた杭がまっすぐに戻り、プルフラスの胸に叩きつけられる。
英武自身はまだバルコニーに残っている柵の残骸を掴み、プルフラスを飛び越えてバルコニーの奥に着地する。
十字架にかけられた千草のそばに!
「まったく、もっと早く呼んでくれよ」
「普通の女の子は、顔のすぐそばを白木の杭がかすめていったら気絶していいことになってるの!」
千草の頬には浅く線状の擦過傷がある。
英武が投げた白木の杭が、猿轡をちぎった時についたのだ。
「普通?」
普通の女の子は、ノースコリアにスパイに入って捕まったりしないし、助けに来た吸血鬼にため口で文句を言ったりしない。
からかいながらも、英武は千草の拘束を爪で切り裂いて外す。
「さ、その辺に隠れてな」
「え、もう終わったんじゃないの?」
「いいや」
心臓に杭を打たれた吸血鬼は、灰になって散る。
しかし、プルフラスにその様子はない。
ゆっくりと英武に向き直るその胸から、先の砕けた杭が落ちた。
「やれやれ、サイボーグでなければ即死だった。してやられたよエイブ。さすがはドラクラ殺しだ」
プルフラスは英武を賞賛しながら残った礼服をはぎ取る。
あらわになった両肩から金属の筒のようなものが伸び、胸をカバーする椀に繋がっている。
左の筒が少しへこんでいるのは、さっき杭に当たったからだろう。
「そんなパーツで心臓をガードしてたってわけか。用意周到だな」
英武は千草を物陰に突き押し、顔をしかめた。
さっきのプルフラスの攻撃で肋骨が数本折れているのだ。
再生まで少し時間を稼ぎたい。
しかし、それを見越したプルフラスは両手のジャダマハルを構える。
「違う。これはガードのためのパーツではない!」
金属筒が椀ごと肩上に展開する。
椀の表面に張られているのはポリカーボネートの透明板。その奥には大きな電球!
「このプルフラスのサイボーグボディは、対吸血鬼戦闘を念頭に作られておるのだ! くらえぃ、太陽光照射装置ィィィ!」
電球が輝き、両肩の椀から光の帯が放たれる。
太陽光は、それだけで吸血鬼の致命打にはならない。
しかし、気軽に浴びられるものでもない。
事実、光を浴びせられた英武の左手はあっという間に真っ黒に焦げはじめた!
英武は袖口に手を入れると、引き抜いた刀で光を切り裂いた。
実際には、刀身で光を反射した隙に射線から外れたに過ぎない。
しかし、光を切り裂けると思わせるだけの冴えがある刀だ。
刀長二尺一寸、鍔元から中ほどまでは片刃で強めに反るが、その先はほぼ真っ直ぐな両刃となる鋒両刃造。
これだけでも珍しいというに足るが、この刀を唯一無二にしている特徴があった。
中ほどまでは鋼で出来ているが、切っ先部分は白木で出来た木刀なのだ。
「それが、ドラクラの心臓を貫いたというサムライソードか」
「祓魔刀”白鴉”。うちのエンジニアに無理言って作ってもらったお気に入りさ」
プルフラスは太陽光の照射を止めた。
おそらく、太陽光の連続照射はできないのだろう。
「あんたを討つよ、プルフラス。ドラクラと同じところまで堕ちたことが分かったから」
そう言いながらも、英武斬りかかるのではなく、白鴉を構えなおすに留めた。
焦げた左手の肌が元の白さに戻っていく。
「堕ちたのではない。理解したのだ。人間は、我々の餌でしかない」
「俺らが餌だと思う限り、彼らは俺らを殺しに来る。それが出来るようになった時点で、俺たちが絶対強者だった時代は終わってるんだよ」
さほど広くもないバルコニーで、互いに向かい合ったままジリジリと間合いを探る。
「だから、奴らの犬になるのか? 肉を投げられるのを伏して待ち望む生活に満足か?」
「服従じゃないさ。互いに理解し、利用し合う。それが共存ってものだ」
「それを拒んだのは人間だ! 奴らは結局、我々を理解しようなどとしない!」
信じた理想に裏切られたサイボーグ吸血鬼が牙をむきだす。
多くの人間が、その顔に恐れを感じるだろう。
「拒まれたのは、あんたが人食いの化け物だからだよ」
その表情を正しく読み解ける吸血鬼は視線に憐れみを込めた。
理解しないのはプルフラスも同じだ。
プルフラスも英武も長く生きすぎている。
食われる恐怖におびえる存在だった頃のことを忘れてしまう程度には。
そして今、殺されるか自由を奪われるかの恐怖におびえ、それを認められないまま叫ぶ。
「そう思うのは、お前が誇りを無くしたからだ!」
プルフラスの両肩の電球に灯がともる。
「Make America Special FOOOooooEVERRRRrrrrrrr!!!!」
左右に移動すれば照射装置の太陽光に焼かれ、下がっても伸びる腕に追いつかれる。
そして、さっきよりはるかに短い間合いの分だけ連打速度が上がっている。
まさしく必殺の攻撃を、英武は自ら光の帯に飛び込むことで避けた。
皮膚があちこち焦げることは構わず、目だけは白鴉でガードして光帯を抜ける。
プルフラスは左肩の照射装置を英武に向けた。
向けようとした。
しかし、白木の杭を受けて歪んでいた金属筒が急な動きに耐えきれずもげる。
白鴉を平に構えて突きかかる英武。
プルフラスはとっさに左のジャダマハルを引き戻して心臓を守り、伸びきっていた右は無理やり横振りに変えて英武の心臓を狙う。
英武の左手が白鴉の柄を離れるのを見て、プルフラスは笑った。
左手を犠牲にして心臓を守るつもりだと見たのだ。
片手かつ防御を考えた突きではプルフラスの心臓を貫くには足らない。
だが、違った。
さらに勢いを増した白鴉の切っ先はジャダマハルを砕いてなお勢いを失わず、肋骨の隙間をすり抜けてプルフラスの心臓を貫く。
英武が片手を離したのは、最後の最後でもう一歩踏み込み、体を回転させる力まで突きに乗せるため。
しかしそれは、横からくるもう一本のジャダマハルに対して自分の心臓をまともにさらけ出す動きでもある。
プルフラスのジャダマハルは、確かに英武の胸に突き刺さっていた。
二人の動きが止まり、沈黙が場に落ちる。
ややあって沈黙を破ったのはプルフラスだった。
「相、討ちか。悪くは、ない」
貫かれた心臓から灰化が始まっており、言葉を紡ぐことすら辛い。
「良いわけないだろ」
対する英武の言葉は明瞭だった。
生身の部分から灰化の煙があがるプルフラスとは違い、英武は流血こそしているが灰化の兆候はない。
プルフラスはかすむ目を見開いて原因を探す。
それは、英武の左手に握られていた。
拳ほどの大きさで、無数の血管に覆われ、脈動するごとに鮮血を吹き出す肉塊。
間違いなく、心臓。
むろん、プルフラスのものではない。それはもう完全に灰になり果てた。
「自分、の、心臓を、だと!?」
こんなことをすれば、人間なら即死だろう。
だが、吸血鬼ならば。白木の杭で貫かれたわけでは無いのだから、死にはしない。
「ドラクラにやられた手でね。あんたが先にあばらを砕いてくれてたおかげで抜き取りやすかったよ」
理屈では理解できても、実行する者が居たことが信じられない。
そんな顔でプルフラスは最後の言葉を放つ
「ばけ、もの……」
「そうだな。だが、」
プルフラスの吸血鬼の部分が完全に灰と化し、機械のパーツがバラバラと床に落ちる。
英武は胸に刺さったままのジャダマハルを抜き取り、代わりに心臓を押し込んだ。
血管はすぐに再生してつながるが、送り出すべき血が足りない。
そこに、物陰に隠れていた千草が顔を出した。
恐る恐るであった表情が、英武だけが残っているのを見て、屈託のない笑顔に変わる。
なんて魅力的な笑顔。
そして、なんて魅力的な首筋。
乙女の細い首に口づけをしたなら、どんなに香しいだろう。
張りのある肌に己の牙を食い込ませたなら、どんなに心躍るだろう。
あふれ出る鮮血をすすったなら、どんなに甘いだろう。
だが、
英武はマスクの下で歯を食いしばって笑みを作った。
「だが、人と生きる化け物だ」
千草が駆け寄ってくるのを見ながら、英武は薄れる意識を手放した。