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3:ヤンク・ガール・ウィズ・パイル

 夜のピョンヤンは暗い。


 旧世紀末から指摘されてきた事実ではあるが、2020年のVウィルス禍以降はますますひどくなった。

 夜道を照らす灯りに回すリソースを、核ミサイルにつぎ込むのがこの国のやり方なのだから仕方がない。

逆に「星が見える首都」とでも言ってやれば少しはイメージアップになるかもしれない。


 まだ空の低いところでグズグズしている少し欠けた月を眺めながら英武は歩く。

人間大砲で受けたダメージはもうすっかり回復しているが、少しばかり血を飲み貯めておきたいところだった。

 もちろん砲弾の中には輸血パックも入っていたのだが、あんなマズいもので我慢できるのはニオファイトどもぐらいだ。


 しかし、そこらの市民を襲って血を吸うのは3重の意味でマズい。

 つまり、下手な騒ぎを起こして後の行動をやりにくくするのは良くないし、侯爵夫人以外の血を飲むのも気が咎める。そして、多分ろくなものを食べていないノースコリアの血は英武の舌には合わない。


 食欲と倫理感の狭間に悩みうつむきながら歩いていた英武だったが、ふと聞こえた音に顔を上げた。

ピンヒールがアスファルトを叩く足音だ。


 そこにいたのは、アメリカンな美女だった。

 へそ出しのTシャツの胸にはI♡USAの文字が歪んで鎮座している。

 なぜ歪んでいるかって? 裏側から胸で押し上げられているからさ。

皮のジャケットも着ているが、ボタンが閉まらないことは確実である。

 下半身は股下0センチのデニムのホットパンツ。

元々の長身を、ピンヒールのブーツがさらにかさ上げしている。

 ブロンドの長髪をかき上げてウィンクを一つ。


「はぁい、お兄さん。いい男ね。ちょっと一緒にの……」


「貴様のような一般人がいるか!」


 ツッコミと一緒に、英武は近くの石を蹴り飛ばす。


 顔面直撃間違いなしのコースだったが、女は素早く横に避けた。

赤い霧だけがその場に残る。


「ブラガイズで人間のふりしてターゲットに近づくって考え方自体は間違いじゃないんだけどな」


 ブラガイズ、それは吸血鬼向けに開発された化粧品だ。

つけている間は身体能力も人間並みに落ちる代わりに日光の下で問題なく活動できる。

吸血鬼としての力を発揮しようとすると、赤い霧になって剥がれ落ちてしまうが。

 つまり、女は吸血鬼だ。


「ホットパンツのブロンドがピョンヤンの夜を独り歩きとか不自然極まりないだろ。真昼間のテキサスじゃないんだぞ」


 もっとも、東アジア系とはいえ黒いスーツに紅いマスクの英武がピョンヤンにふさわしいかと言うと微妙なところである。

昼間ならバッチリ目立って憲兵につかまっていただろう。


「フロリダよ」


 問われたわけでもない出身地を言い返し、女吸血鬼は頬を膨らませる。


「あーあ、せっかくセリフ考えてきたんだから、最後まで言わせてよ」


「言いたきゃ言えよ。自由の国の出身だろ」


「一緒に飲まない――あなたの血をね!って噛みつくの。どう? どう?」


 牙をむき出しにして笑う女吸血鬼。化粧で派手に見えるが、意外と幼いのかもしれない。


 あるいは単に、胸に栄養を取られて脳みそに回らなかったかだ。


「プルフラスの趣味も変わったな。会ってどれぐらいになる?」


 以前のプルフラスのパートナーには会ったことがあった。

 10分にも満たない邂逅だったが、自分の末路を知っていて、それでもプルフラスを愛することを止めない、賢くも愚かな女性だった。

 目の前のバカ娘とは似ても似つかない。


「会ったのは3日ほど前よ。友達と一緒に血を吸われて、私だけが吸血鬼になった。私は選ばれた存在なのよ!」


 目を輝かせる女吸血鬼と対照的に、英武の顔は暗くなる。

 だが、それも一瞬の事。

 怒りも憐れみも飲み込んで、英武は肩をすくめる。


「まあ、千草が吸われる率が減っただけ良しとしとこう。

だが、最悪なセンスだな。せめて香水を変えてこい」


「Sangシリーズはお嫌い?」


 フランスのブランドでからヴァンパイア向けとして発売されている、血の匂いを売りにした香水だ。

ニオファイトにはなかなか受けがいいのだが、


「マスク越しですらケミカル臭がする。ブラガイズの臭いと混ざって最悪だ。吸血鬼の調香師ってのはいないのか?」


「居ても、メスブタの香りは作ってくれないわよ、お爺ちゃん」


 女吸血鬼の挑発にあえて乗り、英武は5mはあった距離を一瞬で詰める。

首を鷲掴みにしようと狙ったのだが、爪は完全に空を切った。


「ふん、足は悪くないな」


「老眼で動きが見えなかったって素直に言ったら?」


 右側1.5m、間合いと言うには少し遠いところに女吸血鬼はいた。


「馬鹿言え、吸血鬼の中じゃ俺ぐらいは若い方……とはもう言えないのか」


「むしろ、現存最年長グループでしょ。プルフラス様から聞いてるわ。『サムライ・ヴァンプ』『ワラキアの英雄』『ベイン・オブ・ドラクラ』『トーキョーハウンド』『吸血鬼殺しの吸血鬼』アカド・エイブ」


 最近はめったに呼ばれない懐かしのあだ名に、英武はマスクの下で口角を緩ませた。

 まだ女吸血鬼が何か言いたそうにしているのを察して、先を促してやる。


「それだけ?」


「あと、『吸血鬼としての誇りを捨てた救いようのないド変態』」


 せっかく取っておいた蔑称だったが、とっくに言われ慣れていた英武は鼻で笑って返す。


「『誇り』ね。首輪をはめられた犬同士で、比べる誇りなんてあるものか」


「プルフラス様は違うっ!!」


 激昂した女吸血鬼が拳を固める。


「凶弾に倒れたジョーカー大統領の末期の血を飲み! その遺志を継ぎ! 吸血鬼が夜を! 人間が昼を支配する!」


 顔を、顎を、胸を、腹を、滅多打ちに殴りつける。


「偉大なるアメリカを再実現される方だ!」


 みぞおちへの一撃の反動を使い、女吸血鬼は半歩だけ下がる。

 逃げるためではない。次の一撃に必要な間合いのために。


「今こそ、その時なんだ!」


 前蹴りのつま先が、奇麗に英武の股間をとらえた。


 誰でも悶絶するに違いない一撃。

 ――ただし、人間の男ならば。


「パピーはジョーカー派かい。まだ居たんだねぇ」


 苦笑すらはらむ呑気な物言い。

古き吸血鬼には急所すら意味を持たないのか!

 思わず息をのみ、動きを止めた女吸血鬼の足を、英武の右手がつかむ。


「しかし、プルフラスに習わなかったのかい。吸血鬼同士の戦いで、素手打撃なんて愛撫のようなもの。例えば仮にこんなことをしても」


 英武は右手を握る。


 大して力を込めているようには見えないが、その指があっさりとブーツに食い込む。

 補強に入っている鉄板がひしゃげる。その下にある足ごと。

 女吸血鬼の悲鳴と足指の骨が砕ける鈍い音が和音となる。


 英武はマスクの奥で嗤う。

 ブーツの皮が破け、血がほとばしった。

 吸血鬼の血が、月を赤く反射する。


「大したダメージにはならない。痛いことは痛いがね」


 女吸血鬼が後ろに下がろうとしたので、英武が素直に手を離してやる。


 後ろに飛び退った女吸血鬼は、そのまま尻餅をついた。


「ほら、さっさと足を再生させろ。

立ち上がれ。

杭を構えろ。

まさかそれすら持たせてもらえなかった、なんてことはあるまいね、パピー?」


マスクの下で英武が大きく口を開き、真紅のマスクに牙が浮き出る。

威嚇か?

あるいは、単に欠伸をしただけかもしれない。


「化け物めっ……」


 そう言いながらも、女吸血鬼は言われたとおりにした。

 壊れたブーツを引きちぎるように捨て、足を再生させる。

 左足のブーツも脱ぎ、手に下げたまま立ち上がる。

 右手にはどこに持っていたのか白木の杭を握っている。


「パピーももう化け物の一員だ」


 人間は砕かれた足を数秒で再生出来たりはしない。

そんなことができるのは化け物だけだ。


 それでも、女吸血鬼は否定する。大きく振りかぶった杭で英武の胸を狙いながら叫ぶ。


「私は化け物じゃない! 新しいアメリカを作るための戦士だ。ジョーカー大統領の夢、人間と吸血鬼が対等に暮らせるアメリカを。プルフラス様はそう約束した!」


「できんよ」


 英武は両の拳で杭を打つ。

必殺の武器である白木の杭も、心臓に刺さらなければ何の意味もない。

拳の間で砕けて木くずになるだけだ。


「化け物が人を食らう限り、人が化け物の殺し方を知っている限り、人と化け物に『対等』などありはしない。死か服従か」


「ならばっ!」


 その声は、後ろから聞こえた。

手に持った杭は最初から囮だったのだ。


 女吸血鬼本人は英武の後ろに回って、脱いだブーツを構えている。

 ブーツで何ができるか、と思われるかもしれない。

しかし、ヒールに白木の杭が仕込まれていれば話は別だ。


「ならば、我らが支配する!」


 女吸血鬼は英武の背中にブーツを振り下ろした。

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