かくして世界は終わりを迎えた
魔王と勇者が手を組んだ。
その絶望的な知らせは、たとえ勇者が紛い物だったという事実で上書きしても、人々の心に希望が灯ることはなかった。
『絶対的権力は、絶対的に腐敗する』
世界を救うという使命を元に集った勇者とその仲間も、人の業というものからは逃れられなかった。
魔王の甘言に乗り、数多の城砦を破壊した彼らは、しかしどこまで突き詰めても人でしかなかった。
「なにが、なにが『勇者』だっ! 誰がそんなものに選んでくれと頼んだっ!」
かつては勇者と称された青年ヴィルが、魔導士フレアの亡骸を抱えながら嗚咽混じりに天上の名もなき神に向けて呪いの言葉を吐く。
傍らには神官ノアが矢に頭部を貫かれた姿で絶命している。
少数精鋭による、不意打ち。
その作戦で、どうにか魔王軍幹部にまで昇り詰めていたノアとフレアを討ち取ることに成功したのだ。
その代償は凄まじく、癒やしの力を持つ聖女ダージリアを加えた一騎士団を壊滅寸前まで追い込んだ。
「紛い者がっ……!」
ヴィルが攻め落とした都市に婚約者がいたと言う騎士が剣を振り下ろす。
騎士の吟次か、それとも強すぎる怨恨か。ヴィルの反撃すら許さずにその命を斬り捨てた。
その光景を、聖女ダージリアはただ静かに見つめている。
今更、偽りの勇者を討ち取ったところで戦況は決定的敗北という絶望に変わりはない。
ヴィルと魔王の手によって、聖剣は穢れに満たされ魔剣へと変貌を遂げてしまった。
真の勇者も奴隷生活の中で流行病を罹患し、若くしてその生涯を終えていることが分かった。
事実上の詰み。
聖剣と勇者なくして魔王は打ち倒せず、異世界から召喚された聖女はそれまでの延命処置でしかない。
次代の勇者が現れるのは二十年後。
「聖女ダージリア、無償のご助力に感謝する。貴女のおかげで仇を討ち取ることができた」
婚約者の仇を討ち取った騎士は、沈んだ面持ちで厳かに感謝の言葉を告げた。
それを、ダージリアは辞退する。片手で浄化の力を使い、かつては共に魔王討伐を目指した仲間の遺体を消し去る。
弔うことを許されないほどの大罪を、彼らは犯した。それでも、ダージリアは魂を失った肉体を傷つける気は起きなかった。
「いえ……早く、この場を離れましょう」
魔剣を祓いながら、ダージリアは踵を返す。
その瞳は前を見据えているが、かつてこの世界に降り立った時のような溌剌とした希望は見る影もない。
辛うじて首の皮一枚で繋がったこの世界は、絶命さえも赦されず、今も続くことを強いられている。
希望もなく、絶望もなく。
微温湯の中でのぼせるように、ゆっくりと終わりに向かう世界に囚われたダージリアは、今日も旅を続けている。
◇◆◇◆
参謀本部の会議にて、王太子は酷く憔悴した顔で告げた。
「魔王という根源を叩かない限り、魔物は無限に湧き続ける」
誰もが知っている前提を、この会議の場で宣言することの意義をダージリアが知ったのは、数分後のことだった。
「死霊術を根底に構築した、人造兵器を前線に投入する。精神に対する汚染も、契約で縛った死者の魂ならば影響はない」
二年前、魔導士フレアの後釜に納まった後任によって発案されたものだった。非人道的かつ人の手に余るとされた死霊術を使用した軍団の設立。
神童と称された才能を遺憾なく発揮して練り上げられたそれは、王太子の賢明な判断によって封殺されていたもの。
「もはや、我が国の弱体化を看過するわけにはいかない」
魔王という脅威を前にして、人と人が手を取り合うことはなく。
魔王軍から都市を奪還すると題目を掲げた領土侵犯に伴う掠奪によって、大国を守る貴族は半数を減らした。残りは、暴徒化した市民による私刑だ。
「この作戦に意義があるものは、挙手を」
道徳だけで語るのなら、いかなる事情があろうと死者を利用してはならないと反対するべきであったが、ダージリアは沈黙を選択した。
裏切り者のヴィル、そのかつての仲間であった彼女に対する風当たりは冷たい。例え、彼女が追放されたという事情を知っていたとしても。
見せしめの為に処刑されないのは、ただ単に無気力で盲目的に従い、その力にまだ利用価値があったからに過ぎない。一度、発言をしようものなら大顰蹙を買うだろう。
「では、会議を終える。すぐに準備に取り掛かれ!」
そうして、魔王軍ならびに強力な魔王を討ち取るための計画は着々と進んだ。
試作品は改良に改良を加え、人間以上の性能でもって魔物を撃退し、討ち取り、上層部に『希望』を見せた。
「…………」
人造兵器の依代に選ばれたのは────既に事切れた勇者。
死後の世界より召喚され、強力な契約によって拘束された魂は、一言も言葉を発しない。
当たり前だ。戦闘に必要のない行為なのだから。
道具に意思も感情も必要なく、ただ戦いさえすればいい。
数年前までは、生を謳歌していた身体には最先端の魔導鎧が取り付けられ、びっしりと暴走を抑制するための魔法陣が描かれている。
その蝋のように白く、青褪めた虚ろな顔とがらんどうな双眸は、時折、ダージリアがかつてヴィルの眼に見た澱んだ何かを連想させる。
しかもその澱みは、順調に前線を押し返すにつれて深みを増しているような気がして、ダージリアは酷く落ち着かなかった。
◇◆◇◆
「嗚呼、さすがは勇者。偽者とは何もかもが違う。まさか、死者を蘇らせて投入してくるとは。なりふり構わずってところかな」
人造兵器は、魔導鎧と引き換えに魔王の核を破壊することに成功した。
聖女ダージリアは、万が一、兵器が暴走した時のため、その魂を浄化する役目を背負って追従していた。
人類を脅かした魔王は膝を地につけ、血を吐きながらも微笑を浮かべていた。
人によく似た姿で、人と同じ服を着た彼は、ダージリアを視界に捉えると口を開く。
「ダージリア、異世界から来た聖女。余を倒したとして、お前が故郷に帰ることは未来永劫、決してありえない」
かつて、ダージリアが異世界から召喚された時。
『魔王を討伐し、その役目を果たしたのなら帰還の扉が開くだろう』と励まされたことがある。
その言葉を思い出したダージリアは、目を伏せた。
血に塗れ、他人の不幸を踏みしめて歩いてきたこの身体で帰ったとして、そこに何の意味もない事を、ダージリアは誰よりも理解していた。
「ああ、呪いあれ。この世全て滅んでしまえ。勇者も人も魔物も聖女も神も、みな跡形もなく腐り落ちてしまえ」
そう呟いて、魔王はそれきり動かなくなった。
物言わぬ骸と成り果てた怨敵を、人造兵器は感情のない瞳で見つめていた。
「勇者ラウニルド」
ダージリアに呼ばれ、人造兵器は顔をあげる。
魔物の血で汚染された大陸を背に、勇者という運命に死後も振り回された少年は虚ろな双眸から、ぽろぽろと涙を流した。
『死にたくない』
既に息が途絶えた唇から風が漏れて、そう呟く。音はない。
『また、僕は殺されるのか』
濡れた眼球から溢れるそれは、感情ではない。ただの生理的反応だと、人造兵器をダージリアに押し付けた連中は説明した。
『誰が、勇者にしてくれと頼んだ』
だから、この呟きは、その涙は、ダージリアの思い込みと罪悪感が生んだ幻影に過ぎない。
哀れな魂を天上に還すため、両手を人造兵器に向けた瞬間。
────ザシュッ!
ダージリアの右手が、身体から切断されて宙を舞った。
素早く癒やしの力を発動させて治癒を施し、ダージリアは静かに距離を取る。
『殺されるくらいなら、全て、全て殺してやる!』
声のない絶叫は、しかし空気を震わせない。
人造兵器は、どろりとした瞳孔の奥に怒りの炎を携えて、ダージリアを睨みつけていた。
魔王との戦闘で完膚なきまでに魔導鎧は破壊されている。同様に肉体も破壊されているはず、だった。
「魔物化。そう、魔王は初めから、貴方に勝つ気はなかったということね」
すぐさまダージリアは理解した。
人造兵器の魔導鎧を破壊し、魂を縛っていた契約を解き放ちながら、遅効性の死霊化を施したのだ。
激しい剣戟も、魔術の撃ち合いも、ダージリアの目を欺くための演技でしかなかった。
そして、魔王は己の命さえもコストとして支払った賭けに勝利した。
勇者ラウニルド。
その精神の未熟さと甘さゆえに、死と消滅に対する恐怖に屈することまで見抜いていたのだ。
「ヴィルとラウニルド。私は、また誰も救えなかったのね」
悍ましい死の気配を纏いながら、人造兵器はダージリアの目の前で魔物と成り果て、超常として君臨した。
その姿を間近で見つめながら、ダージリアはふと伝承で耳にした不死の王の存在を思い出す。
死を拒絶し、現世に留まることを選んだラウニルドは、まさに不死の存在なのだろう。
その力と執念は凄まじく、容易くダージリアの力を跳ね除けた。それどころか、魔剣を取り込んで力を増している。
跳ね除けられた衝撃で激しく転倒したダージリアは、朦朧とする意識の中で、死後の世界について想いを馳せた。
――ああ、母さんと父さんに会いたい。
恥知らずなのは承知で、そう願ったダージリアは、ついに意識を暗闇に閉ざした。