#4 はじめてできたキズ
「ごめん、予定があるの。もう遊べない」
彼女からそう断られたとき、私はただ今日は遊べないだけで明日になればまた遊べるのだろうと軽く考えていた。しかし現実はそんなに甘くなかったのだ。今思うとこの時彼女があえて「『もう』遊べない」と言ったのはそういうことだったのだと理解できる。けれども当時の私は何も考えずに友達はほかにもいるからと高を括っていた。
この日から私は何度も遊びに断られ続け、断れることにも慣れてしまった私は彼女を誘うことをやめ、クラスメイトであるはずの彼女と話しもしなくなってしまっていた。
二年生の終わりが近づいてきた2月のある日、朝の会で担任の先生からの連絡により、彼女が三年生から転校することを知った。転校先は地方をまたいだかなり離れたところだと聞き、私は全身から冷や汗が噴き出していくのを濡れた下着で感じ取った。まともに話さなくなった約3か月の間に何が起こっていたのだろうか。引っ越しの話など仲良くしていたころには彼女から一度も聞いたことがなかった。そして転校のことは何年も前から決まっており、本人もこのタイミングで引っ越すという予定を知っている様子だった。なぜ彼女は私に何も言わなかったのだろうか。朝の会で知らされたその事実は一日中、いや、春休みに入るまでずっと私を苦しませた。何度も何度も彼女と再び仲良くなってお別れしたいと考えた。しかし何か月も話さない期間があったためか話しかける勇気が出なかった。この時勇気を振り絞って声をかけ、話してくれなくなった理由を自分なりに考えて謝ることができたのなら、私はこれほどの後悔や未練を現在に至るまで積み重ねることはなかっただろう。
もしもこの先彼女と話すことができるのなら、
「謝れなくてごめんね」
その一言を心から伝えたい。
その時点では大したことではないだろうと強がっていた出来事ほど人生において長く深く残っていくものなのだと私は思う。人間の記憶は生まれてから初めて受けた衝撃的な出来事から始まるのだという。それは他人からすればどうということはないかすり傷程度の物理的な痛みかもしれない。あるいは初めて縄跳びが跳べた時のような喜びや達成感といった精神に直接影響したこともありうるだろう。衝撃の程度は人それぞれであるし、その度合いは本人にしか完全には理解しえない。私がこの時伝えられなかった思いは私の想像以上に強かったのだと思う。
彼女が引っ越したのち、新しい年が何もなかったかのように自然と流れてゆき、私の小学校生活の中で最も記憶に深く刻まれることとなる出来事が近づいていた。もしもやり直すことができるのなら、あの時の全てをやり直したいと今となっては深く悔いることになるのだ。あんなにも友達を傷つけ、その自分が別に嫌いではないとも感じていた当時の自分が私は大嫌いだ。あれは忘れることのない、私が三年生の時の梅雨が明け、蝉が鳴き始めた初夏のころのことである。
#4 はじめてのキズ を読んでいただきありがとうございます。今回の話はいかがだったでしょうか、#3まで投稿していた現在、アクセス数は大変うれしいことに少しづつ増えてきたのですが感想欄が非常に寂しいというのが本心です(泣)ほんの一言、何かいただけると非常にモチベーションが上がるのでぜひ、よろしくお願いします!今回もありがとうございました。