#2 まっさら
ー今日からみんなは、二年生になります!クラスも変わって知らない子もたくさんいると思いますが、みんなで仲良くしていきましょう!!ー
眼前に広がっている光景が自分の記憶の一部なのだと気づいたのは、おそらく当時の頃の私らしき子どもがいることが分かったからである。しかし彼はとても幼く、現在の自分からは想像できないような様子だったため、幾秒かあっけらかんとしたが彼が「やっちゃん」と近くの席の数人から呼ばれていたことで、その子どもは当時の私であることが確信へと変わった。微かな記憶だが、覚えている限り私は幼稚園に通っていたころからあだ名は「やっちゃん」だった。もちろん名前から来ているわけなのだが、以前家族から聞いた話だと、自分でもこのあだ名は気に入っていたようで、小学校に入った時には自分から初めて会う子らに「『やっちゃん』って呼んでね!」と言いまわっていたらしい。私は当時のことをあまり覚えてはいないが、今考えると非常に図々しく恥ずかしい。子ども同士だとこういうことは珍しい話でもないのだろうか...?
そんなことを考えていると、当時の私が新しく仲良くなった友達と放課後近所の公園で遊んでいる場面へと変わっていた。幼いころの私は、姉が二人いたこともあってか男の子と話すよりも女の子と話したり遊んだりすることのほうが慣れていた。というよりも男の子と仲良くする手段を持ち合わせておらず、話しかけたりするのを無意識に避けていたように思う。この時も女の子と二人で遊んでいた。とても活発でやんちゃだった私は、家にいることがあまり好きではなくいつでも外遊びをしていた。一緒に遊んでいた彼女も私と似ており、外で遊ぶのが好きだと言っていた。足が速く、元気で、いつも笑顔で可愛かった彼女に私はいつからか好意を寄せていた。小学二年生でここまで自分の気持ちに気付いている子どもはなかなかいないのではないかと思いもしたが、家族がドラマや映画を見るのが好きだったので、その影響を大きく受けていたのだと痛感した。ませていたのだ。
彼女が私のことをどう思っていたのかは全く分からなかったが、その日家に誰もいなかったことを知っていた私は、幼いながらに
「今日、家に誰もいないんだけど、来ない?」と彼女に聞くと
「うん!行く!」と嬉しそうに言われ、二人で誰もいない私の家へと向かうのであった。
#2 まっさらを読んでいただきありがとうございます。誰しも必ず一つは消したい記憶ややり直したい過去があると思いますが、反対になくしてしまいたくないこともたくさんあるのではないでしょうか。"黒歴史"というものは、それ以上に美しい過去があるからこそ存在するのだと思います。「まだまだ若造が」とも思うかもしれませんが、苦く辛い過去"ばかり"と後ろ向きに考えるのではなく、うれしい・たのしい思い出があるから"こそ"の過去だと信じています。
...............次回もお楽しみに!!!