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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

逃げた姉に永遠に嫉妬し続ける妹

作者:


ネタ帳に置いていたのを加筆修正しました。

前の短編で終わりとか言ってましたが……ネタ帳にこっそり置いてました。置いてたのを一纏めにしつつ加筆修正しました。


かる……くはないですがお時間ある時にでも読んで頂ければと思います。



 



 ――とても羨ましかった。あの綺麗な紫色の瞳に見つめられるお姉様が

 ――とても悔しかった。彼に好意を抱かれているのはわたしなのに、優秀なだけで跡取りから未来の公爵夫人になると決まったお姉様が

 ――とても悲しかった。わたしと彼は両想いなのに、人のいない場所で彼と口付けを交わしたお姉様。その場所はわたしの場所なのに



 ヴァーミリオン伯爵家令嬢ラリマー=ヴァーミリオン。母親譲りの青緑の髪に空色の瞳の美少女。可憐な妖精を彷彿とさせる容姿に異性は見惚れ、誰もが彼女を守りたくなった。華奢な体は強く抱くだけで折れてしまいそうな程細く、瑞々しい唇から発せられる声は鈴を転がしたような音色をしていた。両親は常にラリマーを可愛がった。欲しい物があれば何でも与えてやり、どんなお願いも叶えた。

 けれど、一つだけ両親でさえも叶えられない願いがあった。



「ふえ……あああああぁ……!」



 可愛らしいぬいぐるみに囲まれたベッドの上。枕に顔を埋めて泣くラリマーを幼少期より仕えている侍女達はどう声を掛けて良いか分からず困惑していた。

 ラリマーには、双子の姉がいる。スカーレット=ヴァーミリオン。父親譲りの炎に燃えるような赤い髪と瞳の少女。性別が女性といえ、長子として生まれた為にヴァーミリオン伯爵家を継ぐ跡取りとして幼少の頃より厳しい教育を受けてきた。この国では、生まれて半年経った赤子は魔力検査を受ける。双子の姉妹も例外ではない。ラリマーは水属性で普通の魔力量だったが、姉のスカーレットは珍しい炎と光の複数属性で魔力量も王族に匹敵する程膨大なものだった。生まれた時から後継者となるに相応しい才能を持ったスカーレットを、両親は立派な女伯爵として、淑女となる為に三歳の頃より厳しい教育を受けさせてきた。

 スカーレットの才能は魔法だけではなかった。優しさの欠片もないと噂される厳しいマナーレッスンの教師の授業にもしっかりと着いていき、決して笑顔を見せないと言われていたのに教師はスカーレットに笑みを見せた。また、ダンスレッスンや伯爵としての勉学にも励んだ。どの先生も実力はあるが厳しいと評判の人ばかり。それでも、皆スカーレットが上達していく度に――時に厳しくする時もあるが――自分のことのように喜び、誉めた。


 対して、スカーレットの双子の妹として生まれたラリマーは、跡取りではなくても、将来何処へ嫁いでも恥ずかしくないように淑女教育を幼い頃から受けていた。此方も、多数の令嬢を立派に育て上げた教師に習った。しかし、ラリマーはスカーレット程に忍耐も強くなければ、勉学に精を出す性格でもなかった。初めは、何か出来る度に両親が誉めてくれるから苦手な勉強やマナーレッスンを耐えた。次第に内容も難しくなっていき、ラリマーは問題が分からなくなった。担当教師はラリマーが分かるまで根気強く教えた。それでも分からなくてラリマーは泣き出してしまった。

 ラリマーの泣き声を聞いて駆けつけた伯爵夫人アレイトは、担当教師にラリマーが泣いている理由を詰め寄った。分からない問題をラリマーが理解するまで分かりやすく解説していただけと弁解すると――



『うわあああああああん!! わたしはどうぜっ、おねえざまみたいに頭よくないもんっ!!!』



 担当教師はラリマーがスカーレットより劣っているとは一言も口にしていない。過去の授業でもそう。兄弟がいると、どうしても上と下、下と上で才能に差が開くことはある。幾つもの家の令嬢令息を指導してきた教師だからこそ、姉妹の差を決して誰にも言わなかった。

 娘の叫びにアレイトは強く教師を睨んだ。睨まれた教師は誤解だと弁明するも、アレイトからの勧告に従わざるを得なかった。

 泣き叫ぶラリマーを抱き締めたアレイトは、この日からラリマーには無理に勉強をさせなくなった。

 また、担当教師もこの日から姿を見せることはなかった。



「ひぐっ、ふええ、あああああああ!」

「ら、ラリマー様、どうされたのですか、そんなに泣いて」



 何時までも泣いているラリマーをそのままには出来ない。リリスは意を決してラリマーに涙の理由を訊ねた。枕から顔を上げたラリマーは、涙に濡れた顔のままリリスに話した。



「あしぇ、アシェリート様に会いに行ったら、こう言われたのっ」



 ――これ以上、俺に付き纏うな

 ――アシェリート……様?

 ――……スカーレットの為にしてきた結果がこれか。……俺の前からさっさと消えろ



 リリスや他の侍女は何も言えなくなった。



「どう、して、どうして! わたしとアシェリート様は両想いなのに! 邪魔なお姉様がいなくなれば、もう誰の目も気にせず愛し合えるのに!!」



 アシェリートはスカーレットの婚約者。そのスカーレットは、二週間前姿を消した。

 ……今まで育ててもらった恩として、多額のお金と離縁状を置いて。置き手紙はなかった。否、離縁状が置き手紙代わりだったのかもしれない。


 今、ヴァーミリオン伯爵邸は非常に重い空気が漂っている。スカーレットが消えた日から、母アレイトは寝込み、父クリムゾンは生気の抜けた顔で日々を過ごしている。ラリマーだけがある意味元気だった。これで心置き無くアシェリートと愛し合えると信じたから。スカーレットが消えたその日から、アシェリートに会いにオルグレン公爵家へ通い詰めては追い返された。会えたのは昨日。やっと会えたのにアシェリートから放たれた言葉にラリマーの心はボロボロになった。屋敷に戻ってからずっと泣いている。

 ラリマーが泣いていたら、真っ先に駆け付けてくれる筈の両親は来ない。



「ど……して!! どうしてよぉ……!!」



 ラリマーが姉の婚約者と両想いと思い込むのは、本人だけでなく周囲もそうだった。婚約者の妹に好意を寄せるアシェリートと婚約者がいながら姉の婚約者に想いを寄せるラリマー。実際、ニ人が一緒にいる方が多かった。アシェリートが屋敷に訪れてもスカーレットと一緒にいる所等一度も見たことがない。

 ――真相は実に単純だ。ラリマー付の侍女達が、誰一人アシェリートの訪問をスカーレットに伝わらないようにしていたから。そうすれば、我が儘で見た目だけしか取り柄のないラリマーのご機嫌は常に良くて余計な癇癪に巻き込まれずに済む。

 アシェリートと一緒にいられるだけで常に有頂天となっていたラリマーは今も気付かない。ニ人と言っても、場所は常に人目のある庭園。距離も一定を保ち、決してラリマーに触れなかった。向けられている紫水晶が優しげに見えても何の感情もなかったことに。会話もラリマーがずっと一方的に話してアシェリートは相槌を打っているだけだと。




 ◆◇◆◇◆◇

 ◆◇◆◇◆◇



 ――ラリマーがアシェリートと会ったのは、十年前オルグレン公爵邸で行われたお茶会の場。公爵夫人のシュガーと一緒に招待客を迎えていた。姉妹の母アレイトとシュガーは友人で、時折こうしてお茶会に誘い会う間柄だった。母親同士の挨拶が終わるとアレイトが姉妹に挨拶をするよう軽く促した。

 姉の斜め後ろに立ったラリマーは頬を染めた。癖のある黒髪に美しい紫水晶の瞳をした少年に見惚れて。緊張しながらもしっかりとカーテシーを披露したスカーレットに続いて、ラリマーもぎこちないながらも挨拶をした。終えるとまた少年を見つめた。



(あ……)



 少年と目が合う。固まったまま動かない少年がビクッと肩を跳ねさせた。ちらっと横を見るとすぐに視線を戻し、自己紹介をした。



「ようこそお越し下さいました。ヴァーミリオン伯爵夫人。スカーレット様。……ラリマー様。オルグレン公爵家長男アシェリート=オルグレンです」



 ふわりと笑ったアシェリートにこの時のラリマーは心を奪われた。そして、それはアシェリートも同じだと確信した。



(アシェリート様はずっとわたしを見ていたわ! わたしが可愛いから見惚れていたのね!)



 実際は、斜め前に立つ双子の姉に見惚れていた。とは思わなかった。両親や使用人が常に可愛いと誉めてくれる笑みをずっと浮かべ続けた。



 ――お茶会が始まった。

 ラリマーは知り合いの夫人と話に花を咲かせるアレイトのドレスに引っ付いたまま何処へも行こうとしなかった。スカーレットが気を遣って一緒に行こうと誘うも、嫌だと断った。ラリマー程でないにしろ、スカーレットもお茶会に参加する。そこで友人を作るが、スカーレットの友人は皆ラリマーに厳しかった。姉は何も言われないのにどうしていつも自分だけ。気に食わなかった。例え、令嬢としてのマナーがなっていないから注意されていてもそれが理解出来ない。屋敷に戻るとアレイトに泣き付き、姉であるスカーレットが叱られた。妹を大切にしない、挙げ句友人に虐めさせようとする最低な姉と。スカーレットが反論してもラリマーが泣いているだけで被害者だと判断する母に何を言っても無駄だった。


 会場内を見渡した。



(アシェリート様はどこかしら?)



 すっかりとアシェリートを好きになってしまったラリマーは周囲へ視線を泳がせた。視界に入る範囲には見当たらない。自分から動き出して見つけるしかない。

 アレイトに友人の所へ行くと一声掛けて動き出した。広い場内を探してもアシェリートの姿はなかった。代わりに、アシェリートと一緒にいた濃い桃色の髪をハーフアップにした同じ瞳の少女がいた。「あの」と声を掛けようとする前にメイドに何かを言い付けていた。



「じゃあ、頼んだわよ」

「はい」



 ジュースの入ったグラスをニつ置いたトレイを持ってメイドは庭がある方へ行った。誰に渡しに行ったのか気になって視線を向けたラリマーは頬を赤く染めた。庭には探していたアシェリートがいた。何故か、姉のスカーレットもいる。

 ニ人で何をしていたか知らないがやっと見つけた。夢中になって走った。途中、移動していた使用人がラリマーが急に飛び出して転びそうになったり、ドレスの裾を持って走る姿に眉を寄せる夫人もいた。

 急いで二人の所へ駆け付け、スカーレットを呼んだ。ラリマーに気付いたアシェリートは顔を顰め、スカーレットは驚いた後「ラリマー! 走ってはいけません」と注意をした。立ち止まったラリマーは何故注意をされなくてはいけないのかと首を傾げた。アシェリートがいたから来ただけなのに。どんなにスカーレットが正しい行動を取ろうとも、ヴァーミリオン家で可愛いのはラリマー。そのラリマーが泣き出せば、当然彼女を溺愛するアレイトは騒ぎを聞き付け駆け付けた。泣いているラリマーを抱き締め、当たり前の注意をしただけのスカーレットを叱った。表情を強張らせ、小さな体を震わせるスカーレットにラリマーは心の中で舌を見せた。何時だって正しいのは愛されている自分なのだと信じているから。

 見兼ねたアシェリートが前へ出ようとする前に開催主のシュガーがやって来た。すぐにアレイトはスカーレットが騒ぎを起こして申し訳ないと謝罪をしたが、口元を扇子で隠したシュガーの表情は険しいまま。

 そしてアレイトはスカーレットに謝罪をするよう強制した。が、シュガーが一蹴した。



「黙りなさい。彼女は謝るようなことはしていないでしょう? スカーレット嬢とアシェリートに飲み物を運んだメイドに聞きましたが、どう聞いても悪いのははしたなく走り出したラリマー嬢であって、注意をしたスカーレット嬢は悪くないわ。姉として当然の注意をしただけじゃない。それを何ですか? 泣いている子が被害者で注意をした子が加害者になるの? 全く、よくそれでわたしの開くお茶会に連れて来たものね。知っていたら、スカーレット嬢だけを連れて来るよう書いていたのに」



 一切の容赦がない氷の言葉(やいば)がアレイトとラリマーに突き刺さる。

 シュガー=オルグレンは王国の『氷姫』と呼ばれる程、無慈悲で冷徹、そして他者の追随を許さない美貌の女性。また、現国王の妹で元姫君。夫であるバルーン=オルグレンとは珍しく恋愛結婚で家庭でのシュガーを知らない者は皆、『氷姫』を嫁に貰ったバルーンに同情気味だった。

 ――と、オルグレン公爵夫妻のことは今は置いておこう。


 決して大声を出している訳でも激昂している訳でもない、淡々と、冷静に事実を述べるシュガーを真っ青な表情で見上げるアレイトとアレイトに抱き締められ守られているラリマーは、丸で化け物を見るような目でシュガーを見ていた。

 その後、シュガーの呼んだ使用人に母共々客室へ連れて行かれた。途中、後ろを振り返るとアシェリートが姉スカーレットに話し掛けているのを目撃した。

 客室へ運ばれ、真っ青な顔をしたままソファーに座ったアレイト。ラリマーは「お母様……」と呼ぶも反応はなかった。





 *―*―*―*―*



   

 

 昨日アシェリートに冷たく言い捨てられ私室で泣き続けていたのに、今日もオルグレン公爵邸へ向かう為ラリマーは侍女達に化粧をさせる。化粧台の前に座る自分の顔を見て微笑む。両親が、使用人達が可愛いと褒めてくれる微笑を浮かべ続けていたら、スカーレットがいなくなって荒んでいるアシェリートも前のように接してくれると信じて。

 まさか、初めて出会った時から一途に想い続けるスカーレットが消えた元凶であり、自分の欲求を満たす為に常に片割れを犠牲にしていた自分が出会った時から嫌われているとは知りもしないで。

 

 白いレースがふんだんに使用されたドレスを着て真珠の髪飾りを整えた青緑の髪に着けた。

 リリスに振り返った。

 

 

「どう?」

「とてもお似合いです」

「ふふ。これを見たら、アシェリート様も機嫌を直してくれるわ! わたし達は両想いなのだから」

 

 

 ラリマーのこの考えは何処から湧いてくるのか。過去一度も、アシェリートは好きだと言ったことはない。常に二人でいる場所を見られても話すのはラリマーだけ。アシェリートは当たり障りなく相槌を打つだけ。距離も一定を保ち、触れる等決してない。ラリマー自身は触れてほしいし、触れたい。だが、お互いに婚約者がいる身だから触れ合うのは互いが婚約を結び直してからだとラリマーは思い込んでいる。

 スカーレットの前でラリマーを庇う対応をしていたのも、後で粗末に扱ったらラリマーがあの両親に泣き付くからだ。アシェリート様に冷たくされた、お姉様に邪魔者扱いされた、と。それだけでスカーレットは両親に――特にラリマーを溺愛している母アレイトに――きつく言い付けられ、長時間に及ぶ説教をされる。次第に心が死んでいくスカーレットの為にラリマーを丁寧に扱わざるを得なかった。

 

 

「ラリマー……?」

 

 

 丁度、部屋を出た辺りでスカーレットがいなくなってから寝込んでばかりのアレイトと出会わした。頬は痩せこけ、目の下には濃い隈が出来ていた。艶やかな同じ色の髪もぼさぼさで手入れが行き届いていない。久し振りに母が外に出た姿を見たラリマーは心配げに駆け寄った。

 

 

「お母様! 外を歩いて大丈夫なのですか?」

「ええ……。ラリマーは何処へ行くの?」

 

 

 昏く、生気のない空色の瞳には、もう一人の娘まで遠くへ行ってしまうのではないかという恐怖心がありありと浮かんでいた。オルグレン公爵邸です、とラリマーが発しかけた時――女性の声が届いた。声のした方へ振り向くと腰まである濃い桃色の髪を一つに束ね、シンプルだが非常に品の良いドレスを着た女性がアシェリートとローズオーラと同じ紫水晶を母娘へ向けていた。女性が誰か知っている二人の表情から色がなくなる。青を通り越して真っ白になった二人を女性は不愉快だと言わんばかりに形の良い眉を寄せた。

 

 

「あら? なに、人を化け物でも見たような顔で見て」

「シュ、シュガー様……」

 

 

 アレイトが力なく紡いだ。

 シュガー=オルグレンは持っていた扇子を開き、口元を隠した。鋭い紫水晶がラリマーを捉えると更に眉間の皺を濃くした。

 

 

「……勘違いを助長させたのがアシェリートでも、助長させなくても自分で勝手に増長していきそうね」

「?」

 

 

 扇子の下でシュガーが何を呟いたか聞こえなかったラリマーは小首を傾げた。アレイトも然り。

 

 

「まあ、いいわ。わたしが来たのはスカーレットの件よ」

「お、お待ち下さい! スカーレットの捜索は今全力でしています! ですから、スカーレットとアシェリート様の婚約を」

「何を勘違いしているか知らないけど、わたしが今日言いに来たのはスカーレットの親権についてよ」

「スカーレットの、親権……?」

「そうよ。彼女を――ヴァーミリオン公爵家の養女にすることが、クローディン様リリアネット様との話し合いで決められたわ」

 

 

 あっさりと答えたシュガーの衝撃的な事実にアレイトとラリマーの同じ色の瞳が見開かれた。二週間前に失踪したスカーレットをヴァーミリオン主家の当主である公爵の養女に? ひょっとして、スカーレットが戻ったのか? 淡い期待を抱いたアレイトが訊ねるとシュガーは首を振った。

 

 

「いいえ。まだよ。でも、見つけた時またこの家に戻すのは酷というものよ。何しろ、離縁状を置いてまで貴方達と縁を切りたかったのだから」

 

 

 淡々とした口調で、鋭利な氷の刃でアレイトとラリマーを刺し続けるシュガー。彼女にこの母娘に対する容赦は一切存在しない。スカーレットがいなくなってからずっと寝込んでいる人間とは思えない迫力でアレイトは迫った。

 

 

「どういう意味ですか!」

「そのままの意味よ。貴女といい、クリムゾン様といい、一体何を見て、聞いてこられたのかしら。わたしや、ヴァーミリオン公爵も奥方も、果てにはクリムゾン様の兄君に当たるヴァーミリオン侯爵も何度も忠告していたわよね? スカーレットとラリマー嬢の扱いの差に」

「私も旦那様も二人を平等に愛してきました! それをシュガー様やお義父様達は否定するというのですか!?」

「否定も何も事実を言ったまでよ。それに、平等に愛していた?」

 

 

 嫌悪を滲ませる紫水晶がアレイトから一瞬ラリマーを映すも、すぐにまたアレイトへ戻した。

 

 

「本当に? なら、第三者の意見として言わせてもらうわ。貴方達のは平等とは言わないわ。片方に愛情が偏っていた。それも歪に。愛されている方が全くまともに育っていないもの。貴族令嬢としてのマナーもなっていない、次期後継者になったのにも関わらず必要な教育も受けていない、挙句に姉の婚約者に付き纏うはしたない娘。簡単に言ってしまえばこんな所かしら」

 

 

 今度はラリマーを見ながら淡々と述べた。全てラリマーのことを指している。ラリマーは顔を真っ赤にし、アレイトは代わりに反論した。

 

 

「ラリマーは立派な子です!」

「何処をどう見たらそう見えるの。スカーレットと比べると一目瞭然よ」

「スカーレットとラリマーを比べないでください! あの子は」

「優秀だから出来て当たり前? かしら」

 

 

 言う筈だった台詞を先に述べられ口を噤む。眉間に皺を寄せたままシュガーは続ける。

 

 

「跡取りの長子に厳しくするのも、甘やかせない分下に愛情がいくのも、百歩譲って理解は出来るわ。長子が優秀な程期待が大きくなるもの。でもね、だからと言って過剰な教育を施す理由にも、下の子に何の教育を施さない理由にもならないわ。ラリマー嬢の非常識振りは他の夫人達やわたしの子供達からよく聞くわ」

 

 

 シュガーの子供達とは、言わずもがなアシェリートとローズオーラ。常に引っ付かれてスカーレットに近付けない所か、勘違いされラリマーと結ばれることを望まれたアシェリートはスカーレットがいなくなって生気がない抜け殻になってしまった。のは一昨日までの話。

 昨日からやっと行動をし始めた。ショックを受けて茫然としている暇があるなら動けと姉に叱咤を受け、昨日は母に動くのが遅いと叱咤された。

 

 こうなる事を予め予知していたのか、スカーレットがいなくなったと報せを受けるとシュガーは真っ先にヴァーミリオン公爵夫妻に鳥を飛ばした。伯爵夫妻のことだ、どうせ隠し通すと思っていたから。

 今日のシュガーは夫であるオルグレン公爵バルーンと共にヴァーミリオン伯爵を訪ねた。会話の途中から全く話が通じなくなり、今応接室ではバルーンが一人伯爵の対応をしている。シュガーは寝込んでいると聞かされたアレイトの所へ向かっていた。精神的に参っている今、更に負荷をかける話をして、仮にそれが原因で死んでもシュガーの心は揺らがない。元王族という立場上、不必要と判断したものは排除する。国と個人を天秤で量ればどちらが重要か分からない馬鹿はいない。

 今回の場合は、個人と家で天秤をかけた。

 

 

「今、旦那様と伯爵で話をしているわ。諸々の手続きは既にヴァーミリオン公爵が今している所」

「待って下さい!! わたしや旦那様は、一度もそんな話を聞いておりません! ましてや、スカーレットの親権がお義父様達に渡るというのも……!!」

「これ以上話すことはないわ。時間を取らせたわね」

「シュガー様!!!」

 

 

 言わなければならないのは他にも幾つかあるものの、今言う必要もない上に、下手をすると言わなくても良いかもしれない。個人として、この家の者共に言い捨ててやりたい言葉は天高く聳え立つ山の如くあるが時間の無駄。

 シュガーを引き止めようとしたアレイトだが、ずっと寝込んでいた状態で突然大声を出したり感情が高ぶったせいで倒れてしまう。誰か、誰か、と助けを求めるラリマーの呼び声に応え使用人達が来る。アレイトを使用人達に任せたラリマーが去って行くシュガーを呼び止めるも、優雅に歩く足が止まることはない。

 

 玄関ホールに出ると疲れた様子の夫が待っていてくれた。困ったねと眉を八の字に曲げているので何かと思えば、諦めの悪い娘がまだ追い掛けて来ていた。もう扇子で隠しても隠し切れない悪感情を披露する。鋭利な刃物を連想させる氷の面立ちに「ひっ」とラリマーから悲鳴が漏れた。が、此処で逃したら二度はないと直感で感じるらしい。

 

 

「シュガー様! お姉様が何処に行ったかも分からないのに親権云々等話して何の意味があるというのですか! お姉様がいなくなった今、婚約の問題があるのなら、わたしとアシェリート様で婚約を結び直したら良いではありませんか!!」

「……旦那様。帰りましょう。どうも彼女は、母親似じゃなく、両親似なようよ」

「う、うむ。スカーレット嬢が置き手紙ではなく、離縁状を置いて姿を晦ませる理由が分かるよ。ただ、だからこそ、僕は残念でならない。ヴァーミリオン公爵と侯爵の三年前の判断を」



 六年前、ヴァーミリオン公爵が伯爵夫妻の姉妹の扱いにあまりにも差が有りすぎると強制的にスカーレットを保護した。しかし魔法学院に入学する半月前に何故か伯爵家に戻してしまった。それが三年前。当時の事情を知るバルーンは(かぶり)を振った。



「今更何を言った所で時間は戻れない。それに、あの時の公爵と侯爵の気持ちが僕にも分かる。子を持つ親として、血を分けた兄弟として」

「それが仇になりましたがね」

「シュガーのように物事をはっきり区別出来る人はそうはいないよ。さて、では行こう」

「ええ」

「ま、待ってください!!」



 自分の要求を丸々聞き流して帰ろうとするオルグレン公爵夫妻を呼び止めるも、元々ラリマーの話を聞く気がないので足が止まる筈がない。まだ喚くラリマーを置いて夫妻は外へ出て、待たせてあった馬車に乗り込んだ。御者に行き先をヴァーミリオン公爵邸だと告げた。

 閉じた扇子を口元に当てて考え込むのはシュガーの癖。一定の速度を保って過ぎ去る外の光景をじっと見つめていると夫が声をかけた。



「考え事かい」

「ええ。色々とやらなけらばならないことが多いので」

「そうだね。スカーレット嬢の居場所については僕に任せて。色々と顔は広い方だと自負している」

「知ってますわ。だって、旦那様は元々医者を目指していた公爵家の次男だったんですもの」

「まさか、兄が家を捨てて隣国の王女と結婚するとは思ってもいなかったよ。両親も周りも、皆兄が家を継ぐと思っていたからね。その点、僕は医者として世界中を歩いていたからね。報せが届いた時はとても驚いたよ」

「あの時の貴方の慌てようは見てて情けなかったわ。人の上に立つ者は、常に冷静を保つ。基本よ」

「う、うむ。今でも、僕は公爵に向いていないような気がする」

「情けない貴方を補佐する為にわたしがいるのをお忘れかしら?」



 微かに開いた扇子から覗く薔薇の花弁。赤い薔薇は、息子が婚約者の為に沢山欲しいと願った。あの時の息子の必死な顔が思い出されて口元が緩んでしまった夫に仕方ないとシュガーは溜め息を吐いた。

「シュガー」と呼ばれ扇子を口元から離した。



「スカーレット嬢が見つかっても、戻って来ないと彼女が言えばその時はどうするんだい?」

「……そうね。でも、案外帰って来るかもしれないわよ」



 植物魔法を使えるローズオーラでも、咲かせた花を長期間咲かせるのは出来なかった。そこで目を付けたのがスカーレットの炎と光の魔法。単体なら不可能でも、同時に扱えれば話は別。魔法に長けた城の魔法使いに指導を受けていたスカーレットは、制御は少し下手だったが魔法の才能は十分にあった。炎と光を合わせることで花の寿命を大幅に伸ばした。更に、その花から採取した種はスカーレットの魔法をしっかりと受け継いでいて、次に咲かせた時はスカーレットの魔法がなくても長く、強く咲き続けた。

 咲かせるだけでは駄目。如何に、長く、強く咲かせ続けるかが必要となる。お抱えの商人から受け取る報酬をスカーレットにも渡していた。彼女は拒んだが、正当な報酬として無理矢理渡していた。――それが今回、逃亡資金として使われ、更には伯爵令嬢を育てるのに必要な額の金を置いて行った。


 予想出来ていた。あのままの現状が続けば、何れ限界を迎えてスカーレットはいなくなると。魔法学院を卒業すればすぐに公爵家に迎え入れれば良いと甘い考えを抱いていたアシェリートに何も言わなかった。何時までも親が助言を与え続けると思ってはいけない。国の最高位に当たる貴族の当主となるのなら余計。自分の目で、耳で確かめ、起きる可能性があるあらゆる事態を想定しないとならない。罪悪感がないとは言わない。一言でも助言(アドバイス)を与えていれば、違う未来があったかもしれない。

 シュガーが積極的に動くのも、その罪悪感から来ているのかもしれない。





 *―*―*―*―*


 

 

「どうしてですか!!!」

 

 甲高い怒声が邸内の廊下全体に響いた。荒い呼吸を繰り返し、可憐な形相を般若の如く恐ろしいものへと変えたラリマーが睨み付ける相手は祖母。父や姉と同じ炎に燃えるような赤い髪と瞳の女性。六十代を超えても衰えない若々しい白い肌に映える髪。魔力量が多い者は寿命が長く、見目を若く保つことが出来る。

 公爵夫人として相応しい装いをした祖母――リリアネット=ヴァーミリオンは、十八歳にもなって幼子の思考回路をしているラリマーを冷たく見下ろす。ヒールの高いブーツを履いている為、必然的にラリマーを見下ろす形となった。

 

 

「どうして? 言ったでしょう。スカーレットは、我が公爵家の養女として引き取ると」

「まだ見つかってもいないのですよ!? それなのにお姉様の部屋の物を全部持って行くなんて!!」

 

 

 オルグレン公爵夫妻が訪れてから数日後。連絡も無しに突然リリアネットが数台の馬車を引き連れて伯爵邸へやって来た。出迎えた息子クリムゾンに見向きもせず、速やかにスカーレットの部屋に残された家具を馬車へ運んでと指示し始めた。当然、いきなり来たかと思えば勝手に娘の部屋の家具を運ぶ母にクリムゾンは異議を唱えた。

 しかし自分と同じ瞳に浮かんだ絶対零度の眼差しを食らい押し黙った。炎の色をしたそれが凍える冷気を纏うのは可笑しな話なのに、向けられただけでクリムゾンの全身は凍りついた。そして、母の瞳が全て物語っていた。今更親の面を被るな、と。数日前に訪れたオルグレン公爵夫人であるシュガーにも言われた。

 

『貴方達に親を名乗る資格は既にないの』と。

 

 アレイトはあの日以来寝込んだままで一度もベッドから起き上がれなくなった。また、本来なら魔法学院へ通っているラリマーは通学しないといけないのだが、屋敷にいないと知るとアレイトがパニックを起こして使用人達に迷惑をかけ始めた。スカーレットの失踪については、病気療養の為暫く領地へ移ったという説明が魔法学院ではされている。ラリマーが魔法学院へ行かないよう仕向ける手間が省けたとリリアネットは内心溜息を吐いた。

 

 

「ああ、そこの貴方」

「はい」

「カーテンや服を先に運んで。ベッドやクローゼットは置いて行っていいわ」

「分かりました」

「お婆様!」

 

 

 自分を無視して業者へ指示を飛ばす祖母に存在を思い出してほしくてラリマーはまた大声を出した。

 

 

「何ですか騒々しい」

「お姉様は見つかっていないのに荷物を運ぶ意味はありません!」

「貴女の気にする所ではありません。それよりも、クリムゾン」

 

 

 リリアネットは黙らせたクリムゾンへ鋭い瞳を向けた。

 

 

「スカーレットがいなくなった翌日からバルーン様やシュガー様が来るまでの間に、オルグレン公爵家から抗議の文が届いていますね?」

「!」

「抗議の文?」

 

 何の抗議? と首を傾げるラリマーは、父の肩がビクリと跳ねたのを目にした。冷や汗を大量に流し、目をきょろきょろ泳がせる姿を訝しむ。

 

 

「ラリマーが公爵邸へ押し掛けて来るせいで使用人達の業務妨害になっていると、何度も貴方宛に抗議の手紙を送っているのに一向に返事が来ないので旦那様の所まで文が届きました。これはどういうことですか?」

「そ、それは」

 

 

 手紙は来ていた。だが、スカーレットがいなくなって今までの行いを悔い、後悔のどん底に叩き落されていた状況でまともに目を通していなかった。残ったもう一人の愛娘が姉の婚約者と言えど、他家に迷惑をかけていたとは思いもしなかった。下手な言い訳は目の前の母に通用しない。答えられないクリムゾンを無感情な赤い瞳が射抜く。その色が、スカーレットと重なって見える。三年前、やっとの思いで両親から取り戻した娘の表情はいつも死んでいた。瞳にも一切の感情はなかった。今までの行いを謝罪し、これから家族四人仲良く過ごそうと涙ながらに語った自分や妻をあの子はどんな表情で見つめていたか。

 嬉しそうだった? 喜んでいた? ――どれも、凄まじい嫌悪と拒否が滲み出ていた。

 

 

「シュガー様が仰っていましたよ。貴方達と話すのは非常に疲れると。話が丸で通じない異国の者と話している気分だと」

 

 

 数日前伯爵家を去った後、ヴァーミリオン公爵家を訪れたオルグレン公爵夫妻は、話し合っても無意味との判断を下した。此方が何を言っても平行線を保ったまま。二人の表情に疲労の色があり、親として恥ずかしくなった。兄と弟。分け隔てなく育てたつもりだった。何処で歯車が狂ったかは、誰にも解らない。

 

 

「あの、公爵夫人」

 

 

 業者の男性がリリアネットを呼ぶ。クローゼットの中のドレスを移そうとする前にどうするかを決めてほしい物が入っていると伝えられた。部屋に入ってそれが何か確認し、リリアネットはクリムゾンを呼んだ。気になったラリマーも入ると父は膝を崩して肩を震わせていた。床に並べられたリボンが解かれていない大きな袋や包装紙で包まれたままの箱が幾つかあった。

 

 

「全てスカーレットの誕生日に貴方達が贈ったプレゼントの山よ」

「え……」

 

 

 誕生日プレゼント?

 どうしてそんな物が封も開けられずにクローゼットの中に仕舞われている?

 貰ったその日に中身が気になって仕方ないラリマーは必ず封を開けるので、触らないまま保管されていたプレゼントが不思議でならなかった。

 ただ一人、意味を理解したクリムゾンは顔を両手で覆い、泣き声を噛み殺して泣いていた。



「……本当に貴方達は、あの子の何を見て来たのかしらね? シュガー様には、愛していると、平等に接し続けてきたと吠えたらしいけど、贈ったプレゼントを身に着けても、使用すらもしていない姿を見て何も思わなかったの?」



 母の言葉がクリムゾンに刺さる。六年前告げられたあの言葉が脳裏に蘇った。



『愛している? なら、スカーレットの好きなものを挙げてみなさい。スカーレットの好きな食べ物は? 花は? 本は?』

『スカーレットの好きなものもまともに言えず、挙げ句、あの子と遊んだ思い出も何一つもない。こんなこと、女性としては言いたくないのだけれど――子供を生むだけなら、若く健康なら頭が悪くても出来るわ』

『厳しくするだけが、可愛がるだけが親ではありません。そのことをよく考えなさい。スカーレットは絶対に返しません』



 六年前と同じ問いを母にされてもきっとクリムゾンは答えられない。十八年前生まれた可愛い双子の姉妹。自分に似たスカーレットと愛しい妻に似たラリマー。どちらも可愛くて大切だった。男児に恵まれなくてもスカーレットは優秀な素質を持って生まれた。クリムゾン自身、跡取りに性別は拘りはないタイプだった。生まれ持った才能を無駄にしたくなくてスカーレットには厳しくした。……厳しくし過ぎた。

 周囲に何度ももう少し優しくしてやれ、娘として見てやれと言われた。何度かクリムゾン自身もラリマーに接する時みたいにスカーレットに接しようとした。けれど、その度にこんな気持ちがあった。もしもこの子が、優しさに甘えてだらけてしまったら? 今まで頑張っていた勉強が無駄になってしまったら? ――そう思い、立派な淑女に、跡取りになってほしい気持ちが強まり優しく出来なくなった。

 六年前両親にスカーレットを奪われ、行く行くは兄夫婦の養女とすると告げられた際には心底後悔した。言われて言葉を失った。自分は、自分や妻は、ラリマーの好きなものや思い出なら考えるまでもなく答えられるのに、スカーレットの好きなものや思い出は何も答えられなかった。

 厳しくするだけで一度も優しくしたことがなかった。親子として、家族として接したことがなかった。


 一つしか歳が違わない兄の幼少期を思い出す。

 兄もまた、父の跡を継ぐ為に幼少の頃より厳しい勉学に励んでいた。その時の両親の様子はどうだった? 自分達のように貴族の当主あれと、常に言い続ける人達であっただろうか? ――答えは否。

 合間合間に出来る少ない時間で庭で遊んだり、一緒にお忍びで町へ降りて平民の生活を覗いたり、時には悪戯をして兄弟揃って叱られもした。

 だが、どこを思い出しても両親が兄に何かを無理強いした記憶がない。兄弟を比べたりしていない。片方だけに偏った愛情を注いではいない。



『お前は今まで何を見てきた。同じ父と母に育てられたというのに何処で間違えたのだ』



 ……今更後悔し、涙を流しても、もう何もかも遅い。それこそ、時間を巻き戻す魔法がない限り。

 リリアネットは泣き崩れているクリムゾンにも、触られていないプレゼントの意味を理解出来ていないラリマーも視界の隅へ追いやり、業者に全て置いて行ってと指示を飛ばしたのだった。

 

 

 

 *-*-*-*-*-*-*-*

 

 

 静寂が邸内を支配していた。囁き声すら聞こえなくなった屋敷に人がいるのかも怪しいが、人間は沢山暮らしている。屋敷の主であるクリムゾンは、母リリアネットがいなくなった娘スカーレットの荷物を運び出す際に一切手が触れられていないプレゼントを見せられた日から()()()()()()()の日々を過ごし、妻アレイトも騒ぎを聞き付け置いて行かれたプレゼントを目にして再び寝込んでしまった。ラリマーがお見舞いに訪れても、ベッドの上で譫言のように「どうして……どうしてなの……、貴女を……愛していたのに……」と繰り返すばかり。

 領主として、伯爵としての仕事も儘ならなくなったクリムゾンの代わりとして侯爵の地位を継いだ兄――フレアーズィオ=ヴァーミリオンが代理人として弟の仕事を熟していた。使用人達も与えらえた日々の仕事をするだけ。陰鬱が支配する邸内を一人苛立ちげに歩く影が一つ。

 

 

「もう半年も経っているというのにっ!」

 

 

 ラリマーは可憐で愛くるしい妖精を彷彿とさせる容姿をしながら、腹立たしげに右親指の爪を噛んだ。スカーレットが消えてもう半年も経った。温かく桃色の花々を咲かせていた春も、葉が茶色や朱色に染まった秋一色となった。リリアネットがスカーレットの部屋の荷物を運び出して以降、目を見開く出来事は起きず。

 スカーレットの居場所が判明したという話もない。懲りずにアシェリートに会いに行こうとするも、伯爵代理を一時的に担うフレアーズィオに固く禁じられた。外へ出る時は、必ずフレアーズィオの認めた使用人と一緒でなければ出られなくなった。

 

 窮屈で息が詰まる生活に嫌気が差していた。ストレスも溜まって毎日苛ついていた。アシェリートに会えない、外に出れない。唯一外に出られるのが魔法学院へ登校する時だけ。社交界や学院では、スカーレットは病気療養の為長期間領地に滞在したままとなっている。娘が病を患い、もう一人の娘が側にいなくなるとアレイトがパニックを起こすとしてラリマーも登校が出来ないとされていた。

 これが三ヵ月前までの話。監視付だが、現在は魔法学院へ通っている。生徒達にも決して口外するなとフレアーズィオに言い付けられている。昔は優しい伯父だったのにスカーレットが祖父母に引き取られてから冷たくなってきた。表面上は昔も今も変わらない。だが、向けられる言葉や声色にスカーレットと温度差があったのをラリマーは気付いていた。周囲には変わりなく見えても、自分が誰からも好かれる者だと自負しているラリマーには、些細な差もはっきりと見えていた。その観察力をもっと他のことに回しておけば、と嘆息する人は多い。

 

 魔法学院の生徒達は、皆スカーレットの容体を心配していた。同時に、アシェリートもいないので話はこうなっている。病気のスカーレットの為に彼自身もヴァーミリオン領の地で治療の手伝いをしている、と。

 

 

(全部嘘なのに、皆信じて。皆、お姉様が病気になってアシェリート様が看病をしていると思い込んでる。全部、全部、お爺様やお婆様達が流した嘘なのに、誰も嘘を見抜けない)

 

 

 声を大にして叫びたい。スカーレットは貴族としての矜持も、家族も、友人も、婚約者も捨てて――遠い所へ逃げた、と。自分から姿を消した人間を手間暇かけて探し出す周りの心情を自分こそが全てだと信じる彼女が理解を示す筈がない。

 

 今日もまた、監視付の登校。荒々しく馬車に乗り込んだ。半年前には存在しなかった荒んだ心がラリマーを余計苛つかせた。前までは、スカーレットを迎えに来ていたアシェリートの隣に毎日座った。最初に迎えに来た時アシェリートに――

『俺が迎えに来たのは婚約者だけだ。婚約者の妹まで迎えに来ていない』と明らかな拒絶を示された。自分達は両想いなのに何故突き放すのか。最初に使用人にラリマーが乗るのはヴァーミリオン家の馬車だと止められたのに、聞く耳を持たず無理矢理乗り込むのを阻止されただけと思わず。ちらりと視界に戸惑うスカーレットが映った。

 お姉様のせい、お姉様のせいよ、お姉様がいるからアシェリート様はわたしに愛を示したくても出来ないのよ!――勝手な思い込みに至り、二人が馬車に乗って魔法学院へ向かうと一直線にアレイトに泣き付いた。

 "お姉様が使用人やアシェリート様を使ってわたしを置いてけぼりにした"

 その言葉が全て嘘に塗れた傲慢な言葉でも、溺愛するラリマー()が涙を流して訴えれば全て真実となる。

 翌朝、迎えに来たアシェリートがスカーレットの死んだような顔と嬉々としたラリマーを見て言葉を失ったのは言うまでもない。

 それからは誰も何も言わなくなった。アシェリートの隣に座っても誰も言わない。アシェリートに話し掛け続けても相槌も返してくれない(但し、何も返さなくてもラリマーは延々と喋り続けている)のは気付かない。隣にいてくれるだけで有頂天となるので。


 馬車が学院に到着した。御者が扉を開け、鞄を持ったラリマーが降りた。では、と軽く(こうべ)を垂れて馬車は再び走り出した。


 ご機嫌ようと挨拶をする令嬢達に同じように返していきながら、内心は何がご機嫌かと腸が煮え繰り返っていた。



(お姉様は狡い! 優秀だけが取り柄のくせに、お母様やお父様に期待されて! 跡取りだったくせにアシェリート様の婚約者に選ばれて! なのに、全部捨てて逃げ出すなんて――!!)



 両親は自分を溺れる程に甘やかして愛してくれる。しかし、何時だって期待の籠った眼差しを向けていたのは自身の半身。生まれた時から優れた才能を持ったスカーレットを立派な女伯爵に、淑女にするべく両親が厳しい教育を施していたのは知っている。それが期待の大きさに比例したものだとも気付いている。

 両親は甘やかしてくれる。勉強が嫌だと泣けば無理にしなくていいと頭を撫でて、お茶をしたいと言えば素敵なお茶会を開いて、欲しいドレスや宝石や人形を願えば全部与えてくれた。……だが、それだけなのだ。

 父が、母が、姉に向けている期待に満ちた輝く眼差しだけはくれなかった。


 伯爵家の跡取りから外れ、未来の公爵夫人になると決まった時もそうだ。立派な公爵夫人になってほしい。両親の瞳にはそう映っていた。対して、次の跡取りとなったラリマーにも伯爵になる為に今まで甘やかしていた分を補うように厳しい教育が待っていた。次期伯爵としての勉学に励めば、同じ眼差しを向けてくれると期待して最初はラリマーも頑張ろうとした。が、最初から無理な話だった。長年嫌なことから逃げて自分に優しい世界に浸っていたラリマーが厳しい現実の世界へ戻れる筈もなかった。たった数日で伯爵としての教育は終了した。幸いにも、ラリマーの婿となる伯爵家の次男は、家を継ぐ長男の補佐をするべく励んでいたのでラリマーが“お飾りの女伯爵”になっても困らない才能の持ち主な為に……クリムゾンもアレイトもラリマーを厳しく教育しなかった。

 恵まれた才能を無駄にさせたくない思いが軈て強迫観念へと変わってスカーレットを限界まで追い込み、長女を甘やかせない分ラリマーに砂糖菓子を与え続けた結果が――現在のヴァーミリオン伯爵家。

 伯爵令嬢云々の以前に、貴族令嬢として最低限のマナーを知っているのかと疑問な程マナーのなっていない令嬢になったラリマーのどんな言葉でも正論に翻訳される耳の持ち主たる両親が気付く日は来ない。

 また、将来婿養子となるラリマーの婚約者はスカーレットがいなくなった日からも変わった様子はない。彼はよくローズオーラやローズオーラの婚約者と親しげにしているので何か情報を得ているのではと期待を抱いて訊きに行くも「何も知りません」と追い返された。ラリマーが自身の婚約者に夢中にならないのは、十年前のお茶会で出会ったアシェリートがどの同年代の子達よりも見目麗しく、他者を魅了する紫水晶の瞳があまりにも綺麗だったせい。その瞳に熱の籠った眼差しで見詰められていたと勘違いしているラリマーが他の男性を好きになれることはない。


 何度も、何度も、何度も、アシェリートにもローズオーラや周囲にも、スカーレットとの時間を邪魔するな、婚約者がいる身で他の異性と馴れ馴れしくするな、姉の婚約者に懸想するなと忠告又は警告されたのにも関わらず、自分が一番に愛されて当然だと――そういう優しい世界で生きてきたラリマーの耳には届かなかった。



「ねえ、あれ」

「まあ」



 校舎へ向かうラリマーの耳に令嬢達の驚きの声が入る。足を止めて周囲を見ると皆ある方を見て驚いている。中には頬を染めて感嘆の声を漏らす令嬢や令息がいる。不審を抱き、皆の視線が向いている方へ体毎向け――鞄を落とした。

 校門前に停車する一台の馬車。見慣れた家紋が刻まれた馬車から一人の青年が降りて来た。長身に癖のある黒髪に本物と同等の価値がある非常に美しい紫水晶の瞳と瞳の色に負けない美貌。

 ラリマーがずっと会いたかった青年――アシェリートが半年振りに魔法学院へ登校した。全身から歓喜が沸き上がる。愛しい人がやっと魔法学院へ来てくれた。スカーレットがいなくなって半年。荒んでいた心もきっと穏やかになっている。



「ラリマー様!?」

「アシェリート様が来たらこれよ……」

「もしかして、見えていないのかしら?」

「見えていたらあんな嬉しそうに走り出さないわ」



 令嬢達が何か話しているがラリマーには関係ない。落とした鞄をそのままにし、アシェリートへ向かって一目散に走り出した。



(アシェリート様、アシェリート様! こっちを、こっちを向いてください! 貴方の愛しいわたしはここにいますよ! だから、そのお顔をこちらへ向けてください――)



 アシェリートしか見えていないから、()()()()



「あ。あれって」

「まあ! 回復なされたのね!」

「ほら見なさいよ! ラリマー様といる時と全然違うでしょ!」

「い、いや知ってるよ。でも、あの二人があんなに引っ付いてるの子供の時か夜会の時しかなかったじゃないか」

「ヴァーミリオン伯爵家の()()()()を知らない筈ないくせに何を言っているのよ」



 愛おしげに細め、見る者を蕩けさせてしまう甘美な瞳を向けている相手を知ったラリマーの足は止まった。


 車内に手を伸ばしたアシェリートの手に重ねられた一回り小さな白い手。ゆっくりと引っ張られて馬車を降りた相手の姿をはっきりと確認してラリマーの全身の体温が下がっていく。


 炎に燃えるような赤い髪にはアシェリートの瞳と同じ色の薔薇の髪飾りを着け、髪と同じ色の瞳にはアシェリートへ深い愛情を宿していて。頭に、額にキスを落とすとアシェリートは握った手を強く握り締めた。



「行こう――





 スカーレット」

「はい。アシェリート様」



 ――半年前、突然姿を消した姉スカーレットがアシェリートと一緒に登校してきた。馬車を降りても側を離れないと手を握り、愛し合っているのが充分に伝わる様子で校舎へ向かって歩いて来る。目前にラリマーがいるのに二人は気付くことなくラリマーの横を素通りして校舎内へ入って行った。



(どうして……どうしてよ!! どうして、いなくなった筈のお姉様が戻っているの!? アシェリート様といるの!? あんな……あんな……恋人同士みたいに一緒にいるのよ!!? わたしが目の前にいてどうしてアシェリート様は気付いて下さらないの!!!)



 愛されていないと思っていた姉が自分がいるべき隣にいて愛情を向けられていた――。


 愛されていると思い込んでいたラリマーには屈辱的な出来事だった。


 呆然と立ち尽くすラリマーを周囲の生徒が冷やかな目で見る。



「これでやっとラリマー様も夢の世界からご帰還なされたのではなくて?」

「ええ。スカーレット様とアシェリート様のあんな姿を見て、それでも邪魔をするならもう大きな拍手を差し上げたいですわ」

「心配無用かと思われますわ。確か、スカーレット様が療養中の間にヴァーミリオン公爵がスカーレット様の親権を兄夫婦のヴァーミリオン侯爵へ移したとお聞きしました」

「そうなのですか? わたくしは、祖父母であるヴァーミリオン公爵の養子となると聞きましたが」

「初めはそうなる予定だったらしいですが、侯爵夫人が強く希望したと聞きました。スカーレット様とアシェリート様の結婚式でスカーレット様の母親として出席したいと」

「可笑しな話ではありませんわね。元々、公爵夫妻に引き取られた際には兄夫婦である侯爵の養女となるとなっていたのですから」

「それを家の体面目的で伯爵夫妻が毎日公爵邸へ押し掛け、親や兄の情に訴えかけたのだとか。スカーレット様が伯爵家に戻されたと聞いた時は心配しました」

「魔法学院へ入学してから今日までスカーレット様とアシェリート様は心配でしたが、もう大丈夫そうですわね」


(何よ……何よ……何よ何よ!!)



 態とラリマーに聞こえるようにひそひそ話をする令嬢達の会話の内容が初めて耳にするものばかり。関係者であるラリマーが知らなくて、関係のない他家の令嬢達が何故知っているのか。これはラリマーは勿論、クリムゾンやアレイトすら知らない。リリアネットが三年前から流しているある情報のせい。定期的に流しているのはリリアネット。情報源が公爵夫人となれば、信用性は大幅に上がる。

 そうとは知らないラリマーは、会話の中で自身の婚約者の名前が出たことで情報源が婚約者だと判断して腹立たしげに校舎内へ入った。





 *―*―*―*―*



 それは十五歳になり、社交界デビューを迎えた日だった。

 毎年、社交界デビューを果たす令嬢令息の為に王家主催で夜会が開催される。気合いの入ったマーメイドラインのドレスはラリマーの瞳の色に合わせて作られており、適度に露出した姿は絵本に出てくる可憐な妖精そのものだった。髪飾りには、白い花と真珠が贅沢に使用され、益々ラリマーの容姿を引き立てた。

 双子の姉スカーレットもラリマーとはまた違う魅力あるドレスだった。彼女も髪と瞳に合わせて赤いAラインのドレスを着用した。露出を抑えたドレスで色はスカーレットの赤に合わせ、深緑の色の刺繍が施されており、一般の貴族令嬢以上に厳しく育てられた証拠に背筋を真っ直ぐと伸ばした姿は凛々しく咲く薔薇そのもの。赤い髪に飾られた紫水晶の髪飾りは、社交界デビューを果たした記念に婚約者から贈られたプレゼント。常日頃、誕生日や行事、何か贈りたい物が出来る度に贈り物をしているアシェリートは、今日は一段とスカーレットに似合う髪飾りを贈った。大事な日を台無しにしたくない為に。

 誕生日以外アシェリートに何も貰えないラリマーは嫉妬した。婚約者という立場でしかないのに誕生日以外で贈り物を貰えるスカーレットが羨ましくて。ラリマーの髪飾りは、両親が用意した物。相応の価値があっても、アシェリートから貰えなければ価値は零に等しい。


 アシェリートと共に中央でファーストダンスを踊るスカーレットを、自身の婚約者と踊りながらラリマーは嫉妬に染まった空色の瞳で睨み続けた。彼の腕の中で踊るのは、微笑みを向けられるのは自分なのに、と。ファーストダンスが終わり、婚約者なら二度も三度も踊っても問題ないが何度も踊る気はないラリマーは早々に婚約者の元から去った。そのことに顔を歪めず、涼しい顔で見送った婚約者の真意を知る由もないラリマーは「ふん」と機嫌を悪くしてアシェリートとスカーレットの所へ向かった。二人もファーストダンスを終えて一休みをしていた。

 ――しかし、ラリマーが声を掛ける前にアシェリートはスカーレットを連れて再び中央へ行ってダンスを始めた。これではラリマーは声を掛けられない。ぷくうっと頬を膨らませても誰も気に掛けてくれる者はいない。その後も、二度では飽き足らず三度四度と二人は踊り続けた。何度も踊りながらも、一度もステップを間違えず優雅に踊り続ける美男美女に周囲の目は釘付けだった。


 ……たった一人を除いて。



(何よ……何よ何よ! どうしてお姉様ばっかりアシェリート様と踊るのよ! わたしがいるのにアシェリート様もどうしてお姉様とばっかり……!!)



 泣きそうな表情で二人を見ているラリマーを、ヴァーミリオン伯爵家の()()()()を知っている魔法学院に通う生徒達やその他交流のある家の婦人達が蔑んだ瞳で嗤っていた。婚約者のスカーレットがいながら、妹であるラリマーと親しげにしている様子からアシェリートがラリマーと想い合っていると思うのが一般的な解釈。事実が違うと知るのは、祖母リリアネットが態と流す()()()()と幼少期の二人の仲の良さを知っている者だけ。無論、中には本当にアシェリートがラリマーを好きだと勘違いしている者だっている。

 王家が主催する夜会とあり、流石のラリマーもいつもみたいに泣き叫んで我を通そうとする度胸はないらしい。ただ、じっと、ひたすらに、愛しい人と踊り続ける姉を涙に濡れた瞳で睨み続けた。


 アシェリートとスカーレットが踊り終えたのは五度目。表情からしてスカーレットはかなり疲れている。申し訳なさそうな顔をするアシェリートを見て、今度こそ自分と踊ってもらおうとラリマーはダンスの余韻に浸っている数組のカップルを押し退けて中央へ進んで行った。

 けれど――



「すまないスカーレット。無理をさせたな」

「い……いえっ……少し休めば……っ」

「俺が言うのは何だが無理は良くない。バルコニーへ行って休憩をしよう」

「はい……」



 ラリマーには目もくれず、疲れでふらつくスカーレットの肩を強く抱いてアシェリートはバルコニーへ向かった。アシェリート様、とラリマーが呼んで初めて二人はその存在に気付いた。延々とダンスを踊り続け疲労が強いスカーレットと違い、体力差のせいか涼しい顔をしているアシェリートが氷のように冷たい瞳を一瞬ラリマーへ見せた。……が、気付かないラリマーは可愛いと自信がある笑顔でアシェリートに歩み寄った。



「あの、アシェリート様。次はわたしと踊りましょう」

「悪いなラリマー。スカーレットを休憩させないといけないんだ」

「でしたら、お姉様の友人の方にお任せすれば良いではありませんか。アシェリート様の手を煩わせる必要はありません」



 ぎゅっと眉間に皺を寄せた。喉まで上がった言葉を寸前で呑み込んだアシェリートは一層強くスカーレットの肩を抱いた。その様子にラリマーは不安げにアシェリートの名を紡いだ。



「…………夜会でまでスカーレットとの時間を取られるのは御免だ」

「え? 今なんと」

「悪いがスカーレット(婚約者)を放ってまで別の令嬢と踊る訳にはいかない。それに、相手は俺ではなくても良い筈だ。自分の婚約者か伯爵と踊ればいい」

「そ、そんな、私はっ」

「行こうスカーレット。顔色が悪い。給仕に飲み物を持って来させよう」



 追い縋ろうとするラリマーの前から早々に立ち去った。これ以上何かを言われている間に伯爵夫妻が来てしまえばスカーレットに無理矢理譲らせてラリマーと踊らせるに違いないからだ。元々、何度も踊っていたのも途中ラリマーを来させない為なのだから。

 呆然と立ち尽くすラリマーの腕が誰かに引っ張られた。驚く間もなく、中央から壁の隅まで引っ張られた。



「何をするのです!」

「あそこにいたままでは、次にダンスを踊る方々の迷惑になります。それ位察してください」



 強引に腕を引っ張られた挙げ句にこの言い様。ラリマーの婚約者は冷たい瞳でラリマーを見下ろす。ファーストダンスを終え、早くに何処かへ行ったラリマーを見送った後、彼はまだ婚約者のいない自身の妹と踊っていた。人見知りが激しい妹でも安心して話せる相手に妹を任せた彼はラリマーを探していた。どうせアシェリートの所へ行ったのだろうと思ったが本当にそうだった。何度もダンスを踊り、疲れたスカーレットを休憩させる為にバルコニーへ行ったのは一部始終を確りと見ていたので知っている。



「ラリマー。私は何度も貴女に言っています。アシェリート様は貴女の姉スカーレット様の婚約者です。婚約者のいる男性に付き纏うのは止めなさい」

「どうしていつもそのように酷いことを仰有るのです! わたしはアシェリート様と踊りたいだけです!」

「そのアシェリート様は、スカーレット様と踊りたいのです。それに私が普段言っているのは当たり前の話だけです。無理難題を貴女に押し付けたことは一度もありませんが?」

「っ~!!」



 空色の瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ、流れ落ちる。なるべく、目立たない隅の方まで来たがそれでも周囲に人はいる。ヒソヒソと声が届くが彼にはどうでも良かった。



「そうやって泣くのも止めなさい。貴女はいつまで泣けば許してもらえると思っているのですか? そんなことでは伯爵家は継げませんよ?」



 思えば、目の前の彼が自分に優しかったことは1度もなかったとラリマーは気付く。彼は何時だって、



『アシェリート様に近付いてはいけません』

『姉の婚約者に付き纏うのは止めなさい』

『ラリマー。貴女は次期伯爵としての自覚はありますか?』

『いつまで子供のままでいるつもりです。少しは大人になってください』

 とラリマーを非難する言葉しか浴びせない。肯定してくれない。

 彼が言っている言葉が全部正しいと思えないのは、愛される自分こそがアシェリートに相応しいと思い込んでいる為。よく、令嬢達の言う夢の世界から戻って来れないのだ。

 何度も釘を差して漸く去った婚約者の背中をラリマーはスカーレットとは違う気持ちを込めた瞳で睨み続けた。



「ひくっ、ひく……う……」



 大声を上げて泣き出さないか周囲がひやひやとする中、婚約者に大事にされない感満載な空気を醸し出しながらラリマーはアシェリートとスカーレットのいるバルコニーへ向かった。誰も止めなかった。ある令嬢が止めようとする他の令嬢を止めた。

 “現実を見させたら良いですわ”――と。



「え……」



 バルコニーに出て真っ先に行ったのはアシェリートとスカーレット探し。

 二人は奥にあるベンチに腰掛けていた。直ぐ様向かおうとしたラリマーだが、ある光景を目にして足を止めた。



「……こうやって、お前に触れるのも随分久し振りだな」

「ん……」



 体を寄せ合い、触れるだけの口付けを何度も繰り返し行っていた。



「どうして公爵達はスカーレットを伯爵家に戻してしまったんだろうな……ずっと、公爵家にいたら良かったのに」

「……お爺様や伯父様にも、何かお考えがあるのです。私では何も言えません」

「……」



 額と額をくっつけ、何かを囁き合う。ラリマーのいる距離からでは二人の会話は聞こえないが――何度も口付けを繰り返すのだけは目に入る。

 更に呆然と立ち尽くすラリマーは心中ひたすら問うた。



(どうして……どうして愛されていないお姉様がアシェリート様のキスを受けるの? どうして愛している私がいるのにアシェリート様はお姉様にキスをするの? 私には、キスどころか、触れてもくれないのに……!!)



 だが、こんな考えがラリマーの頭を過った。



(そっか……お姉様が婚約者だからいけないんだわ、だって以前、アシェリート様は婚約者がいるのに他の男性に近付いてはいけないと言っていた。……なんで、なんでお姉様がアシェリート様の婚約者なのよっ!! 伯爵家の跡取りだったくせに、公爵家の跡取りであるアシェリート様の婚約者になるのよ!!)



 スカーレットは婚約者だから触れてくれる。

 ラリマーは婚約者じゃないから触れてもらえない。

 合っているようで合っていない答えに辿り着いたラリマーは涙を流しながらスカーレットを強く睨んだ。

 アシェリートの婚約者の座は絶対に()()()()()()、と。


 夜会が終わったら両親に泣きつこう。お姉様がアシェリート様と踊らせてくれなかった。泣いて、傷付いた状態で言えば両親は必ずスカーレットを叱りつけ、ラリマーに無理矢理譲らせる。

 ……だが、スカーレットとの夜会の時間まで奪われたら堪らないアシェリートがそれよりも早くヴァーミリオン公爵と侯爵に手を回した。

 それもあって、ラリマーは今の一度もアシェリートと夜会で踊ったことはない。





 ◆◇◆◇◆◇

 ◆◇◆◇◆◇



 ――半年前、姿を消した姉スカーレットが婚約者のアシェリートと共に魔法学院へ登校した。それもオルグレン公爵家の馬車に乗って。目の前にいたラリマーの存在に気付いていたのかいないのか定かではないが、二人は互いを見つめ合ったまま校舎へ行ってしまった。周囲の令嬢のひそひそ話の中に、自身の婚約者の名があった。妖精のようだと持て囃された容姿からは想像も出来ない鬼気迫る形相でラリマーはある教室を訪れた。

 窓際で静かに読書をしている金髪の青年の前に立ったラリマーは腹立たしげにその名を叫んだ。



「デルフィーノ様!!」



 呼ばれた青年デルフィーノは本から目を離さないまま「何です」と冷ややかな声を発した。



「お話があります!」

「私にはありません。それより、令嬢がそんな大きな声を出すなんてはしたないですよ。只でさえ貴女は貴族令嬢としてのマナーを知っているかどうかも危ういと言われているのに、そんな姿を見せると却って噂は本当だと周囲に確定させるようなものです」

「っ、デルフィーノ様はどうしてわたしにはいつも冷たいのですか!?」

「私は事実を言っているだけです」



 やはり本から目を離さないまま、冷たくラリマーを突き放す。ぺらりとページを捲るとラリマーが無理矢理本を取り上げ窓から放り投げた。はあ、と深い溜め息を吐いたデルフィーノは非難の色が強い翡翠の瞳をラリマーへ向けた。



「本を捨てるのは結構ですが、本が落ちた場所に人がいて、最悪頭にぶつかって大怪我をしたら……貴女はどう責任を取る心算ですか?」

「今はそんな話がしたいのではありません! お姉様とアシェリート様についてお話があるのですっ! お話があると私が先に言ったのに何故聞いてくれないのですっ!!」

「……伯爵夫妻の目には、貴女は一体どんな風に映っているのか一度見てみたい気がします」



 ぼそぼそと何かを口にしたデルフィーノの声が聞き取れず、何と言ったか確認をしようとしたラリマー。席から立ったデルフィーノは窓の下を見た。先程ラリマーが投げた本がページが開いた状態で落ちている。周囲に人もいないので不運な被害者がいないと知り安堵した。次にラリマーにまた厳しい翡翠を向けた。教室には他の生徒もいるので場所を変えましょうと、無理矢理腕を掴んだ。

 手加減のない力に悲鳴に近い声で離してと言ってもデルフィーノは聞き入れてくれない。廊下にいる生徒達が何事かとデルフィーノとラリマーへ振り向く。全く気にした様子がないデルフィーノは、そのままラリマーの腕を引っ張ったまま普段使用されない教室に入った。

 使用されなくても寂しく佇む教卓に埃はない。魔法学院の清掃係が毎日きちんと掃除をしてくれているお陰。例え使われない教室でも掃除の怠りはない。

 無理矢理連れて来られた上に掴まれた腕は赤く手形が残っていた。細く、白い腕が痛々しい。涙を流してデルフィーノを非難するラリマー。これをあの夫妻が見れば、間違いなくデルフィーノが糾弾される。


 が、今此処にラリマーの絶対的味方はいない。



「此処でなら、いくら叫ぼうが構いません。で? 私に話とは何ですか?」

「っ! お姉様とアシェリート様のことです! デルフィーノ様はお姉様とアシェリート様が一緒に登校をした理由をご存知ですよね!?」

「スカーレット様はずっと領地で療養中で、アシェリート様はその看病をしていたと聞いていますが?」

「惚けないでください! 他の令嬢達が話している話題の中にデルフィーノ様の名前がありました! 知らないとは言わせません!」

「一体どんな話を聞いたか知りませんが、今日あの二人が登校して来るとは知りませんでしたよ。第一、何故私が知っているのです? 寧ろ、何故ラリマーは知らないのです?」

「っ! そ、それは……」



 痛い所を突かれて黙った。

 周囲には、スカーレットはデルフィーノの言った通り病気療養の為領地で過ごしているとし、また、アシェリートはスカーレットの看病の為に一緒に領地にいるとなっている。全て祖父母が流した嘘だとラリマーは言えない。いくら彼女でも、主家の当主の命令には逆らえない。

 スカーレットのことをデルフィーノが知らなくてラリマーが知っていることがあっても可笑しくないが、デルフィーノが知っていてラリマーが知らないのは可笑しい。家族なのだから。家族が知らないのは可笑しな話である。

 黙るラリマーにこれ以上の追及をしないデルフィーノは、教卓に背を預けた。



「まあ、この話は終わりましょう。丁度良いので私からもラリマーに話があります」

「話……?」

「はい。前々から決まっていたのですが、スカーレット様のご病気もあり延ばしていました。ですが、もう()()に戻られたので問題ないかと。

 ――ラリマー。貴女と私の結婚が早まりました」

「なっ……!」



 信じらないと驚愕の表情を浮かべた。成人を迎えたとは言えまだ学生。今時学生結婚は珍しくないが何故今……



「驚く必要はありません。言ったでしょう。前々から決まっていたと」

「私は何も聞いていません!!」

「それはそうでしょう。貴女に話しても無意味だからです」

「無意味って」

「スカーレット様が跡取りから外れ、必然的に妹である貴女が次の跡取りとなった。なのに、跡取りと決まってからも伯爵としての勉強も真面目に行わない。公爵夫妻や侯爵夫妻から何度も言われていた筈なのですがね。貴女に伯爵としての勉強をさせろ、跡取りとしての自覚をさせろ、と。私も貴女に言いました。次期女伯爵となるのだからきちんとしてくださいと」

「……」



 言われてはいた。

 ラリマーが跡取りとなると決まってから、今まで甘やかされていた分を補うように厳しい勉強やレッスンが待っていた。最初は頑張るつもりだったラリマーはすぐに音を上げた。方向修正が出来ない歳でもないが、元からの性質がラリマーを駄目にした。更に、両親が根を上げたラリマーを叱らなかったのも大きな原因の一つでもある。もしも、今までの行いを改め、貴族として恥ずかしくない、伯爵として堂々と立ち振る舞える女に育ってほしいと強く願ったなら――……今のようにはならなかった。



「……か」

「うん?」

「私は……アシェリート様が好きなのに……どうして、デルフィーノ様と結婚しなければならないのですかぁ……っ」

「……」



 最早止まらない涙が空色の瞳から流れ落ちる。十年前初めて出会って以降ずっと好きだった。アシェリートが好きなのは自分なのに、優秀しか取り柄のない姉に婚約者の座を奪われて悔しかった悲しかった。あの手この手でアシェリートがスカーレットを訪ねに屋敷へ来たら真っ先に飛んで行った。そして、姉や使用人達が当たり前の注意をしても両親に邪魔者扱いされたと大袈裟に泣き付けば、もう誰も何も言わなくなった。スカーレットが公爵家に引き取られた時には、頻繁に屋敷に訪れていたアシェリートの来訪もなくなり酷く悲しかった。アシェリートに会いたくてもスカーレットのいない屋敷に来る訳がないと祖母リリアネットに淡々と告げられた際には泣き崩れた。ラリマーの為に両親がスカーレットの出る茶会にラリマーを積極的に参加させてくれたが、そこではアシェリートの姉ローズオーラやスカーレットの友人達が必ず邪魔をした。デルフィーノだってそうだ。

 皆、当たり前の注意しかしていない。

 だが、自分の願いが一番だと信じる少女には、どんな言葉も届かない。

 スカーレットが伯爵家に戻されてからは幸せだった。最初はアシェリートも少し冷たかったが、日が経つにつれ一緒にいてくれるようになった。話を聞いてくれるようになった。優しい瞳を向けてくれるようになった。魔法学院でもそう。教室が離れていても休憩時間は必ず会いに行った。昼食も毎日お弁当を持参するアシェリートに合わせてラリマーもお弁当を持参した。毎日一緒に食べた。下校時も、迎えの場所まで一緒に歩いた。一緒の馬車に乗れないのが残念だった。迎えの馬車は、姉妹の時間に合わせているのでスカーレットが一緒になることはなかった。


 無言のまま、ラリマーが話すのを聞いていたデルフィーノは無感情なまま自身の婚約者を見下ろす。



「そうですか」

「そうです! 私とアシェリート様は愛し合っているのです!」



 泣きながらも自信たっぷりに言い切るラリマーは、顎に手を当てて思案するデルフィーノを見上げた。

 軈て、肩を竦めたデルフィーノは凍える冷徹な翡翠をラリマーへぶつけた。その冷たさに短い悲鳴が聞こえた。



「私は貴女が哀れでなりません。どんなに周囲が正しい言葉で貴女を説得しようと、道を正そうと、貴女が絶対だと信じる両親という邪魔がある限り、それは不可能だった。だから、貴女は今でもそうなんですね」

「何を訳の分からないことをっ」

「今更、貴女にとやかく言うつもりもありません。ただ、これだけは言っておきましょう。アシェリート様が愛しているのはスカーレット様だけです。これだけは覆らない確固たる事実です」



 反論しようとしたラリマーが口を開きかけるも、次のデルフィーノの台詞で凍り付いた。



「元々、スカーレット様との婚約を望んだのはオルグレン公爵夫妻でありません。アシェリート様ご本人です」

「……え……」

「息子の一目惚れだから跡取りの娘を寄越せ、等と公爵夫妻が言う筈がありませんのできっと伯爵夫妻も知りません。知っているのはヴァーミリオン公爵夫妻と侯爵夫妻くらいでしょう」



 スカーレットとの婚約を望んだのがアシェリートの希望……? 

 一目惚れ……?

 理解が追い付かないラリマーに構わずデルフィーノは話を続けた。



「貴女が知る必要のある事実はこれだけです。スカーレット様が戻られたので今日中にでも結婚の話を屋敷へ戻ったらされるでしょう。結婚といっても結婚式は挙げません。女伯爵にもなれない所か、貴族令嬢としても不合格の貴女にお飾りの伯爵をさせる気もないので――」

「ひ……!!?」



 思考が一時停止に陥っていたラリマーだが、急に腕を引っ張られた挙げ句近くにあった机に強引に押し倒された。



「な、何を……」

「ヴァーミリオン公爵には、既に許可を頂いています。必要なのはヴァーミリオンの血を引く子。私が貴女の代わりに伯爵となっても、私達の間に後継者がいればいいと仰有っていました。ラリマー。お飾りの価値もない貴女には、子を産んでもらうしかありません。解りますか? 私の言っている意味が」

「い、いや……な、で……嫌……いやっむぐっ!?」



 今からデルフィーノに何をされるか本能的に理解し、顔を真っ青に染めた瞬間叫び出そうとした。しかし、口の中に何かの液体が入った小瓶を突っ込まれ液体を流し込まれた。誤って飲み、気管に入って噎せた。咳き込むのが落ち着くのを見計らって、口にハンカチを詰め込まれた。更に抵抗を防ぐために両腕を縛られた。

 恐怖に震えるラリマーを何事もないように見下ろす翡翠の瞳。



「怖がらなくて良いですよ。私が飲ませたのは普通の媚薬です。もう貴女には何の情も残っていませんが痛みくらいは和らげてあげようと思いまして」

「っ……、っ……」

「スカーレット様は勿論ですが、貴女も被害者と言えば被害者なのでしょう。優秀な人形(むすめ)と可愛い人形(むすめ)、両極端な貴女達に理想を押し付けた伯爵夫妻が元凶なのでしょうが。それでも、きちんと学んでいたら、広い視野を持っていれば貴女だって気付けた筈です。自分や自分の両親が異常だと……」

「ふうぅ……っ!」



 涙で視界が霞む。

 制服を脱がされ、世話をしてくれる侍女でも絶対に触らない場所を触れられ、声も上げられず抵抗も敵わない。

 外から声が聞こえた。

 助けを求めるように見れば……



「ふ……ふう……っ……」



 少し前、一緒の馬車から降りて自分の横を素通りしたアシェリートとスカーレットがいた。スカーレットの顔は身長が低いので見えないがアシェリートの顔はしっかりと見える。


 スカーレットとアシェリートの婚約は、スカーレットに一目惚れしたアシェリートの願いによって結ばれた。それを聞かされた直後に愛情が多分に含まれた紫水晶をスカーレットへ向けるその姿に……ラリマーの心は大きな絶望に染まる。決して上がらない暗い深海に叩き落とされた絶望。


 あんな愛に満ちた瞳を……知らない。だって、アシェリートが向けていたのは何時だって優しいだけでそこには何の感情もなかった。愛しい女性を追い詰める憎い存在としか、思われていない。



「!!」



 ぱっちりとアシェリートと視線が合った。

 デルフィーノに襲われている姿を見られるのはとても恥ずかしく、惨めだが助けを求めずにはいられなかった。私はここにいます、助けてくださいと必死に声なき声で叫んだ。不思議と暴れるラリマーをデルフィーノは止めなかった。

 紫水晶を丸くして一瞬立ち止まったアシェリートは――……そのまま、何も見ていないかのように立ち去った。勿論、スカーレットは何も気付いていない。彼女は後ろを向いていないのだから。


 ちゃんと目が合ったのに、顔色も変えず、アシェリートは行ってしまった。

 突きつけられた現実にラリマーは呆然とした。



「……っ」

「……これが現実ですよラリマー。もしも、本当にアシェリート様が貴女を愛しているのなら此処へ飛び込んで来たでしょう。仮に愛がなくても、婚約者の妹が襲われていれば助けるのが普通です。ですが、アシェリート様にとって貴女はスカーレット様を追い詰め、傷付ける憎い存在なのです。仮に襲っている相手が私ではなくても、彼は助けなかったでしょう。もし貴女が襲われた際にアシェリート様が助けてくれなかったからと訴えても無駄です。公爵が握り潰します」

「ふう、っ~……!」



 同じ娘なのに、どうしてスカーレットと自分とはこうも違うのか。

 もっと早くに、否、聞く耳を持っていれば、彼女の未来ももう少し違ったのかもしれない。

 ふと、遠い昔の光景を思い出した。

 まだスカーレットを姉として好きだったとても小さな頃。お気に入りのぬいぐるみを抱えて部屋を訪れた妹を、いつも笑って歓迎してくれた。その光景にはピアノを弾くスカーレットの隣に座って一緒に歌を歌う自分がいた。またある光景では、先を行くスカーレットの後を必死に歩いていたのに転んだ自分がいた。転んだことに気付いてくれたスカーレットが手を差し伸べて、泣いている自分を慰めてくれた。

 何時だってスカーレットはラリマーを待ってくれていた。遅くなっても怒りもせず、一緒に行こうと手を伸ばしてくれた。そんなスカーレットが大好きだった気持ちは、何時消えてしまったのだろうか。



「子供が生まれたとしても離縁はしません。社交界に出せない分、何不自由ない生活を貴女に約束しましょう。これからも貴女は自分の世界で生きていけるのです」



 姉は姉、自分は自分として区別をつけ。

 デルフィーノや周囲の声をもっとちゃんと聞いていたら、何も出来ない自分が格好悪いと少しでも思えたら――



(わたしは……わたしは……っ!!)






 *ー*ー*ー*ー*



「?」

「どうしたスカーレット」



 不意にラリマーの声がした気がするスカーレットが歩みを止めた。手を繋いでいるので、隣にいるアシェリートの足も自然と止まる。



「いえ、ラリマーの声がした気がしたのですが……姿がないので空耳だったかもしれません」

「……ああ、空耳だよ」



 行こう、とアシェリートに促されたスカーレットは再び歩き始めた。


 例えスカーレットが気になって引き返そうとしてもアシェリートは適当な理由を作ってさせなかった。

 さっき通り過ぎた教室で起こっている出来事に毛ほども興味はない。彼があのような強行手段を取るとは意外だが、前準備もなしにしないだろうと判断。きっとヴァーミリオン公爵夫妻から承諾を受けている。

 ラリマーに対する哀れみも同情も憎悪も何もない。隣にスカーレットが戻った。これだけでアシェリートは十分だった。だから、あの光景は只の観劇の一部にしか見えなかった。

 伯爵家に関しては、あの二人が結婚をしたと同時に伯爵夫妻は領地へ隠居することとなっている。尤も、既に抜け殻同然となっているので生きたまま死んでいる。いっそこのまま、痛みも苦しみもなく死なせた方が夫妻の為である気がしてならない。



「そういえば……」

「どうした」



 不意にスカーレットが思い出したように話し出した。



「いえ、大したことではないのですがさっき空き教室の前を通る時誰かがいた気がして」

「そうか? 俺には何も見えなかったが」

「私も見たのではなく、何となくそんな気がしただけなので」

「ああいう使われていない空き教室には曰く付きなのが多い。ひょっとして、スカーレットには視えたのかもな」



 意地悪く笑うアシェリートを少しばかり怒った顔で見上げるスカーレット。



「まあ……アシェリート様は意地悪ですわ」



 怒った顔も可愛いと、愛しいと思う自分は末期なのだろう。本気で怒っている訳ではないスカーレットもすぐに微笑を浮かべた。



「ですが、思い出します。小さい頃、二人で怖い話を聞いて怖がって夜眠れなくなったのを」

「ああ。だが……未だにそれを姉上にネタにされる。元々、怖い話を聞かせたのは殿下だというのに」



 アシェリートは姉ローズオーラの婚約者である第二王子を思い出す。“不謹慎殿下”とよくローズオーラに呼ばれる程、彼は面白いことが大好きだ。特に人と人同士の争いを見るのが好きという非常に困った性格。だが、それはあくまでも自然に起きたのを見るのが好きであって自分から引き起こすことは決してしない。そんな困った性格なのに、その気になれば兄王子の王太子位を奪えると言われる程の逸材なのだから世の中分からない。そして、勝ち気で少々傲慢な気があるローズオーラを毎日振り回す貴重な人物と言える。真面目な国王夫妻から突然変異の如く生まれた第二王子とローズオーラの仲は不思議と良好である。



「そうだ。その姉上と殿下から、夕食を招待されている」

「では、学院から戻ったらすぐに準備をしないといけませんわね」

「行きたくない、というのが本音だが……、行かないと更に姉上はうるさい上に殿下の口が揺れる」



 笑いを堪えようと口を一にきつく締めるものの、面白いと思うことが目の前で起こると第二王子の口は揺れる。笑うのを堪える為に。



「さて、遅れてしまうから少し早めに歩こう」

「はい、アシェリート様」



 繋いでいる手を強く握り締め、スカーレットとアシェリートは並んで歩く。


 もう二人の仲を邪魔する存在は何処にもいない。






読んで頂きありがとうございます。



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[良い点] スカーレット本当に心がやられなくてよかった!最後の砦としてよく踏ん張ったなあ…家族がバックアップしてくれたから、アシュリートも頑張れたのでしょうね。若い二人が親と妹相手にひたすら奮闘してた…
[良い点] シリーズで展開が気になるところ。 [気になる点] ラリマーの婚約者がこんな性格や思考になったのは、元々なのか、ラリマー対策の弊害なのか、気になります。 おそらく、人が良かった訳でもないだろ…
[一言] 逃げた主人公とボンクラ男がシレッと復縁してる意味が分からん。
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