【Emma's return home(エマ帰国)】
部隊にある白いバンを借りて街に出た。
一応隣に乗っているのは、これでもDGSEの大尉。
ザリバンに殺し屋でも居たら命を狙われかねない要人にあたるから周囲に気を配りながら運転しているのに、当の本人ときたら隣で陽気に話し掛けてくるし、お菓子も食べこぼすし、緊張感の欠片もない。
大胆なのか安心しきっているのか、それとも本物のバカなのか……。
「エージェントをやっていて、いつ命を狙われるかもしれないという不安はないのか?」
「最初は、あったよ」
「最初は? じゃあ今は?」
「ないって言ったら嘘になるけれど、そんなことを気にしていたらストレスで続かないよ」
「それで、男か」
「人間、死の恐怖を感じると本来もつ一番大切な感情に従おうとするもの。それは自分のDNAを残そうとする行為。つまりSEXね」
「じゃあ、女に手を出すのはどう説明する?」
「女は、手あたり次第じゃないよ。わたし百合だって言ったけど、経験自体はホンノ数人だもの。女の場合は“あこがれ”や、本当の意味で好きってことだよ。だからナトちゃんなの」
聞いていて恥ずかしくなってきたので、話を打ち切った。
それに、この流れで話を続けると、買い物をする時間が無くなってしまう恐れもあったから。
それが証拠に、エマは菓子を食べる手を止めて、俺を見つめて腕を取りモジモジしていた。
砂漠を抜けて街に入る。
街はいつも通り。
何の変哲もない、人々が自由で、不安なくショッピング楽しめる平和な街。
この街に再び戦争の影が迫っていたことなど、誰が想像できるだろう?
いや、そんな嫌な心配や想像は誰もしなくていい。
俺たちが、戦争の芽を摘み取り、そう言う世界を作らせなければいいのだ。
「何を考えているの?」
「いや、なにも……」
「相変わらず嘘が下手ね。でも良いわ、ナトちゃんのそういう生真面目なところ」
「生真面目だなんて」
「じゃあ一途?」
「やめろ。揶揄うな」
「ごめん、ごめん。怒らないで、せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
「怒ってはいないし、可愛くもない」
「やっぱ、怒っているじゃない」
別に怒ってはいなかった。
ただ、揶揄われるのが嫌だっただけ。
車を減速させて、ペットショップの前に停めた。
エマと一緒に猫を抱いてケージを選んで、そのうちの何個かのケージに子猫を入れてみて、一番猫の気に入ったものを選び、ついでに猫のおやつも買った。
それからケージに入れた猫を連れてカフェで、ひとつのパフェを二人で食べた。
しばらくウィンドショッピングを楽しんでから、空港に入る。
搭乗の手続きを終えて、ロビーでゲートが開くのを待つ。
「またどこかの国へ行くのか?」
「ううん、当分はパリよ。そうそう重大な国益に関わるような事件が起こってたまるものですか」
「それが平和でいい」
「そうね。ただ監視は続けなくてはいけないから、各地に散らばったエージェントからの調査報告には注意をはらうのよ。手遅れになる前に対応するために」
「大変だな」
「そうね。でも、それが私の仕事だもの」
搭乗のアナウンスが始まる。
「ナトちゃんも来週帰国でしょ」
「うん」
「帰ったら、遊びに来て」
「気が向いたらな」
「気が向いたら何て言っていたら、いつでも会える距離に居たとしても、会えやしないわ」
「そうか?」
「そうよ。じゃあ二週間後の土曜日に家に来て。いい?」
「仕方ないな、じゃあ二週間後の土曜日に」
「約束よ」
「子供みたいだな」
「子供じゃないよ、ほら」
エマが胸を張って俺の目の前に突き出し、その胸を自慢げに下から持ち上げて更に強調する。
「よせ。他の客が見ているぞ」
「いいじゃん減るもんじゃないし、運が良ければ増えるのよウフッ」
「……その、性癖は直せ」
「だって仕事の性格上、好い男と接する機会が多いんだもの仕方ないわ」
「いい男の基準が分からんが」
「そうね、クールで背が高くてスラッとしていて、有能でリーダーシップがとれてしかもイケメンで思いやりがある人かな」
“クールで背の高い、有能でリーダーシップの取れる思いやりのあるイケメン……”
「チョッとエマ! まさか、うちの隊長には手を出していないよね」
「さあ、どうだか?」
そう言うと、エマは私の手にメモを渡して、逃げるように搭乗ゲートへ向かって走り出した。
メモには、エマの住所が書かれていた。
顔を上げると、搭乗ゲートの向こうに小さく見えるエマが何度も振り返っては手を振っていて、その姿が人の波にのまれるように消えてしまった。
エマと別れたあと、空港の屋上に上がってエールフランスの飛び立つのを見送って空港を出ると、2羽の白いハトが青い空を悠々と飛んでいた。
エマが帰国して1週間後、いよいよ俺たちにもフランスに帰る日が訪れた。
名残を惜しむ補給や炊事班の女性隊員に取り囲まれて、手一杯に渡されたのはフルーツなどの缶詰類。
正直重いが、その気持ちが嬉しかった。
テントに戻って、帰り支度をしていた。
特に支度をするほどの物も無かったので、時間だけがあまる。
女性扱いはしないと言われながら、下士官の身分なのに佐官並みの一人用テント。
ハンスでもニルスと共同なのに、何だか申し訳ない。
する事も無く、ただ時間が来るのを待ちながらシーツの除けられたベッドに腰掛けて、今までの事を思い出していた。
部隊での行動はなかったけれど、バラクの捕獲に成功したあの日、プライベートで影になり作戦を支援してくれたのは部隊の仲間たち。
それがなければ、レイラの仕掛けた包囲網からは抜け出せなかっただろう。
みんなの気持ちに感謝し、そして外出の許可を出したハンスと承認したミラー少佐、それから恐らくは報告を受けていただろうアンドレ基地司令にも感謝したい。
ふと、足音が近づいて来るのを感じた。
しばらくすると、テントの入り口に立つ背の高い影。
スラッとして清潔な感じのするその影に、なぜかドキドキしてしまう。
「ナトー。居るのか?」
「ああ」
慌てて服装の乱れが無いかチェックした。
「アンドレ基地司令がお呼びだ」
「分かった直ぐ行く」
返事をして、少しだけガッカリしている自分に気が付いた。
“きっと俺はエマに感化され過ぎている”
テントを出ると、いつものクールで涼しい青い瞳が俺を捉えた。
“はたしてエマはハンスに手を出したのだろうか……”
「どうした? 俺の顔に何か着いているのか?」
「いいや、何でもない」
聞けるはずもない。
だけど、いくらエマが誘ったとしてもハンスは応えないはず。
何故か、そういう自信があった。
「じゃあ、行くぞ」
ハンスに連れられて、ここへ赴任して来たときに入ったきりのアンドレ基地司令のテントへ向かう。
あの時は、部隊を確りと纏められないでいた俺が何故封印されていた外人部隊の女性隊員として入隊できたのか探られたが、今日はいったいどういった用件なのだろう。
「ハンス中尉です。ナトー2等軍曹を連れて来ました」
指令のテントに入ると、そこに居たのは穏やかな微笑みを浮かべるアンドレ大佐の顔があった。
「では私はこれで失礼します」
出て行こうとするハンスを「君もいたまえ。特に用事も無いだろう」と呼び止めると、珈琲でいいかと聞いて来たので、揃ってハイと返事をした。
珈琲を入れ終わりテーブルに着いた指令が言った。
「二人共、本当に良くやってくれた。それにLéMATの隊員たちも。 前線基地のミラー少佐からLéMAT全員が外出許可を出したいと連絡を受けたときは、正直集団脱走か反乱でも企てるのかと疑ってしまったよ」
「でも、最終的に許可して下さったのは指令ですよね」
「まあな。でもそれはミラー少佐やエマ大尉から色々と報告を受けていたから判断できたことだ」
「と、言いますと?」
「エマ大尉からはナトー2等軍曹が非常に有能であること。そしてミラー少佐からはLéMATの部隊員が毎日のように軍曹の心配をしていることを報告されていたからな。君の入隊時の成績は調べていて、抜群の成績であることは知っていたが外人部隊が採用に踏み切ったのは単なるプロパガンダだと思っていたよ。なにせモデルもビックリするほどの美人だからな、おっと失礼」
「いえ……」
褒めてもらえるのは嬉しいが、それと俺の部隊に残れる規則とが直接関係していることは困る。
自ら女であることに自惚れた行動をとると、即刻除隊が決まってしまうから。
アンドレ基地司令からは最初に試すような行為をしてしまった非礼への謝罪と、あらためて今回の活躍への労いを言ってもらい、最後にハンスと2人でこれからも頑張るように言われて握手をしてもらった。
テントを出る間際に「ひとつだけ聞いて良いか?」と尋ねられたので、構いませんとこたえる。
「君の経歴書には、外人部隊に入るまでの事が一切記入されていないが、両親は何をされているのかね? それに出身地も分からない」
俺は質問者の目を睨むように見つめて「入隊する者の過去を問わないのが外人部隊です」と答えると、アンドレ指令は少し目を泳がせて「そうだった。すまない」とだけ言った。
屹度、俺を呼んだ訳は、このことを聞きたかったからだと思った。
司令のテントを出ると、もう部隊のみんなが集まって整列をしていた。
列の端から、ひとりひとりの服装の乱れと顔をチェックしながら歩いて、反対側の端に着く。
司令部のテントからアンドレ指令と、ミラー少佐が出てきた。
「一同、気を付け!」
ザザッと、脚を揃える音が心地よく響く。
基地司令が用意されていた壇上に上がる。
「敬礼」
ザッと言う服の擦れる音が、ひとつに揃う。
壇上の基地司令が部隊員に労いの言葉をかけてくれる。
見上げるアンドレ大佐の後ろには、今日も雲一つない真っ青な空が無限に広がっていた。




