【Rescue operation of Baraq(バラク救出作戦)】
店の戸が開けられる音で目が覚めた。
いや、本当は戸が開けられる前に、人が近づいて来る気配を感じていた。
やって来たのはエマが“ボーイフレンド”と言う人物。
額面通り、それが本当のボーイフレンドなのか、それともボーイフレンドというのが、その人物を表すコードネームなのかは分からない。
だけど、相手が来た以上、ここに横になってはいられない。
階下に降りようとしたとき、階段を上がってくる足音が聞こえて慌てて服を整える。
開けっ放しにしていたドアの前で、コンコンと壁を叩く音。
「どうぞ」
普段、このくらいのことでは緊張も動揺もしないはずなのに、妙に心臓がドキドキして声が擦れた。
「やあ!」
俺の返事を待って、そこから顔を出したのは清涼感のある白いスーツを着たハンスだった。
「ハンス!……でも、どうして」
「俺がお前のボーイフレンドとして、エスコート役に任命された」
いつものように、感情をあまり表に出さないその喋り方に、何故か心が熱くなる。
「任務は?」
「まあ、俺たちは“夜勤”だから、昼は開いている。それに、リビアに来てからまだ一度も休暇を取っていないから、今日くらいは良いだろう」
「でも、遊びじゃないぞ」
「知っている。任務中じゃないから万が一死んだとしても戦死扱いにはならないけれど、休暇中でも保険は適応されるから、まあいいだろう。それに屍が野晒しになって腐り果てても、俺だと分かるように暗号化した個人情報をこの時計のマイクロチップに入れてある」
そう言って、時計を見せてくれた。
「不吉なことは言うな」
前に出された手に自分の手をそっと当ててそれをゆっくりと下ろすと、ハンスの手もそれに合わせるようにゆっくりと下ろされた。
本当は当てた手で、確り握りしめたかったのに……。
「しかし、全ての可能性には対処しなくてはならない」
「相変わらずクールだな」
「そっちこそ」
そう言って、お互いの顔を見合わせて、口角を上げた」
少し間をおいてからエマが部屋に入って来た。
「どう、久し振りのボーイフレンドの、お味は?」
見つめあっていた目を外し、下げた手がまだ触れ合っていたので慌てて引っ込めた。
「あら、御免なさい。まだこれからだったのね」
俺の慌てた動きを見たエマが笑う。
「揶揄わないで!」
エマの言葉に反論するように返した俺とは正反対に、ハンスは落ち着いて俺の隣に腰掛けた。
「それでは、作戦を聞こうか」
「OK!」
エマがテーブル上に地図を広げた。
「作戦はいたって簡単。ある夜、道に迷って悪魔の城に迷い込んだお姫様は、そこに住む魔王と出会う。死を覚悟したお姫様であったが、なんと魔王はお姫様を監禁するどころか逆に悩みを打ち明ける。魔王の立場を捨てて自由になりたいと。魔王は自分の悩みを打ち明けると、お姫様に地図を書いて帰り道を教えてくれた」
「なんか、芝居じみていない?」
「いいの、いいの。ここからが本題だから」
そう言ってエマは話を続ける。
「魔王が書いてくれた地図のおかげで、無事お城に戻ることが出来たお姫様は、それを王子様に話す。丁度、王子たちは魔王の城に攻撃を掛ける準備をしている所だったので、お姫様の地図を逆に辿れば面倒な悪魔どもに邪魔されずに、魔王のいる玉座の間まで辿り着けると喜んだ」
〽 エマが歌い始める。
『待って!魔王は私のことを助けてくれたのよ』
『しかし、魔王は魔王。悪魔の首領だ!』
『でも、反省しているの。魔王はもう悪いことを止めて自由を求めているの、お願いだから魔王を許してあげて』
『許すなんて出来るわけがない。魔王のせいで沢山の人々が傷ついた』
『どうしても?』
『ああ、どうしても!』
『魔王は、生まれ変わろうとしているのに?』
『過去の過ちを許すわけにはいかない』
『私が、こんなに頼んでも?』
『姫、許しておくれ。魔王は君に優しかったけれど、僕にはそれが本当のことなのか信じられない。君は騙さているのかも知れない』
『そんな!酷いわ』
泣き崩れるお姫様の肩に、地図を握りしめた王子の手が置かれる。
『分かっておくれ……』
その時、雲の切れ間から一陣の光が差し込みアフロディーテの声が届く。
『二人で調べておいで』
『『二人で!』』
『『調べる?』』
『そう、本気で魔王を救うのなら、本気で魔王を倒すのなら、先ず二人の目で確かめるのがいちばんよ』
『『でも、私たち(俺たち)二人だけで、どうやって?』』
『あなたたちには、これを持たせてあげましょう』
アフロディーテがそう言うと、手にブレスレットが付いた。
『『これは?!』』
『これは、あなたたちがどこに居ても、私たち神々にその場所を知らせる魔法のブレスレッドよ。あなたたちが危なくなったとき屹度役に立つことでしょう』
エマの、一人ミュージカルが終わった。
「なんで自分だけアフロディーテなの? それになんでミュージカルなの?」
「それは、ナトちゃんがあんまり可愛いからなのよぉ~♪」
そう言いながら手渡されたのは、GPS機能付きの腕時計。
それと、立派な花束。
「時計は分かるけれど、この花束はなに?」
「これはハンスが持つの。道に迷った恋人に地図を書いてくれたお礼よ」
「えっ!じゃあ、いまの三文芝居って?」
「失礼ね。ミュージカルよ、ミュージカル! そうこの作戦よ」
“もーエマったら、どこから本気で、どこからが冗談なのかさっぱり分かんない”
エマに手伝って貰い、いつもよりチャンとなるようにお化粧をした。
どうも、私には絵の才能がないのか、お化粧は苦手。
それからハンスが買って来てくれた白いワンピースのドレスに、白いハイヒール、それに首には青色のスカーフを巻いて準備完了。
「あと1階に帽子があるから。私、先に降りているから、少しは恋人らしく出来るように練習してから降りて来てね!」
そう言ってエマはバタバタと、階段を下りて行った。
「恋人らしくっていっても、困るよな」
おどけた顔でハンスを振り返った。
「仕方ないだろ、任務なんだから」
「じゃっ、とりあえず手でも繋ぐか」
俺の差し出した手をハンスが掴む。
瞬く間に身を引寄せられて、俺はハンスの胸の中に収められた。
「手を繋ぐだけでは、恋人同士には見えんだろう」
ハンスを見上げていた俺の顔に、ハンスの顔が覆い被さり、唇にもう一つの熱い唇が重なる。
いつも紳士的なハンスの行動に戸惑い、その胸を強く押し、合わさった唇を離す。
「珍しいな、任務の準備を躊躇うなんて……」
“そう。これは任務だ”
ハンスの言葉に勇気が出て来た俺は、ハンスの胸に押し当てていた手を除けて、それを首に巻き付けて唇を押し当てた。
ハンスも俺の腰に腕をまわし強く抱きしめ、俺たちは堰を切ったようにお互いの唇を求めあった。
しばらく恋人同士の練習をして、下に降りた。
前を降りりてゆくハンスが、ハイヒールの俺を気遣って手を握ってエスコートしてくれる。
ムサが、それを見て「おぉ!」と感動してくれて、エマと2人で拍手して出迎えてくれ、こそばゆい。
「まるで新婚の夫婦みたいじゃ! これなら、誰にも疑われたりはしまい」
「だって、本物の恋人同士ですもの」
エマが軽口をたたいたので、そこは「任務だからだ!」と全力で否定したが、隣のハンスは何故か涼しい顔。
「あらあら、練習が過ぎるわよ」
そう言ってエマが口紅を塗り直してくれ、その時だけハンスが軽く咳払いをして、はにかんだ。
塗り終わった口紅を、俺のハンドバックに仕舞う。
「それでは頼んだわよ。最終集合地点は、ニルス少尉たちの居るあのホテルだからね」
白いスーツに、色鮮やかな花束を持つハンス。
その横で、同じ白いワンピースのドレスを着た俺。
まるで新婚旅行をしているような2人。
街を歩く人たちが、ことごとく俺たちを見て振り返る。
しかし、見た目の華やかさとは裏腹に、俺たちの任務は“敵前上陸”いや、それよりも“特攻”に近いかも知れない。
この真っ白な服が真っ赤に染まることを覚悟して、ハンスと2人仲睦まじくバラクの居るアジトに向かって進む。




