【Enemy tentacles(敵の触手)】
身体を求めあったことで、すっかりエマは元気を取り戻してくれた。
「さあ!戦に出るよ!!」
そう言って2人で階下に降りると、レイラが俺たちに気が付いて瞳を合わせたが、それは直ぐに外されて俯く。
利発なレイラには似合わない一瞬の素振り。
“どうしたのだろう?”
「あら、いらっしゃい。何を話していたの?」
レイラに気が付いたエマが聞くと、セバが「仕事の話」と答えた。
セバの答えに、エマの顔が俺を捉える。
だけど、俺はレイラの仕事の事なんて知らなくて、困った顔を返す事しかできない。
「そういえばレイラは“何屋さん”なの?」
半日一緒に居て、何も相手の情報を聞き出していない俺に代わってエマが聞いた。
「IT関係のお仕事よ」
「凄い、見た感じそんな風に思っていたけれどプログラマーって大変でしょ?」
「う~ん……そうでもないのよ。少しはプログラマーみたいなこともするけれど、基本的に私の仕事は半導体の回路設計の方だから」
「システム?それともロジック?」
「両方よ。それにレイアウトも」
「わー!天才じゃん!」
「そうでもないわよ」
なんの話か全然分からないセバと私は、ポカンとして顔を見合わせる。
「そう言えばアマルは故郷で何の仕事をしていたの?」
エマとレイラの話について行けないセバが、同じ境遇の私に話を振る。
仕事になんか就いたことがなかったので、下手なことを言って突っ込まれるとマズイと思い学生と答えた。
「専攻は?」
ホラ来た。
結局、学生と言い逃れようとしても、普通にその先を聞かれる。
「語学よ。私の得意分野は日本語。そういうセバは何の仕事なの?」
これ以上追及されると、どこかでボロが出るので逆襲してみた。
「あー……俺は……だ、エ、エンジニアだな」
恐ろしく嘘が下手。
俺にだって直ぐ分かる。
「話が盛り上がっているところ悪いが、そろそろ店を開けるぞ」
「じゃあ、俺帰る。また後で」
ムサの言葉を聞いて、セバが返って行った。
だけどレイラは逆に、お店を手伝うと言い出した。
「なにが出来る」
私たちの時と同じように、ムサが鋭い目を向けて聞き返す。
「皿洗い……」
料理と答えるのかと思っていたら、意外にも“皿洗い”。
「給料は出せんが、いいのか?」
「いいです」
「では、好きにするがいい」
結局レイラはテーブルの片付けと皿洗いをしてくれて、エマと俺の仕事が半分減って楽になった。
「ふ~。終わったねぇ~今日も繁盛、繁盛♪」
最後の客が出て行くと、ムサがさっきまで客の座っていた席に腰掛けて言った。
「お前たちのおかげで、だいぶ客が増えたからな。さあ、あとは俺が片付けておくから、イシャ―(就寝前の礼拝)に行ってきなさい」
「エマ行くよ!」
元気よく、声を掛けたがパスされた。
「今日は、しんどい」
「どうしたの?」
エマは耳元で小さく呟いた「女の子の日」だと。
仕方がないのでレイラと2人で出かけた。
「そう言えばレイラってモスクでは見かけないけれど、どうしているの?」
「会社よ」
そうか。私たちみたいに遊んで暮らしている訳じゃないから、イシャ―の時間に間に合わないのだと思った。
もちろん私たちも遊んでいるわけではないはずなのだけど。
イシャ―が終わると、レイラがバーに行こうと俺を誘った。
エマが来ていないから断ろうとする俺に「今日1日付き合ってもらったお礼に、おごらせて」という。
「おごりなら、断るわけにはいけねえな」
どこから現れたのか、セバが来てそう言った。
ここで頑なに断るのは不自然なのだろうか?
世間的に、どういう対応を取るのが自然なのだろう?
しかし、考える間もなくセバが俺の手を取って走り出した。
今日のバーは静か。
エマが居ないせいもあるが、なんとなく雰囲気が違う気がした。
常連客に交じって、見慣れない男が何人も混ざっているし、ここへ来てからセバもいつになく緊張した様子。
“ザリバンの上官クラスが何人か混ざっているのだろう”
直観的に、そう感じた。
もし、そうなら誰かがやって来て“ようセバ、いい子連れているじゃないか、俺にも紹介しろよ”なんて言って来てもおかしくはないが、それがない。
なにか怪しいが、それが何だか分からない。
エマだったら。
そう、エマだったら何か探るために、自ら行動を起こすだろう。
でも、俺には出来ない。
墓穴を掘るのが落ちだ。
「今日って、少し雰囲気が暗いわよね。何故かしら?」
レイラが言った言葉に、セバと、その仲間たちの背中がビクッと反応した。
「やっぱり、エマが居ないと盛り上がらないね」
俺がそう言うと、セバが「そうだ」と言い、早めにお開きにしようと言い出した。
レイラは「詰まんないな」と言って賛同しなかったけれど、女一人では夜の帰り道が不安だったので一緒に帰ることをセバが勧め、渋々レイラも店を引き上げた。
レイラの家は店を出て南の住宅街。
ムサの店は、逆方向の北にある。
心配したセバが仲間を3人ずつの2つに分けて、レイラと俺を家まで送り届けると言ってくれた。
「アマル今日はありがとう」
「じゃあねレイラ」
「おい、お前ら、送り狼になるんじゃねーぞ!」
別れ際にセバが仲間に大きな声で言った。
店を出た途端に元気を取り戻してくれたセバ。
減らず口でお調子者のトーニを思い出してしまい、可笑しい。
帰り道も、いつもの調子で「今日はレイラとどこに行って来たのか」と聞いてきたり、聞いてもいないのに「レイラも美人だけど、やっぱアマルのほうがひとランク上だ」とか、いろいろ話しかけてくる。
俺の不安な気持ちを察して明るく振舞ってくれているのが有難い。
でも、俺の不安は少し違う所にある。
“もし昨日の暴漢がまた現れたとして、はたして俺はエマのように悲鳴を上げることが出来るだろうか”ということ。
そして、昨日よりも大分バーに近い所で、奴らは出てきた。
「よう。昨日は変な邪魔が入ったが、今日こそ付き合ってもらうぜ」
「なんだぁ?こいつら。知り合い?」
セバが俺に聞くので、ストーカー野郎だと答えた。
「おい!ストーカー野郎。怪我したくなかったら、とっとと帰んな!」
相手は昨日と同じ6人。
こっちは俺を除けて3人。
俺が動かない以上勝ち目がないというのに、セバは勇敢に俺を守ろうとして相手を威嚇する。
俺も闘わなければ。
そう思ったとき、エマの声が、頭の中で叫んだ。
“絶対戦っちゃ駄目よ!”と。
一瞬気が緩んだ隙に奴らは隊形を組んでいた。
「護衛の3人と遊んでやれ」
リーダーらしき男が後ろへ下がると、先ず5人のうち3人が前に出てきた。
「野郎ども、やっちまえ!」
セバが口火を切って飛び掛かる。
瞬く間に、こちらの仲間が2人やられたが、セバが相手を1人倒し、2人目も倒す。
意外に筋がいい。
さすがに元情報部のお爺さんと、親衛隊上級将校のお父さんの血を受け継いでいる。
しかし残念なことに基本を知らない。
相手を倒すたびに自分も、それ相応のダメージを喰らっていて、3人目にダメージを与えたが、相手を倒す前に倒れてしまった。
「ちっ、手こずらせやがって」
リーダーらしき男が、倒れたセバに唾を吐きかけて、ゆっくりと俺に近づいてくる。
「さあ、邪魔者はいなくなった。今夜こそ付き合ってもらうぜ」
「キ、キュッ……キョ・キョッ……」
“ち、違う!”
「なんだあ?」
悲鳴を出せないで、焦って違う言葉を呟く俺を変に思って男が声をかけて来た。
ふと倒れているセバたち3人に目が行った。
そして、俺に近づいてくる6人。
そこで頭の中で、昔サオリに教わった最強の技を思い出す。
それは、“三十六計逃げるに如かず!”
遥か日本に伝わるという有名なコトワザ。
(※由来は中国の『南斉書』の中にある『王敬則伝』の一説「敬則曰、『壇公三十六策、走是上計』」=“敬則いわく、壇公の三十六策、走ぐるはこれ上策なり”から来ています)
そして、踵を返して一目散に駆け出した。