【Thug(暴漢)】
朝、まだ目を開けられずにぼーっとしていた。
俺の顔は、なんだか柔らかくて暖かいものに包まれていて、とても気持ちが良かった。
何だろうと思って触ると、ぷにぷにして気持ちがいいので、もてあそぶように何度も何度も握っては離しを繰り返して遊んでいた。
ようやく目が覚めてきて目を開けてみると、目の前にあったのはエマの、ふくよかな胸。
“ああ、俺はこれで遊んでいたんだ”
……って、なんでエマが俺のベッドで寝ている??
そういえば昨夜は、エマに襲われて、そのまま寝てしまったのだ。
顔を上げると、幸せそうに眼を閉じているエマの顔。
まだ寝ているみたいだから、起こさないで、そっとしておく。
絡めている足も暖かいし♪
きっと、お母さんの胸って、こういう安心した幸せを与えてくれるのだろうな。
エマが起きるまで、もう少しこうしていようと思い、また胸に顔をうずめた。
起きるつもりでいたのが、いつの間にか寝てしまっていた。
階下から玉ねぎとトマトソースの好い香りがする。
“シャクシュカだ”
(※シャクシュカは、野菜入りのトマトソースで卵を軽く煮込んだ料理で北アフリカから中東の地中海側諸国では朝の定番メニューのひとつ)
慌てて起き上がると、エマが居ないことに気が付いた。
“どこに行ったのだろう?”
洗面所にも居ないし、シャワールームにも居ない、トイレにも。
階段を降りると、シャクシュカの好い香りとともに、ムサとエマの話し声が聞こえてきた。
厨房を覗くと2人が居て、エマが教えてもらいながら料理に挑戦していた。
頑固者のムサが時折エマのジョークに笑い、まるで親子のように仲良く話をしながら調理をしている姿に、なぜかしら妬けてくる。
いくら優秀なエージェントだからといっても、戦って負ける気はしない。
だけど、こればかりは俺には出来ない芸当。
「あら!ナトちゃん。おはよー!!」
見ている俺に気が付いた2人が一緒に顔を上げた。
「おはよう。おいしそうだね……」
寝起きでダルそうな返事を返すのが、精一杯の抵抗だった。
夜にいつものバーに行くと昨日のペルシャ美人が今日も来ていて、俺たちが店に入ると、まるで待っていたかのように近付いてきた。
「こんばんは。ご一緒させてもらっていいかしら?」
「やー、いいともさ。見てくれよ、アマル。この俺様のモテっぷりを」
「そうか、それはよかった」
セバが俺の反応を期待している風だったので、精一杯努力して気の好い返事を送ってあげたつもりだったが、俺の答えに対する要求はもっと高かったらしくセバの期待には沿えなかったようだ。
「……ま、まあ座れよ」
セバは自分の隣の席を空けてくれたので、そこに座る。
エマは今夜も、コスプレのバイト。
もう最近では、客からのチップだけでなく、店の主から出演料も取って歌まで歌っている。
“頼むから、俺には絶対振らないで欲しい”
「私、レイラ。レイラ・ハムダン。32歳。宜しくね」
ペルシャ美人が、そう言って握手を求めて来た。
「俺は、アマル。19歳。宜しく」
握手を交わすと、どこから来たのか聞かれたので、シリアだと答えた。
「そう。白人だから私はてっきりフランスから来たのかと思ったわ。じゃあ、お父さんかお母さんが欧米の人?」
さらっと世間話風にも聞こえるが、これは誘導尋問のようなものだと思い、答えずに逆にレイラが結婚しているのかと聞き返した。
「まだなのよ。世間の男どもは、どうしちゃったのかしら?こんな美人を放っておいて」
「理想が高いとか?」
「そうでもないわ。でも、できるならマルタに別荘くらい持っている人が良いわ」
「マルタに別荘って、そんなにいいのか?」
セバが話に割り込んできた。
「それは良いわよ。空が綺麗だもの」
セバが意味ありげな顔をして、俺を見る。
上手いと思った。
能天気なことを言って、相手に深く探らせないテクニックは、エマと似ている。
ひょっとしたら危険な女なのかもしれない。
「上手い事、かわしたわね」
バーからの帰り道にエマに言われた。
「何のこと?」
「レイラよ、あのペルシャ美人」
ああ、と思い出したあと不思議に思った。
レイラと話をしている時に、エマはその場に居なかった。
「どうして分かった」
「読唇術よ。こう見えても旨いんだから」
読唇術と言うのは、話をする人の唇の動きを読んで、話しの内容を知る能力のこと。
さすがに情報部員のだけのことはある。
しかし、エマの“こう見えても”と、俺の見方が一緒なのかは不明だ。
実際エマは自分の事を、他人から見て“どう見られている”と思っているのだろう?
「エマは自分が、どんな女性だと思う?」
気になって聞いてみた。
「美人、教養豊かで胸も豊かなナイスバディー、37億人の恋人ってところかしら」
「37億ってどこから来た数字だ」
「世界人口の半分は男でしょ。そう言うナトちゃんは?」
「俺、俺は……」
自分の事なんて、考えたこともなくて困った。
「しっ!誰か尾行している」
エマが抑えた声で俺に言う。
また嘘かと思ったが、エマの緊張する表情を見て、ただならない事だと察した。
「どうする。撒くか?」
「無理よ、もう囲まれているわ。それより、気付かない振りをして」
「ああ。でも、襲ってきたら、やるか?」
「駄目よぉ~そんなアマルったらぁ~。いくら従妹同士でも、それは出来ないわ。もうエマ恥ずかしい!」
“NOということか”
俺がエマのサインを理解したとき、行く先に3人の男が現れた。
後ろを振り向くと、そこにも3人。
セバの仲間じゃない。
見たこともない男たち。
「よう姉ちゃん、俺たちと遊ぼうぜ」
「なによ、アンタたちには用はないわ。行こうアマル」
「とうせんぼ。ヒヒヒ」
前の3人が俺たちの前を塞ぎ、戻ろうとすると今度は後ろの3人が、また進路を塞ぐ。
「なっ、なんのつもり、アンタたち」
「女の夜遊びは危ないってことを教えてやれって、神からお告げがあってね」
「そういうこと」
「そう。そういうことヒヒヒ」
嫌な笑いだ。
「じゃあ、腕づくでも通してもらうわよ!」
そう言ってエマが俺の手をグイッと引っ張って、男たちの真ん中を突っ切る。
“そうこなくっちゃ!とりあえずお手並み拝見といこうか”
男たちの真ん中を突っ切ろうとしたエマの胸倉を、男が掴む。
もっともポピュラーな仕掛け方。
“アホか、こいつら。そんな基本中の基本なら簡単に腕を捻り上げられるぞ”
エマに腕を捻り上げられて、悲鳴を上げる男の姿が目に浮かんで、逆に可哀そうになるくらい。
「キャーッ!」
“!??”
ところが、悲鳴を上げたのはエマで、逆に男に突き飛ばされて地面に転んだ。
一瞬何が起こったのか分からなくて、茫然と立ったまま転んだエマを見てしまった。
「そっちの可愛いのも、お姉ちゃんのように怪我をしたくなかったら、おとなしく言うことを聞きな」
男の手が、俺の方にゆっくりと伸びてくる。
“エマを転ばせた罪は償ってもらう”
「やめてー!逆らわないから暴力だけはやめて!」
エマが大声で叫ぶ。
男の手が、俺の髪を触る。
反射的に、その手を掴もうとしたとき、またエマが叫ぶ。
「やめて!アマルに何もしないで。私はどうなってもいいから!」
エマの叫びが男に向けられているのではなく、俺に向けられているのは最初から分かっていた。
でも、我慢が出来ない。
再度エマに言われて、上げかけた手をもとの位置に戻す。
「こいつ白人だ」
「銀髪って言うのは初めて見たぜ」
男が俺に顔を近づけて覗き込んできた。
「おい、見ろよ。こいつ左右の目の色が違うぜ」
他の男も興味深そうに、俺の顔を覗き込む。
“こんな屈辱を受けるのは初めて。でも俺は我慢した。エマのため、そして作戦のために”
心のどこかでハンスが来てくれないかと願っていたが、広い市街を巡回しているハンスたちが偶然この時間にこの場所を通りかかることは期待できない。
仮にもし来たとしても、作戦以外の行動をとることもないだろう。
そう思っている時に、走って来る足音が聞こえた。
“ハンス!?”
6人の男たちも、その足音に気が付いて振り返る。
夜の暗がりに映し出された、その足音の主はハンスとは違って、もっと横幅があった。
“モンタナ?いや違う。フランソワ?”
しかし、そのどちらでもなかった。
やって来たのはムサ。
「こら!お前たち何している!」
「なんだ、ジジイか。怪我をしたくなかったら、引っ込んでいろ!」
男の1人がムサの声に答える。
「そうはいかん。その子たちはワシの店の大事な家族だからな」
ムサは、男の声に動じることもなく近づいて来て、俺を男たちから離して道に座り込んでいるエマを抱き起し、かばうように俺たちと男たちの間に立った。
「ジジイ引っ込んでいろと言ったはずだ。もうろくして耳が聞こえないのか?」
その声に男の仲間が、嘲るように笑う。
「おかげさまで、耳は達者だ。それよりもお前たちこそ痛い思いをしたくなかったら、とっとと帰れ。今なら見逃してやるぞ」
「なめんじゃねぇ!」
リーダーらしき男がいきなりムサに飛び掛かるが、ムサは上手い事それをよけた。
「やろうっ!」
次の男が飛び掛かったところ身をかがめてそれをよけると、ムサに覆いかぶさるように前のめりになったその男を、状態を素早く起こして宙に投げ捨てた。
大きな動作をしたところを突かれて、ムサの頬にパンチが当たり、少しスウェー(打撃を避ける、または当たりを軽減させるために後ろに身を引く動作)したところを後ろに居た男に胴体をホールド(抱え込むように掴む動作)された。
万事休すかと一瞬思う間もなく、ホールドを解いて逆にその男の後ろに回り込み腕を捻り上げながら正面から飛び込んできた男に突進して2人とも片付けた。
残った3人がナイフを出す。
危ないと思い加勢しようと動きかけたところ、エマが俺の手を掴んだ。
振り向くとエマの目が“行くな”と言っていた。
目を前に戻すと、ナイフを見ても動じもしないムサがいた。
1人の男がナイフを横に振り回しながら襲い掛かる。
ムサは男の腕を巧みに掴み、男の振り回す方向に足を掛けで投げ飛ばした。
投げ飛ばされたはずみでカラカラと路上にナイフが転がる。
“強い”
俺が、そう思ったとき、どこからか合図の口笛が聞こえた。
「くそっ!覚えていろ!」
残った2人の男が、倒れている仲間の手を取り逃げて行った。
「やれやれ、怪我はなかったか?この辺りも最近治安が良くないから、夜遊びは慎んだほうが良い」
そう言うとムサは何事もなかったように、来た道を引き返して行った。
「カッコイイ♡」
エマの目に何故かハートマークがついていた。
確かに。
元国軍の大佐で、リビア情報部付き特殊部隊教官だけのことはある。
現役を退いて久しいはずなのに、この強さとは正直思いもよらなかった。




