【Demon Sergeant(鬼軍曹)】
駐屯地入りの挨拶が終わり、分隊は割り当てられたテントに向かう。
もちろん俺も。
そう思って歩き始めたところで、ハンスに呼び止められ、司令部に誘われた。
俺たちの任務はトリポリに潜むバラクの捕獲。
特に現地指令と打ち合わせするようなことは無いと思っていたし、作戦の打ち合わせにしても下士官の俺が呼ばれるのはおかしい。
ニルスは司令部の地下にある情報処理室に降りて行く。
「じゃあな、俺はまた後で顔を出す」
俺を呼び出したハンスも、司令のテントの前まで俺を案内すると、小声でそう言ってテントを去った。
俺が呼ばれた訳は、作戦の打ち合わせでもないらしい。
”まさか、女だから呼ばれただけなのか?”
「失礼します!」
そう言って、指令の部屋に入ると紅茶の甘い香りと、苦い珈琲の香りがした。
「やあ、君が一世紀振りに復活した女性戦士かね。スーザンの国籍はイギリスだったけど、君は何処の出身かね?」
司令官はそう言うと「指令のアンドレ大佐だ」と握手を求めて来たので、こちらも手を差し出す。
「綺麗な手だ。ウチの補給部隊に居るどの女性兵士よりも、2等軍曹の手は綺麗で柔らかく、それに白い」
部隊内では、女性として扱うなと厳しいお達しがあり、それは国軍にも伝わってあるはず。
なのに、このアンドレ大佐の俺への態度は、まるで女性へ対する敬意そのものなので戸惑う。
“エロおやじか?”
こういう世界だから、ゲイもいればエロもいる。
だが、それが基地司令では示しがつくまい。
「まあ、腰掛けて紅茶でも飲んでくれ」
そう言って指令自身は珈琲のカップを持ち上げた。
「頂戴いたします」
紅茶を飲むときにアンドレ指令は腕時計に目をやり、時間を確認した。
俺がまだ出身地の質問に答えてないことよりも、時間が気になるらしい。
「2等軍曹、君の経歴書は読ませてもらったよ。出身地不明、女子、コルシカ空挺試験はトップの成績で卒業、筆記試験では士官試験もクリア、なかなか頭がいい。それにもまして射撃成績は群を抜いて抜群じゃないか、どこで習った? もとはテロ組織にでも居たのかね?」
ヤザと一緒に多国籍軍と闘っていた事がバレたら、なにかと面倒になるので養父が猟師だったので幼いころから習っていたと答える。
「養父に教わった……で、その養父は今どこに?」
「俺を置いてどこかへ消えた」
「なるほど、それは大変だったろう。それで、それ以降はどうして暮らしていた?」
赤十字難民キャンプだと答えると“どこの?”と聞き返してくるだろう。
しかし運の良い事に、この司令官と俺とは組織が違うから、クソ真面目に答える義務はない。
だから「尋問ですか?」と逆に聞き返した。
「いやぁ、つい美人を見ると興味が湧く性質で、気分を害されたのなら謝るよ。すまない」
アンドレ指令は、それから立ち入ったことは聞いてこなくなり、現地の情報などを俺に話した。
テントの奥からハンスの声がした。
「入りたまえ」
入って来たのは二人。
ハンスの隣にはニルスが居た。
「終わったかね」
「終わりました」とニルスが答えた。
その言葉を聞いて指令が席を立ったので、俺も立つ。
「いや、くだらない話に付き合わせて申し訳ない。この握手を最後に私の認識を改めさせてもらう。チャーミングな若いお嬢さんではなく、強く立派な兵士として歓迎するナトー2等軍曹。リビアへ、ようこそ!」
差し出された手に、迷うことなく自分の手を出して握手をした。
アンドレ指令は握手が未だ終わらないうちにニルスに尋ねた。
「使い方はウチの通信担当に?」
「ハイ。もう説明しました」
ニルスが答えると、指令は俺の方を向き「これで安心」と言った。
「それでは、失礼します!」
ハンスの号令で俺たち三人は一緒に指令のテントを出た。
「何をしていたのですか?」
ニルスに聞くと、通信の情報制限を掛けていたと答えた。
「何のために?」
俺が効くと、大勢のギャラリーたちが携帯をこっちに向けていた。
「写真!?」
そう、ここの通信網にウィルスを掛けた。
俺が不思議そうな顔をしているのに気が付いたハンスが、面倒臭そうに口を挟む。
「皆が、お前の写真を撮るからだ。写真が出回っては困る」
「それで、ナトちゃんの写真を撮影した場合に、送信できなくなるばかりか、削除してしまうスパムを入れたんだよ」
あとに続いて、ニルスが自慢げに答えたので、いつも現地入りしたら行う作業かと聞いた。
「まさか。言ったろ、いつも俺たちは鼻つまみ者だって」
「こうして写真を撮られる事なんてない」
「……そうか。すまない」
女性だということを申し訳なく思う一方、何だかほんの少しだけ甘く、くすぐったい気持ちになった。
ゾロゾロと尻尾のように付いて来る暇そうな奴等を引き連れながら、自分たちに割り当てられたテントへと進むが、近付くにつれ何故か騒々しい声が聞こえてくる。
「このマカロニ野郎!基地司令や大勢見ている前で俺たちに恥かかせやがって!」
「しょうが無いだろうが、立つモノは立つ!」
「何が“しょうが無いだろう”だ。毎日たるんでいるから、そうなるんだ」
どうやらフランソワが声を荒げ、トーニを怒っているようだ。
「喧嘩の仲裁は、下士官の務めだよ。それじゃ僕たちは士官用のテントへ行くからね」
ニルスがポンと俺の肩を叩き、去ろうとするがハンスが付いて来ないので立ち止まる。
「悪いが先に行ってくれ、俺も少し言っておきたいことがある」
ハンスの返事に、ニルスは呆れたように両手を肩の位置で広げて見せて「じゃあ、お先に」と、そう言って去って行った。
「でも、潰すと脅されたんだろうが!」
「ナトーは、俺にそんなことはしないさ、ただの脅しだ。じゃあ聞くけどよぉ。オメーは、あんな美人にキ〇タマ掴まれて平気でいられるのかよ? 知っての通り、とびっきりの美女だ。しかもナトーの手ときたら、しなやかで柔らかい。その手が〇ンタマを掴むんだ、これを男として我慢できるかぁ?」
丁度、俺がハンスと一緒にテントへ入ろうとしたとき、トーニの反論する声が聞こえて来た。
ハンスが横目で睨む。
「……トーニがいつまでもギャラリーにニヤけてたから、ほら映画で鬼軍曹とかがよくやるじゃないか“握り潰す”とか言って……」
言い訳、だという事は分かっている。
言わなくても、良いと言う事も。
でも自然に口から出てしまった。
ハンスが困った顔をして言った。
「顔が赤い。何とかしろ」と。
慌てて頬を触ると、確かに熱かった。
こんなこと、今まで無かったのに……。
「結局、フランソワ。オメー、羨ましいだけだろう」
「なっ、なにぃこの野郎!!」
テントの中に入ると、丁度フランソワがトーニの胸倉を掴んで拳を振り上げた所だった。
「そこまでだ!」
テントを開けてハンスが言い放つ。
「気を付け!」
モンタナが号令をかけ、皆がハンスに向かい直立の姿勢をとる。
「何をしている」
ハンスが尋ねる。
「こいつが、――」
お互いに声を出そうとする2人を止め、自分の前に立たせる。
「歯を食いしばれ」
鉄拳制裁かと思いながら、斜め後ろで止めようか戸惑っていた俺にハンスが声を掛ける「ナトー」と。
次の瞬間、ハンスの裏拳が俺の頬を襲った。
“パン”と言う高い音。
焼けた頬が更に熱くなる。
「隊長、そりゃあ……」
モンタナが慌てて前に出て俺を庇おうとしてくれて、ブラームが揺らめいた俺の体を支える。
「甘えるな!」
珍しくハンスが怒鳴る。
「鬼軍曹とはどんな軍曹なのか、トーニ行ってみろ」
「ぼ、暴力を振るう鉄拳制裁の軍曹」
トーニが答えると、次はフランソワを見る。
「戦場で何事にも動じず、鬼神のように振る舞う軍曹」
「違う。お前たちは未だ甘い。鬼軍曹とは、戦場で生きる見込みのない任務を平然とお前たちに命令して来る軍曹だ」
「酷え……」
トーニがポツリと言った。
「酷くはない、当たり前の事だ。そもそも軍曹と言うのは小隊長の右腕。一番死んでもらったら困る存在で軍曹自身もそれを認識しているから、部下に平気で死を伴う任務を与える。部下のキンタ〇を握り潰す気もない軍曹など要らない。甘っちょろい奴は軍曹であろうが女であろうが関係ない。その甘さが、お前たちの、そして部隊全体の命を脅かす」
そこまで言うと、怒ったように踵を返しハンスはテントを出て行った。
確かにハンスの言う通りだ。
トーニが言った通り、俺はあの時、握り潰すつもりなど毛頭なかった。
強いて言うなれば“言ってみたかっただけ”なのかも知れない。
あの時、握り潰さなくても、潰れる程の激痛を与えてやれば誰も恥をかくこともなかったし、この喧嘩もなかった。
トーニは規律を乱し、蹲り、列から外れるだけ。
ひょっとしたら、アンドレ大佐の俺を尋問するような態度は、俺の甘さを見抜いていたからなのかも知れない。
だから俺には甘い紅茶を、そして自分には苦い珈琲。
ハンスの言った通り、俺は甘かった。
殴られた頬が熱い。
そして、この頬の熱さはテントに入る前、恥ずかしさで赤くなった頬を隠すための優しい熱だったのかも知れない。