【What I was waiting for after returning to France①(帰国した俺を待っていたもの)】
トーニが俺を好きでいてくれるのは知っているし、厭じゃない。
もしもお互い大学に通っていたら、彼は大切なボーイフレンドの一人だったろう。
もちろん、キスくらいはしてやるし、それ以上の事も許すかも知れない。
けれども俺たちは軍人。
入隊の条件として、女であることを封印された。
封印されなくても女扱いはされたくなかった。
女である以上、それは男にとって恋愛や性の対象となる。
もちろん俺だって誰かを好きになることもあるだろう。
俺が女であることを部隊が封印したのは、女である俺に対する罰や嫌がらせではなく寧ろその逆。
女である俺を守る為であり、分隊長として隊員や部隊を守りやすくするためのもの。
トーニの、まるでティーンエージャーの様な愛情表現は、俺に合っていて心地好い。
リビアで演じた、ハンスとの“恋人ごっこ”とは別もの。
もっとも“恋人ごっこ”を楽しんでいたのは俺だけで、ハンスの方は厄介なじゃじゃ馬娘としか思っていないのは分かっている。
大人のハンスは俺など眼中にない。
でも、それでいい。
それは俺自体に恋愛経験がなくて、興味と好奇心を隠し持つローティーン並みに性的な幼さがあるからだろうけど、部隊の中でトーニの様な感情で俺の事を見る奴が他に居るとしたら正直やりにくい。
トーニだって休日やプライベートな時にこそ、チョッカイを出してくるが一旦訓練や作戦が始まると、その様な態度は微塵も――いや、滅多に顔を出さない。
俺だって好かれるのは嫌な気はしないが、好かれることで戦闘中に判断に迷いが出てしまう事は避けなければならないから、部隊の中で男として見られていることに対して文句はないしその方がやり易い。
それでもエマは顔を見せない。
いつもなら大統領の晩餐会には、呼ばれなくても来るはずだし、帰国命令が出ると忙しくても一緒に帰ると駄々をこねるはずなのに。
ユリアと一緒にDGSEのオフィスを探したはれど、見つけることは出来なかった。
そのユリアが一足先にウクライナに帰り、残った俺たちで探しても見つからない。
携帯でも連絡は付かなくて、ニルスが直接DGSEに連絡を取ってくれたけど”任務中”と言う事で繋いでもらえなかった。
“いったいどこへ行ってしまったんだろう……”
「気になるのか?」
出発の前の晩、公園で星を見ているとハンスが横に来た。
「んっ、な、なに……」
「エマの行方を心配しているんだろ?」
急に声を掛けられて、一瞬記憶が飛んで焦った。
「まあな」
動揺を隠して平然を装って返事をする。
「帰ったらすべてわかる事だ。そう心配するな」
「知っているのかエマの行方を」
「知るわけがない」
「だったら……」
他の仲間たちが俺のためにエマを探してくれていると言うのに、なんてハンスは冷たいのだろう。
いつものように、つっけんどんな態度が少し癇に障った。
「エマを信じろ」
そう言うとハンスは俺の肩を軽くたたいて去って行った。
“エマを信じろ”
確かに、俺がどう足掻いたって直ぐ傍に居ないのでは、信じるしかない。
無用な心配をするよりも、信じて待てと言う事か。
エマなら、どんな困難な事でも天性の陽気や妖気を駆使して何とかしてみせる。
リビアの時、ムサ達を味方に引き入れたように、仲間を作るのも上手い。
あの作戦で俺はヒーローに仕立て上げられたけれどムサとその仲間や、それよりも先に先ずセバを見つけなかったら成功は難しかっただろう。
エマが食堂で目立った行動をとってセバの気を引いたのが始まり。
“エマなら屹度大丈夫”
ふぅ~っと気持ちが軽くなると、さっきハンスに触られた肩が仄かに温かくなってくる。
俺は温かくなった肩に、手を置いた。
温かさを逃がさないようにではなく、温かさをもっと感じていたくて。
次の日の早朝、まだ日も明けきらない6時。
俺たちを乗せた輸送機はバグラム空軍基地を飛び立ち、アフガニスタンを後にした。
離陸する飛行機の窓から外を眺めていた。
輸送機が墜落して敵の基地を見つけ、その基地を制圧するまでの時間は2日にも満たなかった。
しかし、たった2日間の戦闘で、敵味方を含め多くの命が失われた。
俺自身、この2日間で、かつての中東戦域で『グリムリーパー』と呼ばれる狙撃兵として過ごした数年間を超えるほどの命をこの手で奪うことになった。
死んでいった者たちは敵味方を含め、1人で生まれて、1人で育ってきたわけではない。
家族も居れば恋人もいただろう。
もちろん、その死を悲しんでくれる友人も。
いったい何のための戦争。
いや、誰のための戦争なのだろう?
こんなことを軍人が考えるのはおかしいと人々は言うだろう。
けれども軍人だって1人の人間。
家族も居れば恋人もいる。
両親の顔や声すら知らない俺にでも、今は敵味方に分かれてはいるが義父もいる。
恋人は居ないけれど、大切な仲間や友が居る。
だからと言って、一旦戦場に出てからその様な事を考えている余裕はないし、考えていれば仲間も守れない。
もしもそれを真剣に考えるとするならば、まだ戦争のキナ臭い匂いの漂っていない平和で安穏と暮らすことが出来ている時分だろう。
バグラム空軍基地を離れると機は急上昇を始め、道行く人たちや車が、まるで玩具の様に小さくなって行く。
航空機はこのように、それが何者なのか分からない状況で、爆弾やミサイルを放ち機銃掃射をする。
敵の顔も見ず死体や呻き声を上げる敵兵の隙間を縫う様に進軍する俺たち歩兵に比べ、精神的プレッシャーは軽いものだろう。
しかし世の中は更に進化して、無人機によるミサイル攻撃がこれから先の主流になるだろうと言われている。
戦場から遥かに離れたオフィスで、モニターを見ながらオペレーターが操作する。
まるでテレビゲーム。
この様になると、もうオペレーターには命の意識など何もなくなる。
科学力や資金力のある方が一方的に敵となる国の民を殺す。
ふと、山岳を縫うように走る道路に目を向けた。
ようやく射し始めた朝日を反射するフロントガラスが、綺麗なオレンジ色に光る。
車が2台止まっているのが見えた。
そして塵の様に小さくなった人も。
微かにその人が手を振っているような気がした。
“サオリ! そしてエマ!?”
顔など分かるはずもないのに、何故かそう思った。




