【Trueness of Tanya④(ターニャの真実)】
ナトーが何を言っているのか分からなかった。
負け惜しみを言うなんて、いつものナトーらしくない。
ナトーはターニャを睨みながら、なおも続ける。
「What the hell is that?(一体どういう事?)」
「……」
ナトーの問いかけにターニャは答えない。
いや、ひょっとして答えられないのか?
「私は自然体で戦い、貴女を追い詰めた。そして最後は勝とうと思った。だから貴女に負けた。そうでしょ。」
「……」
「でも、何故?」
ナトーの瞳が濡れて行くのが分かった。
しかし彼女は、それを零すまいと目を大きく見開き瞬きもしないでニカブを着たターニャを見ている。
そう。
もう、睨んではいないで、見ている。
“これは一体……”
俺が身を乗り出した事に気の付いたナトーが、ちらりとその濡れた瞳を向けたかと思うと、ひらりと体を回した。
その瞬間、溜まっていた涙が細かいダイヤモンドみたいに無数に光を反射しながら、まるでスローモーションを見ているようにゆっくりと散らばる。
「ナトー!」
追いかけようとする俺の肩を、とても大きな手が掴んで止めた。
振り解いて走るどころか、まるで逆らうことが出来ない大きな手。
“誰だ!?”
振り返ると、いつの間にかアサムが居た。
「今は、1人にしてあげなさい」と。
その瞬間チクリと何かが首に刺さった。
誰もいない裏庭で、まるで“かくれんぼ”して鬼から逃げる様に小さく丸く屈んでいた。
“間違いない。ターニャの正体はやっぱり……”
以前、赤十字難民キャンプに居た頃、どうしてもサオリを負かすことが出来なくて聞いた“なぜ勝てないのか”と。
その問いに、いつもサオリは同じ答えを返しては笑った。
「それは、勝とうとするからよ」と。
さっきの勝負、俺の放ったローリングソバットで、もう勝負は見えていた。
強烈にストマック(胃袋)を蹴り上げられたターニャは、少し放っておけば胃が痙攣を起こし胃液が上がってくる。
吐いても抑えようとしても、彼女の動きは一時的に止まり、勝負はそこで終わる。
だが俺は、勝つために肘を落とした。
俯いているターニャの顎に蹴りを入れる、もしくは俯いた後頭部を狙って踵を落としても構わないが、どの技を選択しても結果は同じだっただろう。
あの時サオリが言った、勝とうとするから負けると言う意味がようやく分かった。
つまり勝とうとして、止めを刺そうとするときに繰り出される技は、少しだけテンポが遅れる。
いいリズムを自ら狂わしてしまう事になる。
俺の攻撃にリズムを合わせられないでいたターニャは、ほんの少しリズムが狂ったことでタイミングを自分のものにしたのだ。
勝負には負けた。
だが勝ったのは俺の方。
“でも、何故……”
「お見事ね!ナトー……」
振り返ると、いつの間にかターニャが俺の後ろに立っていた。
「何故ここに居る?そして何故、あんなことをした!」
涙を拭わないまま睨みつけた。
「すべては平和のため」
「平和!?いつからここに居るのかは知らないけれど、少なくとも1ヶ月くらい前から居たのなら、その間にアサムを始末しておけば2号機も3号機も墜落しなかったしザリバン兵も殺さずに済んだ」
「本当に、そう思うの?もしも私がアサムを殺して逃げたなら、彼らは復讐に燃える。復讐心の強さは貴女が一番良く知っているはず」
「ああ、そうだ。アンタに騙されて、ヤザを恨んでここまで来たのだからな……サオリ」
名前を呼んだ。
ハンスのお兄さんと対決して倒したあと、ハンスによって崩れた瓦礫の下に埋められ、そこから俺を助け出し赤十字難民キャンプで大切に育ててくれた人の名前。
俺に勉強と格闘技を教えてくれた人。
イラクで爆弾テロに会い、車ごと爆破され死んでしまった私の大切な人の名前。
サオリ……。
名前を呼ばれたサオリはニカブの覆面を外し、素顔を見せた。
4年ぶりに見るサオリの顔は、どこも変わってはいなくて、相変わらず優しく笑っていた。
「どこで気が付いたの?」
「洞窟の前で戦った時」
「どうして分かった?」
「手を触れた感覚は忘れないし、アンタは俺の新しい技に戸惑っていただろう」
「感が良いのね」
「何故、あんな消え方をした!」
「自分の身を守るためと、貴女を試すため」
「俺を……。何のために」
「言ったでしょ、すべては平和のためだと。それに貴女だけが試されたわけではないのよ」
「俺だけじゃない?」
「そう。結果的に最後まで残ったのは、貴女だけだったけれどね」
「それは今度会った時に説明するわ。それにしても強くなったわね。もう私じゃ敵わない」
「そんなことないだろう。現にこの前も、さっきも俺に勝った」
「これのおかげよ」
サオリは服からプロテクターを外して見せた。
「これが無かったら、ナトちゃんのキックにお陀仏だったのよ。特に最後に放ったローリングソバットは、これがあっても胃液が上がってきたもの」
「フッ、ずるいな」
「仕方ないわ、もう直ぐアラフォーのオバサンなんだもの。若い人と闘うには、それなりの装備が必要なのよ」
「ハンスの時も、それを?」
「当然でしょ。私の2倍以上も体重のある男の、蹴りやパンチをまともに受けたら、即昇天しちゃうじゃない」
嘘だ。
プロテクターは付けていただろうが、サオリはそんなパンチやキックなど物ともしない。
「さあ、起きて。一緒に行きましょう」
サオリが手を差し伸べる。
おれは自然に、伸ばされた手に自分の手を合わせた。
“チクッ”
「何をした!?」
手を握った瞬間、チクッと軽く針を刺すような痛みが走った。
「〇〇〇〇……」
サオリが何かを喋ったが、声が低すぎて聞き取れない。
急速に、ぼやけていく目の感覚から微かに“ごめんね”と口を動かせていることだけが分かった。




