【coffee break(珈琲ブレイク)】
筆記試験初日。
午前中の試験は、フランス語と英語、それに科学の、ごく簡単なもの。
健康診断を受けたあとの、午後の試験は数学と物理で、これも易しかった。
テストが終わり宿直室に戻ると、まだ誰も居なかったのでシャワーを浴びた。
正直このテストが、俺の入隊を阻止するための物だと聞かされた時は心配したけれど、初日の試験内容を見た限りでは、そうでもないような気がした。
2日目は丸一日講習を受けて、3日目はその講習内容に添った筆記試験と技能試験だったので更に簡単だった。
4日、5日と講習を受けたけど、時間の足りない部分も多くあり、それは渡されたテキストを読んで自習するように言われた。
手にいっぱいのテキストを渡されて宿直室に戻る時、偶然モンタナとブラーム、それにトーニが通りかかった。
「いよう姉ちゃん、試験は順調かい?」
「重いだろう?持ってやるよ」
俺が断る間もなくブラームが、ひょいっとテキストの束を取る。
さすがにボクサーだけに手が早い。
「まだ居るってことは、そうとうだな、オマエ」
「どういうことだ?」
モンタナが変な事を言うので、聞き返すと周囲を確認して小さな声で話し始めた。
「実はな……3日前の午後に射撃訓練用の、実弾の在庫管理票を事務所に届けに行ったとき、偶然秘書官のメェキの野郎が事務長のテシューブに怒られているところを聞いちまったんだ」
3日前と言うのは、試験の初日。
話の内容は、試験内容が優し過ぎたのではないかと言う事と、外部に漏れてはいないかと言う事。
それに対して秘書官のメェキは、言われた通りに一般の入隊試験用ではなく下士官用の試験を用意したと答えて、なおかつ今回は特別に新しい問題を用意したので外部に漏れるはずがないと言う事だった。
「ひぇ~。あいつらが慌てるってぇことは、ナトーお前下士官試験合格したんだな!誰かさんとは大違いだぜ、やるなぁオマエ」
トーニに腹を、どつかれて、そのトーニはモンタナに、どつかれていた。
「アホ、一応俺も下士官だ!」
「しゃらくせえぜ!この前三等軍曹試験に落ちたばかりの、万年伍長の分際で」
「なにお!じゃあ下士官でもねえ、万年上等兵のお前は何様だ」
「俺様は、色んな事に責任を負いたくねぇから、兵卒で充分なんだよ。本気出して見ろ、直ぐに将軍様だぜ!」
「アホ!傭兵から将軍になれるかよ!」
2人の痴話げんかをよそに、ブラームが「受かっておめでとう。だが、次の試験は用心しろよ、きっと士官用の試験を持ってくるぜ」と忠告してくれた。
「ところで、お前たち用事は?まさか、それを伝えにワザワザ来たわけじゃあるまい」
トーニと喧嘩をしていたモンタナが思い出したように「隊長いるかい?」と、言った。
「いや、俺は未だ宿直室に戻っていないから、居るかどうか分からない」
「じゃあ、一緒に行ってみようぜ!」
トーニが俺の腕を引きながら、子供のように言った。
“こいつ、結構可愛い”
さすがはイタリア人、女性のハートを擽る才能を持っていやがる。
守衛にICカードを見せて、俺は宿直室に上がるゲートを潜る事が出来たが、あとの3人は止められて面倒な書類を書かされていた。
「時間が掛かりそうだな」
「いつもは、こんなに厳重じゃない」
ブラームが諦めたように、俺にテキストを渡そうとすると、それも取り上げられてチェックされていた。
階段を急ぎ足で降りてくる音に気が付いて振り向くと、足音の主はハンスだった。
「まったく、お前ら何の用だ?ここは士官以外立ち入り禁止って事ぐらい知っているだろうが」
「士官同席だったら良いんだろ!」
トーニが笑って言う。
「手続きが面倒だろうが」
そう言いながらも、何やら手続きの書類にサインをしているハンスが微笑ましい。
面倒なことに巻き込まれたとばかりに士官らしい守衛が「特殊部隊だから、まだ許可できるけれど、一般兵は無理だからな!」と怒っていた。
手続きが終わり、皆で二階に上がろうとしたとき、トーニだけが呼び止められた。
「だから、一般兵は無理だと言っただろうが」
「俺だって、特殊部隊だぜ!」
「許可できるのは、士官の他は特殊部隊の下士官または下士官補佐までだ、だから軍曹・伍長・兵長は許可できるが、それ以下の上等兵のお前は許可できん!」
「そんなぁ~」
「じゃあな、責任を持たない上等兵!」
モンタナがトーニに嫌味を言って階段を上がって行った。
「しょうのない奴らだ。で、なんだ?まさかナトーに会いに来たんじゃないだろうな」
その言葉に、モンタナとブラームは気まずそうに言葉を失い、なにか他の口実を探すように周囲を見ていた。
「士官専用の宿直室と言っても、何だか味気ないな」
「当たり前だ、ここは軍隊で、カフェじゃない」
「コーヒーは飲めるのかい?」
「まったく……」
ブラームの言葉にハンスが腰を上げようとしたので、止めて俺が代わりに立った。
「何がいい?」
「ブルーマウンテン」
「俺はグァテマラ」
「豆は二種類しかないよ、モカとコロンビア」
「「じゃあモカ」」
二人が同時に、同じものを指名すると、ハンスがNGを出した。
「基本的なことだけど、ここではどんなものでも同じものは口にしない」
たしかに、ここに来てまだ三日だけど、俺とハンス達の食事はいつも違うものを食べている。
何故?
「同じものを食べると、食中毒や万が一毒物が混入されていた場合、共倒れになるからだ。それは、下の守衛室の人間も同じ。少人数でしかも外に近い場所だから危機管理レベルが兵舎とは違う。もちろん外気だってサリンやVXガス対策をしているから窓も空かなければ空気や水道水だって直接外の物は使っていない」
ハンスの説明を聞きながら、珈琲豆を手で轢いていた。
恐らく珈琲豆を使うのも、手で轢くのも、この考えに基づいているのだろう。
インスタントなら薬物をまんべんなく混入できるが、豆ならば何時混入したものが使われるのか判断しづらくなるし、手で轢けば混入物に気が付きやすい。
二人とも感心しながら話を聞いていたが、俺が珈琲を入れるのを見ながら「いい嫁さんになるぜ」とモンタナが言って、ハンスに注意された。
「いいか? ナトーを応援したい気持ちは分かるが、お前らがこいつを女だと認識することを、部隊長を始め幹部連中は一番恐れている。なにせこの傭兵部隊には過去一人しか女性兵士は居なかった。それも今から100年以上も昔の事だ」
(※過去一人の女性兵士:Susan Travers 1909年9月23日イギリス生まれ、看護師兼運転手として北アフリカ戦線に従軍。2000年12月18日に94才で永眠)
それについてブラームが不思議がって聞いた。
フランス正規軍にもアメリカ軍にも、後方支援部隊などには女性兵士が居るのに、なぜ傭兵部隊には女性兵士は居ないのかと。
もちろん俺がここに来た時、面接を担当したテシューブが言ったように、事務員としての女性は居る。
なのに、軍服を着た女性が居ないのが気になった。
「所詮、俺たちは傭兵だ。お前らが思う程、上からの信用は得られていない。上層部が恐れるのは、女が入隊することによって規律・風紀が乱れ、お前たちがアフリカ中央部の部族のように手あたり次第女をレイプしてパトロンたちから見放されることだ」
傭兵部隊と言うのは、フランス政府の命令で戦場に赴くだけではなく、個別に他所の政府からの依頼も受ける場合がある。
もちろんフランス政府に敵対する国や、経済などに支障をもたらす場合は除外されるけれど、基本的には要求通りの金を払ってくれれば依頼を受ける。
「はいったぞ」
俺は入れた珈琲を二人の前に置く。
「こりゃあ、てーへんだぞ」
モンタナが間を丸くして言ったあと「ナトーなら大丈夫さ、なにせ特殊部隊の格闘技トップ3を相手に2勝しているから、誰も手出しはしないよ」とブラームが言ってくれた。
「問題は、身の程知らずのトーニだけか」
モンタナの、その言葉に一同が笑った。
結局モンタナとブラームの用事と言うのは、テシューブが俺を試験中に落とそうとしている情報以外は、激励を兼ねた只の物見遊山だった。
二人が帰るとき俺だけが見送りに降りると、まだ下にはトーニが居て“次は下士官の試験受けてやるから覚えていろ!”と、もうカンカン。
あまりに煩く二人に突っかかるものだから、俺は少しだけふざけて“ありがとう。俺が籠の鳥であるばかりに心配をかけてしまった”と言って正面から抱きついてやると、途端に静かになり可笑しかったけれど、モンタナに「それを、やっちゃぁいけねえ」と注意された。
「まあトーニを始め部隊の連中には、よく注意しておくからナトーも注意しとけよ」
ブラームがポンと俺の肩を叩いて歩き出すと、それに倣うようにモンタナとトーニも順に俺の肩を叩いて兵舎の方に歩き出した。
3人と別れ、宿直室に戻る時、守衛室の当番将校に「仲間が心配してくれているんだ、頑張れよ!」とポンと仲間たちと同じように肩を叩かれた。
“みんなナカナカ良い力をしている”
階段を上がり食堂を覗くと、そこにはもうハンスも居なくて、テーブルと椅子だけがある殺風景な景色があった。
その殺風景な白黒の部屋に、さっきまでの俺たちが居た景色を重ね合わせる。
モンタナが豪快に笑い、物静かなブラームが頷き、クールなハンスが諭すような口調で話をする。
そして、それを見つめているわた……いや、俺。
どうしてだろう?
ここに来てからというもの、サオリたちと過ごしていた頃に使っていた自分の一人称 “わたし” が何度も出て来そうになる。
ボーッと食堂の入り口で立っていると、無線室のドアが開く音がした。
“ハンス!”
咄嗟に、そう思って振り向くと、そこから出てきたのはニルスのほう。
お互いの目が合うが、俺は直ぐ目を逸らした。
ニルスは食堂に自分の分の夕食が届いているのを確認した。
今届いているのは、ニルスと俺の分。ハンスの夕食はまだ来ていない。
「さてと、晩御飯でも食べるかな。ナトちゃん、一緒にどう?」
「さっき部隊の連中が来た時、珈琲を飲んだから後にする」
「……そうか、残念だったな。面倒なセキュリティーなど考えずに、みんな一緒に食事できれば良いのだけど」
そう言って食事を始めた。
食事は別々の所から届けられるばかりか時間も異なる。早い方は昼番の守衛が届け、遅い方は夜番が届けに来る。
俺の夕食はいつも昼番の時間帯。
部屋に戻るとニルスに気まずい思いをさせてしまうと思い、斜め向かいの席で黙ってテキストを読んでいた。
勉強の邪魔になると思ってか、ニルスも話し掛けてこない。
カチャンとフォークが置かれる音が聞こえたので席を立った。
「珈琲にする?それとも紅茶?」
「ありがとう。じゃあアッサムで」
「じゃあ、ミルクも入れる?」
「良く知っているね。たのむよ」
紅茶を入れるとき、さっき洗って乾かしていたハンスのコップがある事に気が付いて、背中で隠すように水気を拭いて片付けた。
「僕の故郷では珈琲を好む人の方が多いんだけど、どうも子供の時からあの苦みが駄目でね、幸いお婆ちゃんがイギリス北部の人だったから我が家は紅茶派で助かったよ。ナトちゃんは出身地が分からないって言っていたけれど、アッサムを頼んで直ぐにミルクを聞いてくれる所からすると、イギリスなのかも知れないね。そう、君には英国王朝風の気品の良さを感じる時があるよ」
「ありがと♪」
甘いクッキーを横に乗せたティーカップをニルスの前に置くと“プチ・フィーカだ”と喜んでくれた。
(※スウェーデンをはじめ北欧では、珈琲や紅茶とスイーツを一緒に楽しむフィーカと言う習慣があります)




