【Warmth of the back and warmth of the chest⑤背中の温もりと胸の温かさ】
とりあえず、今、アサムを殺す理由はない。
何故なら、アサムは俺の命を奪う気はないから。
もちろん、心ならずとも、助けてもらった恩がないわけでもない。
こうして命が繋がっていると思うと、今は無性にヤザやハンスの傍に居たくなる。
復讐に燃え、殺そうと思っていたヤザ。
それに、グリムリーパーとして見られるのが怖くて、会うのを避けていたハンス。
「人間は自分勝手なものじゃ」
まるで俺の考えていることを見透かしたようにアサムが言った。
「もともとはロシア軍の特殊部隊が大統領を始めとした重要閣僚を暗殺し、そこに自分たちの思うように動く傀儡政権を立てようとしたのが始まりじゃ」
“なんだ、俺の心を読まれた訳ではないのか……”
「傀儡政権誕生と共に、ロシアは直ぐに自国の軍隊を送り込んできた。ワシらは自分たちの国を守るために猟銃や鉱山作業用の発破などを使って戦ったが、さして効果はなかった。被害の大きかった我々民兵に武器を供与してくれたのはアメリカじゃった。彼らは自動小銃から対戦車用無反動砲や地対空ミサイルまで、ありとあらゆる武器を戦争が終わるまでの10年間、惜しみなく無償でつぎ込んでくれワシ等はロシア軍を撤退させることと傀儡政権を潰すことに成功した」
「そのあとも、戦争を続けたのは何故だ?」
「ロシア軍が撤退した後、今度は治安維持と称してアメリカ軍が入ってきた。ワシ等に武器を供与してくれた国の軍隊じゃから、ワシ等も嬉しかった。ところが、彼らの治安維持活動の対象はワシ等じゃった。しかも今度はアメリカの意のままに動く傀儡政権が出来たのじゃ。当然ワシ等はまた戦うことになった。最初はお互いに同じ武器で戦っていたが、もう銃弾などの補給は受けられなかったので、だんだんと不利になり山の中に追い込まれていった。今度はそのワシ等に、それまで敵じゃったロシアが武器を供与してくれた」
「なぜ戦いの場を広げた」
この国だけで戦っていたなら、俺の家族は爆破テロに会うことは無かったし、ハイファやバラクも亡くなることは無かった。
「イスラムの国を守るためじゃ」
「何故守る必要がある、時代は常に変化しているはず。今の時代に一日に何度も頻繁にお参りをしたり、そのたびにモスクに訪れたり、食うものに規制があるのでは経済活動や貿易に摩擦が生じてもおかしくはないだろう」
「確かにナトー、お前の言うことは良く分かる。じゃが、受け継がれてきたもの、家族の絆を断ち切れるか?」
「家族の絆?」
「そう、例えば父母に祖父母が居て食卓を囲む中、お前ひとりが戒律を無視してハムやソーセージを食えばどうなる?戒律を重んじる父母や祖父母の悲しみは、いかばかりかお前にも分かるじゃろう」
「……」
「かつてイスラム教と同じように、動物の肉を食わない国があった。それは江戸時代までの日本。だが諸外国は血気盛んな日本の若者たちをそそのかし武器を与え、江戸幕府を倒させて自分たちの思うような国へと変えさせたのじゃ。そこで生まれた新政府は、廃仏毀釈と言ってそれまで信じてきた仏教や仏教施設を破壊しつくしてしまった。その結果200年もの間、他国との戦争はおろか自国内でも戦争なのかった平和な日本は大日本帝国憲法制定後、わずか50年間で日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦と4つの戦争に参加して、国が崩壊してしまったのじゃ」
「それと、これとは意味合いが違うのでは?そもそも日本の食文化は戒律で厳しく縛られていたものではないし、肉を食う様になったから好戦的になったわけではないだろう」
「根本的には違う。じゃが結果的には同じ道を歩むことになる。食文化を変えられると言うことは、食物自給率を変えられることに繋がり、これを輸入に頼ることになれば様々な事がその貿易相手国からの要求に左右されることになる。極東の日本が遥か太平洋の対岸の国、アメリカの手先のように動くようにな」
「しかし、それは……」
“ガサッ”
枯葉を踏む音が聞こえ、言葉を止めた。
しばらくすると、薪になる木を両手いっぱいに集めてきたヤザが入ってきて火をつけた。
薄暗い洞窟の中に橙色の光が灯ると、そこに写し出されたのはザリバンの首領とは思いもしない普通の元気そうな老人の姿があった。
「おお、ヤザが自慢する通り、こうして明るい所で見れば見るほど美人じゃのう」
「いや……」
ヤザが、珍しく照れていて、俺迄恥ずかしくなってくる。
バイクから飛び降りて、何とか渓谷を超えることは出来たものの、森へ入ったあたりから右足に痛みが走るようになってきた。
着地した際に捻挫したらしい。
“どうやら熱くなり過ぎて、無茶をし過ぎた様だ”
ナトーがいれば、治療してくれるのだが、奴は今俺が追っているから、ここには居ない。
とりあえず足をいたわらなければならないと思い、棒切れを拾い杖代わりにして歩く。
森の中にまともな道はない。
道に見えるだけの獣道は、その縄張り近くになると居場所を隠すため、道もいつの間にか消滅する。
その中で人間が使う道を探すのは、よそ者にとっては難しい。
しかし何としてもナトーを追わなければ。
自動小銃やヘルメットが谷に落ちていたことを考えると、本当に谷に落ちてしまったのかも知れないが、その考えを受け入れる気にはなれない。
奴の事だから、きっと平気な顔をしてアサムたちを追いかけているに違いない。
「……」
ナトーが、かつてのグリムリーパーであることは、あの戦場を見ても疑う余地はなさそうだ。
しかし、どうしてそのことに今まで気が付かなかったのだろう?
初めて彼女と出会った日、あの模擬市街戦で満点を叩き出したときに気が付くべきだったのかも知れない。
確かに俺も満点は出したし、その他にもう一人だけ満点を記録したものが居るが、両方とも初めての訓練で叩き出したわけではない。
それにベルを交えた射撃大会。
ベルは俺の兄が一度も破ることが出来なかった相手。
それをナトーは、いとも簡単に破ってみせた。
ナトーは、俺の兄を殺したグリムリーパー。
そして俺たちの仲間を沢山守るために、敵に鎌を振り下ろした。
彼女のおかげで第4分隊は、あの激戦の中、一人の死者も出さずに済んだ……。
もう止そう。
屹度、グリムリーパーはどこかの谷へ落ちて死んだ。
そして、ナトーは生きている。
深い森の中を歩いていると、遠くの斜面にふと灯がともるのを見つけた。
“ナトーか! それともアサム?”




