【Hans ③(ハンス)】
衣料品店を出て洒落た路地で車を止め、高級そうなレストランに入る。
「Bonsoir!」
店に入ってハンスが挨拶をすると直ぐにウエイターが来て、人数を聞く。
「Vous etes combine?」
人数を答えるときにハンスとお互いの顔を見合わせて笑って一緒に答えた。
「Nous sommes deux」
ウエイターが空いたテーブルに案内して、座ろうとする俺のためにワザワザ椅子を引いてくれた。
「ここは経費で落ちるから遠慮はいらない」
メニューを見ながら、小声でハンスが言った。
「経費でこんな所で食べられるなんて、もしかして歓迎されている?」
「誰が?」
「わ……」
そこまで言って、咳ばらいをして言い直す。
「俺に決まっているだろ」
「まあ上からは飯の準備が出来ていないから、外で喰わせて来いと言われただけで、誰もこんな高級レストランに行けとは言っていない」
「だけど、行くなとも言っていない」
ハンスに人差し指を突き出して言った。
「その通り。状況は常に有利なものにしなければならない」
したたかなハンスのふるまいに、2人で笑っているところにウエイターが注文を取りに来た。
「注文は決めた?それとも俺に任せる?」
ハンスが、そう言ったので
「I'll let go」と手を広げて見せた。
フランス語は喋れるけれど、まともに住んだ経験も無いのでマナーも分からなければ、高級料理店のメニューなど分からないのでハンスに任せた。
ハンスはウェイターと少し話をして、コース料理を注文した。
「ところで……明日からだが」
ハンスが身を乗り出すように腕組みをした肘をテーブルに着けて言った。
「明日から?」
「そう。“から”」
そう言うと内ポケットから折りたたまれた用紙を取り出し、俺の前に広げて見せた。
「これは!?」
「君の日程表」
用紙には一週間分のスケジュールが表に書き込まれていた。
先ず、明日は午前中3時間の筆記試験の後、午後からは健康診断があり、その後また2時間の筆記試験。
2日目は午前中3時間と午後4時間の講習。
3日目は午前中筆記試験のあと、午後からは技能試験。
4日目と5日目は丸一日かけて各種講習を受ける。
1日の休日を挟んで、次の週明けから6日続けて筆記試験を受ける。
ただし最初の週の初日に行われる筆記試験と2日目の講習を終えて3日目に行われる筆記及び技能試験の成績が基準点以下の場合、そこで不採用が決定し以降のスケジュールは行われない。
翌週に行われる6日連続の試験にしても、どこかで落第点を取れば、その時点で部隊から追放される。
「傭兵になるのは簡単なのかと思っていたけれど、こんなに大変だとは思ってもいなかったよ」
「いや、普通は簡単だ」
ここでウエイターが食前酒を持って来たので、用紙を折りたたんで、ポーチに仕舞う。
「なにこれ?」
俺の前に置かれたのは、桃色の炭酸水。
「それはベリーニと言って桃のピューレをシャンパンで割ったものだ。美味いぞ」
「ハンスの前に置かれた、その透明なのは?」
「これはスパークリング・ウォーター。車で来ているからね」
「すまない」
「いいさ、そんなに酒は好きじゃない」
二人でグラスを持ち上げて乾杯をした。
「君の未来に」
「ハンスの武運に」
カチンと澄み切った水色の音が鳴り、ベリーニを口に着けた。
果実の甘い香りと、シャンパンのスッキリした喉越しが疲れた体に染みわたる。
だが幸せに浸っている場合ではない、中断した話の続きを聞かなくては。
「話の続きだが、普通と言うと?」
「普通は最初にやったグラウンドでの試験にパスすれば、あとは中学生程度のごく簡単な筆記試験をして合否が決まる」
「じゃあ、道場での試合や、武器のメンテナンス、射撃の試験は?」
「もちろん普通は、無い」
「酷いな」
そう言って、俺はハンスを睨んだ。
「おいおい、この試験を指図したのは俺じゃないぜ」
「そうだな、すまない」
そこで食事が運ばれてきたので、いったん話を止めて食事を楽しむことにした。
色鮮やかで可愛い野菜とサーモンのオードブルを食べたあと、澄み切ったスープが運ばれ、オードブルの皿が片付けられた。
「一つずつ、なんだね」
「全部一緒に来るとでも?」
「だって、フリーペーパーなんかには沢山皿が並べられているじゃないか」
「ひとつずつ乗せたらページが沢山要るだろうし、訳が分からなくなるだろ?」
「なるほど、考えたものだね」
俺の答えを聞いてハンスが笑う。
「えっ? なにが可笑しい?」
君は、あれだけ強くて、銃の扱いにも長けているのに、まるで子供みたいだな。
「そうか?」
「親は何をしている? 出身は?」
「親は知らない。物心ついた時には中東にいたけど、産まれたのはそこじゃない気がする」
ハンスがスプーンをテーブルに置き「すまない」と言った。
「いいんだ。気にするほどのことじゃない。生まれつきだから何とも思わない。さあ!次は、どんな御馳走が来るんだ?」
俺は努めて明るく言った。
運ばれてきたのはシュリンプを使った料理。
白い皿に、朱色のシュリンプと黄色いクリーム、それを彩るクレソンの緑が、とても綺麗。味も癖がなくスッキリしていて美味しい。
それを食べ終わると、シャーベットが出て来た。
「これで終わり?」
「いや、次に肉料理が出てくる」
その言葉は、なにか考え事をしているように感じたが、今はスルーしておいた。
ハンスが言った通り次にボリュームのある肉料理が出されて、その後にフルーツのデザート。
そして最後に俺には紅茶、ハンスにはコーヒーが出された。
紅茶を飲みながらハンスに聞いた。
「一体何を考えていた?」
「なにも」
「1週間だけの付き合いになるかも知れないから、隠し事は無しだ」
俺がそう言うとハンスは重い口を開けた。
「一体何がある」と。
「何があるとは?」
「外人部隊は女を募集していない。だから、君がいくら入りたいと言って来ても、それは却下される。そもそも君がここに来る前から、その事は分かっていて来させないために分隊からフランシス、ジェイソン、ボッシュの三人を出した。あいつらなら素人を追い返すには丁度いいからな。そしてこれが第一試験だった」
あの郊外で俺を襲った奴らのことだ。
「偶然、出くわさなかったのなら却下することも出来る約束だったが、君は三人を倒してここまで来た」
「約束? 誰と?」
「相手は知らない。屹度、俺では手の届かない上の方の奴だ。だから君は、その手の届かない上の方に居る親しい人にでも頼んで入隊を希望しているのだと思った」
「だけど俺は、全くの孤児で、コネなどはない」
「俺は上から、出来る限り入隊を阻止するように試験をしろと言われたが、無駄だった。君は全てにおいて最高の成績を上げたから」
「ハンスには負けたけど」
「俺くらいには負けろ。なにせ俺はここのチャンピオンだからな、俺まで負けたら面目丸つぶれだ」
そう言うと、久し振りに明るく笑った。
「だが、正直モンタナとブラーム……モヒカンと黒い男だが、あの二人があれほど簡単にやられるとは思ってもいなかった。言っておくが俺の部隊は、ここで最強の特殊部隊で、あの二人はその中で最も腕の立つ第四分隊のエースだ」
「道理で強いと思ったぜ、ほんの少しでも間違えば、秒殺されたのは俺の方だったからな」
「何が動いているのか知らん。だが、明日から始まる試験、舐めてかかるなよ」
ハンスの言葉に、今度は俺が笑う。
「何が可笑しい」
「だって、落とすように命令されていたんじゃなかったのか?」
「Fuck!!」
ハンスが天を仰いで小さく言って、二人で笑った。