【Hans ②(ハンス)】
いつの間にか眠っていた。
そして久し振りにサオリの夢を見た。
お正月に、お雑煮を食べたときの夢。
おかわりをした容器には“お餅”が2個入っていて嬉しかった。
それからサオリから日本の話を沢山聞かせてもらい、お昼には、そのお餅を焼いて食べた。
四角い塊が、焼いて行くとだんだん膨らみ始めて、膨らみ切ろうとした瞬間に小さな穴が開き、まるで疲れたようにプウ~っと息を吐いて萎むさまが、とても可笑しくて笑った。
何個も何個も同じように焼けるのに、それを見るたびに笑い、涙が出てお腹が痛くなるほど笑った。
笑い過ぎたところで目が覚めた。
目が覚めても、あの頃のことを思い浮かべる。
一生に一番笑った日。
もう、あの日には戻れない。
小窓の下から車の止る音が聞こえた。
時計を見ると、まだハンスが来るまでには30分ほど時間があったので、シャワーを浴びて洗面所で歯を磨いた。
あいにくドライヤーは無かったが、ショートヘア―なので乾きは早い。
タオルで髪を乾かしているとき、また車の止る音。
時計の針は18時09分。
屹度、ハンスだ。
ワザとらしい大きめの足音が近づいて来て、ドアの前で止まりノックされる。
時計を見ると18時10分ジャスト。
「いいよ」
ドアが開くと、そこにはパリッとした礼装用の軍服を着たハンスが居た。
「行くぞ」
「どこへ?」
外出するとは聞かされていたが、どこへ何をしに行くとは聞かされていなかったので聞くと、食事と買い物に行くと答えが返って来た。
お金の余裕があまりなかったので気が進まなかったが、わざわざ礼装で来てくれたのだから今更断るわけにもいかないので従った。
車はエレガントな赤いメタリックの洒落た奴。
「ハンスの車?」
「そうだ。あまり使わないが見栄を張って買った日本車だ」
日本という響きが嬉しくて、直ぐに乗った。
「何故、日本車を?ここはフランスだろ」
「ここはフランスだが、俺はドイツ人だ」
「ドイツ人なら、メルセデスかBMW、それにフォルクスワーゲンじゃないのか?」
「それも良いが、日本車程丈夫じゃない。なにせ数か月ほったらかしにしていても直ぐエンジンが掛かるからな。ブランドよりも車としての信頼度は遥かに高い」
ハンスが日本車の事を快く思ってくれていると、まるで自分が褒められているように嬉しくなる。
「お前、日本車が好きなのか?」
「いや、俺は日本が好きで、いつか行ってみたいと思っている」
「それは残念だ」
「なぜ?」
「入隊できたとしても、日本に派遣されることは無いだろう?」
そう言ってハンスは笑い、俺も笑った。
婦人用衣料品店の前で車が止った。
「行くぞ」
「女装するのか?」
「俺じゃあない。お前の服を買う」
このままで良いと断ると、困ると言ったので、何故困る必要があるのか尋ねると「その服装では俺が困る」と返された。
「何故ハンスが困る?」
「夜の街で、丈の短い革ジャンに破れたカーゴパンツじゃ、まるでコールガールじゃないか」
「でも、俺はコールガールじゃないし、彼女たちのようにケバイ化粧もしていない」
「化粧をしていなくても、お前は……」
「?」
「いや、何でもない。兎に角、俺が買ってやると言うんだから素直に命令を聞け!」
「俺はまだ入隊もしていないし、ハンスの部下でもないから命令には従わない」
ハンスの表情が少し曇る。
「だけどプレゼントを断る理由もないから、店には入るけど、あとで高くついたと文句を言われても知らんぞ」
偉そうに、そう答えるとハンスの表情が明るくなるのが分かった。
「文句など言わない。むしろ金の使い方を知らない俺にとっては有難いくらいだよ」
「ホントかなぁ」
そう言って笑いながら二人で店のドアを潜った。
お店に入り真っ先に目が移ったのは綺麗なドレスだったけれど、直ぐにそれから目を逸らした。
注意深いハンスが、このドレス似合いそうだと言ってくれたけど、それを無視して俺は違うコーナーに向かい手に取ったのは黒いスーツ。
「これでいい」
「黒?」
「黒は駄目か?」
「似合うとは思うけれど……これはどう?」
ハンスが手に取ったのは、凄くお洒落な明るいグレーのチェックのスーツ。
「似合うか?」
「黙っていれば……」
「酷いな」
俺はそれを手に取り「まあ、何でもいいや。腹が減ったから手っ取り早く終わらそうぜ」と言って手に取った。
結局スーツの他にシャツと靴、それに寝間着代わりにスエットを買う。
お店の人にことわり会計を済ませた後に試着室で買って貰ったものに着替えると、店主らしい女性が軽くお化粧をしてくれて、素敵なポーチをプレゼントしてくれた。
「どう?」
「別人だな」
「別人とは、何がどう変わったのか言いなさい」
「猿が二本足で立った」
あまりにも酷過ぎる例えに、車の中で大爆笑した。