【Premonition of sad love①(悲しい愛の予感)】
外人部隊の基地でナトーを降ろすと、エマはそのまま車を出した。
空になった隣の席に冷たい風が入るような寂しさを感じずにはいられなくて、ずっと我慢していた涙が溢れ出し、ゆっくりと頬を伝っておちる。
負傷したトーニとブラームの2人と一緒にゴーマ空港からコンゴを飛び立った時、沢山の子供たちを爆弾で殺しちまってふさぎ込んでいたトーニを慰めるために、自分はグリムリーパーだとナトーが言った話を聞いてから妙な胸騒ぎに襲われていた。
死神はフランス語でラモール(la Mort)、トーニの母国であるイタリア語ではモルテ(Morte)。
英語にしてもデス・ゴッド(Death God)が一般的で、グリムリーパー(Grim Reaper)と言うのは“残忍な刈り手”と意味で使われ余り一般的とは言えない。
そしてそのグリムリーパーと言う名前こそ、国連イラク治安維持部隊にとって最も恐れられたザリバンの狙撃兵に当てられたコードネーム。
DGSE(対外治安総局)の中東担当になった時、ある時から急に行方を眩ましてしまった“グリムリーパー”について興味を持って調べたことがある。
確実に死亡が確認された訳ではないから、最後の狙撃から7年以上経った今でも現地に派遣された部隊では“グリムリーパーは、まだ生きている”と恐れられている。
敵も味方もその正体を知らない。
捕虜のザリバン兵を尋問したところ、ある者は屈強な若者だと言い、またある者は老兵だともいう。
子供だとか、アラーの化身だと言う者も居た。
謎に包まれた狙撃兵、それがグリムリーパー。
そして彼が行方を隠す前、最後の射殺相手が、射撃の元オリンピック銀メダリリストでKSK(ドイツ連邦陸軍特殊部隊)の『ローランド・シュナイザー』
そう。
LéMATの隊長ハンス・シュナイザーの実兄。
そしてハンスもこの作戦に通信士として参加し、目の前でお兄さんが撃たれ、自分も背中を負傷した。
もしも……もしも私の不安が的中してしまい、グリムリーパーの正体がナトーであったなら。
ナトーは、密かに思いを寄せる、ハンスに怪我をさせ、その兄を戦場で射殺してしまった事になる。
しかも、ハンスの目の前で。
そして、ハンスにしても、自分の命に代えてでも守り抜きたい存在のナトーが、まさか復讐の相手だとは思っていない。
復讐……そう、彼がKSKを辞めてまでフランス外人部隊に入隊してきたのは、恐らくは兄の復讐のためだろう。
神様は意地悪だ。
何十億人も居る男と女の中から、ナトーとハンスを巡り合わせるとは、なんて無慈悲なのだろう……。
二人のことを思うと辛くて胸が苦しくなり途中で車を止め、さっきまでナトーが座っていた席に抱きつくように泣き崩れた。
路肩に停められた黒のプジョー508GTの横を、家路へと急ぐ車たちが抜いて行く。
エマは、いつまでも時を忘れたように、そこに留まっていた。
「ようナトーじゃねえか!リハビリがてら散歩をしていると、たまには好い事もあるもんだな」
旅から帰って来たナトーが帰って来るのを朝からずっと門の内側で待っていたトーニが、門の向こうに止まったエマの車から降りて来たナトーを見つけ急に腰を上げ歩き出したものだから、守衛や受付係の兵士たちがみんな顔を赤くして吹き出しそうになるのを堪えていた。
入門手続きと、持ち物検査を終え中に入る。
「やあ、トーニ。リハビリ頑張っているな。朝から歩いているのか?」
「あたぼうよ!」
「もう何周回った?」
「そっ、そうだなぁ……ご、50周くらい周ったかな……」
話が聞こえたのか、とうとう守衛の一人が噴き出して笑い出すと堰を切ったように他の者たちも笑い出してしまう。
「おいコラ!何が可笑しいんだか知らねぇが、部隊の顔でもある門でヘラヘラ笑っていたら世界最強の外人部隊の面汚しじゃねえか!恥を知れ、恥を」
確かにトーニの言う通りだが、それを充分承知しているはずの彼らを笑わせたのは、屹度トーニ自身なのだろうと思った。
「なあなあ、ナトー。お土産は買ってきたんだろう?」
“しまった!”
みんなと一緒に呑もうと思ってミヤンのお父さんが作った自家製ウォッカと、ウクライナで買ったホリールカを土産に買ってきたけれど、個別にはハンスとブラームにしか買っていなかった。
ちなみにハンスに買ったのは巣を守るハゲタカがデザインされた記念コインをキーホルダーにしたもの。
俺のせいで負傷させてしまったブラームにはハチミツを買ってきたが、俺の制止も聞かずに迂闊にも脱出するトラックから勝手に落ちて怪我をしたトーニの分は買ってきていない。
と言うより、個別にお土産なんか選ぶ暇など殆ど無かったから、忘れていた。
それでも朝から……いいや、ひょっとしたら昨日から門の前で俺の帰りを待っていたトーニが可哀そうになり、バッグを開けて何かお土産になりそうなものは無いかと探していたら“有った!”
それはベラルーシからウクライナに向かう寝台列車の車中で渡された、朝食の入ったBOX。
おまけで、悪いかとも思ったが、何もないよりはマシだろうと思ってそれを渡すと、トーニが歓声を上げて廊下の向こうに走って行った。
屹度、皆に見せびらかすつもりだろう。
なんとも無邪気――。
「今戻ったのか」
「ハンス」
驚いて振り返った俺の顔を見て「どうした?まさか1週間合わないうちに、背が伸びたとか言わないだろうな」と言って笑う。
その笑顔を見て、素直に昇進の事を喜べそうな気がした。
「大尉昇進おめでとう。ハンスがいなくなって寂しくなるけれど、普通科でも頑張ってくれ。――あっ、これ俺からの勲章替わり」
ポケットからコインのキーホルダーを出して、その広い胸のポケットに掛けてあげた。
ハンスは胸にかけられたキーホルダーを手に取って「巣を守るハゲタカか、ナカナカ好い勲章だ」と言って、また俺が掛けた場所に戻す仕草が、いつまでも大切にしてくれそう。
とても嬉しくって、それがなおさら別れを悲しく感じさせ、鼻がツンとしてきた。
ヤバイ。
このままじゃ、泣いてしまいそうだ。
「じゃあ。……俺は部隊に帰る」
涙を見せないように、ハンスに背を向けて宿舎の方に向かおうとしたところ「待て!」と、いきなり肩を掴まれた。
最初は右肩、そして俺が止まると左肩にも手を添えられた。
「別れはしない」
「でも、大尉に昇進するって事は、中隊長になるって事だろう……」
背を向けたまま、聞いた。
「いや、指揮権を俺たちLéMATが持てるように変えて見せる」
「LéMATが……」
「そう。もうコンゴのようなゴタゴタは御免だからな」
両肩に置かれた手の温もりと、いつもより優しい言葉が嬉しくて、振り向きたくなるのを我慢する。もしも今振りむいてしまいハンスの優しい顔を見たら、衝動的にその胸に飛び込んで泣いてしまいそう。
そんな姿を誰かに見られたら、俺は部隊から追い出されて、ハンスにも迷惑が掛かる。
屹度、止められない。
だから俺は我慢して前を向いて歩くことにした。
「……そうなる日を、待っている」
俺の肩に乗せられていたハンスの手から、スーッと力が抜けて外れる。
俺はその温もりを確りと心に抱きしめて、宿舎に向かう。
ハンスの足音は聞こえない。
まだ立ったまま、俺を見ているのだろう。
“何故、戻ろうとしない!”
“何故、追いかけてくれない!”
戻ってくれれば気が休まる。
追いかけてくれれば、俺は屹度何もかも捨てて、ハンスの胸に飛び込んでしまうだろう。
しかし、ハンスは何もしなかった。
俺が宿舎に消えてしまうまで。