【Enlistment test Martial arts ①(入隊テスト、格闘技①)】
俺が指名した三人は更衣室で武道用の服に着替えて来た。
まだ入隊していない俺がギャラリーの前で着替えさせられたのとは違い、少し差別を感じたが、その分倒してしまう楽しみも増えたというもの。
最初の相手はモヒカン野郎。
こいつはまるでゴリラの様に逞しい。
瞬殺しなければ、屹度勝ち目はないだろう。
「ルールは、いつも通り噛み付き以外は何でもあり。ダウンは片方が立った状態で5カウント、降伏は相手の体か畳を三回叩く。試合時間は“はじめ”と合図してから5分だ」
ハンスがルールについて説明し、俺とモヒカンは向き合う。
モヒカンは拳が畳に着くほど低くした体制で、俺を睨む。
この姿勢は、開始と同時に突進してくる態勢。
見た感じでも120㎏は軽く有りそうな男の突進を、まともに受けてしまえば俺の負けは直ぐにも決まってしまう。
そればかりか、次の男との対戦もままならないだろう。
そしてハンスが開始の合図を告げる「はじめ!」
モヒカンは、降ろした拳を一旦畳に着けたかと思うと、予想通り突進してきた。
“相撲ファイター!?”
高速で強烈な張り手を使い、対戦相手が近づくことを許さない相撲ファイターは手強い。
仮に、その張り手を掻い潜って懐に潜り込めたとしても、強烈な腕力で投げ飛ばされるか、掴んだ腕を締め上げられるかのどちらかが待っている。
どう戦うかはさて置いて、この突進だけはかわさなければならない。
相撲ファイターの突進は、横の変化には弱いはず。
そう思い、闘牛士のように素早く体を横方向にずらす。
一先ずこの突進は避けられたと思った瞬間、斜め前のモヒカンの目が俺を捉えニヤッと笑う。
“こいつは、相撲ファイターじゃない!アメフトだ!!”
慌てて仰け反るように身を伏せると、俺を掴もうと広げられた太い腕が髪をかすめて通り過ぎた。
まともに喰らっていたら、次の対戦どころか首をへし折られて、この世ともオサラバだったろう。
かわされたモヒカンが向き直りニヤッと笑う。
「よく避けたな、さすがにフランソワ達を30秒で倒しただけのことはある。だが次は避けられるかな」
そう言うと、また低い体勢から突進してくる。
足運びを左右に広く取って、横方向の対応に備えていやがる。
これでは多少かわす程度だと、今度は簡単に捉えられるだろう。
恰好悪いのは承知の上で、俺は車に引かれそうになって慌てて逃げようとする猫のように飛びのいた。
そのザマを見たギャラリーたちが囃し立て揶揄うが、そんな声など俺の耳には届かない。
「いつまで逃げ続けるつもりだい?お嬢ちゃんよぉ」
モヒカンが笑いながら言う。
前歯の無い、意外に愛嬌のある笑顔だと素直に思った。
その無くなった前歯は、自身の弱点になるから、ワザと抜いているのだろう。
今回は猫のように逃げられたが、次はすくい取られてしまう。
思い切ってまともに受けて、その顔面に膝蹴りでもお見舞いすれば倒す可能性はあるかも知れない。
だが、その場合モヒカンのタックルをまともに喰らって仕舞うから、こっちのダメージも大きいだろう。
俺は目を瞑り考えた。
そして、モヒカンが三度目の突進を始めた。
記憶の奥からふと、サオリの声が聞こえた。
“だからナトちゃんは、私に勝とうと思って挑んでくるから勝てないのよ”
『サオリは、どうしてそんなに強いの?』
“私は、常に自然体でいるから”
“ナトちゃんは襲ってくる相手にどうする?”
『戦う』
“私は逃げる”
『逃げたら、ズーっと追いかけられるじゃない』
“だから、追われないように逃げるのよ”
再び目を開けると、モヒカンは直ぐ目の前まで来ていた。
俺は二回目と同じように身をかわす。
モヒカンの手が伸びてきて、俺の衣服の袖を掴もうとする。
“さすが、有言実行だな”
俺は、その手を両手で温かく包むように迎える。
そう、まるで親愛なる友の手を握るように。
ただ違うのは、その行為の中に“捻る”と言う動作が加わる事だけ。
捻りついでに大きく弧を書くと、モヒカンの体は捻られた腕の描く円をなぞるように大きく回り、そして畳に仰向けに倒れた。
モヒカン自身が発生させた、強烈なタックルの運動エネルギーがそのまま畳に吸い取られ大きな音に変わる。
すかさず俺は小躍りする子供のように翔び、モヒカンの仰向けに倒れて開かれた衣服から隆々と見える胸の筋肉の下側、胸筋と腹筋の境にある最も低い谷間に踵を落す。
モヒカンの閉ざされた口が開き、幾つものシャボン玉が舞った。
「それまで!」
俺の次の攻撃を止めるためなのか、ダウン5秒のルールを無視してハンスが止める。
むろん俺はもう攻撃などしない。
もうモヒカンは俺を襲うために、追ってはこないのだから。
倒れたモヒカンを四人の男が手足を掴んで場外へと運ぶ。
「なんて重い野郎なんだ」とブツブツ言われながら。
「おい、17秒だぜ!」
「そりゃあデンゼル。ワシシ●ト●より、二秒早いぜ」
さっきから一番多くヤジの言葉を投げている小柄な男が、映画の中で黒人の有名な俳優が演じたヒーローが相手を倒すまでの時間を引き合いに出して言うと、ギャラリーの中から素っ頓狂な声があがる。
”ヤジ将軍め……”
俺が睨むと、ヤジ将軍はバツが悪そうに首を引っ込めた。
どよめきの中、二人目の黒い男が畳へと上がった。
さっきのモヒカンとは違い、体は多少スリムだが異常なまでに手足が長い。
そして拳には小さなグローブ。
ボクサーか。
打撃系の相手の場合は指関節を狙って相手を倒すことが多いが、グローブをされた手では、それが緩衝材の役割を果たすので決めにくい。
喧嘩ファイターなら、それでも肘を使い易いが、こいつはどうやら本物のボクサーらしいから簡単にはいきそうにもない。
「はじめ!」
ハンスの声が開始を告げる。
リーチの長い相手。
それよりも気になるのが、リーチよりもはるかに長い脚。
間合いを少し長めに取る。
黒い男は、ピョンピョンと小刻みにリズムをとるように俺を中心にして回り様子を窺い、時折牽制のために小さなパンチを出しては直ぐに後ろに下がり、俺の手の内を探る。
俺が牽制のために間合いを詰めると、案の定その長い足が前に出る俺を威嚇するように俺の太ももを襲ってきた。
咄嗟に腕を交差させてさばく。
“パン”と言う大きな音が道場の中に響く。
「こりゃあ、効いたぜ!」
ヤジ将軍が言った。
音は人の気持ちを揺り動かす。
優しい音が気持ちを穏やかにするように、打撃音が大きければ大きい程効いたように感じるもの。
だが、ヤジ将軍も他のギャラリーも、そして黒い男も知らない。
運動エネルギーが音エネルギーに変換され、打撃による効果が著しく弱まったことを。
案の定、黒い男は二発目も同じように狙ってきた。
右回し蹴り。
俺はそれをクロスさせた右手で捌き、男の横にまわる。
慌てた男が、すかさず右の裏拳で反撃に出るが、体が左方向に流れているために遅い。
俺は、その腕を容易に掻い潜り右わき腹に膝をお見舞いする。
男の上半身が右に捻られる力と、俺の膝の力が重なり合い、鈍い音が響く。
そして、そのまま膝を降ろさずに足を天高く舞い上げ、無防備になった顎を狙う。
黒い男が俺を捉えようと右に顔を向けたタイミングと、突き上げた踵が伸びきるタイミングが丁度重なり合い、カウンターとなる。
一瞬、黒い男の体が浮き、そして畳に落ちる。
バタン!
黒い男が畳に沈みハンスがカウントを数えるために近づいたが、直ぐにタオルと氷を持ってくるように伝えたあと「勝者ナトー」と俺の名前を呼んだ。
「おい、また記録更新だぜ――」
ヤジ将軍が言った言葉に、もう誰も反応するものはいなかった。