【In Myan's room ...③(ミヤンの部屋で)】
ベラルーシに到着した日はミンスクのホテルに1泊して、次の日に電車でマワジェチュナまで行き、乗り換えてポラツクまで行き、そこでまた乗り換えた。
どの路線に乗っても車窓からは緑豊かな森が途絶えることは無い。
森の中にポツンポツンと点在する家々の間にも、また木々が沢山植えられていて、パリなどのゴミゴミとした住宅地とまるっきり違い、まるで自然と調和した別荘地帯のように見える。
そして空は秋のように青く澄み切って高く、清々しい。
森の緑と空の青さはコンゴと左程変わらないけれど、この土地の風景が特別なもののように感じるのは、気温の他にミヤンが育った場所という思いがあるからだろう。
早朝にミンスクを出て、最後の駅ヴェルフネドヴィンスクに付いた時はもう午後2時を回っていたが、退屈では無かった。
電車に乗っている間はずっと語学の勉強に時間を当てられたし、疲れた目の休憩のために車窓から外の景色を眺めると、どこの景色もまるで絵本に描かれるような美しいものだったから。
電車を降りてホームから見える周りの景色を見渡して驚いた。
そこには薄いベージュ色の教会のように綺麗な駅舎以外は、周り中が木々の緑色と空の青色に包まれていた。
なんという美しさなのだろう……。
しかし感動もしていられない。
この様子では、ここにはホテルは無さそうだ。
ミヤンの家に寄った後は、ポラツクまで戻らないと宿は取れないだろう。
駅の時刻表で最終のポラツク行きの電車を確認して駅舎から出た。
ここからはタクシーに乗ってミヤンの家に向かう。
……と、その予定だったが、駅舎を出ても肝心のタクシーが居ない。
一応看板は立っているものの、電車が到着した時点で車が居ないということは、ただ待っているだけでは来る見込みは薄いと言うことだろう。
駅員に聞けばタクシーの手配の仕方を教えてくれるかもしてないと思って、再び駅舎に戻ろうとしたときに名前を呼ばれた。
「ナトーさん」
知らない土地で、知らない人に声を掛けられることはない。
しかもロシア語圏内の中にあって「Miss Natow?」と英語で声を掛けられた。
確かに今の格好はスーツスカートだから、俺を見ても女だと言う事は分かるが、名前までは分からないはず。
もしも分かる人が居るとするならば、今日の午後に訪問することを伝えているミヤンのご両親しかいない。
「ミヤンさんですか?」
見るからに穏やかそうな痩せ型のおじさんがそこに居た。
ミヤンが、そのまま歳を取ったらこうなるだろうと言うくらい似ている。
「そうです。父のグレゴリー・ミヤンです。息子が大変お世話になりました」
ミヤンのお父さんの車に乗り家まで送ってもらった。
途中の公園でレーニンらしき銅像を見かけたが、ソビエト連邦崩壊後に各地でこの像は破壊され撤去されたのに、ここベラルーシでは街のあちこちでこの像を見かけるのは法律で保護することになっているから。
そして同じくソビエト連邦崩壊と共に消滅したはずのKGBも、ベラルーシ国家保安委員会としてそのまま残っている。
ルート20を走りダウガヴァ川を渡る。
森に囲まれた綺麗な水の流れる川だが、コンゴの派遣先の傍を流れていたカフェオレ色のリュウル川に似た感じがした。
橋を渡るとルート20から離れて北に向かい、しばらく進むと道路の舗装が無くなる。
ほとんど凸凹もなくフラットで走りやすい道だが、森や草原に囲まれた所もまたコンゴによく似ている。
違うのはここには雨季が無いので赤土が剥き出しではく、草がはえているところ。
約20分のドライブで綺麗な一軒家に着いた。
芝生の上に車が止まると、お父さんよりも少し背の低いお母さんらしき人が玄関にあるデッキの上に出て出迎えてくれた。
こちらもミヤンに似た、静かそうな面持ちをしている。
スーツケースからカメラを取り出してバッグに入れ、スーツケースは持って出た。
ミヤンのお母さんは、俺の顔を見た途端「ああナトーさん」と言って駆け寄って来たかと思うとハグされて、そのまま泣き出してしまった。
しかし、どうしてミヤンの両親は俺を見つけるなり「ナトーさん」と言うのだろう。
たしかに電話で訪ねる事は伝えていたが、それはミヤンが所属していた分隊長のナトー軍曹だとしか伝えていないし、俺の声はハスキーだから電話の声だけで性別を判断するのは難しいはず。
そのうえ今の服装はスーツスカート。この姿を見て誰も特殊部隊の分隊長だとは思えないはずなのに、何故……。
スーツケースを玄関に置いて部屋に入ると、小麦粉の焼ける良い香りが立ち込めていた。
「珈琲になさる? それとも紅茶?」
お母さんに聞かれたので「珈琲」を頼むと、直ぐに珈琲の香りが長旅の疲れを癒してくれた。
卓上に珈琲が置かれ、その隣にはピロシキが並べられた。
「さあ、どうぞ召し上がれ」
朝からミネラルウォーターしか胃の中に入れていなかったので、嬉しかったが俺はここに御馳走をよばれに来たわけではない。
もちろん失礼の無いように、出された物は頂くが、その前に息子さんを死なせてしまった事を謝らなくてはと思い、席を立とうとした。
すると、それまで穏やかな顔で微笑んでいてくれたミヤンのお母さんが、立とうとする俺の手を握り俺が立とうとするのを止めた。
驚いて、見ると、その眼は涙で濡れていた。
「いいの。謝らないで頂戴」
「そう。軍人……それも激戦地に飛ばさることの多い外人部隊に入った事と、それを止めなかった私たちこそがいけなかったのだ」
泣いているお母さんの背中を摩りながら、お父さんが気丈に言った。
「いえ、ダヴィト(ミヤンの名)さんは何も悪くはないのです。彼は平和に暮す人たちやや、平穏な景色がとても好きでした。そして御両親も悪くはない。悪いのは全て戦争やテロが起きるということで、その渦中にあって何も真実を知らないまま戦いに狩り出される人間も、人として恥ずべき行動をとらない限り何も悪く貼りません。悪いのはその戦争を仕掛けた人や組織です。ただ……ただ息子さんを戦死させてしまった事は、分隊長としての私の責任です。あなた方はコンゴの敵の姿も顔も知らなければ、会う事だって叶わない。だからあなた方の怒りや悲しみの矛先として私は参りました。どんな言葉や、仕打ちも受ける覚悟です。ですから、どうか――」
「ダヴィトが言っていた通りの人ね、お父さん」
そう言うと、お母さんが俺に抱きついて来た。
「ああ、その通り。頑張って特殊部隊の隊員になって良かったな。こんな良い隊長に出会えるなんて……」
お父さんが、泣いているお母さんの背中を摩る。
俺は何も言えずに、窓の向こうに映る青い空を顔を上げて、涙が零れないようにただ黙って見ていた。