【Inquiry meeting(査問会議)】
コンゴでの活動を終えた俺たちは、パリに戻って来た。
空港には将軍とブラームに押されて車いすに乗ったトーニ、そしてエマやリズと一緒にベルとミューレが出迎えに来てくれた。
「いよう。お疲れさん」
「トーニ、どうしたんだ。てっきり松葉杖から解放されて歩いているものだと思っていたのに退化してしまって」
結局ワリカレの病院にはレントゲンもなく、骨折した個所をギブスで固定するのが精一杯だったから、パリに戻ってから手術をすることになったらしい。
術後の経過は順調らしいが、このイタリア人は車いすに乗っていると看護師さんからチヤホヤされることを知り、今ではスッカリこの車いすがお気に入り。
しかも車いすに乗っていると視線が低いから、ミニスカートのお姉さんも堪能できると言うオマケ付きなのだから、つくづくしょうがない奴だ。
「大変だったな」とベルが言ってくれた。
「ミヤンの事は残念だったね」とリズが心配してくれた。
「しばらくは内勤で、カウセリングが待てるぜ」とブラームが言う。
「確かに、戦場と言うヤツは過酷だから隊員たちの神経もボロボロだろうからな」とミューレが心配して言ってくれた。
ひとりひとりの小さな一言に、大きな気遣いを感じ、無事に帰って来たことを嬉しく思った。
最後に将軍から「酷い任務に就かせてしまったが、みんな良く頑張ってくれて、ありがとう」と礼を言われた。
与えられた任務を全うするのが兵隊の務め。
“よくやった”と褒められる事はあっても、“ありがとう”と感謝されたのは初めてだった。
基地に戻ると、直ぐに健康診断があり、そのあとはブラームが言っていた通りカウセリングがあった。
普通科の連中は、これに引っかかる奴が多かったが、俺たちLéMATのメンバーはハバロフが軽い経過観察になっただけ。所詮俺たちはミリタリーマニアの集団ではない。
既に心に傷を負い、それを克服してきたスペシャリストの集団だ。
ハンス達将校連中は、赴任期間中の報告書や会議に追いまくられていた。
士官の業務は大変だと他所事のように思っていたが、訓練中に呼び出しを喰らった。
広い会費室にはテシューブを筆頭に、事務方の上役が勢ぞろいしていて重々しい雰囲気。
何のことかと思えば、あの反政府軍を一網打尽にした夜の戦闘に関する聞き取り調査。
査問委員会だ。
「報告書によるとナトー1等軍曹は、5月22日21時15分ケビン中尉が戦死した代わりに小隊長の任務に就いたソト少尉に無断で政府軍のニョーラ司令部と無線連絡を取り、和睦調停を一方的に破棄したとあるが、間違いないか」
「和睦調停ではありません。敵が言ってきたのは降伏勧告です」
「YesかNoで答えなさい。それに敵と言う言葉は不適切である。連絡してきたのは間違いなくニョーラ司令部ですね」
「Yes」
「ここまでの時点で死者1名負傷者7名の損害を出している。和解案に応じていれば、その後の5名ずつの死者と負傷者を出さずに済んだのではなかったのか」
「No」
「どうして、そう言いきれますか」
「その質問にはYesかNoでは答えられませんが」
俺の発言に、質問官は嫌な顔をして「この質問に対し口答を許す」と気取って言った。
「ニョーラの司令部は、降伏後に武装解除して、ニョーラ及びムポフィ―のコンゴ政府軍に投降せよとは言わなかった。彼らは我々が対峙していた反政府軍の居る東に進むことを要求してきた」
「その情報は、ソト少尉をはじめ集まった下士官全員が聞きましたか」
「No」
「では、誰が聞いていますか?名前で答えなさい」
「分隊通信士のハバロフ1等兵です」
「報告書によりますと、その時ソト少尉は小隊本部の無線機で連絡を取ろうとしたそうですが、貴方はそれを拒否したとありますが間違いありませんか」
「Yes」
「何故、小隊本部の無線機ではなく、感度の弱い分隊無線機を使ったのですか?口答で説明しなさい」
「小隊本部の無線機は出力が強いので、反政府軍にも聞かれる恐れがあったからです」
「その情報を受けた時の通信状態は良かったですか」
「No」
「ハバロフ1等兵が、嘘または間違った情報を流した、もしくは聞き間違えた可能性を考えませんでしたか」
「Yes 考えません。彼は優秀な通信士です」
「彼は入隊してまだ2年しか経たない1等兵で、大学も出ていない工業高校出の上に通信業務に携わった経歴も有りませんが、そう言いきれる根拠は何かありますか。あるなら口答で説明しなさい」
「根拠は有ります。それは下士官である自分の目です。彼はいつも落ち着いています」
「具体性に乏しいようですが、資料として提出できる資格や証明書はありますか」
「Not しかし10年やろうが20年やろうが駄目な奴は居る。大学だってそれは学歴であって、それが現場での決定的な優劣にはならない。肝心なのはその人の人間性や資質や素質、それを見分けるのが下士官であり将校である上司の役目ではないのですか」
「ナトー1等軍曹、ここは貴方の個人的な意見を聞く場ではありません。書記官、今のNot以降の発言を削除しなさい」
書記官の男は黙ってカチャカチャとキーを叩いて削除した。
「では次、5月23日0時00分貴方は分隊を連れて普通科第1分隊のエラン2等軍曹、同じく第3分隊のト3等軍曹の分隊と共に、敗残兵の討伐に向かったと有りますが間違いありませんか」
「Yes」
「3つの分隊で総勢何名でしたか」
「26名です」
「敵が潜んでいると思われる地域の傍で、貴方は敵の見張り3名を捕らえたと有りますが間違いありませんか」
「Yes」
「それは、貴方一人で捕らえあたのですか」
「No」
「では、誰と協力しましたか、名前で答えなさい」
「同じ分隊のブラーム兵長と、フランソワ上等兵です」
「3人の捕虜を尋問しましたか」
「Yes」
「それは規則にのっとった正しい尋問ですか」
「Yes」
「それを証明できる人は居ますか」
「Yes」
「それは誰ですか」
「ほぼ26名全員です」
「尋問内容もその26名が証明してくれますか」
「No」
「それは何故ですか、理由を答えて下さい」
「スワヒリ語で会話したからです」
「以前からスワヒリ語を話せたのですか」
「No」
「では、いつ覚えたのですか、覚えた時期を答えて下さい」
「今年の3月くらいからです」
「何故3月からスワヒリ語を習おうと思ったのですか?動機があるのなら答えて下さい」
「偶然会議室から暗い顔をして俯いて出て来る、将校や外務省の人たちを見ました」
「それは見つけて、情報を聞き出したと言うことですか」
「No」
「では何故」
「自分でも分かりませんが、酷い赴任先だと思って浮かんだのがアフリカです。そしてそのアフリカで候補を考えたときコンゴやルワンダ、ブルンジ、タンザニアなどで使えるスワヒリ語を選びました」
「話を元に戻しますが、貴方は捕虜から反政府軍の情報を得ましたね」
「Yes」
「それは、どういう情報ですか?端的且つ明確に答えなさい」
「村の家にナイジェリア兵が捕虜として閉じ込められている事と、敵が200名程度居ることです」
「たった26名で200人の敵と戦う事を決めたと聞きましたが、それは本当ですか」
「Yes」
「それは貴方一人の意思で決めたのですか」
「No」
「では誰の意思ですか?具体的に」
「もともと、小隊本部を出る時に討伐隊として出て行ったので、戦う意思はありました。敵兵が200名いたことも他の分隊長とも確認済みです」
「26対200ですが勝算はありましたか」
「Yes」
「それは何故ですか?具体的に」
「敵は戦地から逃げ出して疲れていましたし、我々の作戦はそれを追い立てて、小隊本部と第2、第4分隊のいる陣地に向かわせることだったからです。それに捕らえられているナイジェリア兵も100人近くいると分かっていましたから、この一部も戦力として使えると思いました」
「ナトー1等軍曹、貴方の言うことはつまり討伐作戦を、殲滅作戦に切り替えたということで宜しいか」
「Yes」
「それを小隊長のソト少尉には相談されましたか」
「Yes」
「小隊長のソト少尉はそれを快く認めましたか」
「No」
「中止するように言われましたか」
「No」
「何と言われましたか?言われたままの内容を話しなさい」
「援軍を待つように、明日まで待てないかと言われました」
「次の日になれば援軍が見込めたのですか」
「分かりません」
「報告書によると、貴方は待てと言う命令を無視して戦ったとありますが、それは事実ですか」
「半分Yes、半分Noです」
「それは何故ですか?具体的に」
「ソト少尉からは“待て”ではなく“待てないか”と言われました。そして無視したのではなく決断を迫ったところ“なんで俺に相談する。それは現場で判断すればいいのではないか”と言われました」
「そう言わせるように仕向けましたか」
「No」
「ソト少尉を小隊長と認めていましたか」
「Yes」
「ソト少尉の報告書によると、そうは書かれていませんが、何か侮辱的な事を言いましたか」
「Yes」
「具体的に内容を話しなさい」
「判断を仰ごうとしたときソト少尉は、司令部の許可なしで判断できないと言われたので、じゃあ司令部に許可を貰う様に言いました」
「司令部は判断を出せる状態でしたか」
「No」
「他にはありませんか?あるなら伝えなさい」
「小隊本部での判断を依頼しましたが、ケビン小隊長は死んだと言われましたので、副官に判断を仰ぎたいので副官は誰ですかと聞きました」
「副官は誰ですか」
「ソト少尉です」
「貴方の行為が、上官侮辱罪に当てはまるとは思いませんでしたか」
「その時は思いませんでした」
この日のこと以外にも、司令部救出作戦時の事を根掘り葉掘り質問された。
その中でもまた、解放したニール中尉やヤニス曹長に対して俺が命令口調だったことや、解放した彼らに武器を渡さなかったことなどを聞かれ、ここでも上官侮辱罪を意識するようにと注意された。
結局5時間以上、この査問委員会とやらに缶詰めになっていたが、俺だけが査問委員会に掛けられたわけではなく何名かが呼ばれていた。
何日か経った夜、勉強の途中で気分転換に食堂のロビーにコーヒーを飲みに行ったとき、そこで俺を尋問した査問委員会の人とバッタリ出会ってしまった。
「あっこんばんは、査問委員会の人ですよね」
「ああ、ナトーさん、こんばんは。法務士官のミシェル大佐です」
事務方の人では無かったが、軍法会議を取り仕切る法務士官とは思わなかった。
ミシェル大佐は椅子を引いて、俺に腰掛けることを促すと自らも座った。
「やはり上官侮辱罪ですか?」
恐る恐る聞いてみると、意外な答えが返って来た。
「いいえ、今回のケースはそれには当たらないでしょう。なにせ指揮権を持ち判断しなければならない将校が当てにならないのでは仕方がない。しかし今回のナトー1等軍曹の言動と行動は、常に上官侮辱罪の危険をはらんでいる事は肝に銘じて行動してください。ところで、こんな遅くまで勉強ですか?」
ミシェル大佐は、俺の持っている本に気が付いて言った。
「ああ、はい。もう少しスワヒリ語について勉強しておこうと思いまして」
「査問委員会はね、戦場であった事実を正確に残すために実施されたのです」
俺の回答には応えずに、大佐は今回の査問委員会の話を始めた。
大佐が言うには各将校から提出された報告書に虚偽がないか、本部が入手した通信記録や各種の情報は正しいか、現場で実際に起きている事は何だったのか。
そう言った“事実”を掘り起こす場として広く話を聞き、事実と、そうでない事をハッキリさせるために査問委員会が開かれたと説明してくれた。
リビアでの作戦の時は、無かった。
それが何故今回適応されたのか分からないでいると、ミシェル大佐も今回のような事件性も無い状態での査問委員会は特に稀なケースだと教えてくれた。
事務長が企画したのかと聞くと、意外にもこの企画をしてきたのは将軍だと教えてくれたことと、その将軍に感謝することを伝えられた。
「何故です?」
「それについては詳しくは延べられないが、査問委員会でも言っておいた通り、通常の士官だけの報告書だけだと君は確実に上官侮辱罪に当たってしまっただろうね」と笑われた。
そして最後にスワヒリ語の勉強をしていたことを褒めてもらった。
「今回の調査をしていて、もしも君がスワヒリ語を勉強していなかったらと思うとゾッとするよ。君のおかげで反政府軍の正確な情報も知り得たし、拘束された司令部も救出できた」
「でも、スワヒリ語はハンス中尉も勉強していました」
「そのハンス中尉も言っていたよ。おそらく自分より勉強を始めたのは遅いはずなのに、日常会話や聞き取りが出来るまで上達したのは凄いとね」
なんだかハンスに褒められたと思うと、急に恥ずかしくなってきた。
「まあ、気になって君の経歴を拝見させてもらったが、ここに入ってからの君の成績は兎に角素晴らしいの一言に尽きる。外人部隊に入る前の事は詳しくは聞かないのがお約束にはなっているが、許されるものなら君のここに入る前の経歴も知りたいね。なにせパスポートや推薦状は偽造の上に、学歴はもとより生まれや育ち、両親の名前さえも記入されていないなんて言うのは初めてだよ。いったいこの経歴書でどうして入隊が許されたのだ?」
「さあ」と答えるしかなかった。
しかし入隊試験を受けているときにハンスに言われた通り、目に見えない何かが動いている事は間違いない気がする。
それが何なのかは分からないが……。