【Jun 2019.farewell ①(2019年6月、別れ)】
「ねえ、ナトちゃん。今度の誕生日、どこで迎えたい?」
「どこって、ここ以外ってこと?」
「そうよ」
「う~ん。じゃあ街のカフェ」
「いやいや、そういう小さい範囲じゃなくて、世界のどこでも良いっていったら?」
「そんなの、無理に決まっているじゃない。だいいち私はパスポートも持っていないから、この国の外に出る事なんて出来ないよ」
私がそう言うのを待っていたように、サオリが「ジャン!」と言って何かの手帳を目の前に出した。
表紙には何かの花のマークが大きく書かれていて、その下に日本国と書かれてあった。
「日本!」
「そうよ」
「でも、どうやって?」
「大使館に知り合いが居るの、それでお正月に撮った写真を付けて手続きしてもらったの」
「やったー♪ それじゃあ日本に行く!」
「いいの?アメリカだってイギリスやフランス、スイスだって連れて行ってあがられるよ」
「ううん、絶対、日本へ行く!」
「だったら、やっぱりあのワンピースが要るわね」
サオリが思わせぶりに言う。
「なんで?」
「だって、六月の日本は梅雨と言って、雨ばっかり降って湿度が高いの。パンツルックだと裾が直ぐに濡れてしまうわ」
結局、サオリはあのワンピースを私に着させたいのだと思った。
だから、日本に行くのならイイよって返事をした。
次の休暇に街に買い物に出て、さっそく前に寄ったブティックに入る。
もうだいぶ経っているから、ないのかも知れないと半ばあきらめていたけれど、まだあのワンピースが置かれてあったので試着室に入る。
はじめて着る、ひらひらのスカート。
それに空色のノースリーブと、真っ白な襟。
まるで雑誌に載っている、お嬢さんのような服。
こんなの私に似合うはずがない。
ドキドキして、ナカナカ袖を通す事が出来ないでいると、サオリが覗き込んできた。
「あら、まだ着ていない。着せてあげようか?」
「……うん。じゃあ、お願い」
恥ずかし過ぎて、自分で着る勇気が無かった。
サオリに服を着せてもらい試着室を出ると、待っていたミランが「Ma belle!」と言って喜んでくれた。
(Ma belleはフランス語で綺麗・可愛いと言う意味で、我が子に愛情をもって呼びかける時にも使われます)
ミランにも見てもらったので、直ぐ脱ごうとすると、サオリに「そのまま着ていなさい」と言われ、恥ずかしかったけれど従う。
「服と素材は良いとしても、そうなるとそのボサボサの髪が気になるなぁ」
そう言って、次はヘアサロンに連れて行かれた。
「でも、もったいないよ」
躊躇う私にはお構いなしに、サオリは店員にカットとお化粧を頼んで、自分の腕時計を外して私に渡す。
「いい?三時になったら、ここへ迎えに来るから、あまり遠くに行かないでこの辺りに居て頂戴ね」
そう言って、ヘアサロンに私を置いて、ミランとどこかに出かけてしまった。
余程銀髪が珍しいのか、ヘアサロンの店員は入れ代わり立ち代わり、私を観て可愛いとか綺麗だと言って褒めてくれた。
カットが終わり、お化粧をしてもらうとお店の人たちが集まって来て、それぞれの携帯で記念写真を撮ってもらった。
髪を綺麗にしてもらうのも初めてなら、お化粧をするのも初めて。
なによりも他人からチヤホヤされるのも初めての経験で、少しのぼせてしまいそうになりお店を出た。
サオリに渡された腕時計を見ると、待ち合わせ時間までまだ20分ほどあったので、その辺りをブラブラと歩く。
道行く人が何故かしら私を見て通る気がする。
通り過ぎる人を振り返って見ると、たいていの人と目が合う。
“やっぱり変なのかな……”
今朝まで、難民キャンプで働いていたボサボサ頭の私が、こんな格好をするのを珍しがって見ているのだと思った。
“カシャッ”っと言うカメラのシャッター音に気が付いて振り向くと、そこに居たのは、あのヤザだった。
“まだ生きていたんだ”と思う反面、正体を知られてはマズイと思い無視して通り過ぎようとした。
チラッと見ると、向こうも気が付いていない様子。
無理もない、ヤザと別れたのはもう5年も前の事。
私もまだ子供だったから、分かるはずもない。
上手くやり過ごして通りの影を曲がろうとしたときに、もう一度見ると呆気にとられたような間抜けな顔をしていた。
“何かに気が付いたのか?いいや、まさか……ただ、美人にビックリしているだけだ”
通りを曲がって裏通りに入ると、そこは表通りの華やかさとは打って変わって暗い雰囲気がした。
匂いも臭い。
それにも増して、通りに屯す人達の目がギラギラとして、まるで獲物を狙うような不気味さを感じた。
「よう、姉ちゃん。迷子かい?」
「俺と遊ばないか」
直ぐに二人のチンピラに前を塞がれたと思ったら、他の奴らも出て来て、結局8人のチンピラに囲まれた。
さらに後ろからも駆け寄って来る男の足音。
“9人か……”
チンピラ9人なんて、なんてことはない。
だけど、今は戦いたくない。
折角サオリが買ってくれた服が汚れるし、綺麗な髪形も化粧も台無しになる。
それにも増して、サオリたちに心配を掛けたくなかった。
横に移動しようとしたが、直ぐに塞がれた。
「綺麗な服だな」
ひとりの男がスカートの裾を摘まんだ。
「汚い手で触るな!」
俺は、裾を摘まんだ男の手を捻り上げて、払い除けた。
「なんだと、このアマ!」
“一触即発。もう喧嘩は避けられない”
そう思ったとき、俺の後ろで「やめろ!手を出すな」と声がした。
ヤザの声。
「これは俺の娘だ、触った奴は容赦しねえ」
「なにもんだぁ?!オッサン!」
チンピラの一人が食って掛り、ヤザの首に手を掛けた途端、ヤザに投げ飛ばされた。
「やるのか!このジジイ!」
何人かがナイフを出す。
「やってもいいが、今は娘の手前、やりたくねえな。それよりもお前らバラクに無断で、この俺を始末しようって言うのか?」
チンピラたちはバラクという名前を聞いて、あからさまに躊躇った。
「俺の名はヤザ。お前の名前は何と言う?」
ヤザは最初にナイフを取り出した男の腕を掴み、その手に持ったナイフを男の喉元に向けた。
「んっ?名前は何という?自分の名前すら忘れたのか?」
ヤザの名前を聞いた途端、チンピラたちは完全にビビッている。
「ぃよう!ヤザ。いつ来た」
背後から新しい声。
振り返ると、取り巻きを5人連れている。
「よう、バラク。まだ生きていたか」
バラクと言うのは、亡くなった養母ハイファの弟。
幼かった時に何度か会った事が、ほんの少しだけ記憶に残っている。
ヤザはそう言うと、持っていた男の手を掴み、ナイフでゆっくりとその男の顎に傷をつけて呟いた「今度喧嘩を仕掛ける時には、相手の顔を見て考えろ。見ても分からなかったときは、この傷を触って何が最良なのか考えろ」
男の顎にクロスされた傷が書き込まれ、血が乾いた地面に黒い模様を作った。
「なにか、ウチのものがトラブルでも起こしたのか?」
「いいや、なんてことはない。美人を連れ歩くと良くあることだ」
「なるほど!これはナカナカの美人だ。白人っていうのが気に入らないが」
バラクは俺の顔を覗き込んで言った。
どうやら俺のことは、覚えていないようだ。
「この娘をどうするつもりだ?」
「Grim Reaperの後釜か?」
「もう、殺しはさせない。今日はプライベートで来ている。あいにく娘が通りを間違えてね、じゃあな」
「ああ、次は”神聖な滝”で!」