第3話 暴風
第3話 暴風
ある老齢の"ワタリビト"はこう言っていた。
「ワシらには、嵐の道筋が見えるんや。見え方は、みんな違うけどなあ」
彼らの目に何が映っていたのかは確かめようがない。
しかし、彼ら"ワタリビト"が嵐を渡る達人であることは確かな事実なのだ。
「ふっふん、ふふーん、ふんふふん……」
「ネルさん、大丈夫なんですか? まだ嵐のルート上ですよ?」
風が強まってくるのを肌で感じる。イワノフは不安げな表情を浮かべながら、ネルに尋ねる。野盗騒ぎがあった所から出発して数時間程は経ったのだが、未だに嵐の通り道を脱していない。それなのに、ネルは緊張感のない鼻歌を歌いながら、愛機であるフローター"リンクス"をひたすら走らせていた。
「あの、本当に大丈夫なんですか? このまま嵐に飲み込まれてしまったらと思うと…」
恐る恐る言うが、ネルからの返事はない。
堪らず、イワノフはフローター後部のシェルターから身を乗り出す。だが、外の景色を視界に捉えた瞬間、イワノフは凍りついた。
「うそだろ…!? ネルさん!?」
既に目の前には、視界いっぱいに広がる巨大な嵐が迫って来ていた。暗雲を立ち込め、大量の砂埃や岩、瓦礫であろうものを巻き上げ、雷光までが空を走っている。その割に嵐は不気味なほどにゆっくり動いているように見え、容易に逃げ切れると錯覚してしまいそうだ。
しかし、この時点でイワノフは嵐から逃げ切れないと悟る。我々が"嵐"と呼ぶものは惑星規模で絶えず移動を続けている、極大な暴風の渦だ。ここまで接近してしまったら、塵のように吹き飛ばされるのも時間の問題だろう。
そもそも、嵐はその正確な規模も数も、そして進行方向や速度も、全容はほとんど把握出来ていない。その予測はほぼ不可能だ。
だからこそ、"ワタリビト"の才能は特異であり、必須なのだ。しかし今、嵐は目前にある。イワノフは己の死を確信し、ただ震えるしかなかった。
「ん? 何をそんなに震えてるのさ? あ、後ろは寒かった?」
耳を疑った。この状況で、彼女は何をとぼけたことを言っているのだ!? あんたはワタリビトなのに、この絶望的な状況に陥ったんだぞ!? イワノフは感情を隠すことが出来ずにネルを睨んだ。
「チッ。なんだよ、人が気を利かせてやってるのに、ムカつく顔しやがって。ここで放り出してやろうか…」
逆に目をくり抜かんと言わんばかりの視線でイワノフを打ちのめすネル。イワノフは嵐以上の恐怖がその手で首を絞めているかのような怖気に襲われた。
「ひぃぃ!!」
思わず絶叫し、必死に赦しを請う。顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり、最早なりふり構わない様子だ。先程までの態度はなんだったのか?
流石にネルも、大の男にここまでされるとは思いもよらなかったのか、激しく動揺する。
「あのね…ええと……はあ。あー、もう! わかったわよ!! そんな顔されると、私がとんでもない極悪人みたいじゃないのよ!! 置いてかないから、泣きやみなさいよ!」
イワノフは自分でも、こんなに取り乱すとは思わなかった。男の面子はどこえやら。後にイワノフはこの時のことを激しく後悔し、人生の汚点として記憶から抹消しようと試みている。
「まったく、野盗と道草食ってたからこうなったのに…。いい? これから、あんたにも手伝ってもらうからね」
恐怖の次は、困惑だ。嵐を渡るのに、自分がなんの役に立つのだろう?
「て、手伝い…? 私が、ネルさんの?」
「そうよ。まずは簡単な質問。この近くに、古代の遺跡はある?」
ネルはフローターを自動操縦にセットし、クルッと振り向いて地図を広げる。この辺りの地形図だ。内容は持ち主によって違うので、この手の地図には一つとして同じものはない。これもネルの手書きで注釈が多く書かれている。
遺跡を生業としてきたネルの地図には、やはり遺跡の特徴などが事細かに記されている。同じく遺跡を生業としてきたイワノフは、自分の地図と比較してネルが指し示した現在位置を確認すると、近くには確かに気になる場所が一つあった。
「確か、この先に一時間ほど進んだところに遺跡の痕跡らしきものがあったはずです。ただ、この辺りは嵐のルート上にあるので、調査は諦めていましたが…」
「ふうん、なるほどね…」
何を考え込んでいるのだろうか。ネルは自動運転のまま、しばし目を閉じて沈黙する。イワノフはその不思議な様子に目を奪われていた。ところが、間近に轟く雷鳴を耳にして我にかえる。
「ひい!? 嵐が来たぁ!!」
先ほどよりも明らかに迫って来ている嵐の姿に、イワノフは再び命の危険を感じ取る。そして、それは不可避だ。
そんな中、イワノフの叫びとともにネルは目を開ける。何か決心をしたのであろうか、先程までとは明らかに違う目の鋭さだ。
「よし、そこに行くわよ! 近くなったらガイドをお願い!」
「え!? なぜ遺跡に…!? 嵐を渡るんじゃ…」
「バカ! この至近距離まで追いつかれちゃったら渡るも何もないわよ! 遺跡に逃げ込むわよ!」
じゃあ、なんで鼻歌うたってたんだ!? イワノフはまた不満を口から漏らしそうになるが、先程の恐怖の視線が再び襲ってくることを確信し、黙っていることに決めた。
ネルは再び前を向いて自動操縦を解除し、目一杯のスピードでフローターを飛ばす。横を見れば、嵐は刻一刻と距離を縮めてきている。近くに見えていた岩山が飲み込まれ、その破片だろうか、岩が空からこちらに何個も落下してくるのが見えた。
目的地まで一時間。しかも、着いたからと言って遺跡が見つかるとは限らない。果たして、この選択は正しいのだろうか?
疑問が頭から離れないが、他にいいアイディアも浮かばない。イワノフは身を小さくして、祈るようにうずくまっていた。
一時間はあっという間に経つ。ネルたちが目的地の付近に差し掛かる頃には岩の雨と強風が辺りに吹き荒れており、立ち止まることは文字通りの死を意味している状況だ。しかし、フローターの操縦席には視界を確保する事情から、基本的に屋根がない。そのため身を晒しているネルはいつ岩の礫にやられてもおかしくはなかった。
それでも、ネルは操縦を続けている。途中で無いよりかはマシなヘルメットと、手脚に簡素なプロテクターを装着していたが、風向きや盾になる障害物の位置を見抜く操縦技術そのものが眼を見張るものだった。
「どう!? 遺跡は見える!?」
岩が大地に落ちる衝撃と音の中、ネルの叫びが辛うじて聴こえる。だが、目星をつけていた遺跡らしきものの姿は見えない。
「ダメです! これじゃ、何もわからないです!」
「じゃあ、どうすればわかる!!?」
どうすればいいかと訊かれても…。辺りを見回しても、外観では遺跡の判別は難しい。大抵の場合は、怪しい洞穴のようなところの奥にあったりするのだ。
ずっと死の恐怖に耐え続けていた所為なのか、生存を諦めていたのかは定かではないが、イワノフは自分でも不思議なほどに冷静に思考が出来ていた。
「確証は無いんですけど、私がこの辺りで気になっていたのは洞窟です! 岩山が周囲にある地形では、遺跡は地下にある場合が多いのです!」
とはいえ、それが条件というわけでは無い。しかし、今はそれに期待するしかなかった。
「洞窟…やっぱり、あそこか…」
ネルは小さく呟く。聴き取れなかったイワノフはもう一度言ってもらおうと口を開こうとしたが、その直後にネルはフローターを急旋回させる。
「ネルさん!? どちらに!?」
「洞窟よ!! あそこしか考えられない!!」
どこかに心当たりがあるようだ。ネルの操縦に迷いはなかった。しかし…
「そ、そっちは嵐に一直線じゃないですか!!?」
そうだ。まさに今、嵐が向かう先へと疾走している。これでは一分もしないうちに暴風で吹き飛ばされる!
案の定、フローターが宙に上がり始める。その上、強風が薙ぎ払うかのように襲ってくる。その中には岩の礫も混じっていた。
機体に激しく礫が当たる音が鳴り響き、挙動も安定しない。
「うわぁ!! もうダメだー!!」
これで終わりだ。イワノフが叫んだ直後に、ネルが叫び返す。
「アンカー、いくよ!!」
ネルは浮き上がった機体の向きを調整し、上手く風に乗ると機首のアンカーを地面に打ち込む。それを高速で巻き上げ、強引に進路を変更してみせた。
イワノフは何が起こったのか理解が出来ずに、シェルター内の壁にへばりつく。しかし、それで終わりでは無い。
今度は左右の側面に取り付けてあるアンカーが放たれる。複数のアンカーを放っては巻き、放っては巻きを繰り返し、もはやイワノフには機体の向きが何処を向いているのか見当もつかないが、ネルにはわかっているようだ。
そんな曲芸のような移動を続けている姿は、猫が遊びに夢中になっている時のようだ。だが、本格的に暴風圏の中に入りつつあり、リンクスのアンカーも真っ直ぐ飛ばなくなる。
万策尽きたかと思われた、その時だった。
「リンクスちゃんの底力、なめんじゃないわよ!!」
ネルが叫ぶと同時に、機体の後方が突然明るくなり、突然衝撃と轟音が轟く。混乱の渦に飲み込まれている中で、イワノフは機体が加速しているのを感じた。
「これは…ブースター!?」
これがリンクスの切り札だった。機体の最後部と操縦席の左右には小型のロケット推進装置が取り付けられていた。イワノフたちはこれをブースターと呼んでいるが、こんな代物は滅多に見ないし使わない。それがリンクスに搭載されていたなんて。
急加速にリンクスの機体は引っ張られ、暴風の中を突き進む。しかし、この奥の手は機体と搭乗者の負荷が大きくネルもしがみついているのがやっとだ。おまけに浮揚装置の出力も下がり、地面に半ば墜落するように滑り込んでいく。
「リンクスちゃん、頑張れ!! あと少し!!」
ネルの応援が効いたのかはわからないが、リンクスの機体は地面を抉りながらも前進を続けた。
そして激しい衝撃のあと、ネルたちは意識を失った。
ぼんやりとした、淡い光。それに、あたたかい。ここはどこ?
「…ネル、このロープはこうやって結ぶんだよ。やってごらん」
あ、懐かしい手だ。この時のロープの結び方、最近やってないなぁ。
「そうそう、いい子だ。あとは、このロープを下に垂らして…」
待って。この後、確か…
「先に降りてみせるから、ネルはその後に来なさい。いいね?」
だめ。…行っちゃだめ!
「…ハハハ! 大丈夫、心配ないよ、ネル。私がお手本を見せるから、ね?」
いいから、戻って! 降りちゃだめなの!
「じゃあ、行くよ? よい…しょ!」
だめ!! やめて!!
「お父さん!!」
暗い。それに、全身が凄く痛い。
「ここは…?」
辺りを見回す。しかし、暗くてよくわからない。辛うじて、自分が座席に座っていることはわかる。
「この席は…リンクスの…」
身体の痛みと頭痛で、記憶を掘り起こすにも一苦労だ。それに、ずっと何か音が聴こえる。
「この音は…風? 凄く強い風の音がする?」
音は風だ。しかし遠い。ここではない、外のようだ。
「ここは何かの中…? あ…!」
やっと思い出してきた。ここは洞窟の中だ、
リンクスに乗ったまま、ここに飛び込んだ。
「そうだ、洞窟だ! 嵐に追われて、リンクスごと中に入ったんだ。しかも全力で。それで気を失ったのか…」
ネルはもう一度頭を整理して、周囲の状況を確認する。しかしまだ目が慣れず、暗くてよくわからない。座席に備え付けてあるライトを取ろうと試みるが、身体の痛みがそれを妨げている。
「っう! こりゃ、肋骨もやったか?」
正確な怪我の具合はわからないが、骨の一つや二つは折れているかもしれない。それでもネルはホッとする。命があるだけでも幸運だし、手足もありそうだ。
やっとライトに手が届き、それを点ける。照らし出された壁面は、やはり洞窟の内部のようだ。リンクスの機体が突入した衝撃で崩落が起こり、岩や土砂で機体の下部が埋もれていた。
「ふいー。よく私は生きてたわねー。もうけもんだよ」
本当に幸運だった。これで生きていたのだから、私はツイてる。ネルは少しいつもの調子が戻って来ていた。
「そういや、なんか忘れてるような…」
まだ頭がはっきりしていない。再び記憶を辿りながら、ライトを後ろに向ける。すると、後部シェルターには…
「ぎゃ!!? なんかいる!!」
後部シェルターの入り口には、前屈みに倒れ込んでいる大柄な男の姿があった。
「…死んでる? ってか、こいつは確か…」
頭痛に耐えて、記憶を辿る。少し時間はかかったが、やっとピンと来た。
「ああ、野盗に襲われてた、大柄で度胸が無くて泣き虫で遺跡に詳しい金づるの……? 誰だっけ?」
「……イワノフだよ、ネルさん」
「おわ!? 生きてた!!」
倒れていた男はゆっくりと体を起こす。全身を強打しており、怪我もあるだろうが、流石に大柄で見た目は屈強な男なだけはある。一応、彼も無事だった。しかし、イワノフはネルに対して怒鳴る元気と度胸は無かった。
「…ああ、俺、生きてる。奇跡だ…」
改めて、イワノフは生きている実感を感じる。目からは涙が流れていた。その様子を見たネルは、ため息をつく。
「こんな女々しい男なのに、生き残りやがって…。運だけはいい奴ね」
「うぅ。相変わらず辛辣な…」
「まあ、とりあえずは目的を果たしたわ。ここで嵐をやり過ごすわよ」
ネルの言う通り、あの暴風を纏った嵐の脅威からは逃れられた。かなりギリギリではあるが、生き延びられた事はとても大きい。当面は嵐が過ぎるまで待つだけだ。
「あの嵐は巨大だし、速度も速めだった。私が事前に推測していた通りならば、三日で暴風圏は通り過ぎるわよ」
三日。それは良い知らせだ。嵐によっては週から月単位、最悪は年単位で足止めされる。この洞窟で朽ち果てることは無いとわかり、イワノフはホッと胸をなでおろした。
「さてと…まずは傷を…って、あれ?」
ネルは急に静かになり、視線を暗闇に向ける。
「どうしたんですか?」
「いや…何か影が見えたような気が…」
影? この暗闇で、影もなにもないと思ったが、ネルの困惑した顔は変わらない。
「まあいいか。シェルターから野営道具と…医療キット出すわよ。あんたはサッサとどきなさい」
乱暴にシェルターから引きずり出されたイワノフは身体の痛みでうめき声をあげる。その声が煩わしかったが、ネルも痛む身体を動かしているので強く言う元気はなかった。
二人はひとまず難を逃れたことに安堵し、野営の支度をする。
しかし、一難去ってまた一難とは正にこの事だと、理解することになった。