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篭の酉  作者: らいのべーる
7/14

7

 雨の日は半外で作業する圭人にとって厄介なものだった。


 ー助けて 行かないで 置いてかないでー


 雨にあたりながらの作業が災いしたのかその日から数日間寝込んでいた。四十度を越す高熱に喉が焼けるように痛み、水分も体内で蒸発するごとく汗も何も出なかった。社長には2、3日休むようにと言われたが、話すことはもちろん動くこともままならなかった。そして咳き込む体に朦朧と、ムチを打たれるように悪夢にうなされた。それは無意識に存在するトラウマのようなもので、しがらみのようにくっついてくるものだった。


 ー何処?何処にいるの?待ってまってよー


 母親のような後ろ姿に手を伸ばし走りよっていく。足を投げ出し力一杯叫ぶ声は、その後ろ姿に届く事はなく遥か遠くに消えて無くなる。何度も何度も見てきた夢。施設にいた時は毎日のようにうなされていた。年を重ねるごとに見る回数は減ってはきたものの、それでも月に一度は夢に出てくる。余り考えないように思い出さないように抑え込んで受け入れてきた圭人だったが、心の奥底にはぎっちりと塗り込まれている。


 圭人は布団の上に座り壁に寄りかかるように背中を預けた。何も考えないように、視点の合わない表情に瞼が落ちていく。



 圭人がいない場内では騒がしくも何時も通りに作業が進んでいた。


「俊 あのな この前の話だけどよ」


 寛は場内の片隅で一人作業にあたる俊に話しかけた。来月3回目の結婚をする寛は婚姻届の保証人を俊に頼もうとしていた。


「寛さん 二人署名するだろ?俺は良いけどもう一人はどうするんだ?」


 寛は圭人と考えていた。圭人も二十歳を越えて成人したのだからと、保証人に名前を書いてもおかしくはないだろうと俊に話した。俊はそれはいいと笑っていた。


 そしてもう一つ。保険の申請と受取人。寛の親はずいぶん前に亡くなり、兄弟姉妹もいない。そのため受取人の名前が書けなくなっていた。今までは結婚する相手の親族や近類に頼んではいたが、それももう出来ない。俊は新しい嫁にでもしとけばと軽く答えたが、寛は小難しい顔をしていた。


「まあ これは個人的なものだから嫁ってのもな」


 寛はしかめた顔に頭を掻いていた。入り口側の場内では他の従業員が、雨の溜まり水をかっぱぎでかきだしている。


「お疲れさん 何しかめた顔してんだ?」


 唐津が場内の機械をチェックしながら、二人のもとへ歩き声をかけた。寛は頭をかきながら伝え、それは確かにそうだなと唐津は頷いた。


「お そうだこれな」


 唐津は思い出すかのように上着から一枚の紙を取りだした。それは新しい保険申請書と労災における予備詳細だった。唐津は二人に渡し、後で出しとけよと言うと煙草に火をつけ2、3口吸い、また戻っていった。


 保険申請と労災。毎年新しく名前を書き込み提出しているその書類は、今年は少し変わっていた。内容じたいはあまり変化は見当たらないが、それを扱う企業が変わったらしい。俊と寛は大人になるとこういうの見る回数増えるなと笑いながら話をしていた。



 圭人は軋む体に悪夢を見続けていた。それは昔感じた記憶と今の記憶が交差するように絡み作られたものだった。


 何処を歩いても自分以外は黒い影。人を人として認識出来ないほど、どす黒く靄っていた。


 ー誰かいないの 誰もいないのー


 通る人のような影に声をかけるも誰一人として見ようとはしない。光の無い空間に光が見えては消えていき、その繰り返しにどんどんと奥へと歩いていった。途方もない道に永遠と続く黒い世界。圭人の体は進みにつれてみるみる溶けだしていった。


 ーどうして?なんで?ー


 腐り剥がれるように溶ける体についに動けなくなっていった。周りにいる人らしき影は、見るも無惨に通りすぎていく。


 ー助けて 助けて 誰かー


 動けなくなる体は声も失い、力つき沈むようにその場にうもれていった。


 四十度を超す体温は、心と体を蝕み気力さえも奪っていく。それは死を見つめるかのように。


 そしてそれから数日後圭人は体調も良くなり、会社に向かった。病み上がりの体では思うような動きはできなかったが、それでもあの悪夢にうなされるよりはましだと、動きだした。


「圭人か 大丈夫か?これ読んどけよ」


 会社に行くと直ぐに事務所へと呼び出され唐津から新しくなる保険申請書と詳細を手渡された。他の従業員は全員提出したとのことで、残るは圭人一人だけ。唐津は事務所にいる根間と小木曽によろしくと伝え外にでていった。


「わからないとこあったら言ってね」


 根間は書類を作りながら圭人に声をかけた。


 乙は甲に対し承諾し、甲は乙により、乙は甲に、甲は乙にとなぞなぞのように堅苦しい言葉で書き綴られた書類に圭人は目を回していた。その姿に根間は笑い、一枚の申請書を渡し見せてきた。


「これを参考にして」


 渡される書類を書き写すように手を動かした。参考にする申請書の名前は町川祐吉だった。


「それはね 社長が忘れるなと言うから町川くんの名前で書いたのよ」


 圭人はその言葉に何も口にすることができなく、病み上がりの体がまた熱をおびるように熱くなっていった。


「町川くんの時は大変だったわよね 診断書や申請書、受取人のことも何もかも不明だったのよね」

「そうそう それに施設上がりだったとはね」


 何も知らなかった事務員の言葉に圭人は静かに書類を提出し事務所から出ていった。


 晴れやかな風が雨の空を通り、白い雲を呼び込んでいく。場内からは何時ものように軋む機械の音と濁った白い蒸気が流れ出していた。



「町川さん、、、」


 圭人は一度養護施設に行こうと流れる雲を見た。それは町川の生い立ちとそれまでの生き方を思い出すように、悪夢によりかえりみた過去と、これからの未来のために、病み上がりの体に強く思った。そして何より申請書に書けなかった受取人の名前。圭人は今一度自分の親のことについて調べようと思った。




 あくる休日、圭人は養護施設へと向かった。車で来るのとは違い電車とバスを乗り継ぎ、揺ったりとした時間に思い返していた。


 2歳から16歳と育った施設は20歳を越えた圭人にとって懐かしくも寂しくなる場所となっていた。


 茶色くなった施設の壁を目に圭人は敷地内へと足を踏み入れた。遊具広場の庭では洗濯物を干す子供達が笑い合い、玄関先でゴミ袋を縛る子共達がいる。圭人は最寄り駅で買った御菓子セットの袋をぎゅっと握りしめ、心落ち着かせ施設内へと入っていくと玄関口奥から校長が歩いてきた。


「あら圭ちゃん どうしたの?」


 圭人は何とも言えない気持ちに黙って御菓子セットを手渡した。長岡は手渡されるセットを笑顔で受けとり、圭人と一緒に部屋へと入っていった。


 壁には子供達との写真が飾られ、その中に町川の写真も残っていた。飾られる写真に目を動かすと、長岡はお茶を作り差し出してきた。


「圭ちゃんも大きくなって 」


 しみじみ懐かしむように口を動かし、思い出すように部屋に置かれる机から箱を持ってきた。赤い道具箱のような入れ物は、表面が削られ時代を感じさせるような箱だった。


 長岡は箱の蓋を外し中から写真を取り出した。それは町川の幼少時代の写真。真っ赤なランドセルに手編みのセーター。恥ずかしそうにうつ向く町川の姿がそこにはあった。長岡はその写真に振り返るように言葉にした。


 町川がここにやって来た時は、母親だけだった。父親からの虐待により町川は傷つけられ、母親も心労により精神疾患になっていた。その日も町川は顔や体に痣を作っていた。母親は泣き崩れるようにその場に膝をつき、町川の袖を掴み胸に埋めるように泣き叫んでいた。


 ーごめんね ごめんねー


 町川は虐待からくる精神過程にその母親すらも憎んでいたが、親と離れたことでゆっくりと、ゆっくりと落ち着きを見せていった。


 長岡は町川を知る圭人に思いの丈をぶつけるように話をした。それは誰にも分かち合えない話故に、校長もまた塞ぎ込んでいた。


「校長 俺も町川さんのことで会いに来たんです」


 圭人は懐かしむ長岡に話をふった。目に涙をためる長岡は涙を拭うように指で目を触り、笑みを作って聞き返した。


 圭人は仕事上で扱われた申請書と、受取人のことも聞いた。それは自分の事でもあった。


「町川さんも同じだと思うんですけど、俺らはどう書けばいいんですか?」


 養護施設であろうと一般家庭であろうと何一つ変わることはない。肉親や親族といった建前的なものは違えど全て同じようなもの。実の親が居なくてもそれは何も変わることはない。


 長岡は圭人の言葉に優しく問いかけた。


「圭ちゃん もしかして本当の親に会いたいの?」


 圭人はその言葉に身を乗り出しそうになった。ずっと心に残るその言葉に否が応でも聞きたくなった。しかし大半の卒業生が聞いてくる事と同じ思いに長岡の口は閉ざし首を横に振った。圭人は何故ですかと閉ざす校長に詰め寄った。


「圭ちゃん あのね 圭ちゃんがどうしても会いたいと願っても教えることは出来ないのよ」


 長岡は淋しそうに語り始めた。


 養護施設に入寮した子供達は、親を離れ自立していく。それはその時の環境によって異なるが、大体がそのまま離れて暮らすことになる。それは子と親が離れる理由そのものに繋がっていく。


「子供はどうしても親の元に戻りたがる それは親も同じ けれどそれは一種の依存のようなものなの どんなに傷つけ傷つけられてもその場が生きる場となってしまう 命に危険が迫っていたとしても 誰も口出すことが出来ないようにね」


 長岡は親と子の関係性を元に話ていた。


 親と子は離れることは多々あるが、それは一般的な旅立ちによるものが多い。圭人や町川のようにしなければならないといった環境は、滅多に公にされることはない。何故なら親は子を手放すことをしないからであり、絶対的な絆として親は子に全てを押し付け、第2の自分と作り上げてしまう。それは悲しくも共闘という共感共同意識を産み出してしまう。


 圭人はその話に由美の言葉を思い出した。


 ーその子を殺して 私も死ぬー


「なら なんで親は、、、」


 圭人は聞こうとした言葉が出てこなかった。それは聞いてはいけない言葉のような感じがして、思い止まった。


「圭ちゃんの言いたいことはわかるわ けど圭ちゃんは 戻りたい?あの頃の時代の親に会いたい?」


 圭人は言葉もなく首を横に降った。長岡は続けて口を動かした。


「でもね 会えないことはないわ けどそれは親が変わらなければ実現しない 子が子として親が親として成長するようにね  同じ事を繰り返すだけになっちゃう そのためにここがあるの」


 長岡はそう言うと箱に写真を戻し、さて他にはと圭人に聞いた。圭人は深い溝に落ちるような思いに口を動かした。


「町川さんの 町川さんは何処に求めたんでしょうか?」


 圭人は生きる上での救いの場を口にした。


「それは大丈夫よ 圭ちゃんにもあるし 祐にもあった」


 長岡はそれとなく言葉を濁し、ある言葉で作り答えた。


「親は選ぶことは出来ないけど 子は選ぶことはできるわ 誰を見てついていくか それは生きる上での子の特権よ」


 一般的な意見とは異なる言い方ではあるが、長岡ならではの経験からくる言葉は圭人の心に突き刺さった。


 何を見るか そして 誰と供にするか


 それはみさきも言っていた言葉にも繋がった。生きるのはこの娘 選ぶのはこの娘 私はとやかく言う権利はない。まさに長岡の言葉と同じだった。そして圭人は帰りがけに長岡からあるものを聞かされた。町川の親権は唐津に移行していたことを。


 圭人は耳を疑ったが、それは町川が望んだものだと受け取った。


 施設から帰る道のりは、今までの道のりとは全く別のような感じがした。欲しかった答え、聞きたかった答えでは無いが、圭人にとって得るものが大きかった。


 子は親を思い 親は子を思う けれど 親は時を止めてしまうように子もまた同じに時を止める


 交わす言葉に胸をつき、長岡から聞いた話に目を瞑った。圭人は知らぬ思いに見えぬ影を見つめていた。





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