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篭の酉  作者: らいのべーる
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6

 平穏と不穏の流れに暗く閉ざす時間が、何も無かったかのように過ぎていった。そして寒い冬が終わりまた春の風が吹き始めた頃、事務所では毎年恒例の書類確認が行われていた。


 小木曽 早奈英 28歳 既婚

 根間 美江 37歳 独身


 毎年一回の個人面談。日々の作業の不満や不平、改善点を元に個人の話をする場として用意され、それと同時に保険各種契約内容も確認していく。唐津は机に紙袋を広げ、椅子にもたれ掛かりながら一つ一つ判を押している。


「幹崎さん 何か質問は?」


 赤い縁の眼鏡を指で押さえ、生活指導の先生のように高圧的に胸を張る小木曽は、普段は物腰の柔らかいお姉さんのような人だが、今日はいつもと違っていた。圭人は不思議にそんな小木曽に小さな声で質問しようとすると小木曽は強く言葉を放った。


「なんですか?はっきりと」


 眼鏡をカチャカチャと必要以上に押さえ目を見開いて聞き返す小木曽に根間は堪えられず笑いだした。


「早奈英さんムリムリ  もうムリ」


 根間は小木曽を笑い飛ばし、小木曽はそんなに?ととぼけるように口を尖らし頬をあげた。あまり接点のない事務員と従業員。そこで小木曽は遊び半分に貫禄を示そうと根間と話、演じるように振る舞っていただけなのだが、あまりにも不自然であるため小木曽のイメージとかけ離れ過ぎていた。小木曽は黙って見つめる圭人の目に恥ずかしそうに咳払いをし、普段通りの話し方になった。


「えっと 幹崎圭人さん これらの書類で間違いない?」


 差し出される書類に書かれる経歴と就労規定、そして就労状況に目を通し頷いた。小木曽は正確な書類に誇らしげに根間に渡すと、根間は笑いを堪えながら書類を唐津に渡した。


「では 以上になりますが 何かありますか?」


 小木曽はまたふざけるように眼鏡をカチャカチャと揺らし目を見開いた。圭人はありませんと伝え席を離れようと腰を上げると、戻ってきた国崎とぶつかった。


「痛、、あ、、すいません」

「いえいえ こちらこそすいません」


 黒縁眼鏡のキリリとした目元は小木曽のそれとは違っていた。国崎は何事も無いように唐津の元へ近づき、営業鞄から何枚かの書類を合わせ渡した。根間と小木曽は手をあわせ笑いあっていた。




「お?圭人も終わったか?」

「あ、はい お疲れさまです」

「んじゃ 矢田前そういうことだ 行くぞ圭人」

「えっ?えっ?なに なんですか?」


 圭人に気づいた蒔は矢田前との話を切り上げ圭人の首に腕をかけるように強引に引っ張った。矢田前は煙草を吹かしながら手を振っていた。


「あの 蒔さん 何かあったんですか?」


 圭人は蒔に聞いたが、蒔は別にと欠けた歯を見せるように口を開き、持っていたすこんぶを上から落とすように投げ食べた。クチャクチャと音をたてて子供のように食べる顔は浮かれているようにも見えた。


 繁華街近くまで来ると蒔は何やら思い出したかのように携帯を取りだし圭人にすこんぶの箱を持たせた。圭人は始めて見るすこんぶの箱に、不意にも鼻を近づけた。


「、、、っう」


 酸っぱいようなしょっぱいような発酵した独特の匂いに顔をしかめ嫌なものを見るように箱を摘まみあげた。


「悪いな んじゃいくべ」


 蒔は携帯をしまいすこんぶの箱を受けとると、また一枚口に投げ入れた。そしてクチャクチャと音を出しながら浮かれた声にまた夜の店へ行くかと圭人を誘った。圭人は少し思い止どまり断った。残念そうに顔を歪める蒔は、また今度なと口にし、贔屓する嬢の名前を口ずさみながら一人消えていった。


「まったく 蒔さんは、、、あれ?」


 遊び好きな蒔を見送り、帰ろうと振り向くと異並ぶ店から見知った顔が出てきた。洋服店や家電量販店、本屋に飲食店とならぶショッピングモールから繁華街のストリートを横断するように歩いていく二人。圭人は見間違えたかと何度も目を擦った。


「俊さんと、、、、久恵さん?」


 寄り添うように肩を並べ、笑いあうように俊と久恵が歩いていた。


「なんで、、あ、そうか」


 俊と久恵は、生前吉葉の釣り会合で知り合い、近い子供もいるということで仲良くなったと言っていたのを思い出した。もちろん由美も同じに見知り合いだ。「そうだよなぁ」とその姿に余所見しながら歩く圭人は、前を歩く人にぶつかった。


「もう、、、ちゃんと前みなさいよ」

「すいませ、、あ」


 ぶつかった女性は蒔に連れてかれたあの夜の店の嬢だった。


 源氏名 ひかる 本名 浜 みさき 


「ごめんなさい、、あ もう あんたなの?」

「すいません みさきさん」

「何本名で、、、って今はいいか それよりも何してるのよ?」


 圭人はあの日から何度か蒔に連れていかれた。そんなある日、店の通りを一人歩いていると、迷子のように泣いている子供がいた。大粒の涙をながし、耳を突くような甲高い声で泣く子供を皆は見て見ぬふりをしていた。圭人はその子供を放って置くことが出来きず声をかけた。するとそこにやって来たのはみさきだった。


 圭人はみさきの後ろを歩く女の子に気づき声をかけた。


「あ こんにちは 留実ちゃん」

「うん」


 娘の留実。しかし二人は血は繋がっていない。それは圭人にとっても驚きだった。


 みさきは夜の嬢として働いている。他人からは白い目で見られ、理解されない仕事だと何度も愚痴っていた。何もかもが偽善だと経験から知るみさきの口癖は「世の中 金よ」だった。圭人はその言葉に思わず笑った。ただみさきは嘘を言いたくないだけらしく思ったことを口にしてしまうらしい。それに綺麗事は一切言うことはない。作られた言葉ほど他人を傷つけるということを知っているからだ。けれど、全ての人にってわけではなくごく一部の仲の知った人だけに見せる姿で、それ以外の人には呆れるほど素っ気ない態度を見せる。それが他人との関係性を作っているのだとみさきは言っていた。圭人には余り理解出来ないものだったが、みさきの言葉に惹かれるものがあった。


「まだ見つからないんですか?」


 みさきはその問いに首を横に振った。


「色々と調べてはいるけど、なかなかね それに店の人にも聞いてるから いずれは、、、ね」


 みさきは留実に笑いかけ、溜め息をついた。圭人は留実と目線を合わせ髪を撫でた。


「それはそうと何してるのよ?」


 圭人はみさきに今日の出来事を簡単に話した。


「あの男ときたらまったく どうしようもない男だね っていっても 金払いだけはいいんだから困ったものよ 何処に稼ぎがあるっていうのかねぇ それに、、、ま、他人のそら似ってやつなんだろうけど」


 客と嬢という関係に、みさきは蒔を呆れるように言い放った。圭人はその言葉に笑った。


「それなら時間あるわよね?ちょっと付き合いなさいよ」


 圭人は理不尽なみさきを笑い、留実の手を握り歩き出した。



 ー小学校入学案内ー


 留実が来年入学する小学校への申請書と願書書類の確認の説明を受けに繁華街奥にある雑居ビルに入っていった。


 留実はみさきの同僚 真智子の子供だ。真智子はみさきと腐れ縁のような知り合いだった。ずっと一緒に働いていた同僚のようなものだったがある日を境にぱたりと来なくなった。みさきはいつものことよと気にしないようにしていたが、悲しい知らせは直ぐに耳に入ってきた。真知子が自殺した。それはその時同居していた男との縺れで悩みあげたあげくビルから飛び降りたということだった。みさきはその連絡を聞き留美を連れ一緒に駆けつけた。瑠美は布を被る真知子を見ると「なんで寝てるの?」と何度も聞き返してきた。みさきはその姿に泣きくずれ留実に伝える事が出来なかった。


 そもそも真知子に紹介したのはみさき本人だった。ただ紹介と言ってもたまたま真知子といる時にその男と再会し、挨拶を交わしただけだった。


 榊 恭典 年齢不詳 自称社長


 その男榊は表に出来ない仕事ばかりしていた。みさきと知り合ったのも店の店長からのものだった。当時働いていた店は今と同じような職種であったが、客層が少し悪かった。酒の入った客で暴言や罵声、暴力といったものも多々あった。みさきもそんな客に手を焼いていた頃、ストーカーのようにつきまとう客が現れた。無言電話に誹謗中傷、他の客への無類な暴言。みさきは日に日に追い込まれるように客や嬢からも除け者のように見られ始め、やがて事件が起きた。


 ー無断住居不法侵入ー


 みさきの家に男が入り、盗聴機と盗撮するためのカメラを仕掛けていたことがわかった。みさきは店長に話をしその男を追い払うように榊を呼んだ。榊は他の仲間を連れ、一週間の間その男を見張り泳がせ、みさきの家にある盗聴機を聞きにくる男を拘束した。ワンボックスの車に乗せられたその男は二度と見ることは無かった。みさきは店長に頼む前に警察に届け出を出しに行ってはいたが、話を聞くだけで何もしてもらうことはなかった。事件として扱われるため、相談だけでは動くことが出来ないということだった。そして度々店で榊と会うだけで、関係を得るまでには至らなかった。



「ありがと 終わったわよ」


 みさきは書類を鞄にしまいいれた。留実はみさきの側に寄りみさきは瑠美の頬をつねるように触り、笑いあっていた。


「さてと、、これで終わりだけど あんたどうする?」


 みさきは留実の手を握り圭人に聞いた。圭人はそうですねと少し考えた。


「まあ あたしはこれから仕事だけど あんた来る?」


 みさきは圭人の顔近くににやけつき、戸惑う圭人を笑い飛ばした。留実を託児所に送りに行くというので圭人はそれならと一緒に送りにいった。


 みさきと圭人がここまで仲良くなっていったのはみさきの性格によるものが大きかった。圭人の生い立ちにも間髪いれずに、あっけらかんと答えていたほどだ。


「だからどうしたっていうのよ それでも生きていかなきゃいけないんじゃない 相手にされたいなら自分からいきなさいよ それに 世の中金よ 金があればそんなの大したことないってね」


 苦しみを知り、苦しみを耐えた事のある人の重みだった。軽くあしらう言葉と体験した言葉ではその一言の重みが違う。大変よね つらいよねと綺麗事を言うだけなら誰にでも出来るが、その本質を知る人間は限りなく少ない。みさきは真知子を殺したと今でも自分を責め続けている。それは留美を引き取る事で、よりいっそう強くのし掛かってくる。けれど、みさきは言う。


「産んだ育てるは 他人のことだ 生きるのは生き続けるのはこの娘なんだ この娘だけができることなんだ そしてこの娘はあたしの側にいる それに とやかく言う権利はあたしには無いよ あるのは真知子と あの榊って男にだよ」


 みさきはそう言うと拳を握りしめ、会ったら殴ってやると息巻いていた。


 生きることは他人じゃない。他人はただの付け合わせにしか過ぎない。自分を自分で好きになることが、自分で自分を必要と思うことがどれだけ大変なのか。みさきは他人を通して受け入れ見てきた。それは自分を犠牲にするように。そして、他人は他人を作り自分をも作り変えるとみさきは言った。


 留実の手を握るみさきの手は、母親そのもののように圭人の目には写った。


「みさきさんは 強いな」


 圭人は留実を送り届けるとみさきと別れ家路に向かった。


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