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俊の死亡の知らせは由美の元へと届き、唐津に伝わった。
圭人は唐津からその報を聞き、あわてるように俊の家へと走り出した。何故走るのか。何故こんなことになったのか。やり切れない思いに足を動かした。
自分が唐桶工務に来なければ、俊に話をしなければ
ー俊さん もしかしてこれってー
ー本当に良いんですか?ー
ー俊さん 気を付けてくださいー
圭人は走馬灯を返すように俊を思い出し、こぼれそうな涙を抑え家の呼び鈴を鳴らした。
ーピンポーンー
悲しい鈴が鳴り響くように静まり返る家の中に広がった。微かな物音と共に玄関が開いき、圭人と気づくと由美より先に宏実が抱きつくように走ってきた。
「宏美 圭人さんが上がれないでしょ?」
宏美は黙ったまま顔を埋め動こうとしない。圭人は幼心に我慢する宏美の髪を触り、抱き寄せるように体を持ち上げて家の中へと入っていった。
あの日誕生日会をした楽しい思い出も今は暗い闇に閉ざされている。
「圭人さん あの人はどうだった?」
うつ向いてテーブルに腰を掛け言葉をつく由美は、辛く悲しい思いを無理矢理抑え込んでいた。
「良い人でした こんな人間にも優しくて」
当たり前の言葉しかでなかった。けれど差別や偏見を見ない俊のことが大好きだった。そしてその家族、由美と宏美のことも好きだった。初めて感じる家族というものを教えてくれた人。けれどもう二度と話すことも会うことも出来ない。
由美は「そう」と微かな吐息に笑みを浮かべた。
「あの人は 俊は圭人さんのこと本当に息子にしようとしてたのよ 話してきたときは驚いたけどね」
由美はお茶を注ぎながら俊との会話を口にした。それは圭人にとって嬉しくもあり悲しくもあった。だが、それが圭人を締め付ける言葉となって責め続けていくことになる。
「圭人さん 前に話をしたでしょ?離れなければならない時って あれね半分本当だったわ」
想像上の言葉であった思いは手から離れる現実のものになった。
「でもね それを初めから知らないのと知っているのだと全然違うの 知ってしまったから知っているからこそ 憎しみと悲しみがでてくるの 忘れる事ができる思い出は残ってしまう」
積もる思い出はいつしか消える。けれど消える思いは無い方がいい。それは初めから知らなければ知ることの無い思いであり、知っているからこそ消されてしまう。消そうとする心と残そうとする心。互いに揺れ動き、また新たな思いへと移り変わる。
ーごめんなさいー
自分のせいだと謝ることでしか伝える言葉がなかった。何を話しても、何を伝えても意味の無い言葉となってしまう。それは生きてるから意味のある言葉になるのであって死んでしまったら、只の言い訳のようなものになってしまう。
圭人は黙ったまま玄関へと向かうと、由美はまた会いに来てねと、宏美はお兄ちゃんまたねと手を振っている。圭人はいたたまれない思いに頭を下げた。
唐桶工務に入ってから数年。出合いに別れ、その全てに人の暖かさを得て成長してきた。けれど心にぎっちりと塗り込まれた幼少の頃の記憶はいつまでも拭うことはできなかった。それ故に重なる記憶は二重にも三重にも覆い被さり、その全てを一つの繋がりとして、幾度も甦らせる。それは生きる上で必要なことなのかもしれない。自分という生きる糧となるものなのかもしれない。
忘れるという記憶
残すという思い
互いに違う感情は心の中で手を結び、心に作る檻へと閉じ込め留め置くために鎖に繋ぎ身動きを奪っていく。人は自分のことを大切に思い、他人に手を差し延べていく。それが属に言う関係性と言うのなら、初めから無い方がいい。得る喜びよりも失う悲しみを見るのは辛いだけ。
皆僕のせいでいなくなる
圭人は人通りの少ない高架下で大声をあげ、我を忘れて闇雲に壁を殴り続けた。何時まで続ければ晴れるだろう。何時まで殴れば気が済むのだろう。壁に当たる度に皮膚が剥がれ肉が擦りきれる。自分であって自分ではないと、誰が誰がと他人の様に見る姿に止めることはなかった。目を閉じれば現れる 情けない。辛い。悲しい。悔しい。それら一つ一つの感情は心の奥へとこびりつき、行く宛の無いモノに怒りへと変貌する。無意識に作り出すその全ては糸のように絡まり全てをも啄んでいく。
そして薄れる意識の中、ふらふらと重い足取りに歩きだした。
交通量の多い交差点、十字に架かる歩道橋の下で僕の体は行き交う車に跳ねあげられた。一度宙に浮かぶ体はぎちぎちと歪む音を鳴らし 弧を描くように道路に打ち付けられる。衝撃により痛覚は瞬く間に失いをみせ 折れる音だけが全身に響き渡る。無残にも取り残された意識は、ねじれ当たる度にそれらを一様に知ることとなった。投げ飛ばされた体は対向車線へ流れ、ゴツゴツとした白い骨は上に乗る肉を突き破り内側へとめり込んでいく。脈打つ音が鳴り響けば垂れる手足はビクビクと揺れ動く。穴という穴からはどろどろとした液体が溢れ道路一面に色をつけた。
その場にいた人達は悲鳴をあげ、あわてふためくその光景に車はぶつかりながら止まるり、死を知らせる鐘のように鳴り響くクラクションの音が事故を際立たせていた。点滅を繰り返す信号機がそれらを取り巻くように歩道橋の桁から見下ろしていた。
蒼白する人達の顔は僕の瞳に鮮明に流れ入り、悲壮に刈られる時間が一瞬にして甦った。
ーどこにいるの。。。ー
意識の無い思いは、呟くようにこぼれ落ちた。
幹碕圭人 死亡
そう書かれた診断書は病院のカルテと一緒に保管されている。