ボクは諦めが悪いみたいだ
ひっそり投下
「お? 気が付いたな」
「あ、あね、うえ? ぐっ……!!」
乗せていた氷嚢を跳ね除ける様に起き上がったクルトは、襲い来る激痛に声を失った。
「ふっ、無理をするな。いいからもう少し寝ていろ」
「オレは……」
脳震盪の影響なのか、意識と記憶が混濁気味で判然としない、ぼんやりとしたままで発した「オレ」と名乗る声がそれを良く表していた。
ふと思い出したのは己が繰り出した渾身の一撃。
「まけ、た……のか。無様に……っ」
「いや、刹那ではあったが見事であったと思う。我が弟ながら賞賛に値する攻防だったと」
「け、けど姉上っ」
「まだ寝ていろといった――傷に障る」
「……はい」
暫く見ていなかった弟。
その相変わらずの素直さは、リナに思わず笑みをこぼれさせた。
こんな弟でも、次期族長候補。その最有力が一角。
つまり一族最強を目指すもの。その見据える先は虎人族最強の証、虎王の座。
かつて己が目指していた場所。
(ふふっ。力はかなり付いた様だけど、ボクにとっては、まだまだ可愛いクルトのままかな)
つい先刻見た弟の戦闘力――それは当初のリナが抱いていた予想の域を超えていた。
それこそ、この国一番と謳われた頃のリナ自身に迫る物があるように思える。この僅か一年に満たない期間にである。
そう考えれば、弟の方を正統の族長候補として立てた父王の先見は、悔しいが正しかったのかも知れないとは率直な感想だ。
「姉上」
「ん、なんだいクルト」
「オレ……僕にはあの最後の一撃が視えていました」
「うん、そうだろうね……見事に我が一族の目を使いこなしていたよ、お前は」
「けれど負けました」
「そうだね」
「何故でしょうか」
クルトの……弟の真っすぐな瞳が今の自分には少々眩しい。
こんなにも憧れと尊敬を受けるに値するほどに、今の自分は強くない。
一年に満たない旅ではあったが、得る物多く、学ぶこと多々であった。
虎人族最強を自負し、それはすなわち世界に通ずる武である。
出会う強者と呼ばれる者達と相対し、勝利を収めたのも事実。
故にそんな風につい最近までは思っていた。
だが、さらなる強者は確かにいた。
それも様々なタイプの『強者』と出会い。ちっぽけな矜持は撃ち砕かれた。
ほとほと己の弱さが身に染みた。
十分に身の程を知った。だが、それを悲しいとは思わない。
悔しいとは思うが……。
(上は恐ろしい程の高みに在り。我が武、未だ届くに能わず。さりとて標は有りて順風なり)
リナはふと自嘲の笑みを浮かべ、優しく、だが、厳しい言葉で弟の問いに答える。
「弱いからさ」
武の世界だ。そう――答えはいつだってシンプル。
「我ら一族の『先見』は弱くありません」
相手の方が強かった。それだけなのだ。
「だが、お前は今寝台の上……だろう?」
「それが解らないのです。理解できないのです。負けるはずがなかったのです!」
「その様に理解が及ばないというほどに、相手は高みに在り、逆にその考えの持ちようこそ、我らが弱いと言う事の表れなのだ。解かるか?」
「わかりません!」
リナからもう一度笑みがこぼれた。とてもやさしい笑みだ。
「ああ、わからないだろうな。だから強くなれクルト、今よりもっとだ」
「あ、あねうえ?」
「ボクにもあの刹那の攻防については、お前の見切りが勝ったように見えた。だが結果はこれだ。僕自身が経験している。視えたのに結果が付いて来ない。来るべき未来が来ない。お前の感じているその困惑だって手に取るようさ」
憧れの戦斧王と対峙した時、剣士の頂点ともいうべき尊敬する天衣の彼と対峙した時。
自分の傍らに居て欲しい、せめてついて行きたいと思うようになった男と対峙した時、全てのシーンで『先』は見えていた。見えていたが何を成す事も出来なかったのだ。
そう己を振り返ったリナは言葉を紡ぐ。
「僕らの一族はそう――お前の言う様に確かに特別だ。だがそんな特別さえあっさり超越する強さが外の世界にはある。ボクはこの旅でそれを強く確信した。そして悩み、考え、もがいて、あがいて、ある一つの結論に達した」
「そ、それは一体……」
戦慄するほどの驚きに朧に揺れる瞳。
弟のまっすぐで真摯な問いかけに、満面の笑みをもって答える。
「ボクらはまだまだ強くなれるって事さ」
未来はあるのだと。
己を鍛える。武を磨いて磨いて、研磨して研ぎ澄ます。格上と目される人たちとの出会い。彼らと対峙してゆく中でさらに磨き上げられる自分。
そんな自分を更なる高みに登らせてくれる武具や技術、そして秘中の『業』の存在。それ等はすなわち全てが高みへ至る為の出会い。
諦めず研鑽を摘めば、あらゆる意味で『出会い』は存在し、それが自分を更なる高み。未来へといざなってくれるのだ。
「強く……なれる!」
「ああ、そうさ。一族で一番になっても、けしてそれで終わりなどではない。更なる高みが確かにある」
人は『出会い』次第では、あの最強と謳われ、恐れられ、崇められる竜をも凌ぐ境地に至ることが出来るのだと。そんな事もあるのだと。そんな者になれる未来もあるのだと。
今代、一族最強の戦士を自負していた己を振り返る。
「ボクらはまだまだ弱い。獅子人族の蛮行を許してしまうほどに脆い。氏族間の連携も結束も緩い。
なにもかもが、外敵と言う脅威を退けるには足りない」
「……はい」
「故に、此度一時だけは、彼等の好意に甘んじて力を借りる」
だが武人として虎人族の誇りを忘れず、研鑽をつづけろとリナはクルトに説いた。
次の機会があるのならば、その時は彼らを助ける側になれるよう、磨き上げるのだと。
そんな己を皆に示し、一族の皆を、更なる高みに誘えと。
この時ふとリナはある思い至った。
(ああ、いつの間にかボクは長の座を……)
いつの間にか弟に任せるという体で説くこと、それは今のリナには違和感が無かった。
では何故なのか。そこで思いは至る。ああ、所詮この身は武人だったのだと。
『座』に固執せぬ『武』であったのと。
(そうか、だから、彼に……)
なにゆえ彼に執着していたのか。
虎人族の血が、武人として育った自分が……あの高みへの憧憬がそうさせるのか。
共に在れば、武人として大きくなれるかもしれない。
共に在れば、更なる高みへ行けるかもしれない。
己に芽生えていた、あわい恋心の様なモノの本当の正体を知った瞬間だった。
その正体とは『あこがれ』という言葉で表せた。
ああなんだ、何のことは無い……少女である前に、この身この体は、生涯を武に捧げ生きる虎人族の戦士だったのだ。
滑稽だ。
(ははっ……)
確かにほのかな恋心はあったのだろう。
打算も、矜持を砕かれた意趣返しも、慈悲に対する感謝もあっただろう。
だがそれ以前に、あの強さに惹かれたのが切っ掛けだったのだ。
微かに自嘲するような笑みが浮かんだがすぐに消した。
この身は、一族が長の娘。
一族の存亡が掛かる大事の前に、心を些事に揺らしてどうする。
この感情、これを『羨望』という言葉にするならば、恋心も強さへの憧れも、等しいもの。
そう……それだけだ。
だから――。
「姉上?」
「……っ。こ、此度の策、必ずや成し遂げよう、そして勝つぞクルト」
愛剣を鞘から抜き放ち、戦勝の誓いを挙げる。
このささやかな心の揺れを、弟に見せるわけには行かない。
「はっ、姉上っ!」
だからけして離れはしない。
必ず付いて行く。
あの高みに至る為に!
高みの隣に在る為にっ!
己を納得させて後、未だ揺れる。
この揺れは今の私の本物なのだろうから……。
(アンジェリーナ殿――悪いがボクは諦めが悪いみたいだ)
こっそり離脱。
次回の何時頃って保証がちっともありません。
今年いっぱい忙しそうです、トホホ。




