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第三話「賀楊社という会社」byヤクート

新メンバーヤクートさんです!

「歯形さ……。」

「覚えてくれていたんですね。ありがとうございます」

 刑事さんの声が跳ね上がったのが分かった。

「辛いことがあったばかりなんですから、いつでも我々を頼っても構わないんですよ。話を聞くくらいならできますから」

「……」

「何かありましたらこちらまで電話ください。いつでも駆けつけます」

 そっと顔を上げると、刑事さんがたちまち顔をくしゃくしゃにして、名刺を差し出した。「あがたぁ」と遠くの方で声がして、刑事さんは一礼するとすぐに駆け出していった。私はようやく刑事の名が「安形」であることを思い出した。


 兄の会社を辿るのは難のないことだったが、足がなかなか先へ進まなかった。ラフな格好をした私が会社にいること自体場違いなこと極まりないこともあるが、何より、兄について嫌な噂の流れている職場で、腹立たしいあの二人組に会ってしまうかもしれないと考えると、吐き気すらしてくる。

 ようやく辿り着いた先には、「賀楊社」の看板が見える。兄は入社したての頃からこの会社の看板であるに足るセールス力を持っていたと聞く。ガラス張りの自動ドアが開くと、右奥に大理石でできた受付カウンターが見えた。思ったより閑散としている。

「楠本様でございますね。少々お待ちください」

 受話器を置いた後、受付のお姉さんが親切に道を教えてくれた。事前にアポイントを取っておいたのが功を奏し、向こうは兄の遺品を取りに来ただけだと考えているらしい。エレベーターの前まで行くと、ちょうど案内をしてくれるらしい人が現れた。警察署の前でも見た顔であった。

「お兄さんのこと、お悔やみ申し上げます。私はお兄さんの上司の堂島と言います。……さあ、こちらへ」

 感じの悪いあの二人とは違い、なかなか堂に入った受け答えであった。無駄な発言の少ないところからして、なんとなく信用できるような感じがした。私も、自然と口を開いていた。

「兄が生前は大変お世話になりました。妹のひかりです。……あの、これからどちらへ参るのですか?」

「まずは、お兄さんが使われていた仕事場の方へ向かいましょう。辛いことを思い出してしまうかもしれませんので、無理はなさらなくて構いません。一応警察にもあまり触らないように言われてますし。……それから社長室の方へ案内申し上げます。お父様へ連絡が付かないので、申し訳ありませんが、お兄様への手当について話し合っていただきます。もし他にも行きたい場所などあれば何なりと……、今日はあなたの案内係を命じられてますので、お気になさらなくて大丈夫です」

 心の底から恐縮してしまった。自分が兄の死のことばかり考えているうちにも、現実は動いてしまっているのだ。

兄の机の前に行くと、確かに心はずきんと痛んだが、それよりもなぜだか懐かしさが込み上げてきた。机は左右まで棚で囲まれ、紙束が散乱している、まるで編集者の机のようだった。いくらかの資料のようなものが紙袋の中に入れられて、机の脇に置いてあった。

 この紙束の下には何が隠れているのであろう。今ならそれを見ることができるだろう。しかし私は見ることをしなかった。見るのが怖かった。

後ろから別の足音が近づいてきた。それは固く、重々しい音であった。

「堂島君、ご苦労。ひかりさん、だったかな。初めまして。社長の桐生です。お兄さんが亡くなられたのは、それは残念だった。さあ、こちらへ」

 妙に他人事で、やっつけ仕事のような口ぶりであった。しかし、振り向きとふさふさとした白髪を持った温和そうな顔であった。嫌な感じの二人組でないという事実に、異常なまでに安心を覚えるのだった。廊下まで進むと、社長さんはそっと息を吐き、俯いた。

 自分の社長室の前へ来ると、ノックして部屋に入った。ソファーは黒く、固い感じだった。

「早速だが、本題に入ろう。葬儀などで忙しいだろうが、どうか許してほしい」

兄の給料、見舞金、退職金、慰霊金などについて一通り説明がなされた。手当は一応充実しているらしい。小一時間ほど説明を受けて、話が終盤に差し掛かった頃、再び堂島が部屋に入ってきた。それを合図に、私は切り出すことにした。

「私は、兄の死が自殺であることを信じられないんです。きっと兄は誰かに殺されたんです。誰か心当たりはありませんか?」

 一瞬驚いた顔をしたが、二言目辺りからうんざりした顔になった。少し出かかった言葉を抑えるようにして、ゆっくり口を開いた。

「何となく、ただの探偵ごっこでないことは分かる。……私だって実の兄がいたなら、そしてその兄を殺されたのなら納得がいかないだろう。同じことをしていると思う。ただ、私は同時にこの会社の社長なんだ。社員を疑うことなんてできん」

 少し怒気を含んだ声であった。これでも抑えている方なのであろう。私は妙に冷静になっていた。社長がこれだけ動揺しているのは、社員を疑われていると勘違いしたからだけでなく、散々同じようなことを警察から尋ねられていたからだけでもない。ほかに何か理由があるように感じられた。

「社長、そろそろお時間です」そう場をとりなしてくれたのは、堂島さんだった。社長は言葉少なにその場を後にした。私たちはしばらくしてその後を追った。


「社長の娘さんとよくない噂があるんですよ」急に口を開いたのは堂島さんだった。幾分砕けた口調であったことにも驚いた。

「社長は楠本君、あなたのお兄さんのことを知っており、有望視もしていたみたいですが、娘さんと付き合っているんじゃないかという噂が広まって、複雑な気持ちを抱えていたみたいなんです。だから社長の気持ちも分かってあげてね。一番つらいのは、あなただと思うんだけど」

堂島さんはエントランスまで付いて来てくれた。

「葬儀について決まりましたら、お知らせください。力になりますよ」来た時よりも幾分、声が柔らかくなっていた。私は深くお辞儀をしてその場を去った。


 私はひどく疲れている。そう叫びたくなるような状況だった。兄の不倫の話に対して、疑念のようなものが高まっていく。謎も深まるばかりであるし、なさねばならないこともいっぱいあった。兄の葬儀である。父は準備をしてくれていて、親戚にも声掛けをしているようだが、私もそのことをすっかり失念していた。兄の遺体はいつ帰ってくるのだろう。だんだんと不安が込み上げてきた。

急に友紀に会いたくなった。そう思い会社の敷地を一歩出た途端、呼び止められた。

「楠本さんですよね、あなた」

 マスコミに声をかけられたら無視をしようと決めていたので、私はその一オクターブ低い声とは反対の道へ進んだ。

「お兄さんを恨んでいる人物は三人いる」私は歩みをやめざるを得なかった。

 振り返るとサングラスをかけた、日焼けした顔が見えた。男は近づいてくる。

「私は清宮さんに雇われているこういうものです」

声になぜかまた、懐かしさを覚えさせられた。そして次に目に入ったのは、探偵の文字だった。

 探偵。実在するのか、というのがまず思ったことだ。あんな職業はテレビの向こうにしかないと思い込んでいた。

 自分の兄のことなのに、全くの他人のほうが情報を集められるのか。清宮さんって誰?

私がしばらくじっと睨んでいると男は口を開いた。 

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