98 廻れ勝利への歯車
再生力が限界に達し、既に肩で息をしているイデンマさん。一方、アスールさんのダメージはゼロ。状況は圧倒的有利に思える。
しかし、彼のレベルはまだまだ低い。流石に俺よりもは高いようだが、それでもバルメリオの時より劣っていた。とても安心できる状況じゃないな。
アスールさんはサングラスを取り出すと、それをベレー帽の上に付ける。彼の瞳は両方とも青色、もうオッドアイを隠す必要はなくなった。サングラスはただのアクセサリーとして使うつもりらしい。
「【覚醒】保持者になり、敵の操作を受けるのは再ログインした時のみ。お前のアカウントで作ったバルメリオは切り捨てた。よって、操作は無効だ」
ゲームオーバーになったバルメリオというアカウントを使用していないため、当然【覚醒】持ちにもなっていない。彼がアスールさんである限り、先ほどの全ては無かったことになるのだ。
しかし、ここである矛盾に気づく。何故イデンマさんは俺たちをゲームオーバーにしようとしているのか。
【エンタープライズ】のラプターさんのように、バーサク対策をすれば操作を無効にできる。それはアルゴさんにも話したはずだが、彼はこのゲームから追放されていた。もしや、操作と記憶の消去は同じものではない?
そんな疑念を抱いた瞬間。イデンマさんの口からヒントが明かされた。
「ふざけるな! 記憶の消去はゲームオーバー時に出来る! なぜ消えていない!」
「消えたさ。だが、このアスールのアカウントにログインして思い出した。消える以前に現実世界で覚えていたバルメリオの記憶は、アスールの記憶にも入ってるわけだからな」
「ダブルブレインをバックアップに使ったのか……!」
記憶の操作はバーサク関係なしに出来るらしい。アスールさんがこの戦法を使わなければ、彼も永久追放だっただろうな。
しかし、ここで新たな疑問が生まれる。なぜ、ラプターさんたち【エンタープライズ】の記憶を消去していないのか。もしや、あえて残している……?
対策をされるとは想定外だったという可能性もあるだろう。しかし、嫌な予感がして仕方がない。やはり、イデンマさん本人に聞くしかなかった。
彼女はまだ納得できず、アスールさんに疑問を放っている。想定外の自体が起きると、一気に崩壊するタイプらしい。
「だが、ゲーム上の記憶全てを現実世界に持ち出すことは不可能。バルメリオの記憶は大半が失われているはず……お前は自らの記憶を切り捨てたのか! 仲間との記憶を!」
「絆は変わらないさ。本当に大事なことは、データじゃない俺が覚えている。俺がアスールになろうが、何も変わらないんだよ!」
これ以上、イデンマさんに時間を与える気はないようだ。構えた銃を掃射していき、彼女を追い詰めていく。
だが、盗賊の素早さは健在。通常攻撃の弾丸は次々と避けられてしまう。
「俺はもう一対一の戦いに拘っていない。だが、試したかった……俺の実力がお前に及ぶかどうかを!」
しかし、アスールさんの技術は上がっている。攻撃のテンポをずらし、何発かの銃弾を命中させていた。
イデンマさんの傷口は再生しない。残り数発の弾丸で彼女は止まるだろう。
「結果は出た。バルメリオは完全敗北したと認める。だが! お前の弟として! 協力してくれたディバインやノランのため! そして、ギルド【IRIS】のため! お前だけはここでぶっ倒す!」
やはり、ノランにも協力してもらっていたか。これで、女装の件は説明がついたな。
威圧的なディバインさん、ノランの不審な行動、謎の女性アスールさん。彼は女性の声が出せずに、裏声で誤魔化していた。途中で行った電話の相手はディバインさんで間違いない。
今、全てが噛み合った。廻り出した歯車は勝利へと向かう。
「バルメリオォォォォォ!」
「俺はアスール! ギルド【IRIS】の銃士アスールだ!」
叫ぶイデンマさん。それに応えるアスールさん。
バーミリオン火山が再び噴火し、長い戦いは最終局面へと向かう。
「スキル【連続斬り】! お前はいつもそうだった……いつも私を苛立たせる!」
「冷蔵庫のプリン食ったのは謝っただろ。新しい物は買った」
「私が買ったのは焼きプリンだった!」
「どっちでもいいだろ!」
イデンマさんはナイフによって連続で切り裂いていく。それをアスールさんは銃の柄によってガードしていった。
レベル差もあり、体力は少しずつ削られる。決して余裕のある状況ではないだろう。しかし、それでも彼は冗談を言っていた。
ムキになっているイデンマさんは、その冗談にも本気で応えていく。まるで、姉弟喧嘩のようだ。
「まだあるぞ! コーヒーの美味さも分からんくせに、なぜブラックを飲む! バカか!」
「はぁ!? ブラックうめーし! お前こそ、朝っぱらからホットココア飲んでんじゃねえよ!」
「ホットココアバカにするな! そして、体重の事を言ったら殺す!」
彼女の猛攻をアスールさんは【バックステップ】でかわし、後方で弾丸の【リロード】を行う。だが、その隙を突かれ、再びイデンマさんに距離をつめられた。
いくら離れても、素早い動きで接近戦に持ち込まれてしまう。これは、銃士に活せられた試練なのかもしれない。もっとも、彼はいまだに冗談を言い続けているが。
「体重を気にしてるならスイーツ控えろよ! 風呂場で体重計乗って邪魔くさいんだよ! 次がつかえているんだ!」
「べーつに入ってこればいいだろ! お前に裸見られてもどうでも良いしな!」
「だからって裸で家をうろつくな! そんなんだから彼氏出来ねえんだ!」
近距離からのナイフの連撃をガードしつつ、隙を見て銃を掃射する。イデンマさんも残り僅かなPPを使い、所々で【フェイント】を入れていた。
両方とも一歩も引かない高レベルな攻防。しかし、会話の方は低レベルだった。
「微笑ましいな。姉弟とはこういうものか」
「でも、胸が痛い……」
見ていて分かる。少しずつだが確実に、イデンマさんに死が近づいている事が……
柄にでもなく、ディバインさんも瞳に涙を浮かべていた。冷たい鉄の心も、少しづつ温まっているのだろうか。彼も随分と変わったな。
やがて、ここで決定的な場面が訪れた。アスールさんの銃が弾切れとなってしまったのだ。このチャンスを見逃すはずがなく、イデンマさんのナイフが迫る。
「残念だったなアスール……弾切れだァァァ!」
「そうだな」
後方に下がりつつ、アスールさんは天高くに手を伸ばした。本来ならば、こんな事をしている余裕はないだろう。しかし、俺は彼の考えが手に取るように分かった。
イデンマさんとの距離は充分にある。ここから投げても間に合うはずだ!
「アスールさん! 受け取ってください! 約束の銃です!」
アイテムバッグから取り出したのは、先ほど作ったマグナム銃。それを右手に掴み、力いっぱいぶん投げた。火事場の馬鹿力が発揮されたのか、完璧なコントロールで銃はアスールさんの手に滑り込む。これで、俺の役目は終わったな。
彼はこの展開を分かっていたかのように、冷静な表情でスキルを放つ。これが、最後の一撃だ。
「確かに受け取った。スキル【パワーショット】」
放たれた弾丸は、真っ直ぐとイデンマさんの頭部を貫く。完璧な狙いによる見事なクリティカルヒット。この一撃でようやく彼女は止まり、仰向けに倒れ込んだ。
あまりにも静かな決着。長い因縁が今、終わりを告げた。
再び荒野に静粛が戻る。バーミリオン火山の噴火は止まり、荒野には乾いた風が吹いていた。
アスールさんは何も言わない。しかし、その沈黙を破るかのように、イデンマさんの笑い声が響く。
「くく……くーはっはっはっ! なんだそのかっこは! 似合ってるじゃないか! 無駄にクオリティが高い!」
「ち……違う! これはノランが……」
長髪に金髪、女性用の服を身に纏ったアスールさんを彼女はバカにする。この一言で、俺とディバインさんも思わず顔がほころんでしまった。
必死に言い訳をしているのが余計に笑いを誘う。イデンマさんは青い空を見つつ、ただ笑い続けた。
「はーはっはっ! 腹が痛い……! 勘弁してくれ……!」
「笑いすぎだ!」
顔は笑っているが、目は笑っていない。彼女の体は少しずつ崩壊が進んでいた。もう長くないだろう。
いったい、何がこの人をここまでさせたのだろうか。実の弟であるアスールさんにも分からないのに、俺に分かるはずがなかった。
イデンマさんは遠い目をすると、朗らかな表情で語っていく。心の奥底にあった感情が、死を目前にして表へと出て行った。
「いやー、こんなに笑ったのは随分と久しい……この体になって初めてだ……」
「姉貴……」
「私はお前の姉ではない。模造品だ」
ずっと、組織のまとめ役として気を張っていたのだろう。真面目で誠実なのか、指揮官としての使命を誇りに思っていたのかもしれない。それが、自身の感情を押し殺す結果になってしまった。
アスールさんは最後に、とある質問を彼女に投げる。それは敵組織の根本に関わる話だ。答えてくれるという保証はない。しかし、どうしても知りたかったのか、彼は真剣な眼差しで問う。
「姉貴はずっと、現実を捨ててゲームの世界で生きたいと言っていた。お前があいつを殺したのは、あいつ自信の意思なんだろ? これはお前らが原因じゃなく、現実を捨てたい姉貴たちの所業だ」
「さあ、どうだろうな……」
当然、イデンマさんは答えを濁す。しかし、感覚的に分かった。アスールさんの予測は正解だろう。
そう言えば、金治もゲームの世界で生きたいと言っていた。【ダブルブレイン】とは、現実世界のプレイヤーに託されたデータの知能。これで間違いないはずだ。
イデンマさんは笑顔のまま、アスールさんの目を見る。そして、俺たちに最後の言葉をこぼしていった。
「私たちには大いなる計画がある。アルゴは知りすぎたから消した。まあ、お前らなら近いうちに辿り着くだろう……」
1と0の傷口が全身に広がる。やがて、彼女の体は光となって宙へと消えていった。
「これからもっと辛くなるぞ……精々気を引き締める事だな……」
今、一人の『人間』が死んだ。
俺はイデンマさんを人間と思っていた。そうでなければ、スプリもステラさんもヌンデルさんも人間じゃないと認めることになる。それだけは絶対に嫌だった。
彼女のことは敵として尊敬している。この世界の驚異として最後まで戦い抜き、そして果てた。立派だ。素直にカッコいい悪役だろう。
アスールさんは青いベレー帽を深くかぶり、俺たちからその顔を隠す。そして一言だけ、かっこ付けながら言葉をこぼした。
「あばよ、バカ姉貴」
ベレー帽の下で彼が涙を流しているのが見えてしまう。それを遮るかのように、ディバインさんが俺の前に立った。
そうだよな……見ちゃいけなかったよな……少し後悔する。
一進一退の攻防の果てに、一つの因縁が終わりを告げた。恐らく、残る敵は5人。まだまだ先は長いだろう。
そう言えば、結局イデンマさんは何も話してくれなかったな。組織のまとめ役を倒したことで、この先どうなるのだろうか。有利に動くことを期待するだけだった。




