85 英雄は止まらない
ヌンデルさんと別れた後、俺たちはワープの魔石を使って【エンタープライズ】ギルド本部に戻る。あれからエルドは追ってこなかった。きっと、ヌンデルさんが食い止めてくれたのだろう。
俺はただ虚無感を感じるしかなかった。あの時は本当にどうにも出来なかったのだ。
奴、エルドには万に一つも勝ち目はない。その強大な力を目のあたりにして、ようやく俺は敵の強大さを実感する。ゲームオーバーになってしまったラプターさんは、俺以上にそれを感じたようだ。
「うう……ハリアーちゃん、みんなごめん……私何も出来んかったよー」
「相手が悪かった。としか言いようがないな」
自分にも他人にも厳しいハリアーさんが、今回ばかりは厳しく言わなかった。彼女は腕を組み、辛辣な表情で考え込む。現状はとにかく、このギルドを立て直すしかないだろう。
俺はラプターさんに体調を尋ねる。心配しているのもあるが、いきなり敵の操作によって暴れられたら堪らない。
「体の方は大丈夫なんですか?」
「今のところはね。バーサク状態にならなければ、記憶の操作も無いみたいだし」
一度のバーサクさえ回避すれば被害はないわけか。でもまあ、用心するに超したことはないだろう。
まだまだ、敵のプレイヤー操作の詳細は未知数。バルメリオさんは、ある不審な点を気にしていた。
「しかし、今回の【覚醒】持ちは様子が違ったな。カエンのように暴走していたという感じじゃなかった」
「より正確な操作が可能になったのでしょうか……精度は確実に上がっていますね」
まるで操り人形のようだった今回の【覚醒】持ち。カエンさんやバルディさんは、紛いなりにも不満という意思を持っていた。しかし、今回はそれすらない薄っぺらいものだ。
精度は上がっているが中身はない。と言ったところか。
俺とヴィオラさん、バルメリオさんは【エンタープライズ】の三人と真剣な会話をする。その横で、ノランたちギルド【IRIS】のメンバーが集まっていた。どうやら、ケットシーのリンゴに餌をやっているようだ。
「リンゴちゃん魚だよ。元気出してね」
『ふにゃー……』
ノランから渡された魚をリンゴはむしゃむしゃ食べる。気分は沈んでいるが食欲だけはあるんだな。ルージュは喜び、彼女に構おうとするが、ハクシャがそれを止める。
「た……食べた……!」
「飯が食えれば元気百倍だな! 今はそっとしておいてやろうぜ」
こいつ、馬鹿そうに見えて気配りが出来るんだな。地味に優秀な奴だ。
この場にはヴィルパーティのハクシャ、イシュラ、シュトラもいる。しかしヴィルさん本人は、「巻き込まれたらたまらない」と言って退室してしまった。本当に、協力する気が全くないんだな……
ルージュはこちらに視線を向け、ヴィオラさんに会話をふる。
「ヴィオラ……! こいつをどうするつもりだ……!」
「NPC扱いみたいだし、ギルドで管理するわ。使役士じゃないから、戦闘参加は無理だけどね」
要するに、このケットシーは愛眼動物だな。今はおとなしくしてるし、俺はまったく構わなかった。
そんなリンゴの仲間入りに対し、アイとリュイは完全においてけぼりだ。まだ彼女たちには説明していなかったな。
「それより詳細確認です! 私、全然まったく話が分かりません!」
「アイさんはまだマシですよ。僕なんて二日連続お留守番で何が何だか……」
情報整理も兼ねて、纏めて説明した方が良いだろう。二人には今後も世話になるのだから。
しかし、そんな【IRIS】の問題に、なぜかハクシャが口を挟んでくる。
「なんの、俺なんてお前らの都合すら知らないぜ!」
「ハクシャ、張り合わないで……」
即座にイシュラが突っ込んだ。まあ、こいつらも知りたいよな。
俺も信頼出来る仲間とは情報を共有したい。よし、この場にいる全員に俺の手に入れた情報全てを話してやる。
「じゃあ、ヌンデルさんから貰った情報も含めて話します。まずは、敵の正体から……」
俺は核心部分から、嘘偽りなく全てを語る。敵がダブルブレインというデータだという事。元運営であるメンバーがプレイヤー操作の要だという事。そして、英雄様と呼ばれるエルドと実際に対面した事。とにかく分かっている事は徹底的に話す。
ハリアーさんは大きくため息をつき、その瞳を閉じた。
「なるほど……幽霊なんぞよりよっぽど納得できる話だな」
「VRMMOの不具合っすか……マジ勘弁っすねハリアーさん!」
そんな彼女に便乗するアパッチさん。俺以上にヘタレな彼は、完全に怯えきっている様子だ。
また、最近俺たちの戦いに首を突っ込むようになったイシュラ。彼女はこの非現実的な現実に対し、唯々呆然とするばかりだった。
「どんどん途方もない話に……」
「私は活躍出来るのでしょうか……」
「今は真面目な話をしてるから、シュトラは口を挟まないで」
イシュラの妹、シュトラも首を突っ込む気満々らしい。いや、ただ活躍するためだけに危険なことをしてほしくないんだがな……まあ、それほど彼女も必死なのだろう。
話しが纏まったことにより、【IRIS】のギルドマスターであるヴィオラさんが閉める。何だかんだで、今は現実時刻の11時。明日は学校なので早く寝なければならない。
「とにかく、今日はもう遅いからログアウトよ。明日は何をする?」
「クエストを熟してレベル上げだ。俺たちギルドは成長が遅すぎる」
彼女の疑問に対し、バルメリオさんが答える。エルドに完全敗北したことにより、彼も相当焦っているようだ。
実際に、俺たちギルドのレベル上げは相当スローペース。クエストを熟すことなく、ダンジョンを進めたりもしない。唯ぐだぐだ道を歩いて、数々のプレイヤーと親睦を深めているだけ。これでは全く強くなれないだろう。
明日からは何日か使って本気でレベルを上げていく。幸い、今は【エンタープライズ】のメンバーもいる。NPCからの依頼を譲ってもらえば、効率も上がるはずだ。
しかし、ここであることを思い出す。俺は今日、アイを無視してレべリングを行ったんだった。
「悪いアイ、今日レべリングして一気にレベルを上げた。お前を突き放しちゃったな……」
「いえいえ、むしろ全然オッケーです! レンジさんはもっと強くなってください。私はずっとレンジさんの味方ですよ!」
うん、やっぱり彼女は天使だ。時々怖いけど、俺にとっては天使で間違いない。何だか信用できないような。嫌な感覚を味わうときがあるが、それは気のせいだろう。
少しづつ、アイの事を受け入れるようになった。こいつは俺の事を信じているんだから、俺もそれに答えなくちゃならない。それが、俺なりの感謝の意だった。
エルドとヌンデルの戦い。それは一方的なものだった。
使役獣を三体失い、尚且つ先の戦いでヌンデルはかなり消耗している。いや、それが問題ではないほど、エルドの能力は圧倒的だったかもしれない。
英雄は裏切り者に言葉を投げる。使役士の再生力は限界となり、その体は崩壊へと向かっていた。
「俺たちを裏切った結果がこれか……お前はそれで良かったのか……?」
「二度目の人生……楽しませてもらったさ……悔いはねえよ……」
彼は自分が求めていた本当の最強というものを知った。もう、この世界に未練などあるはずがない。
エンターテイナーは周囲に認められてこそ。独りよがりの最強ではなく、皆と共に作り上げる最強。それは、エルドたち【ダブルブレイン】が求めていたものとは全くの正反対だ。
「ヌンデル……お前は悪人に向いていなかった」
「だな……」
体の崩壊は進み、その肉体は虚空へと消えていく。そんな状態にも拘らず、ヌンデルは笑顔を崩さない。やがて、彼は右手を伸ばし、掴み取れない何かを握りしめた。
「エルド……叶えてくれ……俺たちの夢を……」
その言葉と共に、使役士ヌンデルは完全に消滅する。すでに、ユニコーンのジョン、フェンリルのジョージも葬られており、彼はその後を追う形となった。
この虐殺を行ったエルドは、震えた声で悪態をつく。
「裏切っておいてそれを言うか。最後まで調子の良い奴だ……」
彼は組織の中心として、裏切り者の処分を行っただけ。ただ、それだけの事だ。
他の【ダブルブレイン】のメンバーは、ヌンデルの最終ショーを観戦していた。敵を追うことも出来ただろう。しかし、それをせずに彼らは元同士の最後を看取る。それが、同じ組織としての仁義だった。
しかし、そんな中に一人。この茶番をくだらなく思う者がいた。
鎧の男、ビューシアは遅れてこの場に現れ、エルドたちと合流する。そして、愚か者をあざ笑うような目をし、ヌンデルの消えた虚空を見下した。
『無様なものですね。私たちに仇名して結局何も出来なかった。実に滑稽ではありませんか……』
ビューシアは微笑していた。ヌンデルに対する敬意など、まるで感じられない。彼にとって、この世界から消えた弱者など無価値に等しいのだろう。
仲間に対するその態度がイデンマの逆鱗に触れる。彼女はナイフを握り、同士であるビューシアに対して臨戦態勢を取った。
「ビューシア……撤回しろ」
「落ちつけ、イデンマ。俺たちが争ってどうする」
赤と青のオッドアイが、獲物を狙う獣のように光る。仲間に武器を向けるイデンマをエルドは冷静に宥めた。彼の言うように、今は仲間割れをしている場合ではないだろう。
目隠しをした少女マシロは、その下から一筋の滴を落とす。そして、頭を深く下げ、別れの言葉を投げた。
「ヌンデル……おやすみなさい……」
「はーい、マシロ姉ちゃん。へこんでなんていられないよ。これから忙しくなるんだからさ」
そんな彼女の頭を撫でるリルベ。いつも空気の読めない彼だが、今回ばかりは自重している。ヌンデルの事をよく思っていたのは、この少年も同じだった。
エルドは他のメンバーに背を向け、その場を去ろうと歩き出す。彼は流浪のソロプレイヤー。仲間と共に行動するのは、性に合っていないらしい。
「どうするつもりだイデンマ。俺はまた旅立つ。指示とか出さんからな」
「手はある。お前のお気に入りに散々振り回されたんだ。もう、相手にするつもりはない」
イデンマの計画に対し、リルベが疑問を投げる。
「スルーって事?」
「そうだ。今はNPCの魂エネルギーを集めて、ルルノーのプログラムを起動させなければならない。奴らの踏み入らない辺境の地を狙って、亜人のエネルギーを搾り取る」
彼女は敵によって計画を狂わされていた。そんな奴らに対し、真っ向からぶつかり合うのは得策ではない。イデンマは冷静に考え直し、計画の実行を最優先する。
人との関わりが少なく、周囲から隔離されている亜人を狙うのは有用。だからこそ、今まで妖精やエルフ、人魚を狙ってきたのだ。
「だが、余計な事をしないよう枷は付けておくつもりだ。初心に帰って、奴らを影から拘束する。まずはバルメリオ。奴には少し仕置が必要だ」
自らは手を出さず、遠回しに敵の動きを止める。それがイデンマの計画だ。
リルべとビューシアはつまらない物を見るような目をし、エルドは納得の表情を浮かべる。やがて、英雄は同士に背を向け、再びどこかへと消えていった。




