77 それがお前の答え
帆が折れてしまい、バランスを崩す海賊船ホルテンジア。これは、長居は無用な雰囲気だな。
俺は打倒されたヌンデルさんに、少しずつ近づいていく。彼は床に腰を下ろし、肩で息をしている状態だ。
「油断はしてねえよ……ただ、負けるとは思ってなかった……」
男は腹をくくったようで、一切抗おうとはしない。この潔さは非常に彼らしいな。
「さあ、殺せ。俺様は悪人になりきれなかった。残りの奴らはこうもいかねえぜ……」
「……ゲームオーバーになるだけでしょう?」
「俺らに戻る身体はない。死ねば終わりさ……」
ヌンデルさんは先ほど、【ダブルブレイン】と言っていた。もしや、彼らの正体は二つ目の脳……?
幽霊なんかより、よっぽどあり得る話だ。俺たちはデータ世界にもう一つの脳を作り、それに【ディープガルド】の記憶を保管している。本体が死んだことにより、それが暴走を起こした……? 憶測だが、もし本当なら頭の痛くなる話だ。
しかし、生きているのに変わりはない。俺はスプリやステラさんたちNPCを切り捨てたくなかった。だからこそ、今目の前にいる彼を処分する事が出来ない。
「ためらう必要はねえよ。俺は一度死んでるし、まず人間じゃねえ。俺を生かせば仲間にも危機が及ぶ。嫌だろ?」
彼がそう言うと、アイがムッと口を曲げる。一体何に対して腹を立てたのか分からないが、相当機嫌が悪そうだ。
俺が悪人を処分できない意気地なしだから失望したのか? そりゃそうだよな……俺だって自分が情けないよ。
だが、仲間に危機が及ぶというのは事実だろう。こいつのせいで、NPCの命やプレイヤーの記憶が奪われる。それは俺にとって我慢ならなかった。
俺は銃を握り、それをヌンデルさんに突き付ける。すると、その前に一匹のモンスターが飛び出した。
『コケッ……!』
「ポール……」
体を震わせ、主人を守るように立ち塞がるコカトリス。これを見せられて俺に撃てと?
無理だ……どうしても出来ない……
でも、俺がやらなきゃ他の誰かに危機が及ぶかもしれない。それなら、ここで修羅の道を歩むのも……
そう思った時だった。銃を構える俺の右手を何者かが握る。
「レンジさん……貴方はこの私を侮辱する気ですか……?」
「アイ……?」
アイは普段とは違う恐ろしい形相で俺を睨み付けた。
「私は貴方の意志を折るために、仲間になったわけじゃない! 殺生を拒むのなら、胸を張って貫くことです。それで仲間が枷になるなら、切って捨てても構いません!」
ようするに、自分のせいで俺が思想を曲げることが気に食わないということか。それにしても、殺生やら枷やら、普段そんな言葉づかいしてないだろ……
これはまたトリップしてるな。だが、彼女の言うことは最もだった。
俺は笑う。そして銃を収め、ヌンデルさんに背を向けた。これで良い。これが俺の思う最善だ。
この判断に納得がいかないのか。敵は立ち上がり、俺に向かって叫ぶ。
「おい、待てよ……俺様を生かしたら、後悔するぜェ!」
「させてみろ」
彼の言葉に対し、俺は精いっぱいの強がりを言った。後悔だったら何度もしている。今更そんなのは怖くない。
今一番怖いのは、自分の心に嘘を付いてアイに失望されることだった。
回復薬を使用し、ようやく一息つく。
しかし、まだ戦いは終わっていない。バルメリオさんもハリアーさんも戦闘中だった。
「アイ、ヴィオラさん。ノランを助けてエンタープライズに戻ってください。僕はバルメリオさんを支援します」
「貴方一人を行かせるわけにはいかないわ」
「ラプターさんもいるので大丈夫です。ヌンデルさんの敗北を知れば、敵も撤退するでしょう」
ヴィオラさんは心配しているが、誰か一人は支援に行くべきなんだ。それなら、当事者である俺が行く。二人にはやってもらいたいことがあるから、これが最善だろう。
「分かった。気をつけてね」
半ば無理やりだが、何とか彼女を言いくるめる。さて、もう一仕事しないとな。
二人が船に戻っていくのを確認すると、【覚醒】の効果が限界となった。俺は通常の状態へと戻り、ステータスは一気に降下する。
殴り合いは出来ないが、サポートぐらいなら出来るはずだ。絶対にバルメリオさんをゲームオーバーにさせるものか。それは、本日二度目の覚悟だった。
ホルテンジアの船首。そこで、バルメリオさんとイデンマさんの戦いが行われていた。
闇雲に銃を放つ銃士に対し、盗賊が行った行動は強行策。彼女は弾丸の雨を避けもせず、防御もせず、その身に受けて突破する。攻撃が体を貫いても、すぐに傷口は再生してしまう。本当に滅茶苦茶なチート能力だな。
「スキル【毒斬り】」
毒液を纏ったナイフがバルメリオさんの腕を切り裂く。しかし、彼は冷静だった。
瞬時に距離を取り、アイテムバッグから解毒剤を取り出す。なるほど、強力な毒を受けても、すぐに回復してしまえばいいんだな。
「残念だったな。盗賊対策は万全だ。この解毒剤さえあれば……」
「スキル【盗む】」
だが、その策略は簡単に崩れさる。彼の持っていた解毒剤が一瞬にして盗まれてしまったのだ。
盗むのは盗賊の本業か。まさか、対人戦にこうやって生かすとは思ってもみなかった。
イデンマさんはお手玉のように解毒剤を転がし、やがて蓋を開ける。そして、煽るようにその中身を全て飲み干した。
「盗賊対策が何だって? よく聞こえなかったぞ」
「くそっ……」
これは彼女の方が一枚も二枚も上手だな。解毒剤は沢山持っているだろうが、隙を作らなければまた【盗む】を使われるだけだ。
長時間【覚醒】のスキルを使い、今の俺は真面に戦うことが出来ない。だが、たとえ【覚醒】がなくても、仲間を支援しなくちゃギルドメンバー失格だ。
俺が支援に出ようとした時、イデンマさんが先に勝負を決めに出る。彼女はナイフを構え、バルメリオさんとの距離を一気につめる。
「スキル【ハンティング】」
まずいぞ、盗賊専用のスキル【ハンティング】。相手が状態異常の時、威力が二倍になる恐ろしい技だ。
本来、状態異常に強い俺がイデンマさんと戦うべきだ。しかし、これはバルメリオさんの宿命の戦い。俺が邪魔をするのは無礼だと思っていた。
だがこんな事なら、俺が代わりに行けば……そう思った時だ。
「やっはー! スキル【パワーショット】!」
イデンマさんの体を雷を帯びた弾丸が貫く。それは、突如現れたラプターさんの攻撃だった。
【パワーショット】は通常の弾丸より威力の高いシンプルなスキル。本来追加効果のないスキルなのに、何故か電撃を帯びているぞ。
彼女は二丁の拳銃を両手人差し指にかけ、それをグルグルと振り回す。
「二丁のサンダーバレット、私のお気に入りだよ!」
「属性特化か……スキル【隠れる】」
属性特化、各属性の攻撃力上昇スキルを強化した構築。ラプターさんの場合、【雷属性威力up】のスキルを強化し、なおかつ雷属性の武器を装備しているというわけだ。
彼女の実力を評価したのか、イデンマさんは【隠れる】のスキルでその身を潜めてしまう。これはまた、典型的な盗賊の戦い方だな。
隙を突き、状態異常で弱らせ、スピードで翻弄する。今回の場合、突然の不意打ちを警戒しなくてはならない。
しかし、バルメリオさんとラプターさんはお気楽なものだ。二人で何やら言い争っている。
「おい、邪魔するな女!」
「私はラプターでーす。女って名前じゃありませーん」
邪魔というより、明らかに助けたのだろう。しかし、冷静さを失っているバルメリオさんは、彼女を罵倒することしか出来なかった。
そんな彼を落ち着かせるように、ラプターさんは明るく茶化していく。
「ほら、解毒剤飲まないと、いっきいっき!」
「あ……ああ」
アイテムバックから二つ目の解毒剤を取り出し、それを飲み干すバルメリオさん。完全に手玉に取られてしまっている。
彼は回復動作を行い、無防備な状態だ。来るな……イデンマさんが攻撃を加えるなら、このタイミングだ!
「スキル【不意打ち】」
「ラプターさん! 後ろです!」
俺はその場から飛び出し、戦いの場に参入する。やはり、様子を伺っていて正解だ。こうやって違う角度から戦闘をサポートできるからな。
イデンマさんが使った【不意打ち】は、【隠れる】と組み合わせて使う盗賊のスキル。効果はそのまま、不意打ちする効果だ。
俺の声により、ラプターさんは後ろの敵に気づき、ナイフを銃の柄によってジャストガードする。まさか、あの態勢からジャストガードか……彼女、ランキングの順位より強いのでは?
俺が現れたことにより、イデンマさんは表情を崩す。ヌンデルさんが俺を倒したなら、ここにいるはずないからな。
「何故英雄様のお気に入りがここに……? ヌンデルの奴は何をやっている」
「すいません、倒しちゃいました」
「何だと……?」
あの冷徹な彼女が明らかに動揺している。まあ、普通はヌンデルさんが負けると思わないだろう。俺も思わない。
彼女は苦笑いをしながら、少しづつ後ずさりをする。
「マストが折れたのはそれか……殺したのか?」
「冗談、僕にそんな覚悟はありませんよ」
こっちは一般人なんだ。生憎、正義のために人生を崩したくはない。
そうだ、俺が望むのは平穏。ようやく、この選択に胸を張れるよ。
「とにかく、バルメリオさんには悪いですが、ここは三人で……」
俺がサポートに移ろうとした時だった。突如、船が大きく傾き、そのバランスを崩す。
どうやら巨大な波に煽られたらしい。海は見る見るうちに荒れ、波は次第に高くなる。これは、嵐の前兆か?
先ほどまで周囲を覆っていた霧は晴れていき、代わりに雨が降り注いでくる。何なんだ、この突然の天変地異は……
「嵐……?」
「一体なにが!」
ラプターさんもイデンマさんも、状況がよく分かっていない。こうも急に天候が変わるなど明らかに異常だった。
空はどんどん薄暗くなり、雨脚も次第に強くなる。波の方もかなり高くなり、船の揺れも相当に酷い。もはや、立っているのもやっとな状況だ。
混乱する俺たちの元に、一人の男が歩いてくる。ボロボロの体を引きづり、船の揺れに抗う彼。まさか、まだ動けるとはな……
「キャプテンキッドの呪いだ。奴が倒されちまったようだぜ」
「ヌンデル!」
イデンマさんは、酷くやられたヌンデルさんを見て驚愕する。やっぱり、この人は相当に強かったのだろう。
それより、今はこの嵐をどうするかだな。ハリアーさんが倒したであろう、キャプテンキッドの呪い。被害を受けているのは、全く関係のない俺たちというのは如何なものか。
このまま船が沈めば、両サイド共倒れだろう。しかし、実際は相打ちすら難しいようだ。
「俺らは不死身だ。船が沈んでも死なねえ。だが、お前たちはこのままゲームオーバーだろうな……」
この状況を放っておいても、イデンマさんとヌンデルさんは勝てるってわけか……流石にこんな展開は予想としていない。まさか、天変地異によって敗北するなど、全くもって笑えないぞ。
敵はこれ以上戦う必要はないだろう。しかし、イデンマさんは納得していなかった。彼女は何としても俺を葬り去りたいらしい。
「ダメだ。英雄様のお気に入り、奴だけは確実に仕留める。僅かな可能性すら与えるわけにはいかない!」
俺はヌンデルさんを倒した。イデンマさんはそんな存在を危険分子と見なしたようだ。
傾く船の上で、彼女はナイフを握る。そして、必死にバランスを取る俺に向けて、そのナイフを勢い良く放った。
「スキル【武器投げ】!」
ダメだ……こんな体制ではジャストガード出来ない。【覚醒】を使っていない今、レベル差のある俺は一撃でゲームオーバーだぞ。
何とか転がるように攻撃を避けようとする。しかし、イデンマさんはその動きすらも予測して武器を投げていた。
迫るナイフ、俺は何も出来ずに両手を付く。もう考えている時間も、行動する時間もないか……
これで詰みだ。もう手はない……
しかし、敗北を覚悟したその時だった。突如、眼の前に一匹のモンスターが飛び出した。
「何で……ポール……」
「それがお前の答えなんだなポール。上出来だ……」
俺を庇うようにナイフに貫かれるコカトリス。ヌンデルさんは、その光景を目に焼き付けていた。まるで、彼の最後の勇士を見届けるかのように……
ポールはどこか嬉しそうな顔をすると、光となって消滅する。その瞬間、海賊船に巨大な波が覆いかぶさった。
大量の水が俺に押し寄せ、海へと引きずり込んでいく。一度に沢山の事が起こりすぎて、何が何だか分からない……
頭の整理が出来ないまま、意識は闇の中へと沈んでいった。




