06 ミートスパゲッティー
俺は武器防具屋を後にし、待ち合わせの噴水広場へと向かう。
ゲームスタート時に貰ったお金もあり、目当ての物は一通り買い揃えることが出来た。所持金が一桁になってしまったが、モンスターを倒せばまた増えるだろう。
しかし、これで回復薬などを買い揃えるお金はなくなる。残りライフポイントに注意して、無理な戦闘は極力避けるように志さそう。
そう、考えている時だった。
「おい、貴様! 止まれ!」
突如、何者かの声が響く。
特に呼び止められるような事もしていない。きっと他の誰かを呼んでいるのだろう。そう思い、俺は彼の言葉を無視する。
「止まれと言っているだろうが! 貴様、私を愚弄する気かァ!」
「え……僕ですか?」
だが、呼び止められたのは俺だった。
訳も分からず振り向き、声の主を見る。銀色の長髪に、真っ白いマントの男。所々に付けた星形の装飾品に加え、マントの裏面には美しい夜空が描かれている。元のジョブが分からないほどゴテゴテした服装から察するに、彼の装備品は全て最上級の物だろう。
そして、何より驚いたのが瞳の中に輝くいくつもの星。街のプレイヤーを何人も見たが、こんな目をしたプレイヤーは一人もいなかった。俺はこれを、上位のプレイヤーのみ使用できるオプションパーツと読む。彼からは、尋常じゃない強者の貫禄を感じた。
「少年よ! なぜ星は光っていると思う!」
そんな強者から放たれる突然の問い。心の準備が出来ていなかった俺は、とっさに適当な事を云う。
「えーと……燃えてるから?」
「愚か者がァ! 私たちの進むべき道を示しているからに決まっているだろうが!」
「え……えー……」
質問に答えただけなのに、何か滅茶苦茶怒られた……
いや、答えとしては良い線だと思ったのだが、彼のお眼鏡には叶わなかったようだ。
男は声を張り上げ、自らの思想を大声で語り出した。
「星は人類の道標であり! 人々の希望でもある! まさに大宇宙に広がる無限の可能性を体現しているだろう!」
「いや、そんな事を言われ……」
「黙れィ! 今、私が喋っているだろうが!」
いや、どうすればいいんだよ……黙って聞けという事なのか。
聞くにしても、何を言っているのかさっぱり分からない。何より、何故俺にこんな話しをするのか……
「宇宙の誕生は約百五十億年前! 巨大な爆発であるビッグバンによって、その歴史が始まったと言われている! 数えきれないほどの星雲が生まれ! それらがぶつかり! 集まり! 徐々に惑星の形となっていったのだ!」
「えっと、それは……」
「黙れィ! 意味などないわ!」
えー……この人滅茶苦茶だ……
意味もないのに俺を捕まえて語り出したのか。びっくりだよ。
「全ては星々の瞬くままに! 全ては大宇宙の意思のままに! 少年よ! 貴様の銀河英雄伝説は今始まったばかりなのだ! 銀河ァ!」
彼は好き放題言まくると、満足したかのようにその場から立ち去る。
残された俺は、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。
「何だったんだ……」
俺はこの一件すべてを忘れることにした。
早くヴィオラさんたちと合流したい……何だかとても疲れたよ。
現実世界では夜の9時半、【ディープガルド】世界では昼の2時。俺はヴィオラさんたちと合流し、街のレストランへと移動する。
この場所に来たからには昼食を取るのだろう。しかし、この仮想空間内で食事が出来るものなのだろうか? いや、そういえば今朝、俺は薬草を食べている。理屈的には可能なはずだった。
俺の疑問に答えるかのように、ヴィオラさんがメニュー表を広げる。
「さあ、今日は入団祝いとして私のおごりよ。じゃんじゃん食べて頂戴!」
やはり、薬草以外も食べることが出来るようだ。
木製のテーブルにはフォークとナイフが置かれ、ここが本当にレストランだと証明している。
「食事が出来るんですね」
「出来るわよ。現実世界に戻ったら腹ペコに戻るけど」
「ひょっとして、食べなかったら餓死とかするんですか?」
「するわよ。ちなみに、死んだらお腹いっぱいに戻るわ」
「どういう……ことだ……」
まあ、餓死して町に戻っても速攻で餓死して、恐怖のループ世界に閉じ込められてしまうからな。ゲーム世界に変なリアリティを求めた結果、何だかよく分からないカオスな仕様になってしまったようだ。
少しすると、俺たちの元にウェイターがやってくる。ヴィオラさんはオムライスを頼み、それに続きアイがメニューを頼んだ。
「私はカルボナーラを」
「じゃあ……ミートスパゲッティー」
スパゲッティーを頼むアイに釣られ、俺もスパゲッティ―を頼む。
そもそも、なぜ中世のような時代に、このような料理があるのか。ゲームなのだから突っ込んではいけない部分だが、やはり世界観が滅茶苦茶だった。
数分ほど経過すると、ウェイターが俺たちの元に料理を運んでくる。勿論ゲームなので、一瞬で料理を作ることも出来るのだろう。しかし、そこは何故かリアルさを優先している。リアルにしたいのか、ゲームにしたいのか、どっちなんだ……
目の前に並べられた料理。ヴィオラさんとアイは律儀に「いただきます」と言い、それらに口を付ける。しかし、二人が食事を勧める中、俺はどうしても食欲が湧かなかった。
ここに置かれている料理は、本当に料理なのか? 所詮これは、データーによって作り出された偽りの存在。それを考えると、何故か食べることが出来ない。
心配したヴィオラさんとアイが、俺に声をかけた。
「全然手を付けてないわね。調子悪いの?」
「ダメですよレンジさん! 男の子はじゃんじゃん食べないと!」
適当に理由を付けて、誤魔化すことも出来ただろう。しかし、俺は話したかった。この世界にやってきてから、ずっと心の中にあるもやもやとした感情。それらをどうしても表に出したかったのだ。
「食べても血肉にならないんでしょ? 何だか気持ち悪いです。全く気乗りしませんよ……」
そう言って俺は、テーブルの上のスパゲッティ―をフォークでくるくると巻いては元に戻す。
理屈っぽくて捻くれ者な性格が、この場面で災いしたようだ。理解が追い付かないと、どうしても気分が乗らない。頭の中で上手く歯車が噛み合わないのだ。
そんな俺の顔を、アイが恐る恐る覗き込む。
「あの……レンジさん……」
「なんだ?」
「さっき、時間の説明の時、すっごく怖い顔してましたよね……? 何だか機嫌が悪そうでした」
ここでその話しを繋げてくるのか……こいつ、見かけによらず鋭いのかもしれないな。
彼女の察した通り、先ほどの話しと、料理に手が付けられない事には綿密な関係がある。
「ああ、ダブルブレインかよ……って思っただけさ」
「不満そうね。もしかして否定派の人?」
「どちらかといえば、ですね」
ダブルブレイン……俺の中の歯車が最も噛み合わない先進技術。
ヴィオラさんの察した通り、俺はこの技術を面白く思わない。何だか、生きることその物を侮辱されているかのようで、非常に気分が悪くなるのだ。
俺が素直に自分の心の丈を話すと、アイは非常に複雑な表情をする。やがて、彼女は一言、驚くべき疑問をこぼした。
「あの、ダブルブレインって何ですか?」
これには俺も、ヴィオラさんも絶句した。まさか、こんな事も知らないとは……
「アイちゃん……バカだバカだとは思っていたけど、そこまでバカだったなんて……」
「……大丈夫か? 小学校からやり直すなら今の内だぞ?」
「ひ……酷いです!」
とにかく、ボロクソに言われるアイ。今となっては、ダブルブレインは世間の常識だ。知らない奴はどうかしているだろう。
しかし、優しいヴィオラさんは。そんな一般常識を丁寧に説明していった。
「ダイブシステムが完成して数年。普及が進んだこのシステムは、次のステップに進むことになる。それが、体感時間の操作よ」
「体感時間?」
「さっき言ってた事ね。この世界では現実世界での1時間が、4時間として扱われる。つまり、この世界で生きることは、4倍の時間を手に入れるってこと。まあ、正確には違うんだけど」
そう、正確には違う。これはあくまでも体感時間、体で感じる時間の話しだ。
「本当に4倍の時間が手に入れば革命だな。1時間の勉強時間で、4時間分の勉強を行えるんだから、恐ろしい天才が完成する。見た目は子供、頭脳は大人なんてのも現実になるだろう」
「でも、それは実質的には不可能なのよね。1時間の内に4時間分の情報量を詰め込んだら、脳がパンクしちゃうわ。その対策として製作されたのがダブルブレイン。二つ目の脳よ」
アイは今一つしっくり来ないような顔をしている。だが、ヴィオラさんは構わず、さらに突き詰めた説明をしていく。
「データ上にもう一つの脳を作って、人間の脳と繋げるの。そうすれば、脳の機能を拡張出来るってわけ」
「ただし、これはあくまでもデータ上の話しだ。ダイブが終われば、データ中の情報は切り離される。だから、現実世界にこっちの世界の記憶を全て持ち込むことは出来ないって事になるな」
俺がその言葉を発した瞬間、アイは急に慌てだした。
「じゃ、じゃあ! あちらの世界に戻ったら、二人とも私のこと忘れちゃうんですか!」
「完全に忘れはしないだろうが、はっきりとは思い出せないかもな」
「忘れないでくださいね! 絶対、絶対忘れないでくださいね!」
「言っておくが、【ディープガルド】に戻れば元に戻るからな。再びもう一つ脳が繋がる」
ダイブシステムは夢のようなものだ。不必要な情報は、現実世界に持ち込まないようになっている。
まあ、人間は一日のほとんどを次の日には忘れる生き物だ。それと同じような物だろう。
「でも、何でレンジさんはこのシステムが嫌いなんですか? とっても凄い発明なのに」
アイにそう質問されると、俺は言葉に詰まる。何故かは分からない。だが、どうしても理解が追い付かないのだ。
そんな俺の代わりに、ヴィオラさんが別の例を取って彼女の疑問に答える。
「一部の人から言われてるのよ。この発明は神様への冒涜だってね」
「神様への冒涜……?」
「体感時間が延びれば、ある意味人間の寿命も延びることになるの。余命一年の人に点滴を繋げ、ダブルブレインを使ってデータ上で生活させれば、体感時間的には三年の延命よ。人によっては、それが偽物の命に思えるのかもしれないわね」
偽物の命に思える……確かにそうかもしれない。
俺は人の命を、時間を、悪戯に操作することが気に入らないのだ。
「動かなくなった体も、ダイブシステムでデータ世界に入れば元に戻る。失われた寿命はダブルブレインで延命できる。別に神様だとかそんなんじゃないけど、それが本当に正しいのかと考えるんだ」
俺は深く俯き、言葉を続ける。
「そもそも、データ上にあるもう一つの脳は、本当に本人なのか? それはデータによって作り出された偽物の自分なんじゃないか? 考えれば考えるほど、理解が追い付かないよ」
未だにテーブルに並べられたスパゲッティーに手が付けられず、すっかり冷めてしまった。
初めは適当に聞いていたヴィオラさんが、今は深刻な表情をしている。俺の事を軽蔑しているのだろうか? 同情しているのだろうか? どちらにしても、それは仕方のないことだった。
「貴方、未来世界に付いていけてないのよ」
「そうかもしれませんね……」
俺はシュン……と縮こまり、彼女の言葉を素直に受け入れる。
人の進化に付いていけない古い人間。さしずめ、錆びついた歯車。周りとの噛み合いが悪く、俺一人のせいで皆に迷惑をかける。俺はそういう人間なんだ。
考えれば考えるほどに気分が沈む、そして余計に食欲が無くなっていく。
そんな時だった。目の前に突如、フォークに絡め取られたミートスパゲッティーが突き付けられる。アイが勝手に巻き取り、俺の口に運ぼうとしているのだ。
「でも、それはそれ! これはこれです! レンジさん、あーん」
「おい、アイ……」
「食べなきゃダメです!」
アイの意思は固い。本当に彼女の度胸は人一倍だ。
だが俺にもプライドがある。公衆の面前で、こんな恥ずかしい真似は出来なかった。
「分かった俺の負けだ。自分で食べるよ……」
俺は大きくため息をつき、アイからフォークを受け取る。そして、一口。それをじっくりと味わった。
現実世界と変わらないトマトの味、パスタの食感。悔しいが、これは間違いなくミートスパゲッティーだ。
「おいしい……」
そう言った俺を、アイとヴィオラさんはニヤニヤと見つめる。
戦闘を立て続けに行い疲れていたからだろうか、冷めたミートスパゲッティーがとても美味しく感じられた。
……って、このフォーク。さっきまで、アイが使ってたやつじゃないか! おい!