63 二つの絶景
ゲームを初めて十二日目。今日は金曜日で、平日最後の日だ。
いつもと同じようにアイとトレーニングを行うが、どうにも身が入らない。完全に昨日の出来事を引きずっていた。
それでも、感覚の方は冴えている。俺はアイの攻撃を軽快な動きで捌いていく。これには彼女もご満悦だ。
「レンジさんは、どんどん強くなっていきますね。いつか、私を越えちゃうかもしれませんよ!」
ゲームを始めたときは、いつか強くなりたいと思っていた。スプリとの約束も、果たすべきだと思っていた。でも、今はなぜか気分が乗らない。【覚醒】を使った無双は俺の求めているものと違う。そう思えて仕方がなかった。
力を手にし、理想に追い付いた今は複雑な心境だ。思わず、その思いが言葉に出てしまう。
「俺、強くなっていいのかな……」
「なっ……何を言っているんですか! スプリさんとの約束を果たすためにも、ステラさんの思いに答えるためにも、レンジさんは強くならなきゃダメですよ!」
戦いの手を止め、アイはそう叫ぶ。まあ、彼女としては俺に強くなってほしいだろう。この少女は生粋のバトルマニア。力こそ正義とか考えてそうだからな。
だが、俺はそう思わない。俺の専門は小細工や不意打ち。心を情熱に燃やしてぶつかり合うなんて、らしくないはずだ。しかし、あのビューシアというプレイヤーは、そんな俺の思想を否定していた。
「ビューシアが言ったんだ。俺は戦う事に愉悦を感じている。自分と同族なんだって……」
「そんな人の言うことなんて、気にしちゃダメですよ! レンジさんが楽しいと思うのなら、それで良いんです! 間違っていません!」
これはゲーム。楽しんだ者が勝ちだ。それは分かっているが、どうも深く考えてしまう。
「【覚醒】のスキル……俺はこんなチートスキルが欲しいと思っていた。だけど、それを手に入れた途端に戦闘が楽しくなったんだ。こんなの、ただ力に溺れてるだけだよな……」
やっぱり、俺は一方的な無双を望んでいるのか?
これからどんどん強くなって、悪人をバッサバッサ打倒する。大層気持ちいいだろうな。そりゃ、自分に酔いたくもなるだろう。だけど、それで良いのか……?
アイの顔から笑顔が消える。彼女は普段見せない真剣な眼差しで、俺に疑問を投げた。
「……レンジさん、貴方は自分が強いから戦いが楽しかったんですか?」
「そりゃ、そういう事になるよな」
「本当にそうですか? 思い出してください! あのとき、レンジさんは何を感じていましたか!?」
あの時、リルベとの戦いのとき……俺は霞掛かった自らの記憶を探っていく。
「俺が攻撃仕掛けたとき、リルベがそれに対抗したんだ。それを見て思った。弓術士はなんて多彩なんだ。それを使いこなすあいつは、純粋に凄いなって……」
そうだ、俺はあいつに敬意を払ったんだ。
「敵なのに……ゲス野郎なのに……凄いと思ったんだよ! そうしたら、楽しくて笑えてきた!」
「レンジさん、それが答えです! レンジさんは溺れてなんていません! 自分が強くなったから、相手の強さが分かったんです!」
そうだ、独りよがりの戦いに、愉悦を感じていたんじゃない。相手が対抗姿勢を見せたとき、嬉しくって仕方なかった。あの戦いは、二人いてこその戦いだったんだ。
俺はビューシアのように、一方的なPKを行うつもりはない。どうせ戦うのなら、ディバインさんのように闘技場で脚光を浴びたいかな。
「ありがとうアイ。また、助けられた」
「気にしないでください。大丈夫です! 私が付いていますから!」
やっぱり俺に無双は似合わないな。この【覚醒】のスキルは、戦略の中に組み込む。これが俺にとっての最善だ。
リュイとも合流し、さらにトレーニングは続く。例え敵を倒す気がなくても、身を守るためにも力は必要。今更、迷ってなんていられなかった。
ヴィオラさんとも合流し、俺たちはスプラウトの村を後にする。リルベを退けたこともあり、旅立ちの時はエルフの皆が見送ってくれた。こうやって感謝の意を受け取ると、正義の味方も悪い物じゃないと思う。
道中の雑魚モンスターを蹴散らしつつ、俺たちは大橋の街アルカディアを目指す。相も変わらず、エボニーの森は真っ暗で不気味なダンジョンだ。怪しく光るキノコが非常に薄気味悪かった。
レベルが高いため、戦闘に手出し出来ないヴィオラさんとヴィルさん。退屈なのだろうか、二人はくだらない会話をしている。
「結局、本当に助けてくれなかったのね」
「心外だね。エボニーの森の奥まで攻略に行ってたんだ。気付かなかったんだよ」
昨日、ヴィルパーティーが姿を現さなかったことを言っているのだろう。どうやら、彼らはこのダンジョンを奥まで進んでいたようだ。
俺は二人の会話に何気なく入っていく。
「この森、まだ奥があるんですね」
「あるよ。まあ、最深部まで行くなら、それなりの準備とレベルが必要だけどね」
ヴィルパーティーは、俺たちより積極的にダンジョン攻略を行っているな。巨獣討伐ギルド【エンタープライズ】の方針なのだろう。
そんな彼らの一人、ハクシャがある事に気づく。
「ところでこいつ、大丈夫か? 昨日と比べて元気がないんだが」
彼の視線の先には、真っ黒いオーラを放っているルージュ。彼女は帽子を深くかぶり、覚束ない様子で森を歩いていく。これは元気がないってレベルじゃないぞ。昨日とはまるで別人だ。
すっかり変わってしまったルージュ。彼女は帽子の下から瞳を覗かせ、作り笑いを浮かべる。
「私のことは気にしないでください……本当の自分を思い出しただけですから……」
「お……おう」
そんなルージュに対し、完全にドン引いているハクシャ。普通の女の子に戻ると思っていたが、こりゃ普通じゃないな。恐ろしいほど根暗な子だ。
見かねたのか、優しいヴィオラさんが彼女を励ます。
「ルージュちゃん、ギンガの言うことなんて気にしちゃダメよ。結局、貴方を放置して逃げちゃったんだから」
「ギンガさんの事を悪く言わないでください……悪いのは全部私です……生まれてきてごめんなさい……」
こりゃ、どうにもならないな。普段からジト目で、無理に声を張り上げていると思っていたが、まさか中身はこんなに真っ黒とは……
アイは心配そうにしているが、俺と同じでどうにも出来ない様子。
「重症ですね……」
「とりあえず、今はそっとしておこう」
こればかりは、本人が乗り越えるしかない。周りが励ましても、余計に心が淀むだけだろう。
ルージュ、俺は応援している。また、輝いたお前を見れると信じているぞ。なんて、臭い台詞を心の中で思うのだった。
森もいよいよ出口が近くなってくる。俺のレベルは19になり、いよいよ初心者とは言えなくなった。
得意のジャストガードで、巨大なトレントの攻撃を弾いていく。巨木のモンスターであるトレントは、動きが遅いのでジャストガードが狙いやすい。俺にとっては完全にカモだった。
そうやって前衛で攻撃を弾き、モンスターを退けていく俺をイシュラが眉をしかめて見る。
「あんた、なんか役割が掴めないわね」
「一応、盾役志望だよ」
俺は【防御力up】と【状態異常耐性up】を鍛えた前衛タイプだ。最も、機械技師は特別防御力が高いジョブではなく、盾役は向いていない職業。今、前衛で戦っていけるのはジャストガードのおかげだった。
そんな俺の戦闘は、ヴィルさんにとっても珍しいようだ。
「タンクは攻撃を受ける役割だよ。君の場合はいなしてるね」
「何か、別ゲーム思い出したわ。影分身で攻撃を避ける盾役の忍者。運営に失敗、イメージに合わないって言われたやつ」
イシュラに何を言われようと、今さら戦略を変える気はない。ヴィルさんがこのゲーム馴れている事は知っている。だが、だからと言ってその常識に従う義理はなかった。
「テンプレを勝手に作って、値踏みしないでください。僕は自分のやりたいようにやります。それで孤立しても、構いませんよ」
「ま、頑張ってくれたまえ。そろそろ出口だよ」
真っ暗い森に光が射し込み、ようやくエボニーの森は終わりを告げる。
結局、ヴィルさんは俺の戦い方を否定しなかった。それはどうでも良いからか、期待しているからか。聞く勇気もないので、今となってはよく分からない。
怪しい森を抜け、空は再び真っ青に染まっていく。草原を踏みしめ、俺たちはアルカディアへとさらに歩み進める。すると、その視界に二つの絶景が広がった。
一つはエメラルドグリーンに染まった大海原。もう一つは石と煉瓦によって作られた巨大な橋。その両方が合わさり、このゲーム屈指の絶景を作り出していた。
「大きい橋ですね……」
「海! 海ですよ!」
美しい海の上に作られた大橋。昔ながらの方法で作られているため、現実ならとっくに取り壊されているだろう。この世界だからこそ、存在していると言っていい。
俺たちは草原を一気に進み、橋の目前まで到着する。確かに壮大だが、特にここで止まる意味はない。一応、ヴィオラさんが説明をしていく。
「【グリン大陸】と【ブルーリア大陸】を繋ぐシアン大橋よ。超えた先は大橋の街アルカディア。橋自体は特にイベントなし、ただ歩くだけの場所ね」
ただ歩くだけとは、もり下がることを言うな……まあ、本当にただの通行手段で、それ以外の何物でもないのだが。
特にコメントもなく、俺たちは橋の上を歩いて行く。橋自体はただの橋だが、そこから見える海と空は素晴らしい。なにより、モンスターが出ないのは気楽で助かるな。
しかし、この場面でモンスター以上に会いたくない人物と接触してしまう。彼女は橋を占拠しているのだ。避けられるはずがなかった。
「みんなー、今日はノランちゃんのスペシャルライブだよー!」
「ノランちゃんサイコー!」
シアン大橋のど真ん中でライブを開く迷惑プレイヤー。エンダイブの街で見かけたノランという少女だ。
エルフ耳で、煌びやかな衣装を身に纏っている。確かに顔はアイドルのような可愛さだが、いい加減にウザくなってきたぞ。俺はジト目で、ヴィオラさんに視線を向ける。
「イベントはない……?」
「プレイヤーが勝手に開いたイベントは知らないわ」
まあ、彼女に不満をぶつけても仕方ないよな。ここは関わり合いにならないように、静かに橋を渡ってしまうのがベストだ。
ヴィルさんとバルメリオさんは俺の意を察し、急に歩幅を大きくする。そうだ、このまま一気に歩み進めて、この少女を放置するんだ。決して目を合わせてはいけない。合わせればお終いだ。
しかし、物事がそう上手くいくはずもない。ナルシスの泉の時のように、真っ先にリュイが捕まってしまう。
「キミはリュイくん! また会ったね!」
「え……? え……?」
ノランという少女はこちらに視線を向けると、すぐに目の前まで走り寄ってくる。そして、リュイの手を握り、可愛らしく笑顔を振り向いた。
相当に困惑する少年。それも当然だ。リュイは彼女と直接の面識はないはず。「また会った」というのは明らかにおかしい。
だが、そんな疑問などこの少女には関係ない。踊子の彼女は、俺たちに華麗なターンを披露する。これは、また厄介事の始まりだろうな……




