37 オレンジの泉
俺は転がるように地面を移動し、敵から逃れる。
もう、スキルを使用する隙はない。ここからは、通常攻撃で牽制する以外になかった。
俺はサブ装備であるハンドガンを取りだし、それを構える。自分で作った装備だ。性能は微妙だが、思い入れはあるぞ。
そんな俺を見たバルメリオさんは、小バカにするように言う。
「情けない奴だな。そんな銃で、何が出来る?」
「情けなくたって構いません……これが僕の最善の策です!」
そうだ、これで良い。何とでも言わせておけば良いんだ。
俺は銃を発砲し、攻撃を行う。だが、バルメリオさんは避ける仕草すらなく、銃弾を全て身体で受ける。
直撃だが、全く効いていない。武器の性能が低く、適性スキルも持っていないので当然だ。何より、レベルが開きすぎていた。
「もう逃げられないだろ。お前の負けだ」
「ええ、僕の負けです。好きにして良いですよ。出来るものなら、ですけど」
そう言って、俺はバルメリオさんの後ろへと視線を向ける。彼はその視線の変化に気づき、背後へと振り向いた。
そこにあったのは、大きなギルド支店。掲げられた看板には、【ゴールドラッシュ】と刻まれていた。
「てめえ……自警ギルドの前まで誘導してやがったのか」
「こういうの、試合に負けて勝負に勝つって言うんですよね。良い言葉だと思いませんか?」
つまり、俺は犯罪者を警察署の目の前まで誘導したことになる。攻撃を二回防がれたんだ。真っ向から戦う選択肢など、とっくに放棄していた。
ここで騒ぎを起こせば、即刻ギルドメンバーに捕縛され、ペナルティは確実だ。この場所まで気づかずに移動してしまった時点で、勝負は決していたのだ。
バルメリオさんは悔しそうに奥歯を噛みしめる。やがて、諦めたのか、ため息交じりに言葉を投げた。
「普通、人ってのは真剣に、我武者羅になるほど強くなるもんだ。だが、お前は全く集中していない。常に注意が他に向いている。だから、人を騙すし、小細工を考え付く」
彼は銃を収め、続ける。
「お前、実際勝とうとも、負けようとも思ってないだろ? 常に自分にとって、都合の良い結果になるように模索している。そのためなら、勝敗なんてどうだっていい。こんな感じだな」
そうだ、俺にはプライドなんてものはない。学校では常に最底辺で満足し、目上の人には媚を売って生きてきた。つまらない、ダメ人間だろう。
だが、だからこそ無駄な拘りを切り捨てることが出来る。アイは言ってくれた。そんな俺にしか出来ない事があると……
「まじで怖い奴だよ。だが、それも面白い……」
彼は俺に背を向け、右手を軽く上げる。そして、すっかり暗くなった夜の街へと消えていった。
不味いな。今回の件で、余計に興味を持たれてしまったぞ。まあ、悪い人ではなさそうで、少し安心したが。
何だかんだで、すでに空は真っ黒に染まっている。マーリックさんが心配だが、彼もそこそこに強いプレイヤー。まず、無事であることは確実だ。
敵を退けたが、再びやることが無くなってしまった。ログアウトしても、余計に退屈になるだけだな。俺はとりあえず、どこかで時間を潰すことに決めた。
俺は一人、街の端で泉を見る。闇夜を照らす街灯は、泉をオレンジ色に染め上げ、その光は砂漠の方へと届いていた。ここから見える全てのものが、まさにオレンジ一色だ。
オレンジ色は嫌いじゃない。落ち着いたような、明るいような、そのどっち付かずな所が良い。それに、何だか暖かくて元気が出るしな。
しばらくの間、その幻想的な風景に見とれている。すると、突然後ろから視界を何者かに塞がれた。
「レーンジさん!」
「うわ……!」
俺はとっさに、両目を塞ぐ手を払う。そして後ろへと振り向き、街の方に視線を向けた。
すると、そこには可憐な少女が一人立っていた。
「えへへ、ビックリしました?」
「アイ……! リュイはどうしたんだ?」
「宿題があるようで、さっきログアウトしましたよ」
まさか、この広い街で俺を見つけることが出来るとは……流石はアイと言ったところだ。
俺は途中でカジノから抜け出したことを気まずく思い。視線を再び泉の方へ向ける。すると、彼女は俺の隣に並び、一緒に泉を見る。いったい何がしたいんだよ……
二人っきりで並び、沈黙しているのはどこか気まずい。やがて、その沈黙を払うように、アイが一つの質問を投げる。
「もしこのゲームが脱出不能のデスゲームになったら、レンジさんはどうしますか?」
突然、何を物騒なことを……
見栄を張って、嘘を言っても仕方がない。俺は正直に自分の思う選択をした。
「宿の隅で震えてるよ」
「それでは、何も切り開けませんよ」
「良いんだよそれで。俺は正義の味方になりたいわけじゃないし、誰かを守りたいとも思わない。安息で、平和で、植物のような人生を送る。それが最高の幸せなんだ」
ああ、これで良い。この選択を行えば、誰からも傷つけられず、誰も傷つけなくて済む。血と汗を流してゲーム攻略を行うのは、勇者様にでも任しておけばいいんだ。
もっとも、これは仮定の話しだ。実際にはデスゲームなど、起こるはずがないだろう。それが現実というものだった。
「厄介事は御免だよ。デスゲームになったら、誰かにクリアしてもらうさ。俺より凄い奴は腐るほど居るだろうしな」
「そうですか……」
アイは少し残念そうな表情をし、何かを真剣に考える。
俺のヘタレっぷりに失望したかな。まあ、こいつは俺に期待しすぎている。ここらで現実を教えてやった方がこいつのためだろう。
やがて、彼女は俺に向かって、自分ならどんな選択をするかを話していく。
「私は戦いますよ。悲劇のヒロインなんてまっぴらです。助けてほしいとピーピー泣きわめく時間があるのなら、自分一人の手で未来を掴みとります……私、そんなに弱い女じゃありませんから」
「お前は強いな……」
「男に弱いところを見せたら、女は終わりなんです。女は男を支えてこそ、真価を発揮する。主人の手を煩わせるなど言語道断ですよ」
彼女はその場で回り、後ろで手を組む。そして、俺に向かって最高の笑顔で言った。
「私はレンジさんを支えますよ! 絶対、絶対、足を引っ張るような真似はしませんから!」
街の光にも負けないほど輝いた笑顔。まるで太陽のように、彼女は眩しくて直視できない。
だけど、それと同時に背筋が凍るような。深い闇のようなもをの感じる。
いったい、どっちの彼女が彼女なのか。それとも両方彼女なのか。解けない疑問を抱えたまま、俺はログアウトするのだった。
【インディ大陸】、スマルトの街。その中央に立つ巨大な城の中で、イデンマとリルベが話す。
二人の足元には温かいカーペットが敷かれており、目隠しをした少女が気持ちよさそうに眠っている。僧侶のマシロだ。
リルベは彼女を寝かしつけながら、イデンマに視線を向けた。
「で、雇ったプレイヤーキラーは?」
「どうやら、苦戦してるようだ」
「あーあ、やっぱり」
予想通りといった様子で、彼はソファーに腰掛ける。そして、傍に置かれたグレープの果実を一つ掴んだ。
「おいらたち雇い主の存在に、気づいちゃったと思うよ。英雄様のお気に入りだけは傷つけないって事も、絶対知られちゃったねー」
「不覚だったな」
反省した様子のイデンマなど無視し、リルベはグレープを口に含む。結局、彼の行動理念は面白いかどうか。情報がターゲットに漏れた事など、まったく気にしていない様子だ。
リルベは無邪気な態度で、彼女に自らの考えをアピールする。
「だからさあ、そろそろおいらたちの出番なんだって! 暗躍だけじゃ面白くないじゃん!」
「それが本音か……ダメだ。印を刻めないなら、諦めればいいだけの事。私たちが出る幕ではない」
「えー!」
イデンマは慎重だった。英雄様のお気に入りという存在対し、彼女は一切の油断をしていない。
だが、それも当然だ。英雄様という存在は絶対の力を持っている。そんな彼が気に入った人物など、普通であるはずがない。油断する方がどうかしていた。
だからこそ、彼女は慎重に事を進めることを第一に考える。
「とにかく、今後も慎重に……」
「レディース! アーン! ジェーントルメン!」
そんなイデンマの言葉を遮るように、何者かの声が城に響き渡った。
それと同時に、こちらに向かって少しずつ、蹄の音が近づいて来るのが分かる。彼女とリルベはとっさに扉の方に視線を向けた。
瞬間、扉は何者かによって打ち破られ、破壊される。そして、そこから一匹の白馬が飛び出した。
『ヒヒーン……!』
「俺様、ヌンデル参上ッ! 今夜も最高の猛獣ショーをお届けするぜェ!」
城中に響く声で叫んだのは、一角獣の白馬に乗った体格の良い男。黒を基調としたギャングのような服装をしており、腰には鞭を装備している。その装備やモンスターと共に行動している事から、使役士だと分かる。
ヌンデルと名乗るその男は白馬から降り、イデンマの前に立つ。彼女は男を鋭い眼光で睨み付け、敵意をあらわにした。
「ヌンデル……よくも、のこのこ顔を見せたものだな」
「釣れないなミース! せっかく、手伝いに来てやったのによォ!」
彼は一角獣の白馬、ユニコーンの頭を撫でつつ、イデンマを宥める。そんな彼の言葉に、リルベが食いついた。
「手伝い? いつも協力してくれないのに、珍しいね」
「よくぞ聞いてくれたぜ、ミスター! 英雄様のお気に入りって奴が、ログインしたんだってな! 俺もそいつが気になって気になって、うずうずしてんだよォ!」
要するに、単なる興味本意ということだ。こんなことで、計画を台無しにされたらたまらない。イデンマは声を張り上げ、ヌンデルに掴みかかろうとする。
「まさか、勝手に接触する気か!」
「おーっと、そのまさかだぜェ。オーケーオーケー、ぜーんぶ俺様に任せておきな!」
彼はイデンマの手を軽々とかわし、ユニコーン飛び乗る。そして、人差し指を窓の方へと示し、再び大声で叫んだ。
「いくぞ、ジョン! ヒャッハー!」
「ま……待て! ヌンデル!」
ジョンと呼ばれたユニコーンは、窓の方に向かって走り出す。やがて、ガラスを打ち破り、ベランダから下界へと飛び降りていった。こうなってしまえば、もはや誰も彼を止めることは出来ない。イデンマは呆れるばかりだった。
まさに破天荒、大胆無骨。ヌンデルという男がどんな人間か、この一連の騒ぎだけで分かるだろう。
部屋は嵐が過ぎ去ったかのように静かに戻る。リルベは再びグレープを掴み、それを口に含んだ。
「良いねー。波乱の予感だねー」
「リルベ、お前は無邪気すぎるぞ」
まるで叱りつけるように、イデンマは彼に言う。その様子は、まるで姉弟のようだ。
割れた窓からは、【インディ大陸】の極寒の風が吹き込んでいる。しかし、これほどの騒ぎあったにもかかわらず、マシロはカーペットの上で眠り続けていた。
【ディープガルド】を掻き乱す闇の組織。彼らの中で、新しい動きが起ころうとしていた。




