206 伝説の剣
俺の意識は一旦途絶え、元の【ディープガルド】で取り戻す。
月と太陽の模様が描かれたモーヴェットの塔最上階。何やらダンジョン全体が揺れており、部屋の中央には1と0の裂け目が渦巻いていた。
あれは、空間の歪みだろう。この世界の神であるPCさんが消滅したことで、世界の調和が乱れているのだろうか。何にしても、あまり良い状況じゃないな。
俺が帰ってきたことに気づいたノランが、すぐに駆け寄ってくる。
「レンジくん! PCちゃんは?」
「倒したよ。自分の世界に帰っていった……」
「ありがとう、レンジくん。すっごく頑張ったね」
正直、本当にあの結果で良かったのかは分からない。確かにPCさんは笑っていたけど、彼女の命を救う方法があったんじゃないか?
そんな俺の気持ちを察したのか、アイがこんな質問をする。
「どんな最後でしたか?」
「お父さんと再会して笑っていた。俺の目には確かに見えたよ」
「なら、彼女は幸せを取り戻した。それでいいじゃないですか」
どうやら、こいつは俺を気づかってくれたようだ。それだけでも、一人で最後の戦いに臨んだ価値があった。
リュイとルージュも、そんな彼女の言葉に同意する。
「PCさんが最後に笑えたのは、レンジさんがいたからです。他の人がこの戦いに挑んでいれば、きっと彼女は巨悪の根源として処分されただけでしょう」
「うん、ボクもそう思うぞ。レンジが優しいから、あいつは最後に救われたんだ」
何が最善かなんて誰にも分からない。あるのは、今現在存在する結果だけだろう。
だから、俺はもう振り返らない。長い戦いを終え、俺たちはついに敵の野望を食い止めたんだ。
俺が三人にお礼を言おうとした時、アスールさんがそれを阻む。どうやら、長話をしている状況ではないようだ。
「いい話のところ悪いんだが、まずはこいつをどうにかすべきだろ」
確かにその通りだ。空間の歪みは徐々に広がり、その力も大きく増している。
まるでブラックホールのように部屋を飲み込んでいき、俺たちのいる場所も長くは保たないだろう。このまま巨大化を続ければ、NPCに被害が出るのは確実だ。
その有様に、俺は思わず疑問を零す。
「これはいったい……」
「見てのとおりです。神の消滅によってデータの歪みが生じ、この世界の全てを飲み込もうとしています。崩壊までは時間の問題でしょう」
アイによると、どうやら相当にまずい状況らしい。このままでは【ディープガルド】の全てが1と0に飲み込まれてしまうぞ。
黒い風が吹き荒れ、歪み世界を飲み込もうと広がり続ける。すぐに逃げたいところだが、止めなければ解決にならない。絶対にNPCを見捨てるわけにはいかないからな。
「なんとか止めれませんか……?」
「まあ、お手上げだな。最後の最後にとんでもない置き土産を……PCさんよ恨むぜ」
ベレー帽に手を当て、アスールさんが奥歯を噛みしめる。畜生……最後の最後にこの結末かよ……
俺はこの【ディープガルド】を守りたい。創り直しではなく、今ある世界を守りたいんだ。これ以上、誰一人犠牲にはしない。
PCさんたちもそれを望んでいる。考えろ……考えるんだ……
いくら考えても打開策は浮かばない。いよいよ八方塞がりの状況となってしまった。
もう、この部屋にいるのは危険だ。一刻も早くダンジョンから脱出しなければ、無駄にゲームオーバーとなるだけだろう。
ここまでなのか……誰もが絶望の表情を浮かべた時だった。
ただ一人、ヴィオラさんが平然とした様子で歩き出す。
彼女の向かう場所は、歪みの根源である部屋の中央だった。
「おい、ヴィオラ! 危険だ!」
「ヴィオラ……!」
アスールさんとルージュが叫ぶが気にも止めない。
やがて、彼女は1と0の世界に身を落とし、呆然と立ち尽くす。そして、腰に刺した剣を抜き、それを天に掲げた。
「エルド……」
キッと目尻を釣り上げるヴィオラさん。彼女はそのまま剣を振り落とし、部屋の中央に突き立てた。
同時に、周囲に凄まじいほどの風が吹き荒れ、部屋の壁を吹き飛ばしていく。これはいったい、何が起こっているんだ……
俺たちが混乱する中、風は徐々に弱まっていく。あたりが静かになった時、そこに空間の歪みはなかった。
「終わっ……た……」
リュイが腰を抜かし、その場で尻もちをつく。
俺達の目線の先にあったのは、せつなげな表情を浮かべるヴィオラさん。崩れた壁から部屋を照らす太陽。
それに、床に突き立てられ、太陽の光に照らされるエルドの剣だった。
「あいつ……美味しいところ持っていきやがって……」
「俺の世界に手を出すな」と言わんばかりに、剣は堂々と突き立てられている。正しくそれは、伝説の剣というべき存在だった。
今、英雄の伝説と共に、【ディープガルド】の物語が完結する。
やっぱり、俺はあいつに踊らされていたのかもしれない。
最後の最後まで、本当に迷惑な親友だったよ……
俺たちはエスケープの魔石を使ってダンジョンから脱出する。そして、七人でパープル平原を歩き出した。
ディバインさんたちに勝利を報告しなくちゃな。みんな、俺たちを信じて待っていてくれたんだから。
とりあえず、中心地である王都に戻ろうと、ワープの魔石を取り出す。しかし、どうやら移動の必要はなさそうだ。
「レンジさーん! ヴィオラさーん!」
「ビスカさん!」
俺たちを迎えに来たのか、受付嬢のビスカさんと【ゴールドラッシュ】のディバインさんが待っていた。
二人だけではない。【7net】のヒスイさんに【ROCO】のイリアスも訪れている。あと、ついでにミミさんとギンガさんも。
俺たちの知り合いだけではなく、何人か物好きなプレイヤーも集まっていた。本当に大所帯でご苦労様と言ったところだ。
「ウォォォォ……! よーやった……! よーやったわ……!」
「ほんと凄いっすよ! 流石は私の一番弟子っすね!」
ヒスイさんは号泣し、イリアスさんは俺の手を掴む。二人とも、俺たちの事を心配してくれてたんだな。
また、ミミさんは一人でパンを食べており、ギンガさんは腕を組んで仁王立ちしている。この二人はどうでも良いから、自由にやっていてください。
ギルドマスターのヴィオラさんは、ディバインさんに会話を振る。ギルドマスター同士、これから色々と話し合う事もあるだろう。
「わざわざ来てくれたのね。ハリアーやヴィルはどうしたの?」
「ハリアーは言葉など必要ないと一括し、ヴィルは勝者の顔など見たくはないと言っていたぞ」
「相変わらず最低の先輩と同僚ね……」
どうやら、【エンタープライズ】のみんなとヴィルさんは来ていないようだ。
まあ、ハリアーさんの性格上、自分から会いに来る事はないだろう。また後で報告に行かないといけないな。
そして、この場にいないのがもう一組。ギルド【漆黑】のメンバーだった。
目的を達成した以上、彼らが馴れ合う事はないだろう。でもまあ、一応聞いてみる。
「クロカゲさんたちは?」
「もう、次のダンジョンへと攻略に向かっている。どうやら、全ての試練を突破するつもりらしい」
ディバインさんから話しを聞いたのと同時に、俺たちの頭上を【漆黑】の飛空艇が飛んでいく。彼らはまた、新たな攻略へと赴くのだろう。
空とダンジョンを行き来する彼らと接触する機会は少ない。最後にお礼を言えなかったのが少し残念だったな。
ある程度の情報交換をすると、急にディバインさんの表情が真面目になる。
彼は姿勢を整え、両手を横に付けた。そして、その頭を深々と下げる。
「お前たち、本当に良くやってくれた」
「私からも全NPCを代表してお礼を言います。ありがとうございます」
『ニャニャー!』
そんな彼の隣りに付き、人魚のビスカさんも頭を下げる。ケットシーのリンゴも、何だかお礼を言っているようだ。
ディバインさんに続き、【ゴールドラッシュ】のメンバーたちも頭を下げていく。嬉しいんだけど、何だかこっぱずかしい。俺たちはすぐに、その頭を上げるように説得していった。
ああ、ようやくこれで戦いが終わる。
黒幕であるPCさんを倒し、【ディープガルド】に平和が戻ったんだ。
もう、気を張る必要もない。【覚醒】を使用することもない。あらゆる問題は全て解決したんだ……
でも、その時だった。
「くくく……フハハハハハ! 全く愚かなものだ……全ては私の掌の上とは知らずに……」
「し……師匠……?」
突如、邪悪な笑みを浮かべ、右手を顔に当てるギンガさん。彼はまるで、今までの全てを支配していたかのようなことを言っている。
まさか……嘘だろ……?
エルドの夢も、PCさんの逆転計画も、全てはギンガさんの計画の内だったって言いたいのかよ。俺は恐る恐る彼にその真意を聞く。
「ま……まさかギンガさん……」
「ああ、その通りだ……貴様たちはよくやってくれた。これで、いよいよこの世界を支配できる時が来たようだな……」
魔導師は杖を振り上げ、冷たい表情で俺たちを見下す。
「死ね。愚かなプレイヤーたちよ……」
俺たちは武器を構えた。
この大人数を前に戦闘態勢を取ったギンガさんは、よっぽど勝てる自信があるという事だ。いったいどんな罠を仕掛けているんだ……
と、俺が考えている時。ギンガさんはすぐに杖を収める。
「という、銀河的冗談なわけだが」
死ね。
死ね。
もう慈悲はないな銀河野郎。
「てめえギンガ死ねや!」
「今回ばかりは容赦しねえぞ!」
「な……何をするやめ……ぬわー!」
俺が処刑を考えた時。他のプレイヤーたちがギンガさんをボコボコにしていく。
裏ボスなんていなかった。いたのはただのバカだった。
最後の最後に一線を越えたジョークをかまし、ギンガさんは哀れにもゲームオーバーとなる。自業自得なのでまあ、同情は一切ないな。
ギンガさんのボケを見て、アスールさんは上機嫌な様子。
彼は笑いながら、ベレー帽上のサングラスを目に下ろす。そしてかっこ付けながら、俺たちギルド【IRIS】に向かって言う。
「ははっ、いい気分だ。ここらで軽く伏線回収といくか」
どうやらアスールさんは、以前リュイと会話していたことを聞いていたようだ。彼は改めて自己紹介を行っていく。
「俺のリアルネームは朝比奈陸だ。ヴィオラ、お前も名乗ったらどうだ?」
「い……嫌よ! 絶対に嫌!」
結構普通の名前を名乗り、アスールさんはヴィオラさんに名前を明かすように言う。だけど、彼女は尋常ではないほどに嫌がっているようだ。
ノランは性別がばれるので仕方がない。だけど、何でヴィオラさんがここまで突っぱねるのか。何だか気になって気になって、仕方なくなってきたぞ。
他のみんなも気になるのか、ルージュとノランが彼女の腕を掴む。
「き……気になるだろ……! 話せ!」
「ノランちゃんは名乗らないけど、ヴィオラちゃんのは聞きたいな! 話せー!」
少女二人に振り回されるヴィオラさん。これはもう、誤魔化す事なんて出来ない雰囲気だな。ここを切り抜けても、絶対言及され続けるんだろう。
覚悟を決めたのか、彼女は大きく深呼吸をする。そして、顔を真っ赤に染めながら、その名前を明かしていった。
「さ……早乙女みここよ……」
「み……みここ……?」
まさかのヴィオラさん、リアルネームはみここ。
ルージュの林檎なんて目じゃないほど独特な名前だ。いや、悪い名前という意味ではないが……
ヴィオラさんはすっかり意気消沈し、俺たちから目をそらしてしまう。完全に悪い事を聞いてしまったようだ。いや、実際は悪いことじゃないと思うが……
「なんか、ごめんなさい……」
「良いのよ。馴れてるから……」
最後の最後に微妙な空気になるギルド【IRIS】。どうやらこれで、完全にオチが付いたようだ。
本当に、長いようで短い時間だった。俺はこのギルドに入ったことを誇りに思う。たとえそれが、アイが仕組んだ誕生であっても、今はそれを含めてこのギルドが好きなんだ。
いや、このギルドだけじゃない。
この【ディープガルド】の全てが、俺にとって掛け替えのない存在。だから、俺はこの世界で起きたことを忘れない。
一生の思い出だ。ここで学んだことは、必ず後にも生かしてみせる。
これから、ギルド【IRIS】はもっと大きくなるはずだ。
ヴィオラさん……ギルドランキング上位の夢、俺は絶対に叶うと思いますよ。
絶対に……
次で終わります。