196 緑の試練
街に着いて一週間が経過する。俺たちは魔族の城、ヴァイナス城でレべリングを行っていた。
現れるモンスターはサキュバス、ケルベロス、リビングアーマー、シャドウゴースト、インプ、ダークスケルトン。このあたりが多いが、流石にここまで来ると種類を把握するのも面倒になってくる。
サキュバスの魅了は状態異常耐性を鍛えた俺にとって脅威ではない。ケルベロスあたりも力勝負をしてくれるのでマシな部類だ。
一番厄介なのはシャドウゴースト。ゴーストの上位種で物理攻撃を一切受けないという特性を持っている。つまり、俺の場合はロボットの【光子砲】以外に攻撃手段がない。
完全に相性が悪かった。魔法を使えるルージュやアイに任せるしかないだろう。
「スキル【炎魔法】ファイアリジョン……!」
「スキル【回復魔法】ヒールリス」
死霊モンスターには炎と回復魔法がよく効く。二人の魔法が厄介なシャドウゴーストを消滅させた。
すぐに俺は前に出て、コウモリのような翼を持った女性型モンスター、サキュバスと対峙する。人間型のモンスターは殴り辛いが勝つためには仕方ない。俺は心の中で謝りながら、彼女をスパナでぶっ飛ばした。
流石にこのダンジョンは進みづらい。慎重に進まなければ、ゲームオーバーになりかねない。
「雑魚一匹一匹が強い……進めるより、レベルを上げることを考えた方が良さそうだな」
「最初からそのつもりでしょ? さって、そろそろボスモンスターよ」
そこそこ階層を上がり、ボスモンスターとの戦いになる。しかし、そいつとの戦いはこれで三度目。俺たちは先に進むことより、効率よいボス狩りを何度も行っていた。
敵はカボチャ型のモンスター、ジャックオランタン。空中に浮いておばけのようだが、カボチャなので植物族だ。物理攻撃が効くし、炎属性で大ダメージを与えれる。そして何より経験値が美味しかった。
俺はアイとの連携を強めるため、事前に戦い方を打合せする。こいつと一緒に動くのが、一番戦いやすからな。
「アイ、俺がロボットで盾になる。お前は後ろから【使役人形】と【回復魔法】でサポートしてくれ」
「いえ、私も前に出ます。PCさんとの戦いではそんな陣形に意味などありません。ここで二人で前に出る連携を強めるべきでしょう」
要するに、一緒に並んで戦いましょうという事だ。
俺は一応【防御力up】を鍛えた盾役。アイのような中距離タイプのプレイヤーを守るポジションなんだけどな。やっぱり、俺に守られるというのが気に食わないのだろうか。
「能力の低い仕立屋が前に出てどうする。それこそPCさんには通用しないだろ。大丈夫だ。俺がしっかり守ってやる」
「自惚れないでください。盾役としての貴方など、ディバインさんの足もとにも及びません。貴方は自分の事を考えていれば良いのです」
ディバインさんの足もとにも及ばないか。そう言えばこいつ、やけにあの人とは馬が合っていたな。
元々、アイは戦士のジョブを選んでいた。マーリックさんのジョブ占いによると、戦士は負けず嫌いで頑固者。勝負事には徹底した拘りがある。
うっわ、アイにもディバインさんにもぴったり当てはまるな……そりゃ馬も合うわけだ。
「お前、傲慢なくせにディバインさんは認めているんだな」
「同じ戦士として、彼の存在は常に意識していました。彼の持つ鋼の精神は敬意に値します。出来れば、相手にしたくない存在でしたよ」
こいつの価値観は『自分の心に嘘をつかなければ最強』だからな。自分の心に嘘をつかず、ただ真っ直ぐに貫き通すディバインさんは評価に値するのだろう。もっとも、あの人はその頑固さのせいで何度もやらかしてるが……
アイとの話を終えると、女ノランがこっそりと近づいてくる。そして、俺に向かって静かに耳打ちした。
「それでも女の子はね。守られたい……っていう願望があるんだよ? だよだよ?」
「そ……そうなのか……?」
うん、腑に落ちない。
あいつが守られたい願望なんて、全く想像できなかった。
【グリン大陸】オリーブの森の奥、世界樹フォーリッジ。
神木の内部を進み、ディバインたち【ゴールドラッシュ】は最上層まで到達していた。
幹から外部に出て、枝をつたって木の天辺へと上る。そこには葉によって作られた広い足場が作られていた。
ここが、蝿の王ベルゼブブとの決戦の場。その毒により、神木はすっかりと弱っている。足場の葉も茶色く染まり、今にも涸れそうな状態だ。
木だけではない。草も、花も、動物も、人も、悪魔の毒によって汚染されていく。この緑の試練には時間がなかった。
『ギギ……勇敢な戦士よ……なぜ失うと分かって守る……生きるもの全ては……いつか必ず死ぬ……』
「すまないが、お前と哲学をしている余裕はない」
ベルゼブブの放つ猛毒の風をディバインは盾によって防ぎきる。装備に抜かりはない。毒対策は万全だった。
巨大なハエ型のモンスター。その戦法はとにかく毒。生半可な耐性装備など突破するほどの毒を周囲にまき散らしていた。
それも、敵の放つ毒は厳密には猛毒だ。時間が経てば経つほどその威力は増大していく。対策なしでは攻略不可能。対策あっても勝機は薄いという、まさに地獄のような難易度だった。
『ギギギ……わたしは奪うもの……守る者よ……抗ってみせろ……』
「ぬう、スキル【祝福の盾】!」
蝿は四枚の羽根を羽ばたかせ、周囲に更なる猛毒を振りまいていく。それに対し、ディバインは状態異常を防ぐ【祝福の盾】によって対抗を見せた。
同時に、【ゴールドラッシュ】の戦士数人が同じく【祝福の盾】を使用する。ディバイン含めたこの部隊が、後衛を守る鉄壁の壁となっていた。
『ギイ……』
「相性が悪かったようだな。スキル【マジックガード】、スキル【ランパード】」
戦士部隊は同時にスキルを使っていく。【マジックガード】で魔法防御力を上昇させ、【ランパード】で全てのダメージを割合で減らす。
まさに鋼鉄ディバイン、敵モンスターを八方塞がりの状態へと追い詰めていった。
「余裕ですわね。事前に毒を対策すれば、全く恐れる必要などありませんわ! スキル【撃ち落とし】!」
副ギルドマスター、弓術士のテイルは後方からベルゼブブを射抜いていく。対空スキルの【撃ち落とし】を駆使すれば、大きなダメージが入る。更に、同じ後衛には魔導師と僧侶がいた。
万に一つも負ける要素はない。絶対に勝つつもりで、【ゴールドラッシュ】は準備を行っていた。
ベルゼブブのライフを大きく削り、そのライフを三分の一まで追い詰める。恐らく、本当の戦いはここからだろう。
橙の試練でガルガンチュアが暴走を開始したのがこのタイミング。だからこそ、ディバインは敵の行動パターンが変わることを読んだ。
そして、その予測は的中する。
『ギギギ……愚かなり……』
「な……なんですの……」
醜い蝿の化物は、更に醜く姿を変える。羽根と身体はより大きく、赤く光っていた二つの眼は三つ四つと増えていった。
合計で八つの赤い目、それらは一斉に【ゴールドラッシュ】メンバーを捕捉する。どう考えてもヤバい雰囲気だった。
ベルゼブブは羽根を広げ、それを大きく羽ばたかせる。そこから放たれる毒の瘴気は、レイド全体を飲み込んでいった。
『守ってみせよ……勇敢な盾よ……』
「ぬう……! 後衛の毒対策が甘かったか……!」
前衛の戦士は、高レベルの毒にも対抗できるほどの対策を行っていた。しかし、後衛の遠距離型ジョブたちはその対策が甘かったようだ。
テイルを含め、優秀な遠距離型ジョブやヒーラーたちが纏めて毒におかされてしまう。レイド全てを飲み込む毒など、過去に類を見なかった。
すぐにヒーラーたちが回復動作に動く。ディバインたち前衛は、そんな彼女たちを守らなければならない。
「すぐに……回復を……」
「耐えろ……! 耐えて立て直す以外にないぞ……!」
毒のダメージは尋常ではなかった。オールキュアで広範囲の治癒が可能だが、当然詠唱時間は長い。治癒が完了するまでディバインたちが粘る以外にない。
可能だ。今まで戦士たちは盾として機能していた。充分に敵の攻撃を防ぎ切れる。敵のダメージソースが毒である以上、プレイヤーのゲームオーバーまでにはラグがあった。
ディバインは盾を構え、他の戦士と共にスキルを使用していく。人海戦術ならば、彼の右に出る者はいない。
「スキル【守護の盾】! これで注目の的だ!」
『ギギ……』
複数のプレイヤーによる【守護の盾】、その効果によってベルゼブブのヘイトは前衛へと向かう。敵は虫足の鉤爪によって攻撃に出るが、全てディバインたちの盾が防いだ。
行ける。勝てる。このまま時間を稼ぎ、その間に全プレイヤーの毒を治癒する。守りに乗じて剣士や盗賊で攻撃を与えれば尚良し。敵のダメージソースが毒である以上、【守護の盾】を使用できる戦士に敗北はない。
緑の試練といっても、所詮はダンジョン攻略の一種。今までの攻略と同じように……
「でぃ……ディバイン……」
「なんだ、テイル。早く治癒を急げ!」
ディバインが勝利を確信した時、毒犯されつつもテイルが声を上げる。見れば、いまだに毒の治癒は進んでいない。いったい何をしているのだろうか。
このまま後衛が復帰しなくては、流石の戦士でも攻撃を耐えきることが出来ない。ベルゼブブの能力は飛躍的に上がり、少しづつダメージを受けていたのだから。
しかし、僧侶は何も出来ない。それには理由があった。
治癒をしていないのではない。
治癒が出来なかったのだ。
「この毒……治りませんわ……」
「なん……だと……?」
その瞬間、全ての戦略は崩れ去った。
回復不能の毒。そんなものは今までに聞いたことがない。全くの想定外だ。
いや、そんな事はどうでも良い。事実、回復が出来ないのなら認めるしかない。認めてそれを含めた戦略を組み直さなければならない。
敵のダメージソースは毒。毒は治らない。ならばもう、鉄壁の盾に何の意味もなかった。
「スキル【諸刃の剣】……! 全員、総力を挙げて敵のライフをゼロにしろォ!」
「は……はい! スキル【諸刃の剣】!」
ディバインの声と共に、戦士部隊が一気に突っ込む。同時に、ベルゼブブの【風魔法】が周囲のプレイヤーを切り裂いていった。
【諸刃の剣】は防御を捨てて攻撃力を上昇させる捨て身のスキル。【マジックガード】によって魔法に強くなっているが、それでも敵から受けるダメージは大きい。
だが、それでも防御動作に移ることが出来なかった。もう、そんな時間は残されていなかったのだ。
「うおおおおおォォォォォ……! スキル【シールドバッシュ】!」
「す……スキル【乱れ撃ち】……!」
「スキル……【聖魔法】ホーリィ……」
ディバインは鬼の形相で盾によって殴りかかり、テイルは我武者羅に矢を放ち続ける。毒のダメージが増加する以上、【回復魔法】も意味をなさない。ゆえに、僧侶はヒーラーの職務を放棄し、【聖魔法】によって攻撃に移った。
ベルゼブブの鉤爪が戦闘職を切り裂き、【風魔法】が魔法職を吹き飛ばしていく。先ほどまでの優勢が嘘かのように、プレイヤーたちは次々にゲームオーバーとなっていった。
もはや戦略などない。ライフが尽きるまでのどつきあいだ。
『ギギ……勇敢な戦士よ……お前は何も守れない……』
『黙っていろ……! スキル【インビジブル】……!』
【インビジブル】は消費の激しい大技だが、一定時間全ての技のダメージをゼロにする。防御力を下げる【諸刃の剣】との相性は抜群。守りつつ、なおかつ敵を打ち滅ぼす。
すでに、共に前衛に立った戦士数人もゲームオーバーとなっている。後衛の魔法職も何人残っているか分からない。明らかに、ディバイン以外の攻撃の手は止まっていた。
彼は振り返らない。振り返って、そこに誰もいないのが怖かった。もう、自分以外残っていないのではと……
「スキル【シールドバッシュ】……! 【シールドバッシュ】……!」
それでも、ディバインは勝利を信じて殴り続ける。敵のライフは残りわずか。【インビジブル】の効果はすぐに切れるが、とにかく攻撃を与え続けるだけだ。
やがて、最強の盾は効果を失い。ディバインは無防備な状態になってしまう。ベルゼブブはそれを見逃さず、すぐに得意の毒ガスを噴射する。当然、【祝福の盾】の効果は切れていた。
「ぬう……」
『ギギ……毒に盾など効かない……終わりだ……』
毒によって体力は一気に奪われていく。同時にPPを使い果たし、スキルの使用を行うことが出来ない。
完全なる詰み。それでもディバインは剣を振り落し続ける。あと僅か、ほんの僅かなライフを削り取るために彼は戦い続けた。
しかし、ついにその時が訪れた。
「ぐ……ここまでか……」
毒によってライフがレッドラインとなる。ここまで一人で削り続けたが、もう一歩も動くとは出来ない。
終わった。ディバインはそう思い。目を閉じようとした。
その瞬間だ。
「射抜く……! スキル【一撃の矢】!」
響く女性の声。それと共にベルゼブブの脳天は一瞬にして射抜かれる。
あまりにも急な出来事で、ディバインは何が起きたか分からなかった。しかし、後ろに振り返ったことでようやく状況を理解する。
犬耳に尻尾を生やした弓術士テイル。彼女はライフを残していたのだ。
「テイル、生き残っていたのか……」
「攻撃には参加せず。【回復魔法】で一人粘っていましたわ。本当は【一撃の矢】で運に頼るつもりでしたが、ディバインさんが削ってくださったので倒しきれましたわね……」
【一撃の矢】は一定確率で敵を即死させるスキル。残りライフによって即死発生確率が上がり、レッドラインならば、ボス相手でも三割、五割までは持っていける。
もっとも、今回はディバインが相当に削っていたので、即死攻撃など必要なかった。ただの高威力スキルとしてベルゼブブを打ち抜いたのだ。
敵を倒したことで、治癒不能だった毒の正体が分かる。それは、あまりにも単純なものだった。
「どうやら、毒の正体は回復封じの付与効果らしい。吟遊詩人が覚える【鎮魂歌】に近いようだ」
「スキル【回復魔法】オールキュア。種が分かれば、魔導師の【解除魔法】で打ち破れたかもしれませんわ。今後のために覚えておきましょう」
戦闘が終わったので回復封じの効果も終わる。すぐにテイルはオールキュアによって、毒に侵されたプレイヤーを癒していった。
二人以外にも何人か生き残っており、反撃の機会をうかがっていたらしい。ディバインが一人で猛攻を繰り返していたため、支援タイミングを逃していたのだ。
これで、緑の試練は突破となる。テイルは自らが仕留めたベルゼブブへと視線を向けた。
モンスターは白い光となり、徐々に消えていく。彼は何故か笑うように、プレイヤーたちに言葉を投げた。
『ギシシ……死ぬと分かってなぜ生きる……滅ぶと分かってなぜ守る……奪う私には……守る者の気が知れぬ……』
「申し訳ありませんわね。バカで愚直な私たちには、そんな哲学に興味はありませんわ!」
ベルゼブブはただ、『ギシシ……ギシシ……』と笑いながら空へと消えていく。
生まれながらの完全悪。その設定で生まれた存在。そんな彼は、いったい何を思ったのか。
現実世界に生きる彼女たちには分かるはずもなかった。