190 涙の保険
現実時刻の夕方5時。【ディープガルド】時刻で夜の8時。俺たちギルド【IRIS】はビリジアン王宮を後にする。
タイミングを逃してしまったが、どこかで今までのことを話さなくてはならない。アイの正体を知られないよう、虚偽を混ぜながらだ。
しかし、王宮の敷地から足を踏み出した時だった。派手な衣装をした道化師が、突然目の前に飛び出す。
「拍手喝采雨あられ~! ブラボー! ブラボー! いや~素晴らしい! 美しい! スマルトの戦いでの勝利、おめでとうございます!」
「うわ、変人道化師」
【漆黑】の諜報員マーリックさん。ヴィオラさんからは酷い言われようだが、これでもかなりの実力者だ。
道化師は深々と頭を下げ、俺とアイに敬意を示す。彼なりの誠意なのは分かるが、流石に気恥ずかしい。
「レンジさん……ビューシア氏への勝利、おめでとうございます。そしてアイさん……よく戻って……」
「心配をかけましたね。まあ、わざとですけど」
マーリックさんはアイの正体を知っている。クロカゲさんに命じられ、俺の後をつけていたからだ。
今思うと、【気配察知】なんてスキルを鍛えていたのは怪しかったな。恐らく、アスールさんと同じで【追尾】のスキルも鍛えているのだろう。【確率成功率up】を鍛えていないのも納得だ。
彼は感慨深い表情で俺たちを見ていく。思えば、この人は俺がログインして二日目からずっとこのギルドを監視してきた。ある意味、最後のメンバーと言っていいだろう。
「ああ、皆々様、こんなにも凛々しくなって……初めて出会ったあの時が、まるで昨日の事かのようです。実に実に感慨深く、わたくしの胸も少々高鳴ってまいりました」
常にポーカーフェイスのマーリックさんが、初めて感情を表に出してくれた気がする。俺たちの求める情報を提供し、時には助けてくれた。そんな彼だからこそ、思う事があるんだろう。
マーリックさんの任務は俺の監視だった。その任が解かれた以上、もう忍ぶ必要もない。実力は確かなので、やはりダンジョン攻略メンバーなんだろうか。リュイがそんな俺の疑問を代わりに聞く。
「マーリックさんも試練に向かうんですか?」
「はい、わたくしはクロカゲ氏と共に【ヴァイオット大陸】、ヴァイナス城に向かいます。魔族に取り入る暗躍者を必ず倒してご覧入れましょう」
ギルド【漆黑】は紫の試練と橙の試練を同時に受け持っている。実力者ばかりが集まっているギルドだが、流石に四十人を動かすとなるとギリギリだ。中堅プレイヤーも出動しなければならなかった。
戦力がギリギリなのは【漆黑】だけではない。全ての試練を攻略するには最低でも百四十人が必要。それに予備メンバを含めるなら二百人は協力者が欲しい所だ。
しかし、戦いが終わった今もエルド派のプレイヤーは残っており、ギルド【エルドガルド】は健在。彼らの協力を得られない以上、猫の手も借りたかった。
だからこそ、マーリックさんはこんな事を言いだす。
「そうでした、貴方がたはギンガ氏とお知り合いでしたね。一つ伝言を頼まれてもらっても良いですか?」
「か……構わんぞ……! ボクの師匠だからな……!」
「クロカゲ氏からの伝言です。『赤の試練の席を空けておく』と……」
ルージュが勝手なことを言っているがスルーし、彼は俺たちに伝言を伝える。どうやら、ギンガさんの協力を得たいようだな。
赤の試練は【ドレッド大陸】、バーミリオン火山の噴火を止めるミッションだったか。以前見た時からヤバそうだったが、ついに大噴火を起こしてしまったらしい。
さて、あの捻くれ者の変人が協力するだろうか……そう思った時だった。
「ふん、確かに聞いたぞ」
「うわ、変人が二人に増えた!」
突如、目の前に派手なマントを身に纏った魔導師が姿を現す。変人として有名人、総合ランキング四位のギンガさんだった。
あーあ、ついに出会っちまったな。ここまで来て言うのも何だが、マーリックさんとポジション被ってるよな……いや、こんな後半に何を突っ込んでいるのだろうと自分でも思うんだが、二人揃って初めて分かる事もある。
それにしても、ここまでずっと後を付けていたんだな。どんだけ構ってほしんだよ。悲しいなあ……
彼は偉そうに腕を組み、俺の想像していた通りの言葉を言いだす。
「貴様らに協力するなど虫唾が走る。【ドレッド大陸】など、勝手に燃え尽きれば良いわ!」
「師匠……」
悲しそうな顔をするルージュ。本当に、最後の最後までギンガさんは変わってくれなかった。他のみんなは心を開いて、俺のために協力してくれたんだけどな。
でも、俺たちに攻略を強要する権利はないだろう。なにより、ギンガさんはソロプレイヤーで、プレイヤー同士の繋がりを持っていない。彼一人説得したところで、残り十九人を補充できるわけがなかった。
そんな時だ。俺たちの前に新たに二人のプレイヤーが姿を現す。
「その話し待った!」
「あーもう、今度は何よ! 変人のバーゲンセールじゃない!」
現れたのは太陽を模した仮面をかぶった女性と、月の仮面をかぶった男性。おいおい、ここまで来て謎の新キャラかよ。しかも、なんかヒーローっぽいし、まるで訳が分からない。
女性の方はノリノリの銃士、胸がかなり大きい。男性の方は滅茶苦茶恥ずかしがってる戦士、細マッチョな体つきだ。
あれ……この女性の方って……気づいたヴィオラさんが眉間にしわを寄せる。
「ラプター……何やってるの……?」
「私の名前は太陽仮面」
「いえ、そういうの良いから」
「私の名前は太陽仮面」
元【エンタープライズ】、今は【エルドガルド】のラプターさん。エルドが消滅した後も逃げ切ったみたいだけど、まさかショックで頭おかしくなってるとはな……
そうなると、もう一人は元【ゴールドラッシュ】のランスさんかな。うん、知らない。俺はこのゲームで色々な人と知り合ったが、この人は知らない。
「だから嫌だったんだ……今さら協力させてほしいなんて虫が良すぎるだろ……」
「だまれ月光仮面! 私たちは正義の使者! ギンガさん、共に【ドレッド大陸】を炎の魔の手から救おう!」
ラプターさんは今回の攻略に協力したいみたいだな。まあ、エルドの理想も潰えたし、顔も知らないPCさんに協力する義理はないわな。
それに、ゲームをしたいのは【エルドガルド】も同じだ。NPCだって、本当は傷つけたくないんだろう。
ラプターさんの誘いに対し、ギンガさんはご満悦だった。たぶん、同族の臭いを感じたんだろう。
「そうか! そこまで言うのならば仕方がない! 太陽も月も銀河の一部、ここで出会ったのも何かの縁であろう。協力してやらんこともない」
「ありがとうございます!」
こいつ、口実にしやがった! 本当は協力したいのを乱入者で誤魔化しやがった! 最低だ!
仮面二人は俺たちに軽く頭を下げ、ギンガさんの後ろへと付いて行く。結局、ラプターさんもランスさんも、トップに立つには向いていなかったのかもしれない。ギンガさんが引っ張っていってくれるなら、その方が彼女たちにとって気が楽だろう。
【エルドガルド】という大きなギルドを手中に収めたギンガさんは、最後に一言だけ言葉を残す。
「最後に一つだけ言っておこう。私は宇宙の素晴らしさを説いているが、それほど宇宙に詳しくないぞ!」
「さっさと消えろ!」
しまった、思わず暴言を吐いてしまった。
既に分かっているし、心の底からどうでも良い情報をありがとうございます。最初から最後まで、何一つあなたを理解出来ませんでした。
まあ、迷ったら星……いや、人を見る。この教えだけは心に残しておきますよ。
王都ビリジアンの街外れ、【IRIS】のギルド本部前で俺とアイは墓参りをしていた。
このお墓は【ディープガルド】で消えていった命のため、俺とこいつで作ったものだ。当然、アイが他人の命など気にするはずがない。全て演技で俺に付き合っていたのだろう。
だが、本性を現した今でも無理やり墓に祈らせている。ここにはダブルブレインの命も供養されているからな。マシロに謝るっていう約束は果たしてもらう。
「殺してすいませんでした。少しフィーバーしすぎました。はい、これで良いですか?」
「心こもってないな……」
無理に態度を改めさせても、こいつは自分を偽るだけだ。結局は心の問題。こんな様子だが、根は反省していると信じるしかなかった。
だが、希望はある。どの道、マシロの意思は本物だったので、いずれ彼女の命は奪われていただろう。アイは俺たちが殺すことを良しと思わなかった。だから殺した。
そう思えば、幾分か気も楽になる。まあ、真実は闇の中だけどな。
俺たちがギルド前で佇んでいると、他のギルドメンバーたちがこちらへとやってくる。ずっとタイミングを逃してきたけど、ついに姿を晦ましていたことを言及されるようだ。
まあ、色々と言い訳は考えているし、都合の悪い部分以外は正直に話せばいい。アイの記憶を取り戻し、また同じギルドで冒険が出来る。もたらされた結果はこれで充分だ。
「みんな、すいませんでした。アイの記憶を取り戻すために、ビューシアと一対一で戦う必要があったんです。結果は俺の勝ちで、アイの記憶も無事に取り戻しました。全部、上手く行ったんです」
「へへー、流石レンジくんだね。わ……私はレンジくんを信じていたよ!」
ん? ノランが応えてくれたが、なんか反応が微妙だぞ。やっぱり、黙って消えた事に幻滅しているのだろうか。俺はそう思って他のメンバーの顔を見ていく。
冷や汗を流し、目を逸らすギルドメンバー。みんな怒っていないし、だからと言ってアイが記憶を取り戻したことに喜んでいるわけでもない。
まるで白々しいものを見るような。逆にこちらに隠し事をしているような。どこか微妙な反応だった。
そんな時、突然アイが声を張り上げる。彼女の口から放たれたのは、俺が想定していなかった言葉だった。
「みなさん、すいませんでした! 私はプレイヤーキラー、ビューシアです。貴方たちを利用し、【ディープガルド】を混乱に陥れるため、このギルドに入りました。今までの私は全て偽りです!」
おい……おい……
何を言ってるんだ……全部台無しじゃないか……!
奥歯を噛みしめながら、深々と頭を下げるアイ。プライドの高いあいつが、こんな真似をするなんて考えられない。だからこそ、俺はこの事態を想定していなかったんだ。
俺はアイの裏切りを隠すつもりだった。皆には今まで通り、なんの弊害もなくギルドを続けてほしかった。それが、こいつの行動で何もかも台無しだ。
「おい、アイ! お前なんてことを!」
「レンジさん、私は貴方の思い通りにはなりたくありません! あれほどの屈辱を味わって、私がおめおめとギルドに戻るとでも思いましたか? いいえ、けじめは私が付けます。このビューシアでなくては意味がないんですよ!」
そうだ、こいつはこういう女だった。俺の思い通りに動かされるという屈辱が、あいつらに頭を下げるという屈辱に勝ったのだ。本当に恐ろしい女だよ。
さて、ここからどうする……
みんなはアイを……いや、ビューシアの嘘を許してくれるのか? 前と同じように優しく向かえ入れてくれるのか? 俺はあらゆる事態を頭の中で想定していく。
しかし、次にノランの口から出た言葉は、俺とアイの想像を遥かに上回っていた。
「知ってたよ!」
今……何と言った……?
知っていた? アイの裏切りを? ビューシアの正体を? 俺が一人戦っていたことを? 何で知っているんだ。全く理解出来ないぞ……
あのアイが、鳩が豆鉄砲を食らったかのように固まっている。俺も同じだ。
クロカゲさんやマーリックさんが話したのか? それとも、ヴィルさんやヒスイさんが? どうやら、その誰でもないようだ。
「最初に疑ったのは俺だ。元々、俺がこのギルドにはいったのは、アイを敵に回したくなかったかってのがある。悪人に憧れていたからな。自分でもよく分からないが、底知れない悪意を感じ取ったのかもしれない」
どうやら、鋭いアスールさんに最初から疑われていたようだ。そう言えば、この人がギルドに入った時、『お前たちと敵対して、全て失うわけにはいかない』と言ってアイを警戒していたな。
あの時からずっと、この瞬間まで繋がっていたっていうのかよ。まさに噛み合う歯車か、ヴィオラさんは更に疑いが確信に変わる経緯を放していく。
「で、アスールの奴のせいで大ゲンカ。最初はみんな、アイちゃんを信じていたんだけど……」
「僕が言ったんです。僕たちはアイさんの事を何も知らない。何も知らずに一方的に信じるのは、むしろ無礼に値するのではと」
ここで、生真面目なリュイの思想が入る。そう言えば、こいつは道楽の街オーピメントでアイの二面性を間近に感じ取っていたな。やっぱり、あの時から裏があるとは思っていたのだろう。
しかし、ここまでは全て可測の段階。俺もアイの事を疑っていたが、共に過ごしてきた時間もあって敵だとは認識できなかった。
だが、こちらには断固とした証拠がある。それが、ルージュの身に降りかかった災難だ。ノランがさらに詳しく話していく。
「みんなでアイちゃんの事を振り返ってみたんだよ。そしたら、ルージュちゃんが急に苦しそうなって……」
「あ……頭が痛くて……何も思い出せなかった……だけど思い出さなくちゃいけないと思った……! ここでボクが思い出さないと、ボクたちは本当の仲間になれないと思ったんだ……!」
ルージュの【覚醒】はレベル4。完全に記憶を消された他の【覚醒】持ちとは毛色が違った。断片的に自分をゲームオーバーにした犯人を思い出したのだろう。
そうか……オレが無理に隠さなくても、こいつらは真実に辿り着いたんだな……
はは……俺って本当にバカだな……マーリックさんよりよっぽど道化師だよ。
「みんなごめん……最後の大陸……一緒に来てくれるか?」
「と……当然だ! バカレンジ!」
ルージュが真っ先に応える。他のメンバーも同じようだ。
アイはまるで何かを隠すかのように、そそくさとその場を後にする。俺はみんなの優しさに打たれ、特に意味もなくゴーグルを目に下ろし……
いや、意味がないのならやめよう。俺は泣いていない。なら、自信を持って目を見て話せばいいんだ。
もう、ゴーグルは下ろさない。涙の保険なんて、今の俺には必要ないからな。