184 私の中の愛
想定外の事態が起きたときにアイは言った。思い通りにいかない事こそ面白いと……
データ世界であらゆる物を与えられたこいつにとって、非常事態こそが何より楽しかったのだろう。ゲーム世界に依存してしまったのも必然だったのかもしれない。
しかし同時に、あらゆる物を思うままに手にしてきたアイは我ままだ。だから、自らの実力で思い通りにいかない事をねじ伏せようとした。
道楽の街オーピメントのカジノで、こいつはギャンブルを五分五分以上の勝率に持っていったな。とにかく負けず嫌いだから、何にでも張り合うし異常なまでに勝利に固執する。本当に厄介な女だったよ。
だから、全部分かっていた。
あいつの事だから、自分の成長を証明するためにあえて策略を駆使する。俺だけ技術を習って、自分は何も変わらないっていうのが気に食わなかったんだよな?
安心しろよ。お前は成長しているし、強くもなっている。だけど、一つ大きな勘違いをしていた。
アイという偽りのキャラクターを演じて、自分だけが一方的に俺を理解している。そう思い込んでいて、俺がお前の本質に踏み入っている事に気づかなかった。それが、今の状況を作り出す。
お前の敗因は、自分が理解されているという事を理解出来なかったことだ。
「読んでいたよアイ」
「なっ……!」
人形からの一撃を受けつつ俺はアイにそう言った。
どの人形がどのタイミングで攻撃を行う事までは読んでいない。しかし、ダメージを受けてからでも充分に対処できるほどに、【使役人形】の攻撃力は低かった。
策略が成功した時は、一種のギャンブルのように心地よい感覚を味わえる。しかし、得られたメリットがその感情に匹敵するものとは限らない。大してダメージも与えていないのに、大成功をしたかのような感覚に陥ってしまう事もあるだろう。今のアイのように……
そして、読みをさらに読まれたときは、カウンターを食らったかのように受ける損害も大きくなる。肉体以上に精神的なダメージの方が酷く、一瞬思考が停止するほどだ。
だから、このタイミングで全てを終わらせる。
この一撃でお前の悪をぶっ壊す!
「【使役人形】を死角に……!」
「言っただろ。お友達は大事にしろってな!」
アイからの追撃を受けるよりも先に、俺は背部のサーマを振り払う。そして、それをあえて彼女の目前へと動かした。
まるで人形が俺を助けてくれたかのように、彼はあいつの視界を遮る。一秒も無駄に出来ない状況で生まれた僅かな隙。それは、戦いを終息に導くには充分な要素だった。
俺は混乱するアイに向かって、力の限りスパナを振り落とす。
「スキル【解体】!」
「ぐあああ……!」
スキルの恩恵を受けた渾身のスパナが、彼女の脳天に叩き込まれる。完全にクリティカルヒットで、俺とあいつのライフ差は一気に逆転した。
裁縫師のDEF(防御力)は知れている。あいつのジャストガードを突破しさえすれば、俺の勝ちは決まっていたのだ。
アイは防御の体制を取りつつ後ろに下がった。そして、荒い息遣いをしながら俺に問答する。
「貴方は……あの部屋の人形を見た時から……この展開を予測していたというのですか……!」
「まさか、人形に酷いことした奴は、人形で痛い目を見るって思っただけだよ」
そこまで先が読めたら苦労はしない。俺はただ自分の全力で戦い、それがたまたまこの結果に結びついただけだ。運が良かったのかも知れないな。
さて、これであいつのライフは一桁だろう。あと一撃で全損に持っていくことが出来る。
でも、俺はこれ以上戦う気はなかった。あいつの思い通りにはなりたくないからな。
「ここまでだ。お前にはマシロに謝ってもらう。それが俺との約束だ」
スパナを収め、アイを睨みつける。こいつの考えていることなんてお見通しだ。
「お前、最初から約束を守る気なんてなかっただろ? 命を賭けたデスゲームに美徳を感じているお前が、俺だけ命を賭ける条件に満足するはずがない。敗北と同時に死ぬ気なんだろ」
「読まれていましたか……」
サンビーム砂漠でカエンさんと戦った時、こいつは負けられない戦いを楽しんでいた。今行ってきたデスゲームも、こいつにとっては最高の戦いの舞台だったというわけだ。
だが、わざわざ同じ土俵に上ってやる義理もない。俺の方からしてみれば、最初から命を賭ける気なんてなかった。それを今ここで証明してやる。
薄っぺらい少女の悪。それを屈辱的に、無慈悲に、全て引っぺがしてやるよ。
「アイ、決闘は終わりだ。お前は負けたんだよ」
「私が負ける……? そんなこと……そんなことは絶対にありえない……! 貴方にこれ以上戦う気がないのなら! 私は貴方を一方的になぶり殺すまでです!」
いまだ武器を収めないアイ。彼女は大針を引きずりつつ、じりじりとこちらへと近づいてくる。
だが、俺は何もしなかった。何もしなくても、こいつは勝手に自滅する。俺にはその確信があった。
さあ、お前の悪を試させてもらう。以前、エクリュ遺跡前でアスールさんはアイに敗北していた。あの時、彼女は相手の心理を読み、悪人に徹しきれないアスールさんの意思を折った。
あの時学んだ心の強さ。今、ここで使わせてもらう。
「上等だ……さあ殺せよ! その大針を俺の首を突き立てろ! お前の言う悪の華とやらを今ここで咲かせ!」
「言われなくとも……! レーンジさん! 私に対して同情を見せた貴方の負けです!」
迫る大針、俺は瞬きせずにそれを見つめる。やがて、攻撃が顔面に放たれる前に、俺はある告白を行った。
「アイ、俺はお前のことが好きだ。演じられたお前じゃない。ありのままの……ビューシアであるお前が好きなんだ」
「……!?」
止まる大針。目を丸くするアイ。
全ての歯車が噛み合う。今、エピナールの街が制止した。
俺もあいつも言葉を止める。聞こえるのは噴水の音だけだ。
月明かりに照らされた戦場は、決着と共に元の街へと戻る。あの日、俺とお前が出会ったあの時から、既に勝敗は決まっていたんだ。
歯車の街テラコッタで俺は自問した。『本当に優しいアイが好きだったのか』と……
あの時はその思考を振り切ったけど今なら言える。違う、俺が惚れた女はそんな薄っぺらいものじゃない。あいつとの絆は確かに魂で繋がっていたんだ……
「なぜ……動けない……私に何のスキルを使った……!」
スキルなんて使っていない。お前が自分で止めたんだ。
「何ですかこれは……なんでこんな……う……うあ……」
アイの瞳から雫が落ちる。それは止めどなく流れていき、やがて頬を伝っていく。
あいつは負けず嫌いだ。誤魔化すかのように、彼女は雫を振り払った。
「違う……違う……! 私の中のアイが……アイが邪魔をする……!」
「アイなんていない。いるとしたらお前自身だ」
二重人格にでもなったつもりか。俺もあいつの中にアイがいると考えたが、どうやらそれは違うようだ。
アイもビューシアも変わらない。こいつはもう一人の自分を作って、あらゆる感情を誤魔化そうとしているだけだ。
俺が本気で惚れた女は世界中でただ一人。サディストでマゾヒスト、強情で腹黒で、鬼畜で極悪……言い出したらきりがない。【ディープガルド】における俺にとっての全て……
大国愛、お前だけだ。
「屈辱です……こんな屈辱は生まれて初めてです……! 私はビューシア……生まれながらの悪として生まれてきた……!」
「そんな人間この世のどこにもいない! 価値観は人間一人一人の成長で決まるものだ!」
最初から悪として生まれた魔王なんて存在しない。何らかの歪んだ意思が、周囲との価値観の差が、悪という存在を作り出すんだ。
何の意思もなく悪人に徹しても、そこに理屈は存在しない。理屈がなければいつか破綻する。
「勇気があるのが偉いのか、意志を貫くのが本望なのか。正解なんて人の数あるし、何が最善かなんて誰にも分からない。だから、臆病者には臆病者にしか出来ない事があるし、意思を折って誰かを認める事も正解の一つだ」
農村の村エルブで、アイがディバインさんに放った言葉。俺はその言葉をこう捕えていた。
あいつの事だから、『正しくない存在を見下すのは許せない』とか、そういう意味で言ったんだろう。だけど、生憎俺は悪人に対して美徳感情を持っていない。
アイと俺の考えは違った。だけど、受け取った言葉の一つ一つは今も覚えている。
「お前、俺に言ったよな! 自分の心に嘘を付くなって! お前が一番自分を騙してるだろ!」
「くっ……」
本当は俺たちに対して友情を感じている。だからこいつは攻撃を止め、涙を流しているんだ。
お前の仕掛けたデスゲームが、お前の心を迷わせた。仲間の命を奪うほどの度胸なんて、悪人でも持っていないだろう。
「悪を捨てないのなら、それで良い。でも、お前の心は折れて、この決闘に決着はついた。だから今回だけは俺たちに力を貸してくれ」
「都合がいい……理屈も何もないじゃないですか……」
涙ぐみながらも、アイは減らず口を返す。まあ、そんなに都合よく戻ってくれるはずがないよな。
でも、あいつが場を掻き回すという最悪の事態は避けれたか。現状を見る限り、俺たちと敵対する気はさらさらないみたいだしな。
これで、俺は【ディープガルド】での戦いに専念できる。ルルノーさんを導き、【ダブルブレイン】を作り上げたアイの姉貴。そんな彼女と決着を付けなければならない。
さて、そろそろその正体を突き止めないとな。すっかり心の折れたアイに対し、俺は疑問を投げかけた。
「理屈じゃなくて、感情に訴えかけているつもりだ。アイ、敵の黒幕は誰か教えてくれ」
「……ふん。既に会っているんじゃありませんか? ゲームの開始時にも、ここに来るまでにも」
彼女の口から明かされたヒント。それによって、俺は敵の正体が誰だか確信した。
黒幕さんは俺たちを見ているはずだ。あいつはアイの理想を叶えるためにこの世界を作った。監視をしていないはずがない。
「出てきてくださいPCさん。妹を当て馬に使うなんて、お姉さんのすることじゃありませんよ」
俺がそう言ったのと同時に、街の奥から一人の女性が歩いてくる。【ディープガルド】を管理する神、Dr.ブレインさんの側近。
そして、彼の娘でありアイのお姉さんである人工知能。それが、俺たちにとって最後の敵であるPCさんだった。
「お見事です。まさか、【ディープガルド】とこの世界で同時に私に辿り着く者がいるとは……これは少し計算外でしたね」
拍手をしながら、彼女は笑っている。
余裕なものだな。最後の一人として残されたのに、追いつめられているという様子は全くなかった。
それにしても、【ディープガルド】と同時に辿り着くとはどういう意味だ? 俺以外にも、黒幕の正体まで辿り着いた奴がいるってことか。
何にしてもそいつはお手柄だな。どうやら、そっちの方が黒幕さんにとっては重要らしい。
「正直なところ、貴方の相手をしている場合ではないんですよ。早く、あちらの敵を処分しなくては……」
「そう好きにはさせませんよ! まだ、貴方の事を何も分かっていませんから」
彼女は言葉を残すと、1と0の数列となって姿を消してしまう。おそらく、【ディープガルド】へとログインしてしまったのだろう。
アイには悪いが、今はあいつの相手をしている場合じゃない。【ディープガルド】内部で黒幕に辿り着いた誰か。その誰かの身に危機が迫っている。PCさんなら、プレイヤーにデスゲームをもたらす事も出来るはずなのだから……
「ブレインさん! 俺をPCさんの元に転送してください!」
『ああ、僕が見てるの知ってましたか。分かりました。直接、ピンポイントで転送してみましょう』
エピナールの街にブレインさんの声が響く。それと同時に、俺の体はログアウトの時のように透けていった。
こんな場所で立ち往生している訳にもいかないしな。散々みんなに迷惑をかけたし、最後の最後ぐらいはしっかり参戦しなきゃならない。
唯一、気掛かりなのはアイの事かな。
「アイ、お前はブレインさんのところに行っていろ! 親父と仲良くな!」
「あ……え……」
一人残されて解せない様子。だけど、俺はもうお前が脅威とは思っていない。
俺はお前を信じている。だから、もう二度と俺たちに武器を振りかざすなよ。