181 始まりの街エピナール
意識を失った人たちが生活する電脳世界ユートピア。そこで、俺はアイと……いや、【ダブルブレイン】最後の一人であるビューシアと対峙していた。
ビューシアは醜悪な笑みを浮かべ、両腕を大きく広げる。それと同時に彼女の部屋は歪み、徐々にその形を崩していった。
「ここまで辿り着いたことは褒めてあげましょう。ですがそれも終わりです。レンジさん、貴方には命を賭けてもらいます」
「命だと……?」
床が壁が、この部屋のものすべてが崩れ去っていく。いや、そう表現するのは微妙に違う。正確には別の世界に書き換わっているんだ。
俺の服装は【ディープガルド】での機械技師衣装に変わる。だが、ビューシアはいつもの仕立屋衣装じゃなかった。
黒を基調とした性能の良い防具に代わっている。まるで、持ち主の心を反映したかのように、アウトローなデザインだ。
「どうですか、レンジさん。決着は全ての始まりであるこの場所が相応しいでしょう?」
やがて、あいつの部屋全ては西洋風の街に変わってしまう。俺たちが立っているのは中央広場の噴水前。時刻は深夜のようで、空には淡い三日月が光っていた。
初めてアイと武器を交えた思い出の街。俺たちはここでヴィオラさんのギルドに入り、強化するスキルもここで定めた。正しく、始まりの街と言っていいだろう。
「ここは、エピナールの街か……」
「【ディープガルド】と同じ設定の空間をお父さんに作ってもらいました。飛空艇でゲッカさんに言ったでしょう? お父さんがコンピュター関係の仕事をしているって」
それ以外に関しては大嘘だっただろ。なにが『私を信じてください』だ。涙目で訴えかけられたら、そりゃ信じるしかないさ。
でも、決戦がいつもやっているゲームで安心したよ。見たところ、レベルや持ちスキルも完全に再現されているようだ。これなら、こっちも全力で戦えるだろう。
俺はアイテムバックに手を突っ込み、そこから一つのアクセサリーを取り出す。このエピナールの街で買った友情の証。それをビューシアに向けて軽く投げた。
「このリボンを返すよ。なれない【小物製作】のスキルで強化しておいた」
「奇遇ですね。私も猫耳バンドを改良しておきましたよ。前回は状態異常耐性を出来るだけ下げるように改良しましたが、流石にもう諦めましたよ。今回は貴方の臨む性能です」
彼女はリボンを受け取ると、代わりに猫耳バンドをこっちに投げる。何だかとても懐かしく感じるな。これは初めてアイがプレゼントしてくれたアクセサリーだ。
恐らく、俺の気を引くための小道具だろう。でも、それがこの巡り会わせを作ったのも事実。俺は受け取ったアクセサリーを帽子の上に装着した。
「うん、やっぱりこれがしっくり来るな」
「私はレンジさんを困らせるために、その猫耳バンドを選びました。まさか、お返しに恥ずかしいリボンを渡されるとは思いませんでしたよ。内心は屈辱で一杯でしたね」
ああ、やっぱり俺に対する嫌がらせも含まれていたのか。あの時やり返したのは正解だったな。
ビューシアは受け取ったリボンを頭の上に付ける。俺の心を折りたいのなら、そんなリボン地面にでも叩きつければいいだろ。こっちはその覚悟だってしてきたんだ。
でも、あいつはリボンを装着した。未練がたらたらで見ていられないな。
「あの時、私は貴方に対してムキになりました。やがて、その感情は別方向へと動いていきます。このリボンは全ての切っ掛けなんですよ」
思い出を忘れられない。だからリボンを捨てなかった。だから、決戦の地にこのエピナールの街を選んだ。そんな中途半端な覚悟だから、お前は隙だらけなんだよ。
正直、俺は全く負けるつもりなどない。技術では確かに劣っているが、それでもあいつに負ける気はしない。俺には、ビューシアの言葉全てが薄っぺらく聞こえた。
「さて、話しを戻します。命を賭けてもらうと言った意味ですが。前にルルノーさんはある存在に導かれたと言いましたよね? その人、私のお姉さんなんです」
「へえ……」
動揺を誘うあいつの言葉を俺は素っ気なく流す。確かに驚いているが、今までに何度も信じられない事はあった。この程度で心を乱してはいられない。
俺は考える。ブレインさんがもう一人里子を預かっていても不自然ではない。でも、その事に対して一切触れていないのは引っかかる。
まあ、何にしても。こいつの姉貴がラスボスって事で間違いないだろう。
「彼女の正体を明かせば、私にも辿り着いてしまうと警戒しましたが……もう、ここまで来てしまったので隠す必要もありませんね。お姉さんは貴方の事を邪魔者だと思ってますよ」
まあ、そうなるよな。そう思われる理由ならいくつもある。俺が【ディープガルド】に来なければ、奴らの計画はもっと順調に進んでいたのだから。
ビューシアはイシュラの作った大針をこちらに向ける。歯車の街テラコッタでプレゼントした武器なんだが、まさかそれを向けられるとは思ってもみなかった。あいつも本気で俺を潰すつもりらしい。
「だから、この空間で死んだら脳みそにショックを与えると決定しました。利害の一致でレンジさんブチ殺決定ということですよ!」
「そうか、嬉しそうだな」
「当たり前です! 初めてデスゲームで殺す人が、私の最初で最後の思い人なんですから! こんなに素晴らしい事がありますか! いえいえ、ないですよ! これほどの幸せは他にありません!」
初めて会った時と変わらないな。熱血バトルマニアでSとMの両刀少女だ。
そういえば、道楽の街オーピメントで『このゲームがデスゲームになったらどうするか』と聞いてきたな。その時俺は『宿の隅で震えている』と答えた。今でもその意見を変えるつもりはない。
でも、目指すものがゲームクリアでも、デスゲームからの脱出でもないのなら。今、目の前にいる彼女を取り戻すための戦いなら。俺は喜んでそのゲームに乗ってやる。
正義の味方でも何でもない。俺は俺の意思で戦うまでだ。
「分かった。良いよ。でも、お前が負けたらマシロに謝ってもらう」
「まだそんなどうでも良いことに拘っているんですか。でもまあ、良いですよ。その約束、飲みましょう」
マシロに謝らせる。あいつには悪いが、これは単なる拘りではなく列記とした策略だ。ビューシアを屈服させ、悪の意思とやらをへし折るための一手。プライドの高いあの女にはお似合いの屈辱だろう。
口では許すと言っているが、簡単にあいつを許すつもりはない。力で屈服させるのは大嫌いだが、借りを返す手段は他にもある。
甘い、優しいと言って油断していると、お前の心は一気にズタズタだ。まあ、それはビューシアも分かっているんだろうけどな。
「それにしても、レンジさん随分と狂気的になりましたね。命を賭けた戦いなのに顔色一つ変えないなんて……」
「ああ、それな。俺は死ぬ気なんて全くないから当然だろ」
ビューシアは一人でデスゲームに酔っているようだが、俺は真っ向から危険な賭けをする気はない。この戦いに勝とうが負けようが、俺は死なないという確信があった。
この時点で俺の策略は完成した。ビューシアは泥沼に足を突っ込んだことに全く気付いていない。お前の行動は自分で自分の首を絞めているだけにすぎないんだよ。
「わあ、随分と自信があるんですね! まだ私に勝てると思っているなんて……」
「そうだな、お前に俺は殺せない。こいつはヒントだ。よく考えておけよ。アホの子」
ビューシア……お前は本当に厄介な奴だった。偽りの友情を演じて、狡猾に全ての展開を荒らすお前はまさにジョーカーだ。俺じゃなかったら、最悪の事態になっていたかもしれない。
でも、それもここで終わる。ビューシア、お前は俺と相性が悪かった。
「さあ、御託はここまでだ。イシュラやハクシャと約束してるし、さっさと蹴りつけるぞ!」
「言われなくとも、私は早く始めたくてうずうずしていますよ!」
さあ、いよいよvsビューシアだ。俺はスパナを構え、あいつと真正面から向き合う。
スマルトの教会でアイと戦った時、俺のレベルは44だった。だけどあの後、俺はヴィルさんとかなりのレべリングを行っている。王都でイシュラと別れた後も、レべリングと機械製作を続けていた。その結果、今のレベルは52で、ビューシアとかなり差をつけている。
スキルレベルは【状態異常耐性up】が限界レベルとなり、次いで【防御力up】【生産成功率up】の順で高い。
新たなスキルもロボットを瞬間的に加速させる【加速】と【ロボット性能up】を身に付けた。前回よりも確実に強くなっているだろう。
また、装備にも抜かりはない。この日に備えて拳銃を制作し、サブ装備としてギアリボルバーを装備している。
他はイシュラに作ってもらった創造者のスパナ。アイに作ってもらったオーバガウンと猫耳バンド。そして、小人の村カーディナルで購入したドワーフの腕輪。
準備は完璧だ。俺とビューシアは互いに敬意を払い、その頭を下げた。
「さあ、決闘の前に」
「互いに礼を」
一戦する前にこうやって一礼するのが戦いの礼儀。俺はそう言って、あいつとの決闘に区切りを付けた。
初めは不意打ちを警戒するために作ったルールだけど、それ以降は完全にお決まりになっている。毎度毎度、ログインして最初の数時間はこうやってトレーニングに励んだよな……
でも、今から始まるのはトレーニングじゃない。正真正銘、命を賭けた戦いだ。
「さあ、行きますよレンジさん!」
「ああ、遠慮はしない! スキル【覚醒】!」
先に仕掛けたのはビューシア。あいつは大針を連続で突いていき、的確に俺のクリティカルポイントを狙う。だが、それら全てを俺はスパナによるジャストガードで弾いていった。
たとえ、あいつの技術が凄まじくても、俺には【覚醒】のスキルがある。こいつがあれば、五本指と言われるゲームプレイヤーとも、互角以上に渡り合えた。
しかし、いくら攻撃をジャストガードされようとも、ビューシアは大針による通常攻撃をやめようとはしない。ただ連続で突きを繰り返し、俺はそれを全てさばいていく。
「ああ……素晴らしいですよレンジさん! 【覚醒】の効果だけではなく、貴方の技術はすでに私と同じ領域に達しているようですね! だからこそ、それを私の物に出来なかったことが悔やまれますよ」
やがて、ビューシアの攻撃方法が一変する。あいつは一歩後ろに下がり、そこから勢いよく回し蹴りを放った。以前の俺なら、真面に食らっていただろう。
だが、お前とトレーニングを続けた俺なら読める。その攻撃を通常のガードによって受け、そのままスパナを振り払った。
あいつは、ジャストガードによって攻撃を防いだが、僅かに隙が生まれてしまう。当然、俺がその隙を逃すはずがない。
「スキル【発明】! アイテム、イグニッション!」
鉄くずと炎と魔石にスパナを打ち付け、発火装置を作り出す。そして、それをビューシアに向かって掃射した。
前方を飲み込む火炎はジャストガード不可。あいつお得意の戦法は使えないが、まあ回避に動くだろうな。プレイヤーキラービューシアは、ジャストガードと回避が得意なプレイヤーだ。
しかし、ここであいつが取った行動は、俺の予測を簡単に崩してしまった。
「大技を狙いますか。スキル【マジカルクロス】!」
布製の防具を消費して防御ベールを張る【マジカルクロス】。それによってあいつが消費したのは、フレイムローブだった。
その追加効果により、炎属性耐性がビューシアの体に付与される。同時に、あいつは通常のガードによって俺の攻撃を受けた。それは、以前では考えられないような戦略だ。
「くそっ……」
「私が防御するとは思いませんでしたよね? でも、しちゃいました。ざーんねん! スキル【まつり縫い】」
炎を振り払い、そこから【まつり縫い】によって俺の体に糸を絡める。束縛状態は状態異常として扱わないため、耐性を鍛えた俺にも防ぎようがない。まあ、受けてしまったものは仕方ないな。
糸を振りほどきつつ、ビューシアの攻撃を受ける体制に入る。そんな俺に対し、あいつは下手に攻めようとはせずに距離を取った。
束縛からの攻撃ではなく、退避へ動いたのはあいつらしくない。だが、次に取った行動で、それが何を意味しているのか確信した。
「さあ、お人形遊びの始まりです。スキル【使役人形】!」
「ああそうか……お前、仕立屋を覚えたな……」
あいつは遠くから、三体の人形をこちらに放つ。それらは一斉に、束縛状態の俺に襲い掛かった。
考えてみれば当然だ。ATK(攻撃力)の低い仕立屋が接近戦を行う意味は薄い。今まで、ビューシアは戦士気分で戦闘を行ってきたのだ。
でも、今は違う。あいつの戦法は立派な仕立屋。もう、非効率な接近戦など行う意味はなかった。
「彼らの名前はサーマ、ターム、ウィンです。あれー? どこかで聞いたことがありますねー」
「ふざけろゲスが……!」
ご丁寧に、人形たちはあいつらそっくりに作られている。最初にわざと接近戦をし、本命はこいつらってわけだな。情け容赦なし、徹底的に俺の弱みを突いてくるつもりらしい。
サーマが俺の右腕に飛びつき、タームが脇腹に体当たりをする。ダメージを受けたのと同時に、俺の体は束縛状態から開放された。
すぐに人形二体を振り払い、ビューシアとの距離を詰めようと走り出す。だが、そんな俺の目前には、三体目のウィンが飛びかかってきた。
【奇跡】のスキルを研ぎ澄まし、魂を持っていないと判断する。心は痛むが、唯の人形に踊らされるわけにもいかない。俺は人形に向かって、スパナを思いっきり振りかぶった。
「スキル【解体】!」
こちらに激突するまえに、ウィンと呼ばれた人形を叩き落とす。残り二体の人形に追いつかれたら厄介だ。俺はビューシアとの距離を一気に詰め、再びスパナを振りかぶる。
だが、あいつも黙って立っているはずがない。人形を操作しつつも、本人は大針によって対抗姿勢を見せる。俺が振り落したスパナは、あいつのジャストガードによって防がれてしまった。
距離を取られれば人形で集中攻撃。近づいてもジャストガードで容易くあしらわれる。さて、どうするべきか……
俺がそう考えている時だった。ビューシアによる更なる攻撃が続く。
「お兄ちゃんいくよ~!」
「……え?」
聞こえるはずのない第三者の声。それも、幼い少女の声だ。
その声と同時に、俺はビューシアの作り出した四体目の人形によって殴り飛ばされる。状況はすぐに判断できた。
受け身を取って着地し、逃げるようにあいつから離れる。ダメージは小さい。だけどこれは不味い……最悪の状況だ……
俺の【奇跡】のスキルが反応する。あいつ……こんな隠し玉を用意していたのかよ……
「私、スプリ~! 今の攻撃、すっごく強かったでしょ?」
「……ゲスが」
人形の少女は純粋に笑う。その主人は邪悪にほくそ笑む。
よく分かったよ。あいつ、俺を潰すために【生き人形】のスキルを鍛えやがったな……
くそっ、戦いづらいことしやがって……まあ、ヌンデルさんの時みたいに戦闘不能にするしかないよな。俺は絶対に、NPCの命を奪いたくないからな。